7.白刃のハザマ
「ま、待ってください!」
慌ててユーレッドが刀を抜く手を止めた。
視界の中に何か飛び込んだと思った時には、タイロがインシュリーとユーレッドの間に割り込んでいたのだ。
「新米、何してる! 下がれ!」
「あ、あの、インシュリーさん」
タイロはユーレッドの警告を思わず流しながら、刀を少し抜いたところで止まっているインシュリーに呼びかけた。
(なんだろ、目つきすわってるな)
先ほど話していた穏やかで真面目な獄吏の印象とはちがい、今のインシュリーは殺気をあからさまに目にたたえている。ほとんど別人のようだ。
(こわい)
正直にそう思ったが、今更引けない。
「あの、ユーレッドさんは俺が連れてきた獄卒なんで……っ!」
タイロは愛想笑いを浮かべつつ、
「ここでユーレッドさんに怪我されても、彼がインシュリーさんを傷つけても、何かしらの不祥事になります。それは俺の責任になります。俺が困るんで、やめていただけないでしょうか」
『泰路、何いってるの?』
「ヤスミちゃん、黙ってて」
タイロは割って入ってきたジャスミンを珍しく鋭く制して、ため息を一つついてインシュリーに向き合う。
「貴方とユーレッドさんの間に何があったのかは知らないので、こんなことをいうのも失礼ですが、喧嘩は帰国してからにしていただけませんか? いくらユーレッドさんが失礼だったとしても、獄吏としてはこんなところで喧嘩はダメですよ」
どきどきと鼓動の音が聞こえる。タイロは丁寧な言葉と裏腹に、インシュリーを睨むように見ている。
インシュリーはしばらくタイロを見ていたが、やがてふと我に返ったようにため息をつく。刀をおさめる堅い音がして、彼はタイロを見やった。
「失礼した。つい、我を忘れてしまってね」
「わ、わかっていただけたらいいんです」
タイロはほっとする。
「だが、ユーレッド。お前とはまたいずれ話すことがある」
インシュリーがちらと剣呑な視線を投げると、ユーレッドはにっと笑った。
「話? アテにならねえな。剣を交えての話なら聞いてやるよ」
ユーレッドが皮肉っぽくいうのをインシュリーは無視して、さっと身を翻す。そうすると、先ほどまでの危険な気配が一気に消えていた。
元の凛々しくエリート然とした美青年の獄吏だ。
「あ、あの、また明日お願いします。穏便にですよー」
タイロがその背中に呼びかけると、インシュリーがうなずいたようだった。
そのまま静かに街のほうに歩いていき、インシュリーの姿は見えなくなった。
どうやらこれで大丈夫らしい。タイロは息をつく。
大丈夫だとわかると、いきなりどっと汗が出て、足腰に震えが走ってきた。
(俺、超がんばった……)
とタイロがため息をつこうとしたとき、いきなり怒号が近くで聞こえた。
『泰路、何やってるのよ! 危ないでしょ!』
「わっ!」
ジャスミンの声がそうタイロをしかりつける。
「あ、あの、ヤスミちゃん」
『なんで素直に逃げないの? アンタじゃ無理だったでしょ!」
「あ、あああ、でも、俺もそう思ったんだけど……」
タイロは、新たな危機に焦る。
「い、いやあ、だって、止めないともっと危なさそうだったし。だ、だってだよ、目の前で喧嘩されると困るじゃん」
『そんなんじゃ、命いくつあっても足りないわよ! 全く! もう知らない!』
ブツっと音が途切れる。タイロは慌てて、
「あれ、ヤスミちゃん、やーすみちゃーん!」
表示が退席中となっている。
「ちょ、ごめんってば! あれ、何で怒ってんの?」
タイロは困惑気味にため息をつく。
タイロとしては、自分は非常によく頑張ったのだ。獄吏と獄卒の刃傷沙汰にならないように止めに入って、それに見事成功したわけで、褒められるならわかるが何故こんなに頭ごなしに怒られるんだろう。
というか、ジャスミンが何か不機嫌な気がする。なんでそんなに機嫌が悪いのだろう。
「んー、わかんない。まー、なんかあったら連絡くれるかな」
と呟いた時、不意に背後から気配がした。
「おい! この馬鹿っ!」
ユーレッドがぐいとタイロの襟首を引っ張る。
「わああっ! ユーレッドさん」
「その娘の言う通りだろ! 何勝手に割って入ってきてんだ、てめえは!」
ジャスミンの後はユーレッドだ。一難去ってまた一難。
今度の相手はジャスミンより怖い。大体、何故みんなそんなに怒っているのか。
「いっ、いや、邪魔したのは悪かったです。で、でも、ユーレッドさんにあそこで暴れられたらヤバいんですって! ユーレッドさんが負けるとは思ってませんけど、獄吏相手に手を出したら割りに合わないって自分で言ってたでしょ?」
タイロは襟首をつかまれたまま、慌てて弁明した。
「そ、それに、俺が怒られるのも確かなんですし。止めなきゃと思って……」
ふん、とユーレッドは鼻を鳴らして手を離す。わっ、と、タイロはその場に転んでしまった。
「そっちの意味じゃねえよ。とにかく今のは二度とやるな!」
「え?」
タイロが起き上がりながら見上げると、ユーレッドはひくと眉根をよせる。
「お前、もうちょっとで死ぬところだったんだぞ」
「い、いや、割って入ったはずみで、ユーレッドさんに斬られたらどうしようとは思いましたよ。剣を抜きそうな気配ありましたし」
「俺は弾みじゃ斬らねえよ。それくらい止められない技量じゃねえってんだ」
不機嫌に言い捨てつつ、
「インシュリーだよ!」
ユーレッドはそう断言する。
「あれな。あと一秒でも、お前が入ってくるのが、遅かったらインシュリーは止めなかったぜ! そうなるとお前の首が飛んでたぞ」
「え、で、でも、あの人、獄吏でしょ? ま、まさか、そこまではしないんじゃ……。だ、大体、なんでわかるんですか?」
「俺ぐらいになりゃ、その程度わかる。殺気の感じが違うんだよ」
当然とばかりに言い切って、ユーレッドは歯を見せてひきつった笑みを浮かべた。
「あの野郎、あの場で俺を殺すつもりだったな」
「え、な、なんでですか」
「知らねえよ。俺だって、アイツにそこまで恨み買った覚えがねえんだ」
ユーレッドは眉根を寄せた。
「アイツ、この件に絡んでるといったな。お前、この後も仕事であいつと関わるんだろうが、絶対気ィ許すなよ。アレはまともじゃねぇよ」
「で、でも、お知り合いですよね?」
「話聞いてたろ。……だが、昔のアイツとは違う。下手したら別人かもしれねえくらいだ」
ユーレッドは眉根を寄せて顎を撫でやる。
「E管区では失踪とかいってましたけど、なんかあったんでしょうか」
「知らねえよ。ああいう気配を持ってるやつじゃなかったんだが。妙なんだよな。……とにかく、今のアイツは、必要があろうがなかろうが、殺ろうと思えば人を殺せる」
ユーレッドは複雑そうな表情を顔に浮かべている。元から好意的な間柄にも見えなかったが、思うところがあるらしい。
「あれ?」
タイロはきょとんとしてユーレッドの左手を見た。
袖には返り血がべっとりとついていたはずだが、いつの間にかきれいになっている。ふき取っている様子だったのは見たとおりだが、それにしてもきれいになりすぎだ。
「ユーレッドさんの袖、汚れなくなってる」
「そりゃあ、服に汚泥用のコーティングしてるからな」
「え、そんなのするんですか」
「俺は”職務熱心”な獄卒だぜ?」
ユーレッドは当然とばかりに言う。
「こう見えてこれは戦闘服なんだ。戦闘の時も、それなりに見られる服は着たいからよ。だから戦闘用のものには、それぐらいのコーティングするものだぜ。まあよ、するっとうまく落ちるのは汚泥ぐらいのもんだが。とはいえ、実際獄卒の血くらいなら、まずまず綺麗に落ちるぜ。そうでなきゃ、手入れが面倒なんだよ。よそ行きの服を何着も持てねえし」
「それもそうかあ」
ちょっと納得したところで、ユーレッドが周囲を見回す。
「ん? 他の連中は? ちょっと俺がいねえ間に綺麗にいなくなってるじゃねえか」
「あ、他の方はもう遊びに。えっと、ハブさんも遊びに行ったんです。あ、お店の名前を伝えてくれって……」
「あー、それはいい。聞いてもいかねえから」
ユーレッドが言葉を遮る。きょとんとしてタイロは聞き直す。
「あれ、ユーレッドさんは皆さんと遊びに行かないんですか? それじゃ一人でどこかに遊びに?」
「は? どうせアイツらが行くのは女のいる店だろ」
ユーレッドは不機嫌に言い捨てた。
「大して興味ねえな。第一、あんなの、どこの街でも似たようなもんだろ」
「そうですかあ?」
「そうだよ。第一、近づいてこられて話し相手するのなんざ、ウゼエったらねえ」
「えー、意外だなあ」
素直な感想が思わず口から飛び出てしまう。小声でつぶやいたつもりだったが、ユーレッドが聞きとがめた。
「あァ? 何がだ?」
「い、いやー、その」
タイロは気まずそうに笑いつつ、
「結構硬派なんですね、ユーレッドさんて。もうちょっと遊んでらっしゃるのかと思ってて……」
「お、お前な、俺のことをなんだと思ってんだ!」
ちょっと赤くなったユーレッドの手が、タイロの頭をつかむ。
「い、いや、その、ユーレッドさん、ワイルドだから、なんていうか女性の方ともワイルドなお付き合いをーとか……」
ごまかすタイロを一瞥して、ふんとユーレッドは乱暴に手を放す。
「まあ、そういうことだからよ。俺は忙しい。テメエもさっさと遊びに行けよ」
「あれ、じゃ、どこに行くんですか?」
「別に。行くアテはねえよ。道はスワロに聞けばなんとかなるだろ。とにかく色々忙しいんだ」
忙しいと口にしているが、絶対忙しくないのは明白だ。
タイロは少し考えた後、歩き始めたユーレッドの背中に声をかける。
「あ、あの、アテがないなら、メシでも食いに行きませんか?」
「あァ?」
「いや、もうすぐお昼の時間ですし」
タイロは時計をみやりつつ、
「メシなんざ、固形食料があるだろ。獄卒になってからのメシなんてよ、それぐらいで済むし」
固形食糧は、必要な栄養素やカロリー摂取を目的として作られた合理的な食料だ。昔よりマシになったらしいが、あんまりおいしくないので、タイロはそんなに好きではない。
「いや、なんか固形メシってそんなに美味しくないですし、せっかくマリナーブベイにきたんですし。あの、この間のお礼におごりますよ。俺」
「何言ってんだ、餓鬼のくせに。餓鬼の上前なんざあ、はねねえよ」
ユーレッドは苦笑して、
「第一、俺は少食なんだ」
「食生活が貧しいのはメンタルに悪いんですって。ほら、明日のお仕事の為にもちゃんと食べた方が……」
と、タイロが食い下がるのを見やって、何を思ったのかユーレッドは少し距離をとる。
「あのな、この間、獄卒とは馴れ合うなっつったろ?」
ユーレッドは苦笑する。踵を返し、背中越しにタイロを見た。
「お前、これまでの間に流石に俺のこと多少調べたよな? まァ、悪いことは大概してるし、我ながらイイ性格してるとも思ってるし。インシュリーの奴の反応も、まあしょうがねえやな」
タイロが黙り込むと、ユーレッドはつづける。
「お前は何も知らねえから、俺にかまうんだろうがそれぐらいにしておけよ。さっきのアシスタントの娘にも、お前、俺とあんまり付き合うなって注意されてんだろ。それ、正解だよ。俺みたいなヤツのことはな、深く知らねえほうがいい。深く知れば知るほど、俺のこと嫌いになるぜ」
ユーレッドは笑みをおさめる。
「だから、これ以上関わるな」
タイロは黙ってユーレッドを見上げる。ユーレッドはふいと顔を背けて歩き出そうとしたが、
「あの、それはですね、実は俺も、思ったんですけどね」
とふとタイロが声をかける。
「考えてみたんですが、それは結構大丈夫かなーって」
「なんだと?」
あっけらかんとした意外な返事にユーレッドは振り返る。
タイロは苦笑気味に。
「いやね、俺、ユーレッドさんの第一印象すごく悪かったんですよね。こんなイカれた殺人鬼みたいなやつ、絶対付き合わないでおこうって思ってたんで。なんで、もはやそれ以上わるくならないかなーとか」
きょとんとするユーレッドに、タイロは苦笑して続けた。
「いやー、そんなんなんで。確かに俺もなんでユーレッドさんに絡んでるのかわからないんですよね。ぶっちゃけ、ヤバい感じしかしないし、関わりたくなさ半端ないし。でもなんか、こう、やっぱ、俺も男なんで、強い人には憧れるし……、スワロさんにも興味があるし」
タイロは屈託ない笑顔になりながら、
「よくわかんないですが、せっかくなんでこの仕事の間くらいはご一緒できたらな、って思ってるんですよ。ここにいる間は獄卒の人たちと、なんらかは関わるわけでしょ。俺、獄吏だし、勉強のためにも獄卒の人のこともう知りたいし。だったら、どうせならユーレッドさん観察したいなって。この間のお礼もしたいし、第一、ユーレッドさんが一番カッコイイですしね」
そういってユーレッドを見上げる。
「だから、どうせ一緒にいることなんで、できたら仲良くしていただけたら嬉しいです」
ふと、彼がぎりっと歯噛みした気配がした。
「っ、この、……ッ!」
つかつかと近づいてくると思ったところで、頭をはたかれた。
「このっ、馬鹿!」
「いたた……」
「それは悪口だろ! 大体、観察ってなんだ、人を珍獣みてえに言いやがって!」
「す、すみません……」
怒られたと思って恐る恐るユーレッドを見上げると、彼はもう向こうに歩きかけていたが、ちらっと顔半分だけタイロを振り返って言った。
「気が変わった! お前、俺にメシを奢れ」
「えっ、あれ? いいんですか?」
「散々悪く言いやがって。詫びになんか奢れ!」
そう言ってふいっと顔を背けてしまったが、耳のあたりが少し赤い。
(あれ、ひょっとして照れてるのかな? 意外とちょろ可愛いとこあるっぽい?)
タイロはそんなことを考えつつ、
「えへへ、それはよかった! ねえ、せっかくなんでうまいとこ行きましょうよ! 調べます!」
調子よくついていきながら、タイロはそういって、はたと止まる。
(といっても、相変わらずヤスミちゃんは、なんか怒ってて退席中。調べてとかきいたら殺されそう。今から調べてもいいんだけど。俺、基本なんでも食える人だから、マリナーブベイの店の下調べとか特にしてないもんな)
しかし、せっかくユーレッドと食事をするのだし、ここでしょうもないものを出してくると、本気でキレられそうだ。
あと、タイロにだって薄っぺらいながらのプライドはあるのだ。
(ここでハズして怒られるのは何とか防ぎたい。ここいらで、意外とデキる男なのを見せたくもある。ぶっちゃけ褒められたい!)
と、そんなタイロにふとあるものが思い浮かんだ。
(んー、いきなりこんなことで連絡するのもあれだけど、……いいお店知りたいし。なんか、インシュリーさんの件も知ってるかもだし、一回連絡とってみるか)
タイロは端末からアルバムを呼び出して、写真を確認する。
その中に、とある名刺の写真が一枚保存されていた。