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U-RED in THE HELL ―ナラクノネザアス―  作者: 渡来亜輝彦
第二章-A:魔都マリナーブベイ
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3.魔都の入り口


 鏡台の前に座り、彼女は化粧品ポーチの中から口紅を選ぶ。

 一口にルージュと言っても色々な色がある。今日の気分とドレスの色に合わせて、どれがいいものやらと並べて考えてみていた。

「ねえ、ジャック。今日はどんな色がいいかしら」

 ミズ・ウィステリアは、表向き歌手としてステージに立つのが仕事だった。本来はギターで弾き語りをやるのだが、歌唱力も高い彼女はここではジャズシンガーのようなことをしていた。そのほうが潜入先が増えて、仕事がやりやすいのだ。

 ウィステリアは素顔も美しい女だった。むしろ本人は素顔こそ一番自分が綺麗に見えると自負していたが、とはいえステージで映えるのは化粧をした方の顔ではある。が、内心、選ぶの面倒だなとも思っていた。

「そうね、トリック。偶然に身を任せるのも、なかなかスリルがあっていいわ。くじ引きで決めちゃおうかしらねえ」

 控室には彼女のほかに人がいない。それにもかかわらず、彼女は誰かと話しているようにそんなことをいっていたが。

 と、ふと、彼女は本当に何かの気配を感じたものらしく、居住まいをただした。

「あら、お珍しいこともあるものねえ。なにか緊急の任務かしら?」

 彼女は目を細めてコンパクトミラーを見る。

「お化粧の最中に声をかけてくるなんて、貴方じゃなければ許さないところでしてよ?」

 鏡の中には彼女ではなく、別の男が映っていた。

「それはすまなかったね。悪いことをした」

「ふふっ、構いませんよ。けれど何かしら。例の件?」

「それもあるけれど、君の耳に入れておきたくてね。ここに彼がくるよ」

「彼がここに?」

 ウィステリアは目を見開き、それからきょとんとした。

「でもあのひと、こんなところに渡航許可が出る体じゃないでしょう? 散々問題行動を起こすもんだから、万年UNDER評価なのは有名な話」

「そこは色々あってね。渡航許可証が出ているんだよ」

「あらまあ、あんな人に渡航許可証なんてこわいこと。どんな裏があるかしれませんわねえ?」

 ウィステリアは切長の目で流し目をくれながら、妖艶に微笑んだ。

「けれど、あたしには朗報ですわ。こんな素敵な街であのひとに出会えるなんて、これ以上刺激的なことはそうそうないでしょう?」

 かすかに頬を染めて、ウィステリアは目を細めた。

「けれど、相変わらずあたしのような女にも、お優しいのね」

「あはは、君には協力してほしいからね」

「悪い男ねえ」

 ウィステリアはにっと歯を見せて笑うと、思い立ったように紅いルージュを手にとってそっと唇を塗る。

「でも、嬉しいわ。今日のステージはいつもより、上手く歌えそう。貴方もよかったらきいていって」

「ありがとう。舞台袖で聞いているよ。それじゃあ」

 そう言ってコンパクトミラーは、普通の鏡に戻り、ウィステリアの花のかんばせをうつすものになっていた。

 ウィステリアは目を細める。途端上機嫌になって、ウィステリアは鼻歌まじりに準備をする。

「あの方の顔が見られて今日はいい日だわね。今日は、やっぱりあたしの好きな色にするわ。ねえ、いいでしょう? ミュジック」

 彼女がそう語りかける視線の先に、黒いシックな首飾りがあった。



 タイロは、けしてお上りさんではないのだが、かといって都会派かというとそうでもない。シャロゥグでも比較的人の少ないところに住んでいるし、あまり人込みはなれていなかった。

 なので、マリナーブベイの荘厳な摩天楼を見ると、感動を通り越してちょっと引いてしまったりしていた。

「タイロくん、何怖気付いてるんです?」

 メガネ先輩に肩を叩かれる。彼は如何なる時も冷静だ。

「い、いえ、その、圧倒されてまして。さすが魔都だの言われるだけありますねえ」

「こんなところで感慨に耽られたら困ります。あの連中は、魔物みたいなもんですよ。獣使いになったつもりで、ちゃんと管理してくださいね」

 ちらとメガネ先輩が見た先には、後ろをぞろりとついてくる獄卒達。そんな彼らを見るだけでぞっとする。

(無理。俺には無理)

 タイロにはいかにも百戦錬磨な気配の彼等をまとめられる気はしない。

(しかも、なんかユーレッドさん、見当たらないしなあ。土壇場でやめちゃったかなあ)

 タイロとしても、彼とアシスタントのスワロに興味があるからこの仕事を受けたこともあるのだ。となると、彼らがいないとすると、かなり残念なことになる。

(まあ、ここに来るまではそれなりに楽しかったんだけどさあ。ここから地獄じゃん、これ)

 引率といっても、実は現地集合。

 彼等は別のルートで電車を乗り継ぎ船できた筈だ。船といってもおよそ一日程度。

 彼等と別々の船旅はぶっちゃけ楽しかった。ヘタレながらも神経の図太いところのあるタイロは、乗り物酔いとは無縁だ。快適に船の中の生活を楽しんだところで、マリナーブベイについたものだ。ちょっとした旅行気分。

 マリナーブベイは大きな島だが、その半分は人口的に作られているという。超近代的というのがぴったりな、いっそのこと大げさなほどシャレた建物が並ぶ半面、ごちゃごちゃとした渾沌さも垣間見える不思議な街だ。

 なんにせよ、都会には魔の気配がつきものである。


 タイロはメガネが来てくれたことには、本当に感謝していた。

「先輩、本当にここまで来てくれたんですね」

「貴方に任せるには荷が重いですから」

 思わず尊敬の眼差しを向けつつそういうと、あまり可愛くない返事がある。もうちょっと可愛げがあればいいのに。

「しかし、何を考えているのですかね。こんなゴミどもをマリナーブベイなんかに連れてきて」

 流石にメガネは口さがない。もともと彼は獄卒に対しては辛らつな態度をとる獄吏だ。

 前にユーレッドが”クソみてえな態度をとる獄吏”と悪態をついていたが、それはあながち間違いでもない。ご機嫌を取って適当にあやしながらも、基本的に獄吏は獄卒のことを見下している。

 それでもメガネ先輩みたいにあからさまなのは、珍しくはある。普通は獄卒との争いは避けたいので、一応、愛想笑いぐらいはするものなのだ。

「先輩も事情は知らないんですか?」

「知りませんよ。どうせ裏側でいろんな思惑が動いているのでしょうけれどね」

 メガネ先輩は、ふむとため息をついてメガネのつるに手をかける。

「あちらの方もなかなか個性的な方みたいですしね」

「あ、えっと、先程会った方ですか?」

「ええ。管理者アドミニストレータ直属の獄吏とは言っていましたが、怪しい仮面までつけて、信用置けない連中ですね」

  先ほど、打ち合わせと言われて先方と会った。

  メガネもタイロも、表向きの理由だけしか伝えられていない。

  つまり、E管区由来の囚人がマリナーブベイに紛れ込んでしまっており、それを討伐する必要がある。基本的にその管区で出た囚人を討伐するのはその管区の責任である。マリナーブベイは、複数の管区の管理が入り混じっているものの、基本的にはJ管区管轄。一応今回は、J管区の上層部から依頼があったので獄卒を派遣したということになっている。

  それで、管理者直属の獄吏だという職員と打ち合わせはしたのだ。

  打ち合わせ内容はごくごく普通。明日から作戦開始。その前に彼らの上司から直接作戦について指示がある。その時に、あらかじめ申し合わせた場所に獄卒達を連れてくること。

  なんのこともない。ごくごく普通の打ち合わせ。

  しかし、一つ普通ではなかったことがある。

(スーツ着てたのに、なんか怪しい仮面つけてたんだよな。こっちの獄吏ってそれが普通なの?)

 タイロは先ほどのことを思い出して、ちょっと背筋が寒くなる。

 あれは伝統芸能の時に顔に施す化粧を模したマスクで、真っ白な顔に隈取みたいなのがあった。それで顔が見えなかったのだが、話す内容はごく普通のことだったのだ。

「あの人たち、本当に獄吏の人なんでしょうか」

 不安になってメガネにそう尋ねると、彼は肩をすくめた。

「私も断言はできません。J管区に研修に行ったことはありますが、獄吏は普通でしたよ。ただ、彼らは管理者アドミニストレータ直属だといっていましたからね。しかし、どの管理者アドミなのかまでは教えてくれませんでしたから、ちょっと不安ではあります。J管区は本来は管理者Cの担当ですが、彼らは管理者Cの部下ではなさそうで……」

 管理者アドミニストレータとは、管区管理局で一番偉い存在だ。といっても、管理者も複数人いてその中で階級があるらしいけれど、管理者のことは彼らのような下っ端獄吏には伝えられないことである。

 特にこのマリナーブベイは複数の管区が建設にかかわっており、何人かの管理者アドミが管理にかかわっているとのことだ。例えば、E管区の担当は、管理者Eといわれる存在だが、その管理者Eもこのマリナーブベイの支配者層に名を連ねている。

「偉い人の考えることなんてわかりませんよ。どちらにしろ、ここまで来たら我々にできるのは彼らを引き渡すことだけです。彼らがどうなるかしりませんが」

 知ったことじゃない、と言いたげにメガネは言い切る。

 そして、急にさらっと話を変えた。

「そうそう、タイロくん。この後、明日まで自由行動です。獄卒の連中にもそう伝えてください」

「ええっ、いいんですか?」

 ちら、と背後の獄卒をみやる。元々彼等は犯罪者だ。獄卒となる代わりに一定の自由を与えられているものの、実質異国のマリナーブベイで野放しにすると帰ってくるかどうかもわからない。

「いなくなったら、それはそれでいいんですよ。獄卒が行方不明になった時は、大体死んでます」

「え、死なないんじゃなかったんです?」

「死なないとはいえ、彼等は重大な損傷を負うと、意識が遮断されて動けなくなります。痛みに耐えきれないので、先に意識を遮断するのですよ。となると、修復するまで再起動しないので、その間に囚人に喰われることが多いのですよね。流石に識別票が砕かれれば、そのままでは再生しませんし」

 メガネ先輩はそう言ってため息をつく。

「とはいえ、獄卒の識別票は我々と違って特殊です。そう簡単に破壊されるシロモノではないのですよ。我々の場合、通常識別票は、頭か心臓の位置にあるのですが、獄卒は任意の場所に移動させることができますからね。下手すると頭吹っ飛んでも平気ですよ」

「ひええ……、マジですか」

「なので、彼等が一番恐れるのは汚泥汚染による囚人化なのですよ。汚泥汚染されて囚人になってしまうと取り返しがつきませんからね。運良く早めに誰かに倒してもらって識別票を回収してもらった暁には、蘇生させてもらえるらしいですが」

 その後のことはよく知りません、とメガネは結ぶ。

「で、私も研修時代の友人に会いに行きますので、タイロ君も自由にしてくださいね」

「へっ?」

 そういわれてタイロは初めて慌てた。

「え、もしや、俺も自由行動なんですか?」

「ええ、特に仕事もありませんし、アイツらの監視なんてあなたには無理でしょう? 遊んでていいですよ」

「い、いやぁ、遊びたいのはやまやまなんですけど、……あ、あの、俺、この街はじめてなんですが」

「アシスタントにジャスミン・ナイト君がついているんでしょう?」

 ずばっと切り捨ててくるメガネ。

「彼女みたいな優秀な人がついているなら、一人でもなんとかなるでしょう? 彼女の助言があれば、あなたでも道に迷いませんよ」

「し、しかし……」

 正直、ジャスミンに頼りたくはない。この間、ちょっと気まずくなったこともあるけれど、そうでなかったとしても情けないところはあんまり見せたくない男心なのだ。

「とにかく、自由行動ですからね。彼等にもあなたから伝えてください。そろそろ彼ら、物珍しさにも慣れたでしょう。となると、喧嘩し出すころなので、それよりは遊ばれていた方がいいです」

 メガネはすげなくそう言う。

 マリナーブベイに滞在経験のある彼は、こっちに友達がいるらしく、冷静な彼ながら、遊びに行きたそうにしているのもわかる。

(なんだよ、俺を助けてくれたんじゃなくて、友達に会いに来たんじゃないのか? このいけすかねえメガネ)

 先ほどの高評価はどこへやら、タイロは内心悪態をつきつつ、ひっそりとメガネの背中をにらんだものだった。

 とりあえず、自由行動可能だということを、獄卒達に告げに行く必要がある。気が進まないが、そろそろと獄卒達の方に進む。

 協調性とは無縁な獄卒の中には、既に喧嘩が始まりそうな空気の連中もいる。早い事解散させた方がいい気がしてきた。

「あのー」

 タイロが声をかけるが、全員聞いてはいない。

「あ、あのっ、み、みなさーん?」

 タイロがちょっと大きめの声を出す。と一部の獄卒がタイロに目を向けた。

「なんだ、にーちゃん!」

 ぎらっと睨まれて、流石に気後れしてしまう。しかし、ここで逃げるわけにもいかない。

「いえ、これからですね、皆さんに今後のスケジュールの説明を……」

「スケジュールだと? 何言ってんだ、テメエは!」

「いや、お話を、ですねえ」

 これはまずい。真っ先に反応した男は、いけないモノでもキメているような目つきをしている。こいつには話が通用しそうではない。もっと、話が通じる獄卒が、名乗り出てくれないだろうか。

 と思った時、ふとタイロの目に長身の男が目に入った。

 獄卒の後ろの方で、興味なさげに建物の壁に背をつけてぼんやりと遠くを見ている風だ。その肩には相変わらず赤くて丸いものが乗っている。

「あっ、ユーレッドさんん!」

 タイロは思わず声をあげる。渡りに船とばかりに、タイロはもう一度声をかけた。

「ユーレッドさん、来てたんですか!」

 いきなり声をかけられて、ユーレッドはきょとんとした様子だったが、タイロに気づくとふらっと近づいてきた。

「なんだ、新米か」

「名前はタイロです!」

「よく逃げなかったな、お前」

 タイロの主張はスルーしつつ、ユーレッドは妙に感心した口ぶりでそういうと、左手で顎を撫でやる。

 例の丸いサングラスをかけ、今日は袖を通さずに肩に白いジャケットを引っ掛けているだけだ。相変わらずシャツとネクタイが無闇に派手だが、彼には似合っている。

(謎の風邪っぴきっぽい気怠い感じがあるけど、これはこれでカッコいい気がする)

 身も蓋もない感想だが、コレは口に出すと怒られそう。流石のタイロも黙っている。

「な、なんだ、ユーレッドの知り合いか?」

「新米のことか。獄吏だろ」

 タイロに絡んだ男が、やや気後れした様子になった。どうも仲間内でも、彼は要注意人物扱いらしい。

「お前に親しい獄吏がいるとはな」

「親しくもねえが、誰かみてえに新米獄吏に絡むほど暇じゃねえんだよ。年端のいかねえ餓鬼になに偉そうにしてんだか」

 ユーレッドはうっすらと嘲笑いつつ、左目で男をぎらっと見やる。

「ここにいる間には世話になるんだ。言うことぐらい聞いてやったらどうだ」

 そういうと、ちらっと男がユーレッドを睨むようにして舌打ちするが、彼の方は見向きもしない。

「で、なんだ? 何か言いかけてたな」

「あ、そ、その、えーっと」

 ユーレッドに促されて、タイロは慌てて伝えることを思い出し、声を張り上げた。

「今から自由行動なんです。獄吏の皆さんもご自由に過ごしてください。集合は明日の朝十時に宿舎……っていうか、ホテルのロビーでお願いします!」

 そういうと、獄卒達の態度がガラッと変わる。

 遊んでいいとなると話は別。しかも、ここは享楽的な娯楽都市マリナーブベイだ。

 ぞろぞろと思い思いに動き出す彼等は、すでにタイロから興味を失っているようだった。

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