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U-RED in THE HELL ―ナラクノネザアス―  作者: 渡来亜輝彦
第三章C:サイケデリック・インフェルノ

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13.賽の河原フラグメント


 気がつくと、いつか見た白っぽい世界にいた。

 どこからか、水の音が聞こえる。せせらぎの、流れる水の音。

 

 ここは河原だ。流れ着いた残骸が積み重なったさみしい白い河原。

 水墨画の世界みたいに、主に白と黒で構築されていて、色はあるけれど色彩がひどく淡い。

 幽玄で静か。まるでこの世ではないみたいだ。

 時々見るあの夢の場所。

 経帷子の死神と少年が現れる場所だ。

(またこの夢を見ている)

 少年は、死神と一緒に河原にある小屋の中にいる。死神は白い経帷子にびっしりと文字が流れている。

 どこか不可思議で、けれど幻想的な世界観。

 二人の顔ははっきりみえない。

(いつもの夢だ。でも、なんだか、今日は……)

 ふと、男の子がむしろをはぐって小屋の外に出た。

 途端、急に視界がはっきりとしてきた。いつもは、ノイズだらけの残骸の河原に、本来の姿が透けて滲んで見えるようになる。

 むしろの小屋に見えているそれは、普通の無機質な建物だった。近代的なコンクリートの建物で、一部には金属が使われている。

(あれっ? なんだろう、これ)

 いつもは少年の目を通してみていたそれが、今は客観的な視点から認識できていて、彼は戸惑った。

(これ、いつものと、ちょっと違う)

 今まで、この少年には、本来の姿が見えていなかったのだと、直感的に理解した。

 と言うことは、これが真実の姿なのだろうか。そまつな小屋の向こうにもパネルやモニターが見えていた。

 少年はそれに気を止めて、歩き出しそうになった。

「こら、あんマり遠くに行クなよ」

 と誰かの声が聞こえた。おそらく、死神の声だった。

「お前、よく見エテいなイだろう? 一人で遠くまで出歩クと迷うゾ」

 彼は声が少し潰れて歪んでいる。声帯にダメージがあるのかもしれない。

「でも、だって。こんなに外が面白ソウなンですよ? いろンなモノが透けテ見えていますよ!」

 楽しそうに少年はいった。少年の声も少し歪みがあるようだ。

「それがいケねえ。お前はまだ治療中なんだ。認識がバグっテやがる」

 死神は肩をすくめる。

「お前はその辺のシステムが壊レタから、実物と違うもんがみエテいるンだ。だカら、襲われると逃げられネエと教えてやっタろう?」

 今まで小屋だと思っていたものは、大きな建物の一部で、死神の男は壊れた建物の部屋に住んでいるのだ。

 薄く透けた本来の建物。部屋から出ると一部屋根が抜けていて、壊れた壁からもケーブルがごっそり見えていた。

 研究所や軍の施設を思わせる立派で堅固な建物だった気配が残るが、今は廃墟同然のようだ。

 外には川があるのは本当で、ここが人里離れた場所であり、河原に存在するのは間違いなさそうだった。

「今のお前じゃ、建物の内外ノ区別もつキやしねえ。俺が良いと言って引いた線ノ内側だけデ遊べと入ってるだろう」

「ちぇー」

 少年は生意気な本性を隠していなかった。

「まったく、つまンナイ。貴方も意外とケチだなー」

「なにが?」

「だって、外に行くなッテいうし、お父様って呼ばせてくれないし。減るもんじゃナイのに」

「ふざけんな。おれハお前の親父ヨリ若いんだ。オッサンみたいに言いやガッて。ま、お兄様ナラ百歩譲って許シテやっても良いゼ」

「貴方、お兄様って感じじゃないですよ」

「なンダその言い草は。生意気なやつダなあ」

 死神は不服そうにいって、

「ハンバーガーでも食って、大人シクしてな。自販機、直してやっタだろう。今ナラ、何でも作れルぜ。ナンタラセットとか、おもちゃ付きだ」

「ちぇっ!」

 少年は舌打ちした。

 それでも、いつも見る夢よりもはっきりしたとはいえ、少年の姿も死神の男の姿も、どこかぼんやりしていた。二人とも黒い人影のように見えていた。

 しかし、死神の男の方は、今までとはっきり違う姿が見えてもいた。

 今までは文字データの這い回る白い着物を着ている姿しか見えなかったのに、彼がきているのは経帷子ではなく治療用の白いローブだった。

 もちろん、文字がその上に投影されているわけでない。形状記憶チップを入れ込んだ包帯を全身に巻いていて、そのチップが時折同期してかすかにLEDライトが点滅している。

 少年はそれに目を止めたらしい。

「僕もソレデ治らナいものですかねえ。それって、再プログラミングしてルんですよね? それのが早く治リソう」

「……おれとお前では、壊れ方の質と場所が違うんだ。お前のは慣レテくるまで待つシカねえよ」

 死神は苦笑した。

「おレは体の構築システムがイカレちマってる。体の表面にデータ走らせて、なんとか保ってるだけだぜ」

 死神の男が手を挙げるのとそのぐるぐるに包帯を巻いたてのひらが見えた。

 コントローラーらしい制御盤のLEDライトがチカチカ光っていた。それをみるとどうも彼の体に、かなり問題があるのは間違いないらしい。

(そうか。それで、あれが着物の上を這う文字に見えていたのかも)

 死神の男は、慣れた手つきで部屋にあるパネルを操作してモニターで外の状況を確認している。

「今は外に追っ手はいないみたいだが、お前は他のやつらからも格好の獲物なんだ。もう少し我慢していろ」

「はーい」

 少年の見る世界は、再び歪み始めていた。

 死神の言う通り、少年は、認識が壊れている。ここに落ちた時に、いろんなものが壊れてしまって、本来の姿の世界が認識できておらず、昔話の世界に入り込んだかのように見えているのだ。

 だから、この時も.本来の姿がのぞいたのは一瞬で、ノイズとともに、再び幻想的な河原の世界が戻ってきた。

 近代的な施設と残骸の世界は、色を白く塗りつぶされた幽玄な水墨画のような残骸の河原に変わって行った。

 少年と死神の会話も、彼らの声の歪みが消えて聴きやすくなっていき、彼らの姿も見慣れた夢の姿に変わっていく。

 少年はそれに疑問も持たずに受け入れる。


 ——それでは、あの本、続きを読んでくださいよ。

 ——またあれか。お前は、あれが好きだな。

 ——だって、敵討ちの話でしょう? 僕は身につまされてるんですよ。

 ——ほら、僕は、そもそも、お父様の敵討のためにここにやってきたんですからね。何か参考になるかもしれないじゃないですか!

 少年は死神に甘えるように近づいて、本を読むようにせがむ。


 不意に、世界がさらに真っ白になっていく。

 落下するときのようなふわっとした感覚に陥って、そのまま、目が覚めるような感覚がした。


 *


「あれっ?」

 タイロは目を開けたつもりだったが、なんだか様子が違うことに驚いていた。

 自分はさっきまで夢を見ていたのだ。そして、その前はトンネルの中を走っていて、確か足を踏み外し……。

「あれ、ここどこ?」

 そこは、荒涼とした都市の廃墟だ。

 瓦礫が積み重なり、煙が上がっている。廃墟だが打ち捨てられたものでなく、たった今瓦礫にされたばかりのようだった。

 きゅうう、と声が聞こえて下を向くと、胸のところにスワロがいる。

「あれっ、スワロさん?」

 きゅきゅ、とスワロが困惑気味に鳴くが、重さを感じない。

「えっ、あれ、これ、夢の続きなの?」

 夢を見ているというか、誰かの記憶の映像を見ているというか。

 かつてジャズバーで、スワロにVRゴーグルで記録映像を見せられたのに似ている。

 なにせ、いつのまにか、タイロとスワロは、寒風が吹き荒ぶ都市廃墟に佇んでいたのだ。

「スワロさんもいるってことは、なんか俺、夢みたいな感じで、VR的な映像見せられてるやつ?」

 スワロも夢の中のものかもしれないが、タイロは呑気にそう尋ねてみる。が、スワロのあわてている感じが逆にリアルだ。

(もしかしたら、夢じゃない方向のものなのかも?)

『ネザアス』

 誰かの声がして、どきっとして顔を上げると、そこにはユーレッドが立っている。

「ユーレッドさ……」

 といいかけるが、ユーレッドはタイロの方を見ていなかった。

 やっぱり映像だ。これ。

 タイロはそう悟る。

『ネザアス、準備はできたかね?』

 男の声が聞こえて、ようやくユーレッドは目だけをちらりとこちらに向ける。

 いつの映像かわからない。けれど、ユーレッドは、特に今と変わりがない。

 相変わらず、黒い襟の白いジャケットに赤いシャツ、変な柄モノのネクタイ。

 赤い短髪。燃え上がるような褐色の左目も、傷のある右側の顔も白濁した右目もそのまま。何一つ変わっていない。

 それは老けていないということだが、あまりにも変化がなくて怖いくらいだ。そういえば、アルルの事件の時の映像も、彼には何の変化もなかったと思う。

 確かに改造されているのだから、獄卒は老けないのかもしれないが、それにしたって少しの変化もないのだ。

 ただひとつ、変わっているのは彼のそばにスワロがいないらしいこと。

 最初、タイロはこれがスワロの記録映像かと思ったのだが、ユーレッドがこちらを見る視線がどうにも冷たい。スワロが視線の先にいるなら、彼はこんな目をしないはず。

 実際、アルルの事件の時の彼の眼差しとは大違いだ。

 近くの壊れたビルの窓のガラスに、ユーレッドの背中が映っていた。そこに丸いドローン型のアシスタントが浮かんでいるのが見えたが、スワロとやはり違うものだった。紫色の機体が飛んでいるのが見える。

「ひでえもんだな」

 ユーレッドは、首を振った。

 ユーレッドの吐く息が白く見えた。どうやらかなり寒い場所らしい。

「初動がなってねえ。なんでここまで放置しやがった? 汚泥が広範囲に飛び散ってやがる。初めに抑えこめばこんなことにはならねえぞ」

『君の指摘は反論の余地がない。痛み入るよ』

 どこか事務的な声。

 キーホとイントネーションは少し似ているが、彼よりかなり落ち着いていて老成した気配がある。いかにも、大人の男の責任ある立場にある男の声だ。

『汚泥浄化施設のタンクの爆発事故なんだ。未浄化の汚泥から囚人ができてしまって、こうなるのは予見はされていた。君の言うとおり、初動の対応が間違いだね』

「ケッ、病み上がりの俺に、極寒の大地でハードな任務振りやがって」

 ユーレッドが嫌味っぽく言う。

『リハビリには少しきついよね。わかっているよ。しかし、ここまできたら、彼らではもうどうしようもなくてね。……かといって、連絡のつくのは君だけだったからさ。急に頼んで悪かったとは思うよ」

「ちッ」

 ユーレッドは舌打ちし、煙草をくわえた。今日は電子煙草ではないのか、懐からジッポライターを取り出して火をつける。寒風の中、なかなか火がつかなかったが、なんとか火をつけるとユーレッドは一息それを吸い込んだ。

 それが、煙草なのかどうかもわからない。ユーレッドが仕事前や仕事後に吸っているのは、高確率で彼らの回復を強めるサプリメントであることが多い。

「本当にとんだ貧乏くじだぜ。……復帰後、一発目の仕事がこれとはな。無視した他の連中がうらやましいぜ」

 ユーレッドは、キッとアシスタントを睨む。

「エリック。これは高くつくぞ。覚えとけよ」

 エリック?

 その名前は何かと聞いている。

 確か、ウィステリアの直属の上司で、何故だかユーレッドがやたらと嫌っている人物。とても偉い人だということは、タイロも知っている。

『おやおや、君にはそれなりの報酬は約束しているじゃないか。アシスタントの件とか。まあ、この件については追加するつもりだよ。』

「アシスタントが仕事はじめに間に合ってねえ。……俺たちにはアシスタントの有無が大切だと言うことは、てめえも承知のはずだろ」

『その代わり、私がこうしてアシストしているよ、ネザアス』

「アシスト? 監視の間違いだろ」

 ユーレッドは冷淡に肩をすくめた。

『まあまあ、そう言わないで。まだ、君には警戒心を抱いているものも少なくはないんだ。私が監視役としてそばにいることで、彼らを黙らせることができる』

「どうだか」

 ユーレッドは不機嫌そうだった。

「俺がてめえのこと嫌ってるの、自覚あるだろう? 監視されるなら貴様以外の誰かのがマシだ」

『はは、相変わらずだね。私は君のことが好きなんだがな。まあ良いさ。次は考慮しておくよ』

 エリックには、ユーレッドの悪態があまり通用していないようである。慣れていると言った様子。

 実は彼らは付き合いが長いのかもしれない。とタイロは漠然と思った。

「しかし」

 ユーレッドは、煙草の煙をふーっと吐き出しながら目を細めた。

「しかし、本当に思ったよりひでぇな。こんな周縁部でここまでとは、事故のあった汚泥タンクの近くはどうなってる?」

『それで君に頼んだんじゃないか、ネザアス。他のものでは、濃度が高すぎて近寄るのですら大変なんだよ』

「『獄卒』を使ったんじゃねえのかよ。てめえらの作り出した新しい兵士たちだ。俺もそうだがな」

 ユーレッドが皮肉っぽく笑った。

『もちろん。けれど、彼等ではダメだよ。少し耐性が強いだけではダメなんだ。彼等の多くは精神的に不安定。……それに、とある事情から、この任務には君が適任なんだ』

 エリックは言った。

『言っただろう? ここは北部都市コキュートス。……オメガラインの基地がある場所さえ。そして、彼等の育成施設がある。やがて管理局の上層に送り込まれるはずのエリートの卵たち。多くは遺伝子操作されている能力のあるものたちだ。これはただの汚泥漏洩事故じゃない。彼等を狙って行われたテロ事件だと、説明したのをきいただろう』

「それは何度も聞いた」

『それならわかるじゃないか』

 とエリックは言った。

『この作戦で、君が捜索と保護をする対象は子供なんだ。オメガラインの育てていた子供達。……混乱しているはずの生存者の子供を、落ち着かせて連れ出すことができる適任者は、かつて子供達に関わる仕事をしていた君しかいないんだよ』

 エリックの声をきくかぎり、彼はユーレッドに対する信頼は確かにあるようだった。

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