16.黄昏の複製者
黄昏の気配が色濃くなっていた。
徐々に、太陽の光に赤みが混ざり始めている。
マリナーブベイの街の片隅の夕暮れ。
見慣れた近代的な都会と古い煉瓦造りのビルが混ざり合った街だ。夕暮れがとても似合う。
今日ここに渡航してきたばかりのジャスミン・ナイトにとっては、初めての異国の地の黄昏時だった。しかし、感傷的な気持ちになるような余裕はない。
目の前にいる男、年齢不詳だがはなしてみると子供っぽい青年にも見えるユアン・D・セイブは見かけは静かで紳士的だが、その存在はどこか魔性のものを感じさせる。夜の気配を漂わせていた。
そんな彼もまた、夕暮れの宵闇の残り香をほんのりと漂わせる男だ。
彼に無駄話をされて、時間を潰されている。彼の意図は、ジャスミンにはよくわからなかった。
ただ、獄卒用アシスタントのレコを通して割り込んできたクラッカーTYRANTこと、フカセ・タイゾウは、彼をエリックの調査員だと指摘していて、彼はそれを否定しなかった。
(エリック)
その名前の男は、ジャスミンにマリナーブベイ出張とドクター・オオヤギこと獄卒専門医者のオオヤギ・リュウイチの追跡を遠回しに依頼した男だ。レコを預かっても、たまに来る彼からの短い指令メールを読んでも、彼が何者なのかまだ把握できていない。ただ、重要人物なのははっきりわかった。
それこそ、下手すると管理者レベルの。
「タイラント先生は、なんだって僕をエリック様と似てるなんていうんです?」
謎めいた笑みを浮かべ、ディマイアスは肩をすくめた。
「そりゃ、僕だってあの方には恩も義理もありますし、実際使われてる身ですけど。でも、僕、そこまでオッサンじゃないですよ。ま、似てるって言われるのは認めますけどねー。ちょっとカッコつけると、似ちゃうんです」
ディマイアスは小生意気な口調になった。どちらかというと渋みのある外見だが、時折、子供っぽい口調になり、多分ソレが彼の本質だ。おそらく実年齢は見かけより若い。
彼の言うとおり、ジャスミンの記憶にあるエリックと態度などは似ている部分もあるが、ディマイアスの方がかなり奔放だった。
『待て、お前、"戦闘用"やな? そうか、それじゃあ、お前は"ネザアス"の方の複製か』
とレコの中のフカセが尋ねると、ディマイアスはニヤリとする。
「気づいてもらえました?」
が、どこかそれは嬉しそうな気配もある。
それをきいて、ジャスミンは何かピンときたようだ。
(そ、そうだ、この人! 話し方とかは、あのエリックって人に似てたかもしれないけど、外見は!)
なんでタイロは、あんなそばにいて気づいていないんだろう? いや、自分ももっと早く気づくべきだった。
金髪や表情でわからなかったとはいえ、一度気づいてしまえば、隠しようもなく似ているのに!
「ユアンさん、貴方、まさか、ユーレッドさんと同じ?」
フカセを押し除けるようにして、ジャスミンが尋ねる。
「ユーレッドさんも、貴方と同じような存在ということ?」
「ははは、さあ、そこは僕にはわかんないとこもあるけどね。ただ、いい具合に男前でしょ?」
ディマイアスは肩をすくめた。
「ま、仕方ないですよね。エリック様もほとんど似たようなもんですから。お上品にしてれば、エリック様に似てくるというもの」
雰囲気が全然違うからわからなかったが、ディマイアスは傷もなく、金髪伊達男の風情を持つものの、その顔立ちや背格好がユーレッドとよく似ていた。ユーレッドの方が多少痩せていて不健康そうだが、同じ顔だと思ってみると、確かに同じ顔だった。
「あのヒト、外見に自信ないらしいけど、もっと自信持って良いと思うんだよねぇ。僕たち素地はなかなかイケメンだと思うんだけどー。オシャレの方向性がおかしいからかな。もったいない」
ディマイアスは朗らかにユーレッドをくさしつつ、
「でもまあ、エリック様以上に珍しくないんでしょ。同じタイプの人」
『アイツの複製は、戦闘用員として乱造されたとは聞いとる。ほとんどが強化兵士の実験体か、黎明期の獄卒。まともに残ってないか、残ってても獄卒崩れのロクなやつしかおらんらしいと。まさか、中央の調査員にいるとはな』
「まー、そりゃ色々ありますよー。劣化コピーなんて揶揄されますけど、ヒトにはヒトの、コピーにはコピーの事情がいろいろありますよね」
ディマイアスはにかっと明るく笑う。
ユーレッドと違い、彼はなんとなく優雅な気配がある。軽いが、育ちが良さそうだ。
「でも、僕、彼に似てるって言われるの、嫌いじゃないんですよねー。彼って、強いし、カッコイイでしょ? 正直もっと似せたいんだけど、それだと当局で生きてくのに悪目立ちしますんでねぇ。で、ちゃんとしたらエリック様の方に似てしまうわけです」
『何言うとるんや。ファッションセンスのイカれ具合は、ええ勝負やないか』
フカセが冷めたツッコミをする。
『鏡みてから言え』
「失礼な。そこは僕の方がオシャレです。ま、そんなこと言ったら、彼にブチ切れられると思いますけどねえ」
と言ったところで、ディマイアスはふと腕時計を見る。古いアナログ時計に見えるが、それもウェアラブルデバイスらしい。
「あー、また着信きてる。残念ですけど、このくらいで切り上げましょうか」
ディマイアスは、一旦通話を保留にしたらしく、時計から目をうつした。
「ともあれ、僕の目的は、ちょっとジャスミンちゃんを足留めすることだったわけですよ。ジャスミンちゃんに夕暮れの気配を感じて、安全な道を通って欲しかった。もうちょい止めたかったけど、四時前だし、まあ、そろそろいいでしょ」
ディマイアスは、そういうと立ち上がり、ジャスミンにかるーく笑いかけた。
「ま、そういうわけで、ジャスミンちゃんには無理しててほしくないの。でも、できれば、タイラント先生ももっと注意して守ってあげてほしいなー」
ディマイアスは例の口調で甘えるようにいったが、フカセは無視しているようだ。返事がないのに苦笑する。
「それじゃあね。暗くならないうちに、お宿に帰るんだよー」
そう言って、ユアン・D・セイブは、ひらっと手を振り、黄昏ゆく街の中に飄々と消えていく。
ジャスミンは応えることもなく、それを呆然と見送っていた。
『小娘、ここからどうするねん?』
ユアンが見えなくなると、レコを通じてフカセが尋ねてきた。
『あいつの言うとおり、宿に帰るか?』
ジャスミンはざっと立ち上がる。
「まだ、夕暮れまでには時間があるわ。ドクターにそれまでに追いつければいいんでしょ」
むう、とジャスミンは、負けん気の強い表情になっていた。
「あの人がここいらの囚人は始末したって言ってたし、今がチャンスだもの! もう少し進む!」
『ははー、アイツの気遣い逆効果やなあ。ほんま気ィ強い女やな、お前ー』
フカセは、何が楽しいのか、ちょっと楽しそうだ。そんなフカセにも少し腹が立つ。
フカセはドクター・オオヤギの居場所だって、きっと現在地の座標単位で把握しているはずなので、確実に面白がっているだけだ。
『まあええわ。お前の言うとおり、アイツ、この辺掃除しとるらしい。多少安全やろ。時間内にセーフゾーンに辿り着ける可能性もあるしなァ』
お前の好きなようにやれや。
フカセ・タイゾウの無責任な声が聞こえたと思ったら、ふと彼の気配がなくなった。
ぴっ、とレコが鳴いて、ふわっと浮き上がった。フカセのリモートコントロールが外れているようだ。
(フカセめ! 基本的には案内してくれる気はないわけね)
むむ、とジャスミンは、眉をひそめた。
『ジャスミンサン、どちらニ行キマスか?』
フカセの気配の中なったレコに尋ねられ、ジャスミン・ナイトは息をついてクールな、いつもの彼女を取り戻す。
「それじゃ、こっちの方に向かうわ。少しは道が広い方が安全でしょ。一応、気をつけて行くわよ」
『ワカリマシタ!』
夕暮れ時の追跡が、危険なのはわかっている。けれど、ディマイアスに言われたとおり、彼女も少し焦っているのかもしれない。
タイロがユーレッドと冒険しているように、自分も何かしないと。彼に置いていかれる気がしてしまう。
沈みゆく太陽に急かされているみたいだ。
*
「もしもしー?」
路地裏に軽い声が響く。
「はーい。あー、えー、ゴメンゴメン。忙しかったんだよー」
路地裏にはいり、すぐに返電したディマイアスは、謝りはしたが軽い。いかにも軽い。
相手からは何度も電話をかけたのになぜ出ないのか、と怒られているのだが、ディマイアスは楽しそうにおちょくっている。
「そんな怒んないでよー。なになに、そんなに電話くれたのは、サテは、僕に会いたいとか? あー、デートのお誘いだと嬉しいな。イノアちゃんもさー、マリナーブベイまで来たらどう?」
ディマイアスは、ご機嫌だ。
「そうそう、ちょっと危ないとこにあるけど、ここさ、旧世界技術博物館とかあるじゃん。アレ、イノアちゃんの前の職場の移設先なんでしょ? どう? イノアちゃんも引きこもってばかりだとアレだし、僕とオシャレな街探索のついでに旧職場に……」
そこまで一気に話したところで、相手がため息まじりになった。
『ユアン、相変わらずヒトの話を聞かないですね! 大変なんです! 貴方が自由行動している間に、事態が動いています!』
「へ? 何が? 何かあった?」
『ありました! いいですか、まずですね!』
電話の相手が何事か告げると、流石にディマイアスも顔色を変える。
「えっ、ソレ、ほんと? タイロくんが誘拐されてるの? なんで? 護衛の人いたし、そもそも、アイツら急になんでそんな無茶するのさ?」
『私もそこまではわかりません。あそこは、通信制限されてて、こちらも侵入できないですから、どんな状況だったかまでは』
「うーん、でも、タイロくんは、僕のマル対だからなあ」
ディマイアスは少し考え、
「イ、イノアちゃん」
ディマイアスは、しょげた様子でそろっと声をかけた。
「それ、僕、怒られるやつかな?」
『当たり前です!』
通信相手のアシスタントのイノアは、もともとクールで冷ややかな声の持ち主だが、なんだか凍てついている。
『自由時間だと言って、どこまで対象から離れてるんですか! アナタ!』
「いやその、仕事してないわけじゃないんだけど」
ディマイアスが困惑気味に言い訳すると、やれやれとイノアはため息をついた。
『仕方ないですね。アナタの失敗は、アシスタントの私の失敗です。幸い、あそこにはウヅキ・ウィステリアが派遣されています。彼女とは親しいので、連絡取って情報取得してあげます!』
「イーノアちゃんー! マジで!」
ディマイアスがぱっと笑顔になる。
「ありがとうー! 恩に来ますー! お礼は必ずするから!」
渋い外見だが、ディマイアスはそうするとタイロと大して変わらない年頃に見える。
『まったく! 大体、アナタ、仕事サボって何してたんですか!』
「何って、えーと」
『言えないことですか?』
「だって正直言うと怒られそうじゃん。君に似てた女の子を助けてたとかさ。イノアちゃん、浮気とか厳しいでしょ?」
『は? 私とユアンが付き合ったことなんて今までありませんが?』
イノアの声の響きがひときわ凍る。
「つ、冷たいな。僕はこう見えて、イノアちゃん一筋なのにねー」
『どうせ、口先だけでしょう。アナタが軽いのは、昔からわかっています』
「うわあ、信用がなさすぎる」
はー、とため息をついて、ユアンは肩をすくめた。
「ま、でもなんとかするよ。それじゃあ、彼らの座標教えて。追いかける。タイロくんの特質上、何か害されることはなさそうだし、取り戻すチャンスは十分あるよ」
そう言ったディマイアスに、イノアが続けた。
『座標は教えなくても大丈夫ですよ。最終目的地は決まっています。方角もピッタリですから間違いないでしょう』
「え? どこ?」
きょとんとしたディマイアスに、イノアの凛とした声が響いた。
『アナタが先ほど言っていたところです。私、フヅキ・イグノーアの旧派遣先、旧世界情報資料館を吸収した、旧世界技術博物館遺構です』




