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経帷子の男

 その場所は世界の果てにあった。

 もはや忘れ去られたはずの場所であった。


 創造の神もその存在を忘れたころに、忘却の向こうで再び芽吹きはじめていたものがあったが、誰も気づかなかった。

 それなもので、そこにいる彼らがいまだに”約束”を覚えていることを、約束をした側の当事者は気づきもしていなかった。 


 本来はその約束のために彼らは存在していた。

 忘れられ、必要とされなくなった今ですら、彼らはその約束に縛り付けられているのだろうか。

 それとも、いつか、その約束を思い出してくれることを願いながら、目覚めてさまよいつづけているものなのだろうか。

 それはどちらかわからない。彼等は容易に本音を口にしないだろう。

 しかし、どちらにしても、それをもって彼らを哀れと判断するのは、傲慢なことだ。


 過去の楽しかったものを閉じ込めた箱の中には、いつだって苦くも甘い幸せがつまっているものなのだ。



古い本にこういう。


 楚干將莫邪為楚王作劍,三年乃成,王怒,欲殺之。

                  ――捜神記巻十一



 さらさらさら。

 川の音が聞こえる。

 少年は身構えていたが、意外にも彼は何の殺気も放たずに静かに座っていた。

 その男、それは経帷子を着たものだった。


 ――お前はどこから来た?


 経帷子の男は、そう繰り返す。


 ――ここに来たものは探し物に熱心だ。お前も何か探しているのだろう。


 聞かれて、少年は戸惑ってしまった。

 何を探しているのだろう。自分でもよくわからなくなった。

 外には黒い人食い幽鬼の気配がする。けれど、目の前の経帷子の男も、彼らとそう変わらない部類の存在のようだった。体の右半分が黒く溶け出しているように見える。

 経帷子、という風に見えるのは、白い着物の上に様々な文字が移動しながら踊っているからだった。テキストデータの成れの果て。そんな風なものをまとっているのだ。

 溶けだしてしまいそうな彼の体はそれで守られていた。

 ――そうか。どこから来たかわからないのか。かくいうおれもそうだ。おれも自分がなにものなのかがわからない。

 ――そうだな、こうなる前はあの泥の川を泳いでいたような気がする。しかし、記憶が判然としない。おれは、気が付いたらここにいた。探し物がなんなのかわからない。小僧もそうであろう?

 彼の言葉は意外にも優しかった。

 探しているものはある。

 少年はそう答えた。

 ――それはなんだ?

 少年はそう尋ねられて、彼らしくもなく悲しく寂しい気持ちになった。

 少年はここに来るまでは、とても強くて万能で、何も怖いものがなかったので、そんな気持ちになったことはたぶん初めてだったのだと思う。

 ぽろぽろと涙を流して、少年はとある言葉を彼に告げた。

 その些細な願いは、きっと彼に古の”約束”を思い出せるものだった。


 その言葉を受けて、彼は立ち上がる。

 不気味に文字を踊らせながら彼は外に出ると、少年を追いかけてきた人喰いの幽鬼を返り討ちにしてしまった。


――小僧がそう望むのであれば、ここにいればいい。お前はおれが守ってやろう。


 ✳︎


 さらさらさら。

 川の音が聞こえる。

 あれから、しばらく経った。

 少年は経帷子の死神のところで寝泊まりしていた。彼はとてもやさしく、少年を追い返すことはなかった。

 けれど、平穏に暮らしていると、川の音に紛れて、鬼たちの声が聞こえる。

 ――おいでおいで。

 ――お前は探さないといけません。

 ――そんなところにいてはいけません。

 経帷子の死神のそばにいると、その声が怖くなくなるので、少年は彼から離れないようにした。


 けれど、経帷子の死神は、けして善良でもなかったと思う。彷徨う幽鬼たちを、蹴散らしてしまう強さがあり、それに対してなんの心も動かさぬ冷酷なものだった。半身が溶けだしているのを、たくさんの文字で囲って押さえつけていなければ、彼もその辺の幽鬼と大して変わらない存在だった。

 しかし、彼はとある理由で少年に優しかった。

 それは彼と少年、いや、もっとずっと昔の少年にまつわるものがおこなった、古い古い約束のためだったのだろう。しかし、それは彼も知らぬこと。もちろん、少年にも自覚があってやったことではない。

 だが、結果的に、彼には約束をかなえられるのが嬉しかったのかもしれない。なぜなら、彼は本来そのためにここに存在していたのだから。

 

 それにしても。

 この、河原にはいろんなものが流れ着くものだった。

 例えば、忘れられた何かの端切れや、捨てられたもの、誤っていて丸ごと消されたもの。画像も言葉もいっしょくたに流れ着く。

 この世界を作る前に、神様が用意していた世界を、そのまま捨て去ったようなゴミ箱があって、それらは流れ着いているようですらあった。

 彼はそんなものの中から現れた歪みのようなものらしかった。そんな彼らは修羅とも呼ばれていた。そのことを少年はうっすらと思い出していた。

 黒い幽鬼と同じように、経帷子の死神もまた闇の中のものだった。

 だから、管理の鬼達は、彼を恐れて少年を探しに来なかった。

 けれど、少年はそれでもよかった。


 今でも、河原にはどこからか流れ着く情報の残骸が溜まっていた。。

 だから、時折り、面白いものが流れ着くので、少年はそれを拾うのが楽しかった。時々使えるものがあったりして、そういう時は経帷子の死神も彼のことをほめてくれる。 

 ある時、少年は本を拾った。

 少年は識別票をなくしてしまってから、あまり文字が読めなくなっていた。

 一方、経帷子の死神は、彼の性格から考えられる性質よりもずっと物知りだった。彼はテキストデータをまとっているだけでなく、様々なデータの入ったチップを拾うと、スナック菓子みたいに大きな口に放り込んでかみ砕いて食べてしまうのが常だった。それは、自分に知識を取り込むという意味でもあるらしい。そのためか、意外にいろいろな言葉を知っていた。

 なぜ、そんなことをしているのか、と聞いてみた。

 ――なぜ? さあ、おれはばけものだからな。それでこうすれば人間に近づけるときいたからだ。

 ――ここには人間らしいものはない。けれど、人間の残したこういうものを取り込むと、それらしくなれるんだそうだ。

 ――ほら、最初に比べておれはずいぶん”それっぽく”なっただろう?

 実際の彼は、まだ顔の右半分から黒いものが溶け出していたのだが、それでも彼は得意げだった。

 ――ああ、そうだ。それで思い出した。お前に本を読んでやろうと思っていた。

 ――なぜって? お前だってなくしものをしたのだから、なくした分を取り戻さないといけないからな。本の中にもしかしたら、なくしものがあるかもしれない。それに、人間はこどもにはこうするものなのだろう。

 えほんのよみきかせ? ああ、それかもしれない。

 ――おれはまだ人間じゃないが、人はそうするものなのだとしたら同じようにしたいのだ。

 それで、彼は寝る前に少年に本を読んでくれるようになっていた。

 彼が読んでくれるのは、子供向けの童話や冒険小説ですべて拾ってきたものだ。

  

 しかし、その時拾った本は難しい文字がびっしりとあるものだった。当たり前だが、到底少年には読めなかった。

 それで少年は経帷子の死神に本を差し出した。彼なら読めるのではと期待を込めてのぞきやると、彼はちょっと困った顔になった。

 ――読んで欲しいのか。また漢籍とは難しいものを拾ってきたな。

 と言われたが、少年にはなんのことだかわからない。

 彼は言った。

 どうやら、それは彼をしても難しい本らしい。ただ、彼も少年の前で読めないとは認められないのだった。そんな様子に、少年は生意気ながら微笑ましく思ったものだ。

 ――読めないことはないが、おれでは少し時間がかかる。これは同じ物語をまとめたものだ。その話の一番有名なものを、おれが読み下してやろう。ただし、そんなに早くは読めないぞ。


 寝る前に彼はその本を読んでくれるようになった。昼間に必死でどう読むのかを、さまざまなデータを検索して調べているのを、少年は見て見ぬ振りをしてあげた。

 彼は少年の前では、実はいつも格好をつけていた。

 そういう彼のことが、少年は好きになっていた。


 ともあれ、その話。それは剣にまつわる物語だった。



 むかし、楚の国の刀鍛冶の干将と莫邪は、楚王の為に剣を作った。しかし、三年もかかってしまった為、楚王は怒って殺そうとした。


 刀鍛冶の二人の作った剣は、雄と雌の二振りがあった。俗に雄剣は干将、雌剣を莫邪という。夫妻の名をとったこの剣はそれぞれ夫婦だったという。

 干将は楚王に剣を献上しに向かおうとした。その時、妻の莫邪は身重であった。干将は妻に言った。

「わたしは楚王の為に剣を作ったが、三年もかかってしまった。王は怒っており、行けばわたしは必ず殺されるだろう。もし、お前に子が生まれ、それが男子であれば、彼が成長した時にこう伝えて欲しい。

『戸を出て、南に山を望み、松の生える石の上、その背後に剣がある』」

 干将はそう伝えると、雌剣だけを持って楚王に謁見した。

 楚王はたいそう怒り、彼にまみえた。

 そして、この剣には雌雄二振りがあるのに、雌剣だけが献上され、雄剣がないことに気付くと、楚王は怒り、すぐに干将を殺してしまった。


 ――さあ今日はここまで。

   餓鬼は寝る時間だ。続きはまた明日。



 そこで目が覚めた。


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