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さらばアクア

レナが惑星アクアを離れ惑星ヒリアへ向かう。

 レナは今更ながら名残惜しいと思うようになる。長く連れ添った霧のステージと、青い景色と、ガラスの町にお別れしなければならない。

「来週からお休みになります。皆さんこれまで大変お世話になりました。ありがとうございます」

 不器用なあいさつを済ませて、近くに住む両親にもお別れを言った。暖かい言葉に涙を流しまだぬぐい切れていない。

 レナがいなくなった部屋は勝手に政府に返却され、残置物は勝手に売却か譲渡、あるいは処分される。ここに、レナの痕跡は残らない。宇宙をまたいで持っていけるものは少ない。

 旅費や住居は政府が負担・提供するが、アクアから送ることのできる手荷物は機内に持ち込める分だけである。ざっとトランク一つに収まる程度でしかない。これは要するに何も持っていけないのと同義だった。恒星をまたぐ惑星間運送における送料はとても高価であり、追加の荷物は一キログラム当たり百万ジェブもする。仕事で蓄えたお金はあっても、物を持っていくくらいなら現地で買いなおす方が安い。

 気に入っている普段着だけ厳選して、トランクに詰める。シウスにはあれこれ足りないと指摘されてしまい、結局トランクはパンクしそうなほど膨らむ。だが、準備は整った。

 時間には早いが、日課の早朝練習と散策のために、これまで毎日のように使っていた小舟で町を眺めながらゆっくりと出かけることにした。

 空はまた霧に覆われ、一面が黄色だった。レナが船に飛び乗ると静かな白い海に波紋が広がった。慣れたオールを使って船を漕ぎだす。今日もまた、シウスを観客に歌の練習をする。霧のステージができている時間は短い。何曲か歌っているとだんだんと視界が晴れていき、青い空が見えてくる。そして、歌い終わったとき、「ブラボー」という歓声が周囲に響く。両親にレナの友達や毎朝歌を聴いていた密かなファンからの初めての歓声をもらう。

「寂しくなるけど、頑張ってね!」

 レナは胸に熱い思いが湧いてきた。


 ティナディブルー軌道連絡港は水中翼船で三時間ほどの距離にある、近海で唯一のロケット発射場であるから、各所から人が集まってくる。

(やっぱり、中心地はにぎやかだな)

 船窓から見える低い街並みがいつもより輝いている気がした。ここを発てばもしかすると二度と帰ってこないかもしれない。そうすると、急に故郷という言葉が懐かしく思えた。

 そういう思いに心を引かれても船は目的地にたどり着く。ティナディブルーはそれほど大きな町ではないので小さな滑走路が一本あるだけの空港である。惑星内と惑星外という意味の内線・外線という案内に従って飛行機に乗り込んでいくレナ。この過程で衝撃の事実をレナは知った。なんと、これまで連れ添ったシウスとはここでお別れらしい。シウスは重すぎるため宇宙には持っていけないとのことである。しかし、シウスの監視下にいることは国民の義務でもある。レナは困惑するが、ここで登場するのがミニシウスであった。走行装置やアームやレーダーなどの飛行機内では必要のない装備を排除して、最小限にしたものがミニシウスである。個々人がフルサイズのシウスと共に宇宙空間を移動するのは非効率だった。シウスは質量百二十キロである。更に、基本的には全ての機体に互換性があるため、アクアにシウスを置いて、個人データをミニシウスに移し、ヒリアで新しいシウスに乗せ換えることでシウスの機能を維持できる。とは言っても、ゆりかごからこれまでずっと一緒だったシウスが「バイバイ」と言わんばかりに手を振っている。

(お前は悲しくないの?)

 レナはここでも涙腺が緩んでしまう。

 これから旅立つ軌道シャトルは二階建てのようだった。軌道連絡船は途中まで内線と連結した状態で飛ぶ。内線が一気に上昇する過程で切り離される。見た目としては(コンコルドのような)旅客機の上に二十人乗りの小さなシャトルが取り付けられている。いよいよ離陸である。

 《本日はオール・アクア・エアラインズをご利用いただきありがとうございます。当機はまもなく離陸いたします。当機は安全第一に、乗り心地の良い操縦を心がけておりますが、万一の場合に備えてお客様にシートベルトの着用をお願いしております。また、外線利用のお客様は、強い加速を伴います。酔いやすいお客様は早めに客室乗務員にお声かけください》

 レナは不安になる。だから、手の中に納まる小さなシウスに聞いてみる。

「私、酔い止めもらった方がいいのかな?」

「ピピ」

 シウスは首を振る。どうやら大丈夫らしい。ちなみに、これから三十分くらい飲食禁止になる。しつこく加速について注意されるのである。飲み物は既に取り上げられ、配布されることもない。一体どれだけものすごい発射の仕方をするのだろうか?

 《離陸します、衝撃にご注意ください》

 エンジンの回転数が上昇するが、外の景色は動いていない。機体は一旦前のめりに傾いたように感じる。

(故障かな?)

 と思った次の瞬間には勢いよく発進していた。シートに押し付けられる強い加速。海の上を加速し離水するように機体が飛び上がっていく。ちなみに、この機体はSSTOではない。内線と呼ばれる母機がエリス、外線と呼ばれる子機がオリバーと呼ばれる。先の通り分離するためいくつかのステージを持っている。燃料節約のために地上のカタパルトのアシストで離陸する。時速二百キロ程度まで加速すると機体が上を向き、細かな揺れが消えて離陸したことがわかる。

 第一ステージ、エリスのターボファンエンジン四機を使い高度約一万五千メートルまで上昇する。このまま第二ステージまで高度を維持し、最高速度のマッハ一・八まで加速する。

 第二ステージ、洋上のレーザー加速器のある島の真上を通過する。この島の支援を受けながら、ズーム上昇法と呼ばれる方法で高高度飛行を実施するのである。上昇するために一旦降下して加速する。降下開始時点でレーザーバーナー(アフターバーナーの火種をレーザーで代用したもの)によってまたしても非常に強い加速を感じる。機体紹介プロモーションビデオではこの時、機体が空気抵抗で伸びて翼の後退角が大きくなるらしい。エンジンが胴体側に寄っているのもこの効果を狙っているそうだ。原理はよくわからないがレナが横目で見ていると確かに伸びて見えた。最初より明らかにシュッとしている。そして今度は機体がどんどん上に向かって行く。正直、怖い。飲み物が飲めない理由がわかるほどに機体が上を向いて加速していく。そして、ズーム上昇に入ると急に無重力になる。ふわりと体が浮かび上がり、外もどんどん暗くなっていく。初体験の人は「えっ、もう宇宙に出たの?」なんて言う。もちろん、レナも「ここが宇宙か」と勘違いした。加速に伴う衝撃波で機体も一部がプラズマで赤くなる。空には星まで顔を出して、大気圏内なのにまるで宇宙である。そして、第二ステージの遠点が近づくころ。軌道シャトルは分離される。

 第三ステージ。オリバーはすぐにメインエンジンを点火。すぐにエリスから分離される。このまま重力加速度の二倍程度で加速を続ける。そして、一分もせずにまた無重力。少しずつ加速しては止まり加速しては止まる。あるところで完全にエンジンがカットされる。無音の無重力。外も真っ暗であった。不安になる。

 しばらく沈黙した後、アナウンスで「軌道投入に成功しました」と流れ、ようやく安堵のため息が機内に満ちた。外にはアクアの青い海がどこまでも広がっている。これが正真正銘の宇宙である。自分の住む星はこれほど美しいと感動しているうちに、気づけば軌道ステーションに接近している。海は流れるようなのに、空中に浮かぶ二つの物体はほとんど制止している。やはり、宇宙とは不思議な場所である。宇宙までは発射からおよそ二時間程度のとても短い旅である。

 《当ステーションはまもなくティナディブルー上空を通過します》

 家から空港まで二百キロを三時間。空港から軌道ステーションが上空約二百五十キロであり、そこまで二時間である。距離で言えば似たようなものだが、軌道ステーションにたどり着くために、アクアを一周(約五万六千キロ:地球の一.四倍)し、秒速九千九百九十メートル(マッハ二十九)まで加速したことを忘れてはいけない。


 さて、実はここからが長旅である。

 超高速航行技術とか、空間FLTなどという呼び方もあるようだが、ヒリア帝国ではオーバードライブと呼称されている。つまるところワープである。惑星で消費するすべてのエネルギー。その何倍もあるような莫大なエネルギーをオーバードライブ装置に送り込むことで、アクアのあるアイスマーキュリー星系からヒリアのあるブラックパール星系までの五光年を約一か月で到達できる。そして、このオーバードライブの不思議なところは、エネルギーさえ注げばどんな距離でも一か月で飛べることである。銀河の直径が十万光年、理論上ではヒリア帝国中のエネルギーを数年分溜めることで、一か月で太陽系まで行ける計算だとプロモーションビデオで言っていた。

「地球か、今更滅んだ惑星に行ってもなぁ」

 隣の男の人と全く同じことを思っていたレナであった。

 この三千人乗りの大きな星間連絡船。優雅な宇宙の旅が始まる。と言ってもエコノミークラスの場合、基本的に部屋に引きこもってゲームをしたりするしかない。引きこもり生活に慣れたヒリア国民にはあまり苦ではない。レナも歌の練習や、ゲームをするつもりだった。この旅のためにたくさんのレトロロールプレイングゲームを溜めたのだから。

 《お客様各位、この度は星間旅行にエンパイア・スター・ツアーズをお選びいただきありがとうございます。本艦、アクアマリン号はまもなく惑星アクア重力圏を離れ、オーバードライブに移行します。オーバードライブを開始しますと一か月間にわたり現世との通信はできません。長い船旅に飽きないよう余興は多めに準備してください》

 アナウンスの通りであるが、今いる世界をこの世または現世、オーバードライブ中の世界をあの世または常世なんて例えたりする。常世の世界は楽しいらしい。お酒でも入ったようにみんなが陽気になってしまう。どうやら、常世における光速が現世と異なることで生じる現象らしいのだけれど、とにかくみんな普段より論理性や判断力が乏しくなり、逆に大胆な行動に出やすい。これも、何度も航海していると少しだけ慣れてくる。船には必ず海軍の軍人さんがいてオーバードライブに慣れる訓練をしていたりする。全く物理法則の変化にまで適応する人間とはたくましいものである。

 《皆さん、お待たせいたしました。本艦はまもなくオーバードライブ状態に移行します。客室備え付けのベルトに体を固定してお待ちください》

 そして、オーバードライブ突入のこの瞬間がやってくる。

 《カウントダウン、十秒前…》

 と、機長のアナウンスが入るとみんな大きな声で数を数え始める。個室の壁はゲル状の断熱材であり音はなかなか響かないのに、それでも体を伝ってみんなの声が伝わってくるようだった。レナも、声を出してみることにした。

「三、二、一、オーバードライブ!」

 一瞬、目に黄昏の光が満ちて幻惑した感覚を覚える。気づけば強い加速がなくなり世界から音が消える。

 《おめでとうございます。本艦は無事ブラックパール星系へ向けたオーバードライブに突入いたしました》

 そして、人々は中央ホールに集まって縁日でも始まったかのように賑わうのである。

「俺はヴァイオリン弾けるぜ」

「私ピアノ弾けますよ」

「俺はギターだ」

 出鱈目な組み合わせで即興のバンドを始める者たちが現れ、それでも楽しくなってしまうくらいには頭がぼんやりしていた。そして、

「誰か歌ってくれないか?」

 という問いかけに、この日だけは積極的に参加しようと思ったレナであった。

「それでは私が…」

 この時歌った歌が何だったか覚えていないけど、弾むような気持ちだけは覚えている。

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