エーリッヒ・ヴァルトヴェルトの選出
惑星開拓を行う第十八計画における総代表の選出は突然である
グレイブルグ郊外の海岸線。空は薄紅色でまだ町は活気づいていない。ただ、この時間はジョギングに最適で、心地よい風の吹き入るビーチを走るランナーは多かった。そんな、風光明媚な景色に元気な声が響いた。
「おはようございます。大佐ぁ、ヴァイスシュタイン大佐ぁ」
アリス・フランクミュラー中尉だった。視程距離およそ六百メートル程度だろう。こんな距離で人を見つけるアリスもすごいのだが、振り向いたヴァイスシュタインもすぐに彼女がどこにいるかわかった。元気よく手を振る彼女がやたらと目立つ存在だからである。とても一人とは思えないにぎやかさであった。同じくらいの視程距離ですぐに発見できるものは、サーチライトか滑走路の誘導灯くらいだろう。当のアリスは早朝ランニングと称してヴァイスを追いかけていた。
「ヴァルトヴェルトさんってお知合いですよね? どんな人ですか?」
「そうだな。俺と違っていつも偉そうなやつだった。総代表がしっくりするような奴だ」
と、嫌味で答えた。
「なんか、よくわかりませんね」
「まぁ、総代表になるやつも案外普通な人間なんだなと思ったよ」
「そんなもんですかね。ところで、もう一人のリザ・アイゼンフローラ総代表はお知合いですか? ものすごい美人だって聞きましたよ」
「何度か会ったことはあるがあまりよくは知らないな。確かに別嬪なのは認める。ただ」
「ただ?」
「目が合うと寒気がするぞ」
「まるでメデューサですね!」
「ははは、その辺にいるかもしれないからあんまり噂話をするなよ」
ヒリア国民もまた、誰かが惑星総代表に選ばれる。ただし、プロセスは選挙でもなければ皇帝の任命制でもない。第十八計画に参加すると希望した人間が全て対象であり、シウスシステムの判断するリーダーシップの実績やこれまでの総代表に必要だった特性もさることながら、他の惑星の総代表になかった特質をもつことも評価対象である。つまり、システムは基本要素を押さえつつも同じような人間を選出しない。適当に違っていてみんなが無難だと思う選択をする。このシウスシステムの選択をまずはヒリア帝国の皇帝と各惑星の首相か総代表が承認し、四年間の惑星開拓準備期間での実績を見て信任投票を実施して最終決定となる。つまり、ここでヴァルトヴェルトとアイゼンフローラが選出されてはいるが、四年後の信任投票までは仮採用状態である。
惑星開拓は入植から百年という期限までに惑星安定期を迎えることが目標である。実現しなければ、責任をとって総代表の属する新興府と権力移譲を控えていた行政府や裁判府もメンバー全員が総入れ替えとなる。ヒリア帝国において問題があれば関係者は全て責任を負うという発想から、究極的な目標を攻略できない場合はそれなりの改革が必ず発動される。
この総代表として選出される瞬間というのは案外あっけないものであることも事実である。実はヴァイスシュタインも同席していたのである。
ヴァイスシュタインが昼過ぎごろ、コーヒーでも飲もうかと席を立った瞬間だった。
「おい、ちょっといいか?」
ヴァルトヴェルトに廊下で話しかけられた。
「どうした、総代表にでも選ばれたか?」
と冗談を言ったつもりだったが、
「あぁ、よくわかったな」
と、ヴァルトヴェルトが真剣に言うのである。ヴァイスシュタインはこれまで何度もヴァルトヴェルトにしてやられている。だから今日こそはそんな嘘には騙されない覚悟を決める。周囲も巻き込んでも関係ない。その手には乗らないと決意して三日くらいヴァルトヴェルトを信じなかったのに。なんと本当だったのである。また、してやられたとも言えた。
「大佐ってなんだか私と似てますね!」
「え、そう?」
エーリッヒ・ヴァルトヴェルトは諜報省では中佐であり、もとは外交省の出身であった。ヒリア軍の特殊部隊出身のヴァイスシュタインとは入省時の同期である。ヴァルトヴェルトは飄々とした人間である。数ある情報の中から相手の核心を探し当て、それを交渉に有利にするカードへ変換することが得意だった。目からうろこの交渉術と呼ばれることもあった。逆に、諜報省に入ってからは相手国の弱点が何であるかを分析し、それらを探索するという攻勢諜報作戦の指揮をとるようになっている。ヴァイスシュタインは作戦担当、ヴァルトヴェルト参謀担当であったと言える。
「チャン・ジェイソン総督、この度ご報告がございます」
「なんだ、エーリッヒ中佐。改まってらしくないではないか」
チャン・ジェイソン総督は、ゼルドシン極地総督府の最高権力者である。チャン総督はコミュニエロー方面の対策を任された全権大使ともいえる人物である。
ゼルドシン共和国はナノマシン技術により統率した意思を持っているとしているが、やはり個人の権利を完全に掌握するにはナノマシンの性能も、統治用演算システムの性能もまだ、至らない部分が存在していた。そんな彼とヴァルトヴェルトは外交官時代からの古い付き合いである。
「えぇ、重大なご報告ですので第一報をと思いまして」
「その様子だと、良いことのようだな。珍しい。もったいぶらずに話してくれないか」
「この度、私がクロリー総代表を拝命することになりました」
「おぉ、それは喜ばしいことだ。互いの国家安寧のためにも大々的に祝ってやりたいところだが、申し訳ない。今は立場上祝辞しか送れないことを許してくれ」
「いえいえ、私にはもったいないご高配です。ですが、正式発表までは機密にてお願いいたします」
「もちろんだ。貴国は仮想敵国ながら私の最大の見方だからな」
「いろいろ考えさせられるお言葉ですが、褒め言葉と受けておきましょう」
「あぁ、褒めているぞ」
ヴァルトヴェルトはかなり積極的な外交官だと言えよう。彼の外交スタイルはまず相手国に行ったのなら自分たちに何ができるか尋ねる。ヒリア流ともいえるかもしれないが、虚ではなく実をもって示せば、信頼は自ずとついてくる。敵は敵ながらの立場であっても協力することができる。これら信頼は、長期的には利益となるという考え方である。最初のチャン総督との会話が印象的だろう。
「チャン総督。挨拶はここで以上ですが、もし私にできることがあれば何なりと申してください」
「ほう、貴殿のようなことを言う人間は珍しい。目的はなんだ」
「ヒリア帝国の安寧です。今はまだお互いを信用してはいない段階です。しかし、もしあなたからの提案が紳士的であれば我々は信用できます。その信用があればあなたのお力添えをするための協力もできるでしょう。国家とは競い合う存在ではありますが、それは国民の豊かさを競い合う存在であり、国家の優劣を競う時代でもないと言うことです。もし、貴方が紳士であることを本国に証明できれば、私はより強力な安定関係の約束とあなたへの協力ができるのです。少しずつではありますが、形式を捨て新しい協力関係を構築できないものか検証したいのです」
「なるほど、それは興味深い。貴殿への宿題を吟味しよう」
「些細な一歩を期待しております」
ここから、表面的な連絡関係に過ぎなかったゼルドシン共和国とヒリア=クライソォワ連合の関係はわずかに進展した。表面上は相変わらずであったが、三か国の国家元首の誕生日には祝電を送り合う程度には関係が改善した。国内向けには強気アピールを、水面下の外交調整で戦争回避と言うバランスゲームに各国疲弊していた時期にヴァルトヴェルトの提言はチャンの心に深く刻まれたのである。
チャン総督の発言通り、ゼルドシン内ではヴァルトヴェルトの総代表就任を歓迎する動きがほとんどだった。これまでの険悪な両国関係を打破するには、ヴァルトヴェルト以外の適材がいないであろうとまで言われている。
「チャン総督、私はますますヒリア国民を愛し、民のために精進することになります。私の義務を損なうことでなければ、何なりとご相談ください」
「あぁ、私も貴殿にしてやれることは協力する。人工知能がおとなしくなった今、統制国家の時代は幕引きだろう。我らが猊下も時代を悟っている。長い戦争と対立の時代はそろそろ終えたい。それがこの地域の総意であろう」
時代は、和平を求めていた。名だたる列強が疲れていた。巨大な国家ほど火種は多く、互いに敵どうし、火種を利用して火事を起こしていたが、とうとう消火に疲れた。ヒリア帝国のように統制された辺境国家は珍しく、いたるところで綻びた惑星国家が反旗を翻していたのである。彼らの戦う理由は正直のところ「なんとなく」である。戦争経済が目的であったり、政治の腐敗を逸らすためだったり、妙なイデオロギーに触発された惑星もあった。戦争の理由は様々だが、それを鎮圧する大国の身としてはただの迷惑である。
そして、先の通り惑星は非常に強固な防御力を持っている。理由は惑星間戦闘にける補給の重さである。わかりやすい指標としてエネルギー消費量(正確にはΔV消費量)相関図があり、地上から軌道上まででエネルギーの半分を消費し、八光年のオーバードライブで更に半分を消費し、惑星に降下するまでに半分を消費する。防御側に比べ攻撃側が敵惑星の地上で戦争をしようとすれば、敵より八倍の物資量をもって戦わねば互角にならないことを示している。
戦わないことに越したことがないというのはこのことであり、ゼルドシンではSNSを利用して、敵指導者の寿命をストレスで縮める研究さえもしているらしい。現代式の呪詛であるが、こういう呪いの類いに手を出したくなる程度には困窮していた。
とにかく、ヴァルトヴェルトはこれら新秩序における外交的秩序の構築を期待されたものと認識した。