閉鎖研究都市
ミラナに託された極秘任務の中身とは?
ただ、飛行機を乗り継ぎ十時間後にはミラナは落胆していた。十八歳にしては聞き分けの良いミラナであるが、やっぱりがっかりしていた。そして何より、リザの予想した通りの落ち込み方をするので少し可愛いと思った。
「つまり、この論文の山の中から何か兵器に転用できそうな研究を探せばよいのですね」
「そうよ、理解が早くて助かるわ」
期待した秘密の任務は思っているよりも平穏で、でも、そこまで難しすぎる内容でもない仕事に向き合った時、どうも人間は微妙な顔をするらしい。ただ、ミラナはこの島のことは気に入ったらしい。
「この世界に地図に載っていない島があるなんて知りませんでした」
閉鎖研究都市、区画番号はN-A3FEE。通称名はグロッセス。実在する都市伝説である。帝国府は惑星ヒリア北西大陸に所在するとしているが登記の場所には一切の痕跡がない。政府の認める完全な秘密都市なのである。一方で、画期的な研究結果に関する資料が次々に開示されているという事実から存在は確実と言われ、秘密都市の名前に惹かれて多くの動画投稿者が頑張ってグロッセスを探すも未だに見つかっていない。様々な伝説がささやかれる開発拠点。それら拠点は、大洋の真ん中にある環礁地帯に作られていた。ちなみに、なぜこんな辺鄙な場所にあるかと言えば、惑星の大気を爆風が三周するような大量破壊兵器が爆発しても住民に影響が出ないような立地に作る必要があったからである。
さて、その経路がややこしい。航空機などはレーダー管制こそ国家が担う任務だが、国内のマニアたちがシウスと自分たちの目で飛行機の運航を監視している。何せ暇なやつが多い。そして、飽くなき探究心も持っている。そういうマニアの探求心の功績が空港管制システムの非常に緻密かつ高い稼働率であるが、とにかく頼まれもしていないのにそんなものを独自に監視している人たちがいるのである。
だから、空港を出発してすぐにグロッセスへ直行するようなルートをとることができない。陸地から五百キロ離れた地点でようやく航路を変更できる。グレイブルグ空域はエージェット諸島が覆う広い沿海域が存在するため、沿海域を通り過ぎて更に五百キロ離れる必要がある。回り道に次ぐ回り道。この飛行艇は電気で飛ぶから補給はいらないが、とにかく秘密研究都市は日帰りでは行けない場所に存在するのである。
かなり広大な環礁であるが、衛星による観測を避けるため島全体には海色の巨大なネットが覆っている。本格的な軍事偵察衛星はごまかせないが、アマチュアの観測装置くらいは十分ごまかせるらしい。
「さて、ミラナ少尉。何か興味深い研究はありますか」
ヒリア帝国の安全保障にとって艦隊は重要な地位を占めている。敵もまた侵攻時は艦隊でやってくる。だから、それをより強い艦隊で迎撃するために備える必要がある。当然ながら装備を常にアップデートして戦術的あるいは戦略的優位性を保つ必要がある。そのほとんどの優位性はこの島の論文から始まる。
「こればっかりは人が判断しないとだめだから」
同行するリザはため息交じりに言うのである。旧態依然とした技術なら効果がパラメータ化されている。だからドロイドが検閲して改善提案することもできる。最終的な判断は人間だが、それでもずっと簡単な仕事となる。しかし、もともと頭のねじが飛んだ連中の書いた論文を読み解くのは大変である。要約者たちがある程度助言はしてくれるが、有用かどうか判断するには最終的に自分たちの決断が必要だった。そういう意味ではミラナは頼もしい。
「リザさん、早速ですがこれが興味あります」
ミラナは「ブラックインク熱循環器による軌道ジェネレーター」という論文を取り出す。要約によると、宇宙空間で使える大出力発電機のことであり、地上から大出力のマイクロ波ビームを送り、マイクロ波を吸収しやすい液体を加熱して蒸気を作りタービン発電機で電力を受け取るというものである。
「単純なマイクロ波送電のほうが効率良いけど、どうしてこれが良いの?」
リザは率直に聞いてみた。ミラナは、
「艦の装甲として使えると思います」
念のため説明するが、この世界にバリアはない。電磁防壁に関する発明はヒリア帝国でも星の数ほど存在するが、とにかく効率が悪い。レーザーを防ぐためにバリアを搭載するくらいなら、もっと強力なレーザー主砲を搭載してより遠くから攻撃したほうが戦術性も高い。更に言えば、本当に防ぎたい中性子カッターは実用的な防壁で防げない。だから、この時代の艦隊防御は熱拡散性の優れるアルミニウム合金の装甲で覆われているに過ぎない。これら、装甲に命中したビームはほとんどが熱エネルギーとなって装甲を蒸発させようとする。一方の装甲の防御を上げるなら、防壁を分厚くして可能な限り貫通を防ぐことが求められる。レーザーと言えばビームのように細長い形状をイメージするかもしれないが、この時代のレーザーの照射時間は百フェムト秒に全てのエネルギーを詰め込んで照射されるため光の球と言った方が良い。レーザーの打撃力は第三カテゴリーを超えたことはないが、瞬間的に与えられるヒートショックによって装甲面全体に衝撃波が走り一時的に流体のような挙動を見せる。一線級でないと言っても、厚さ百ミリの装甲板がめくれ上がることもある。強力な兵装である。レーザーはエネルギー兵器の一種という無意味なカテゴリー分類をするより非常に軽量な弾丸が光速に近い速度で飛んでくると考える方がより正しい表現だろう。電磁波だろうと物理現象に変わりはないのである。
「直撃したときの衝撃防御についてはアルミニウム合金より有効だと言えるわ。でも、持続的な蓄熱についてはどうかしら。アルミニウム合金はなんだかんだ熱容量は優秀よ」
宇宙空間は貴方が思うよりずっと広い。交戦距離、それも有効射程距離に入ったとして、まだ二光秒程度の距離がある。約六十万キロ手前から敵に向かってビームを打ち込んだとして、接近してミサイルや砲弾を使えるようになるまで、たいていの場合一時間以上も時間がかかる。この間、基本的に第四カテゴリー兵器の一方的攻撃とレーザーによる補助的な打ち合いが続く。
この時、レーザーによるダメージもそうであるが、表面が発熱してステルス性が下がることのほうが問題であった。レーダーや光学によるアクティブな測距方法の場合、レーダーを照射してその電波が帰ってくるまで大きな遅延時間を要する。交戦距離二光秒なら反射波が帰ってくるのは四秒後である。しかし、運よくレーザーが命中して敵艦が自ら光を放ったなら、二秒前の敵の位置を補間できる。この補間情報をもって中性子カッターを照射した場合とそうでない場合の命中率は倍以上も命中率が異なる。そのため、装甲にはステルス性を維持するために発熱しないことが求められるのである。
発熱しにくさは結局のところ材料の厚さに比例するため、それを高めようとすれば当然ながら艦の重量は重くなる。艦の重量が重いと戦闘における艦隊機動も不都合が多い。宇宙空間では空気抵抗がないので効率的に航行できると思うだろうか。直進するなら空気はない方がよい。しかし、旋回するには空気があった方が断然お得である。宇宙空間において激しい回避軌道をとる場合、エネルギーはすべて自前で持っていかなくてはならない。旋回のたびにエネルギーを消費する必要がある。それらのエネルギー消費はすべて重量に比例する。星と星を廻るオーバードライブのエネルギーだって莫大になる。重くなると悪いことしかない。それだけに、軽くて熱拡散性の良い防御方式が求められるのである。
「液体ですよ、温まった分はポンプで吸い出して冷えた部分を敵に見せれば良いかと思います。黒い液体装甲。名付けるならブラックインク装甲でしょうか」
「はーん」
金属の熱伝導の速度はかなり遅い。素材にもよるがカタツムリよりちょっと早いくらいだと思っていい。しかし、液体ならミラナの言う通りポンプで移動することができる。熱の拡散・放熱力が装甲の防御力にほぼ等しいので、液体装甲の場合は流速の速さに比例して防御力が決まる。要するに、薄くて軽い対ビーム兵器装甲ができるのである。また、ミラナは従来装甲の無駄な部分も指摘する。
「今の時代は片舷戦闘が主流です、右舷から攻撃されていると左舷の放熱力がもったいないんです。でも、液体なら左側の冷たい液体を右舷に送ることができますよね?」
「それだと、両舷攻撃されたら弱くなるってこと?」
「リザさん、もし従来の技術で攻撃を受けるならこっちは軽量な船体になります。機動力や速度で敵を上回ります。圧倒的に機動力が優越するので両舷攻撃を受けないように戦術を工夫できませんか?」
ごもっともな彼女の意見。
「はーん」
リザは、納得した。別にこの理論が実用化するかどうかなんてどっちでもよい。彼女の発想力を見て、ようやくこの可愛らしい後輩が参謀にふさわしいと確信した。
「ミラナちゃん。しばらくここで発見がないか見ていくと良いよ」
「良いんですか?」
「うん。ただ、ちゃんと成果を上げてよね」
「了解です。リザ中佐」