5、皇太子がやって来ました。
最初に目を付けたのは、比較的城の近くにある、教会を利用した孤児院だった。
ここなら隣接する敷地に、ちょうど持ち主がいなくなってしまった元農地があるのが都合が良かった。
更にすでに教会の庭に小さな菜園があるので、子供達が野菜作りに慣れているのも良かった。
沢山の子供達を抱える孤児院は、どこも資金不足だ。
そこでスイートビーツ作りを子供達にも手伝わせ、そこで資金を稼ぎ、そのお金で子供達にも教育を受けさせ、足りないものを補う。
更に足りない労働力は、街に出て行かざるを得なかったけれど、就労できていない、元孤児院出身者に戻ってきてもらう。
それがイーリスの考えている筋書きだった。
最初の孤児院で成功すれば、ビーツの種を増やし、希望する孤児院では全て行えるようにする、それと同時に、国費を使って教育現場の整備も進める。
私がバイエル王国に移動する半年の間に、どこまでできるかは分からなかったけれど、やるしかなかった。
望まぬ戦のせいで、親も住む所も未来をも奪われた子供達である。せめて衣食住と未来を返してあげるのは、国として最低限の責務だろう。
孤児院との話し合いは問題なく進んだ。畑と種を無償で貰え、更に売り上げを子供達のために使って良いと言われれば、孤児院としても断る理由はなかったようだ。
ビーツの種は、その後一週間ほど毎日城内農園に通った所、無事に収穫することができた。
同時に耕し始めておいた、孤児院の隣の農地に、この種を植えに行く。
種植えは孤児院の子供達と一緒に行った。
最初こそ、王女自らが遊びに来てくれることに緊張していた子供達だったけれど、三日もすればすっかり慣れてなついてくれていた。
私の毎日は、まずは城内農園で再び種から植えたスイートビーツの面倒を見て、育て方を詳しく聞き、その後孤児院に行って子供達と一緒にスイートビーツの面倒を見ることが主になった。
私の持つ雨と光の魔法の力は、順調にスイートビーツを成長させ、またその時にできる虹は、子供達に大人気だった。
今では孤児院に顔を出しただけで、虹のお姫様が来た!と大歓迎をして貰えるほどである。
毎回城で用意できる簡単な菓子を持参しているので、子供達の目的はもしかしたら私ではなく菓子なのかもしれないけれど、どちらにしても歓迎して貰えるのは嬉しい。
私が孤児院に足繁く通っていることは、すぐに他の孤児院にも広まり、スイートビーツを作りたいと申し出てくれる孤児院も続々と現れた。
種がすぐには用意できなくても、先に畑を用意することはできる。
ビーツを作り始めたら、あまり子供達を働かせ過ぎないようにとか、売り上げはきちんと子供達のために使うようにとか、管理をきちんとしないといけないので、孤児院におけるビーツ栽培のガイドラインも早急に作らなくてはならない。
やる事は沢山あったけれど、思ったよりも順調に進む計画は楽しかった。
いっそバイエル王国などには行かず、このままここでずっと子供達とスイートビーツなどを作って暮らしていけたら良いのに。
無理だと分かっていながらも、そんな考えが胸をかすめるようになっていたある日。
事件は起こった。
バイエル王国のゼフィール皇太子が、突然何の前触れもなく、お忍びで遊びに来たのだ。
その日も私は、孤児院で子供達とスイートビーツの世話に勤しんでいた。
雑草を抜き、虫を取り、水と光を与える、完全な土仕事に、もちろん格好も、汚れても良い動き易い服を着ていた。
端から見たなら、まさかあれがこの国の王女だなどと、誰も思わないだろう。
そのくらい私は、畑に馴染んでいた。元々前世ではOLだったのだし、働くことにも慣れていたので、ある意味当然かもしれない。
ただ、とにかく私は気を抜いていたのだ。
虹を作って子供達と遊ぶのが楽しく、ただの近所のお姉さんのような気分で過ごしていた。
まさかそんな所に、隣国の皇太子の馬車が乗り付けるなど、誰も夢にも思わないではないか。
突如現れた、見慣れない装飾の馬車に、孤児院は騒然となった。
美しいディープブルーに、金の装飾が施され、四頭立ての馬達は、どれも毛並みの良い白馬で統一されている。
誰が見ても、最高級の貴人が来たと分かる仕様だった。
慌てて迎えに出た孤児院の牧師と私の前に、ゼフィール皇太子は、恐ろしく優雅に、馬車から降りてきたのだった。
(夢の中に出てきそうなイケメン…)
チラリと見えたその姿に、私は一瞬で心を奪われそうになったけれど、あまり姿をしっかり見ては不敬だと、慌てて深くお辞儀をした。
「突然申し訳ない、偶然近くに来る用事があったのだ。ここに私の婚約者がいると聞いて、どうしても来てみたくなった。」
ゼフィール皇太子は、その顔にピッタリの、よく通る魅力的な声でそう言った。
(いやいやいや聞いてない!皇太子が婚約前に婚約者に会いに来るなんて聞いてないよ!)
私は脳内大パニック中だったけれど、小説「エクサヴィエンス」の中では、そもそも悪役令嬢と皇太子の婚約前の話など書かれていないのだから仕方がない。
「このような所にまで、ご足労誠に恐れ入ります。私がピュレル王国第三王女、イーリス・ピュリファイングでございます。」
逃げるわけにも行かず、私は仕方なくスカートの裾を広げる、貴族の仕草をして挨拶をした。履いているのはスカートですらなかったけれど。
「そなたが!?」
驚く皇太子の声が聞こえる。それはそうだろう、農婦の格好をした女が、実は私が王女で貴方の婚約者ですと挨拶をしてきたのである。耳を疑って当然だ。
「このような格好で誠に申し訳ありません。」
私だって、皇太子が来るって知っていれば、もう少しおめかししてたわよ!いきなり来たのはそっちなんだから仕方ないじゃない!
そう言えたなら楽だったけれど、今目の前にいるのは、小説で最終的に私を殺すことになる相手だ。例え手を下したのは側近だったとしても、どんな一言がどんな結果を招くかわからない。
こんな予測不能の行動取られたら、私の未来を知ってるっていうアドバンテージも役に立たないじゃない!
心の中で歯噛みしながら、私は頭を下げたまま、皇太子がどんな反応をするか、緊張して待っていた。




