12、戦争が始まりそうです。
ゼフィール皇太子のおかげで、保護された鳥達は皆、どんどん回復していった。
忙しい身でありながら、ゼフィール皇太子はバイエル動植物園に向かうイーリスに、できる限り同行してくれていた。
黒梟にしたような強力な治癒魔法こそは、それ以降は使わなかったものの、王族二人が回復を祈って足繁く通ってくれると言うのは、やはり鳥達にとっても良かったようで、一ヶ月も経つ頃には、ほとんどの鳥が森に帰れたほどだった。
鳥達は回復した順に森に帰されていったので、日一日と花鳥園から保護鳥が解放されて行くのは、嬉しくもあり、どこか寂しさも感じさせる光景だった。
そんな中、最初に助けた黒梟だけは、最後まで花鳥園に残っていた。
決して怪我が治らなかったわけではなく、何度森に返しても、また戻ってきてしまうのだ。
黒梟はすっかりイーリスとゼフィール皇太子になついてしまっていた。
二人が花鳥園に姿を現すと、大きな翼を半分だけ広げて、とことこと地面を歩きながら近寄ってくる姿は、可愛らしいの一言だった。
最初は羽根の怪我のせいで飛べないのかと心配したのだけど、実は短距離であれば、飛ぶより歩く方が楽だから、そうしているようだった。
「こんにちは、バルト、今日も可愛いね。」
まるで主人の帰りを出迎える猫のような様子に、イーリスは毎回癒されていた。
黒梟には、白鳥の湖のロットバルトから取って、「バルト」という名前を付けて可愛がっていた。
植物園の温室で行っている、胡椒の苗木の生育も順調だった。
後で確認したら、種からの発芽はかなり難しいと教えて貰い、先に言って欲しかったなどと思っていたけれど、イーリスの魔法の力のおかげで、種の七割は、きちんと苗木になるまで成長していた。
そろそろ各孤児院に苗木を分けて、そちらでの生育に切り替えつつ、この温室でも種木を育てておいた方が良いかと思う。
数年後、胡椒の実が順調に収穫できるようになれば、かなりの収入が見込めるはずだった。
バイエル王国は胡椒、ピュレル王国は紅糖を特産品にすれば、お互いに足りない物を輸入し合って、WinーWinの関係になれるはず、それがイーリスの考えた未来だった。
けれど今、イーリスのその計画に、暗雲が立ち込め始めていた。
他でもない、ディパル王国の存在である。最近ディパル王国とピュレル王国、そしてバイエル王国の関係がどんどん悪化していて、もはや一触即発なのではないかという状態にまでなってしまっているのだ。
切っ掛けは他でもない、ディパル王国が首謀者と思われる、大量の鳥を使ったあの襲撃事件である。
ピュレル王国に帰ったトゥマリス国王は、鳥から検出された魔力の波動を証拠に、ディパル王国に正式に抗議と遺憾の意を伝え、犯人の引き渡しを要求した。
それに対しディパル王国は、ピュレル王国の言い分は全て根も葉もない言い掛かりだと一蹴したのだ。
更にピュレル王国による調査団の侵入も拒否したディパル王国は、突然国境を閉鎖し、ピュレル王国との国交を完全に絶ったのだ。
困ったのは、ディパル王国に取り残されたピュレル国民である。
仕事や旅行で一時的にディパル王国に行っていたために、帰れなくなってしまったピュレル国民を救うために、まだ国交のあったバイエル王国は、こちらを経由してピュレル国民を返すように、ディパル王国に働きかけた。
しかしディパル王国はこれも拒否し、バイエル王国との国交までも断絶したのだ。
これにより、現在ディパル王国にはピュレル国民も、そしてバイエル国民までもが、人質のように閉じ込められている状態になってしまったのだ。
自国民達を救出するためには、軍隊を使っての実力行使もやむを得ないかもしれない。
その声は日に日に高まっていた。
面目を潰された両王室の怒り、そして家族を返して貰えない国民達の、怒りと悲しみと不安の声。
このままでは、再び戦争が始まる。誰もがそう感じていた。
このままでは戦もやむを得ないかもしれない。イーリスもそう感じることには同意だった。
それでも、と思う。
戦争だけは、どうにかして回避できないだろうか、と。
戦争がもたらす、破壊、悲しみ、苦しみ、それらが再びまた国民を襲うことが、イーリスにとって何より一番辛いことだった。
もしも自国民への被害は少ない状態で戦争に勝てたとしても、苦しむ人は必ずいる。
人と人とが殺し合う戦争に、正義などどこにもないと、イーリスは感じていた。
もしも戦争が始まったなら、イーリスが始めたスイートビーツの栽培も、胡椒の栽培も、一旦停止になるだろう。
人々の生活は、また戦争第一になり、普通の贅沢さえ許されなくなる。
そしてまた、孤児が増える。
最悪、再び街が壊されて、街は失業者で溢れるかもしれない。
一時の感情だけで、戦など決して始めるべきではないと、イーリスは思う。
けれど、世の中の流れの前には、王女一人の反戦の意思になど、まったく何の力にもならなかった。
(私だけの力では、どうにもできない…、)
それとなくゼフィール皇太子にも、反戦の気持ちを伝えてみたけれど、どうにもならなかった。
こうしている間にも、ディパル王国に閉じ込められているバイエル国民やピュレル国民達が、命の危険に晒されているかもしれないのだ。
気長に交渉を続けたとして、その間にもしもその国民達が殺されでもしたら、いったい誰が責任を取ると言うのか。
そんな事は、イーリスだって言われなくても分かっていた。だからこそ、強く反戦を唱えることもできなかった。
いったいどうすれば良いのか、
悩む私の脳裏に浮かんだのは、聖女の存在だった。
聖女の持つ「世界を浄化する力」
もしもその力があれば、この開戦の危機を回避できるのではないだろうか?
聖女がこの世界に現れるのは、小説によれば、あと11ヶ月後の予定だった。
けれど私は、今聖女の力が欲しい。今、聖女に降臨して来て欲しいと思った。
聖女が来たら、ゼフィール皇太子との甘かった時間は終わりを告げるだろう。
でもそれよりも、今戦争の危機から国民を救うことの方が大切だった。
私はその日から毎日、城庭の噴水に向かって、聖女の降臨をひたすら祈り続けることにしたのだった。