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遺書  作者: 山城木緑
セーター
7/7

3

 水野は傾きかけた机に向かった。


 和美への想いを書きなぐった。筆圧が原稿用紙を突き破る。インクが滲み、数枚にも渡って黒いしみができた。涙が止まらなかった。涙でまたインクが滲んだ。構わず書いた。原稿用紙はいつの間にか尽きた。辺りにある白紙の紙、ポストから取ってきたチラシの白地、新聞の余白にまで、水野は一心不乱に筆を入れた。


 声を掛けてくれてありがとう


 手を繋いでくれてありがとう


 子供を作れずにすまない


 冷飯を食わせてごめんな


 和美の横顔が好きだ


 左手をいつも揉んでくれてありがとう


 旅行に連れていきたかった


 旨いものを食わせたかったんだ


 不幸にしてしまった


 幸せにしてやれずごめんよ


 怒鳴ってすまなかった


 うまく喋られずごめんな


 ちゃんと聴いてくれてありがとうな


 セーターを買ってあげたかった


 ごめんな


 ごめんなごめんよ


 和美のことを愛している


 何が幸せなもんか


 不幸せにしてごめん


 約束を果たせなくてすまない


 そして、本当にありがとう


 ぐちゃぐちゃになった原稿が傷みきって傾いた机に散らばっていた。外で烏が哭いている。水野は書いた原稿用紙やらチラシやらを無造作に封筒へ詰めた。


 他意はない。水野は和美への気持ちを誰かに伝えたかった。和美という素晴らしい女性がいたのだと知って欲しかった。捨てられるならそれで良い。一目、気持ち悪がられようとも、和美という文字を誰かに見てもらいたかった。和やかに美しい女性だった。私の自慢の妻なのだ。それだけだ。


 なけなしの小銭で切手を買い、ポストに投げ入れた。ぼろ切れを着て外に出ると、通行人が小汚ない水野を避けるように歩いていた。


 帰って冷たい床に仰向けになる。水野はおいおいと声を上げて泣いた。


 ある日、水野の家の電話が久し振りに鳴った。


「水野さんのお宅でしょうか。新文学社の田所と申します。ご応募いただいていた作品の件です。あと……別に送っていただいた原稿も拝見しまして、一度お話できたらと思います。また、お電話します」


 水野はその留守電メッセージを床に伏して聞いていた。目を閉じ、動かずに。


 


 クリスマスの飾りつけやイルミネーションが輝く街で、財布がゆるんだ人々は色とりどりの店につられるように入店していく。手には玩具や服を詰め込んだ袋を抱え、寒い冬などなんのそのと明るい表情で街を闊歩している。赤い装飾で誘う本屋にもたくさんの人々が流れていた。


 この年、多くの書店にて一冊の本が平置きされていた。本を漁る客たちは帯につられ、その本を手に取っていく。


『死してなお綴るラブレター』


 帯にはそう綴られていた。妻を失った一人の男の物語と、その妻へ送った恋文があとがきに記された本であった。手に取った人々は愚直で不器用な男と優しさ溢れる妻の愛情に涙した。人々はクリスマスに家族と居ること、愛する人が隣に居ることを大切だと感じた。


 その反響を水野が知ることはない。


 水野と和美には墓がなかった。出版社は水野に払われるはずであった印税で二人の墓を建てた。水野と和美にとっては余計なお世話かもしれない。だが、出版社は罪滅ぼしとして二人の居場所を作ってあげたかったのだ。


 小高い山の上に立つ霊園だった。秋になれば、山が橙色に染まる。


 ある日、墓を一人の読者が訪れた。風が吹き荒ぶ寒い冬の日だった。墓の前で手を合わせ、紙袋から橙色のセーターと赤いマフラーを取り、そっと墓石にかけた。


 訪れた読者は最後に花を添え、墓を後にした。ぴるると冷たい風が吹く。マフラーが飛んでないかしら。読者が振り返ると、ちゃんと墓石はセーターとマフラーにくるまれていた。二人の墓は温かそうに見えた。


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