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遺書  作者: 山城木緑
釣糸
4/7

4

 水野は憑りつかれたように机に向かった。物書きになる。和美が行きたい国へ連れていってあげたい。旨いものを食わせてやりたい。残った障害さえも、その夢の前ではちっぽけなものに思えた。


 雇ってくれるアルバイトと和美の派遣事務で生活をやりくりしながら、夜は執筆する。生活は厳しいが、二人には未来があった。


 生活に慣れてきた頃、二人で和美の両親の元へ挨拶に向かった。正式にプロポーズをし、頭を下げに出向いたのだ。


 和美の両親は反対した。当然だ。手塩にかけてきた一人娘なのだ。こんな言葉も出せず、左手が動かない男へ嫁にやるために頑張って育ててきたのではない。


 何度も水野は頭を下げに和美の両親を訪れた。雨の日も風の日も。


「すまないね、水野くん。私たちも君を嫌いだとかそんなことはない。でも、娘を心配する親の気持ちを分かってくれ」


 和美の父は水野が訪れる度にそう応えた。


「仰るどおりでず。ごんなでも必ず和美さんをじあわぜにじまず。お父ざまおがあざまがご納得ざれるまで、ずっとまぢます」


 雨の中、水野は傘を差し、駅へ帰っていった。父も和美から水野の人間性は聞いている。駅へ車を出してあげない自分を嫌な人間だと責める自分もいる。それでも、我が娘は幾つになろうが、心配なのだ。


 それから一年、迷惑にならない程度に水野は和美の実家を訪ね続けた。両親は断り続けた。


 二年、相変わらず両親は断り続けた。だが、水野を駅へ送るため、車を出すようになった。


 水野は誠実な男性だ。身体が不自由で娘が生活に困るという不安は消えないが、和美の両親はその誠実さと努力する人柄に二人の結婚を認めた。


 ほっとした表情の娘を抱き締めたくなった。心の中で両親は切に願った。幸せにしてくれ。頼む、と。不安を祈りに変え、二人の背中を見送った。


 それでも現実は甘くない。送る原稿は悉く蹴られていく。それでも水野は和美を幸せにしたいと奮い起った。和美もその夢を応援した。が、やはり金は要る。一年、三年、五年と、時は無神経に過ぎ去っていく。紙に水が沁み入るように、じわりじわりと貧しさが二人に忍び寄っていた。


 食いつなぐ。


 もらった菓子パンを和美と二人、畳の上でかぶりつく時、その言葉が浮かぶ。蛍光灯がちかちかと警告のように点滅している。


 職を失い、物書きになると必死にもがき、貧しさに飲み込まれてから、幾つの時が経ったろう。


 和美は古くカビ臭い畳の上で、点滅する蛍光灯に照らされていた。スーパーで値引きのワゴンに積まれていた七十円の菓子パンを頬張っている。白く美しい肌が青みがかった光に照らされる。台無しじゃないか。水野は和美の姿を見て、そう思った。


 何としてもこの状況を打破して、和美を幸せにしてみせる。水野は外の空気を吸おうと、軋む玄関扉を開けた。


 雨が降っていた。


 アパートの鉄階段の下には錆びた自転車やタイヤなどが放置されている。カンカン鳴る階段をゆっくり降りながら階段の隙間を覗くと、下には自転車やらごみ袋やらが見えた。隣にある変色した鉄屑と折れた傘の間に、錆びた釣竿が置いてある。竿先から伸びる色褪せた釣糸がそこらじゅうに絡まっていた。波打ち、結び目を作り、釣糸はそこらじゅうのものへ複雑に絡みついている。


 もう、ほどけそうにない。

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