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その13 夢は呪い


 マティカスの鮮血が屋上の床に広がっていく中、上着の下でルーティがもぞもぞと動いている。

 やっとのことでルーティは上着の切れ目を見つけ、脱出した。「引力」に捉えられ、レーデル目がけてまっすぐに飛ぶ。

 レーデルは左手を一振りして、飛んできたルーティをキャッチ。そのまま自分の肩に乗せた。


「レーデルの喉にキックをねじ込むつもりだったのに。うまいキャッチじゃないか」

「こんな時はかっこよく決めたいからな。ともかく、ルーティのおかげで助かった。ありがとう」

「レーデルに死なれたら、ボクとしても困るしね。それより、早くハルバードを取り返して」


 向こうを見やれば、ドラゴンと竜騎士はいまだに活動を続けている。

 慌ててレーデルはマティカスの手からハルバードをもぎ取った。


「どうすりゃいいんだ?」

「念じるだけでいいんじゃないかな」


 ルーティの指示通り、レーデルは「静まれ」と念じた。

 途端、竜騎士もドラゴンも不意に脱力した。竜騎士はその場にひざまづき、ドラゴンもゆっくりと屋上の床に着地。両者とも動かなくなった。

 それぞれと対決していたセレナ、アルケナルは、すぐには構えを解かずにいたが、


「……おーい! もう大丈夫だ!」


 ハルバードを振り回すレーデルに気づいて、やっと何が起きたのか理解した。緊張を解き、肩を落とす。


「いくら殴っても倒れない敵なんて、相手にするもんじゃねーな!」


 セレナはその場に腰を下ろし、寝転がった。

 アルケナルはタクトを振って精霊を解放し、ドラゴンに歩み寄る。


「とんでもない相手だったわね……これで一件落着……?」

「一応、これ以上死人は出ないだろう。問題はこいつの後始末だよ」


 ハルバードを抱えたまま、レーデルは屋上のへりに寄り、広場を見下ろした。




「……こいつ、どういうつもり……!?」


 リーリアは油断無く剣を構えたまま、キマイラ鎧を凝視している。

 ある瞬間から、キマイラ鎧はリーリアに対する害意を引っ込め、あらぬ方向へ歩き始めた。適当に生やした六本の足を秩序的に動かしながら。

 新たな攻撃パターンか、とリーリアは警戒心を絶やさずにいたが、キマイラ鎧はリーリアを無視して離れていこうとしていた。


「追ってみましょう」


 アレクトの言葉に同意し、リーリアは慎重にキマイラ鎧を追った。キマイラ鎧の移動速度はゆっくりとして、追うには徒歩のスピードで十分だった。

 やがてキマイラ鎧は広場に出る。

 広場の方々から、黒い鎧が集まりつつあった。鎧一揃えの極めて人間らしい姿の鎧もあれば、四、五体分が無秩序に合体したキマイラ状態の鎧もある。

 いずれも敵意は感じられず、ある一定の方向を目指して歩いていた。


「一カ所で全員が合体するんじゃ……」


 リーリアはまだ警戒を解かずにいたが、シアボールドは楽観的だった。


「これはもう、向こうもやる気ないんじゃないかね?」


 黒い鎧たちはとある細い道へ向かい、列をなしながら、ある古い建物の前へと移動する。

 その建物のそばには、レーデルたちがいた。


「レーデル! どうしてここに!?」


 驚いたリーリアがレーデルのそばに駆け寄る。


「あ、リーリア! シアボールドも! こっちに来てくれたのか」

「私が誘導したんですよ。廃教会に置き去りにされたこの私がね」


 アレクトもさりげなくレーデルのそばに寄り、笑顔で語る。


「それは謝る。でもアレクトなら自分で判断して行動できると思ってたし」

「結局、何がどうなったんですかね?」


 アレクトの問いに応じ、レーデルは経緯をざっと説明した。


「……というわけで、とりあえず鎧の群れは元いた場所に戻ってもらおうと思って、このハルバードで操っている。竜騎士とドラゴンももうこの建物の地下にいる」

「そういうことでしたか」


 レーデルが語っている間に、黒い鎧たちはみな地下室まで戻った。バラバラになってしまった鎧も多く、秩序だった整列とはいかなかったが、とにかく一応元通りにはなった。


「問題は、これをどうするかだ」


 縦に構えたハルバードの穂先をくるくると回しながら、レーデルは眉をひそめた。


「一騒動収めたのはいいけれど、黒い鎧を操る力は問題なく作動している。こんなもの、俺一人で持っているわけにはいかないよ」

「エビンに渡すのも問題ね……今日起きた騒ぎの責任を、エビンが負うことになりかねない……」


 アルケナルも苦悩の表情を見せる。


「それじゃ結局どうすんだ?」


 セレナの問いに、レーデルは少し考えてから答えた。


「ホルスベックの当局に相談してみるしかないんじゃないかな。少なくとも、この騒動を引き起こしたのは俺たちじゃないって申し開きをしないと」

「申し開きなあ。信じてくれなかったらどーすんだよ」

「その時は逃げる。ホルスベックには出入り禁止になるだろうけど」




 幸いにして、ホルスベックとの話し合いは穏便に進んだ。エビンがホルスベック市の要人とのコネを多数持っていたおかげで。

 レーデルが一番恐れていたのは「マティカスとやらもブレネールとやらも、自己弁護のためにでっちあげた架空の存在では無いのか」と責め立てられるのではないか、という点だったが、先日のヘルベルト邸襲撃や、廃教会の死体の山など、物証がたくさん残っていたので、主張はほぼ受け入れられた。レーデルたちは「魔王軍、そしてサイナーヴァ教会の攻撃から街を守った勇者」とみなされたのである。


 双月の竜騎士のハルバードは、市側がエビンから買い取るということで話がまとまった。黒い戦士達を操る力は問題なく健在であり、敵から街を守るために利用されることになるだろう。その日が来るまで、双月の竜騎士は再び眠り続けることとなる。

 そんなわけで、レーデルたちはホルスベックからのおとがめは一切なしとなった。

 ただ、騒動の主たる原因の一人であるエビンの心理的ダメージは、あまりにも大きかった。


「私の道楽心のせいで、とんでもない騒ぎを引き起こしてしまった……」


 孫のオリバーが無事帰ってきた喜びよりも、良心の咎めの方があまりにも大きく、騒動からしばらくたってもエビンの顔は暗いままだった。


「息子夫婦に迷惑をかけただけじゃない。ベイモン夫妻がテリオノイドに狙われて死んだのも、結局は私のせいだ。一体どうやって償えばいいというのか……」

「そんなに落ち込まないで下さいよ」


 収束から数日後、ヘルベルト邸を訪れた際、レーデルはエビンを励まさずにはいられなかった。


「エビンさんはあくまで被害者です。お孫さんをさらったのも、ベイモン夫妻を殺したのも、魔王の手下ですし、最後の騒動を起こしたのはマティカスです」

「マティカスの本性を見抜けなかったのも私の責任だ……」


 が、エビンの落ち込みは激しく、レーデルの言葉程度ではとても慰めにはならないようだった。


(夢は呪い……なるほどなあ)


 以前ルーティが口にした言葉を、レーデルは思い出していた。

 父の夢を叶えたい、という純粋な思いが、エビンをこのような結果に導いた。夢は呪い、というルーティの主張に頷きたくもなる。


「趣味の宝探しはもうやめだ。もはや私にはその資格はない。これからは……騒動で傷ついたり、家族を失った人たちのために、できることをやる」


 そう語ってから、頭をもたげ、レーデルを見返す。


「君達への支払いは……いや、正確にはアルケナル君への支払いか。そこは積むから安心してくれ。君達が戦ってくれなければ、私はさらに取り返しのつかない罪を犯していたところだった」

「…………」


 レーデルも、そしてルーティも、それ以上何も言えなかった。

 その代わりに、


「いえいえ、竜騎士の罠をブレネールたちの手に渡さずに済んだのは、あなたのおかげですよ!」


 アレクトが満面の笑顔でエビンを励ました。


「あなたがこの件に手を出していなければ、今頃ホルスベックはもっと悲惨なことになっていましたよ。いえ、ここだけじゃなく、都市同盟全体が危機に陥っていたかもしれませんねえ! 誰が何と言おうと、私はあなたに感謝してますからね!」


 そしてバシバシとエビンの肩を叩く。

 エビンは複雑な表情を見せた。笑うわけにはいかないが、それでも心の重荷はいささか下りた風だ。

 レーデルは小さく微笑みながらアレクトに言った。


「おまえみたいな空気を読めない奴が役に立つこともあるんだな」

「私が空気が読めない? 何を馬鹿なことを。私は万人に配慮を欠かさない、気遣いのカタマリですよ?」


 アレクトはそう言い切って、朗らかに笑った。




「私達はやるべきことをやった……それだけね……」


 アルケナルはというと、一連の出来事に悲しみを覚えつつも、落ち込んでいる様子はまるでなかった。

 ホルスベックの住宅街、例の井戸のそばで、レーデルたち三人と一体は話し込んでいる。


「エビンもかわいそうに……父親の遺志をついた結果がこれなんて、かける言葉もないわ……」

「ショックで老け込まなきゃいいんだけどな」


 と、セレナも心配を口にする。


「とにかく……レーデルは期待以上の働きをしてくれた……。今度は私がレーデルの期待に応える番……。ルーティを預からせてもらうわよ……」

「ボクの身体を隅々まで調べるつもりだな。いやらしい女め」


 ルーティはレーデルの後頭部に隠れようとした。が、アルケナルはルーティをわしづかみにして、引き寄せた。


「カースマイスターとして、あなたの有りようには大いに興味がある……やっと本腰を入れて調べられるわね……ウフフフ……」

「ヒエッ。助けてよ、レーデル!」


 ルーティは手を差し伸べたが、レーデルはニコニコと微笑むばかりで何もしなかった。


「四六時中俺とばかり一緒にいるのも飽きるだろう。たまにはアルケナルにかわいがってもらえ」

「薄情者! なんだよレーデル、この間もボクがレーデルを救ってやったじゃないか!」

「これはその恩返しだって。アルケナルみたいな美人が全身くまなく調べて、いじくり回してくれるなんて、俺からもお願いしたいくらいだよ」

「ふざけるな! うわっ、ちょっと!?」

「さ……私の家に行きましょうね……」


 アルケナルは井戸のへりを乗り越え、飛び込んだ。

 ルーティは甲高い悲鳴を上げつつ落ちていったが、ある時点でその声は突然消えた。

 あとはすっかり静まり返ってしまった。


 レーデルは安心したように肩を落とし、呟いた。


「ルーティから自由になれるのは嬉しいね」

「本当に? 少ししたらすぐにルーティが恋しくなるんじゃねーの?」


 からかうようなセレナの問いに、


「そんなわけが……」


 と反射的に返そうとして、レーデルは言いよどみ、少し考えて――


「……いや、そうかもな。あのクソ生意気な物言いが聞けないとなると、少し物足りないかも」


 と言い直した。


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