その9 目と目が合わない時
「金縛りを食らっても、精霊を喚んでおけば勝手に動いて、魔法が使える。もっと早く気づくべきでしたねえ」
アレクトは、腰の高さで両手の平を下に向けるという格好で、邸内を慎重に歩いている。扉をくぐり、部屋から部屋へ。
「本当に大丈夫だろうな……」
セレナはアレクトの背中にぴたりとついていた。アレクトの後頭部、銀色の髪だけを凝視し、敵の視線に囚われないよう心がけながら。
「それを言いたいのはこっちですよ。私がおとりになるんですから、私の命はあなたにかかっているも同然なんですよ? しかし随分静かになってしまいましたねえ」
「押しかけてきた盗賊連中、かなりの数をボコったしな」
「テリオノイドも怖じ気づいて逃げましたかね? その時は――ッ!?」
突然アレクトの言葉が、足が止まり、セレナはアレクトの背中にぶつかった。
(――来た!)
セレナが思うのと同時に、アレクトの向こう側から声が飛んできた。
「……やっと見つけた! お二人さんとも、今度は逃がさないぜ!」
テリオノイド、ジベルは抜き身の剣を掲げ、襲いかかってきた。
と同時に。
アレクトの伏せた手の下から、凄まじい勢いで白い煙のようなものがあふれ出た。
それは爆発的に広がり、あっという間に室内を埋め尽くす。
「なんだ……!?」
煙と思い込んでジベルは思わず口元を覆ったが、そうではない。
水蒸気だった。
アレクトは手の平の下で、三種の精霊の力を喚び出していた。
霧の精霊。
炎の精霊。
水の精霊。
炎の精霊の力で、水の精霊を水蒸気に変え、霧の精霊の力をパワーアップ。
一気に噴霧した結果、室内は濃霧に包まれた。数十センチ先すら見通せない、厚い霧に。
視界が効かないということは、魔眼も効かない。
悟った途端、ジベルは慌てて見えざるアレクトに斬りかかろうとした。
しかし、既に遅い。
「……そこぉ!」
セレナはアレクトの横を回り込みつつ、耳でジベルの居場所を特定。渾身の正拳を叩き込んだ。
「おげぇ!?」
不意の痛撃を食らい、ジベルはあっさりと吹き飛ばされ、その身を壁に打ち付けた。
壁を支えに、ジベルはどうにか踏ん張るものの、
「逃がすか! 壁にめり込めッ!」
セレナが追いかけ、連打を繰り出した。
ジベルは悲鳴を上げた。
霧の向こうから拳が飛んでくるので、見て防ぐことができない。腕で頭をかばえば、セレナはジベルの胴を殴り、胴をかばえば、セレナはジベルの頭を殴る。
魔族とて、体力、耐久力は人間と変わりない。ほどなくジベルは気絶し、力なく崩れ落ちた。
「……オラァ!」
一発追い打ちを叩き込み、完全にジベルが気絶したのを確認してから、セレナは攻撃を止めた。
「うまくいきましたねえ!」
決着を悟って、アレクトは精霊の力を止め、部屋の窓を次々と開け放った。霧は外へ吹きだし、雲散して消えていく。
ほどなく室内はすっかりクリアになり、霧に隠れていたジベルの無残な姿があらわになった。
「あらまあ。念には念を入れましたね」
アレクトはそう感想を述べた。
「相手が見えない以上、確実にやらなきゃな」
「それもそうですね。生きてます? 生きているなら、兜の隠し場所を吐かせないと。ロープあります?」
「庭師の小屋にあるんじゃねーの? というか、レーデルはどうなった?」
セレナは耳を澄ましたが、近くで誰かが立ち回っている音は聞こえてこなかった。
「もうケリをつけたんでしょうか? 探しに行きたいですけど、まずはこいつの拘束ですね。ちょっと行ってきますので、見張っていて下さいよ?」
「任せろ。ついでにアンズヴィルの様子を見てきてくれよ」
「任されました」
アレクトはすぐに動き出した。
「…………ッ!」
レーデルは斬撃を剣で受け止め、敵を押し返した。
もう一人のテリオノイド、カリストの剣術はなかなかの腕前だった。何者かに習ったであろう技量の高さが、その太刀筋に見て取れる。
レーデルに比べれば数段劣るものではあるが、レーデルは相手の目を見られないというハンデを背負っている。
たやすい勝負ではない。
「頑張って……レーデル……!」
アルケナルは大きく距離を置き、戦いを見守っている。
レーデルに加勢したいところではあるが、簡単ではない。二人が素早く立ち位置を変えて斬り合っているので、魔法による遠距離攻撃は誤爆を起こす可能性が高い。
まして、アルケナルの精霊はパワーが強すぎ、正確な動作には向いていない。故に、邪魔にならないよう、今は見ていることしかできなかった。
「……俺の目を見ないで、どこまで耐えられる……?」
一撃、二撃とカリストは力任せの斬撃を振り下ろす。
レーデルに防がせた後、突如大きく下がってコートハンガーを掴み、足下を狙って放り投げた。
「!?」
視界外からの攻撃に戸惑い、レーデルはコートハンガーを避けきれなかった。
足を取られかけ、それでも踏みとどまり、体勢を立て直すべく身を起こし――
「……うっ!?」
眼前に、壁にはめ込まれた姿見があった。ドレスアップした全身をチェックするためであろう、大きな姿見が。
そして、レーデルの背後数メートルの距離で、カリストの両目が輝いていた。
(鏡を通しても魔眼が効くのか……!)
声も出せず呼吸もできず、レーデルはただ立ちすくむ。
「レーデル!!」
アルケナルは一か八かで氷の精霊を突っ込ませようとしたが、遅い。
「……死ね……!」
カリストは両腕で柄を握り、全力を込めて剣を振り下ろす。
鋭い刃がレーデルの背を切り裂く、その直前――
「……今だ!」
ショールの中からルーティが飛び出し、レーデルの両目に張り付いた。
物理的に視界が遮られ、レーデルは自由を取り戻す。
上体を低くかがめつつ、レーデルはくるりと回転。剣を真横に振り抜いた。
二つの剣戟が、交わることなく放たれる。
二者はすれ違い、振り抜いた体勢でしばし静止。
先に動いたのは――
「……んぐむっ」
カリストだった。
脇腹から血を吹き、がくりと膝をつく。なおもレーデルに斬りつけようと身体をひねったが、立ち上がれずにそのまま倒れた。
レーデルは静かに身を起こし、剣を鞘にしまった後、目元に張り付いたルーティを剥がした。
「いいタイミングだった」
「だろう? ずっとショールの中に隠れていた甲斐があったね」
レーデルに褒められ、ルーティは微笑んだ。
「レーデル! 大丈夫!?」
アルケナルが駆け寄ってきた。
レーデルは軽く腕を振り回し、特にダメージを負っていないことを確認した。
「うまく避けられた」
「最後は……ルーティがレーデルの目を塞いだのね……?」
「そうさ。もしもの時のために、あらかじめ打ち合わせておいたのさ」
とルーティが説明する。
急に緊張が解けたようで、アルケナルはがくりと肩を落とした。
「そう……なら良かった……」
と呟いて、レーデルをぎゅっと抱きしめる。
「アルケナル……!?」
妙に強い力で抱きしめられて、レーデルは目を白黒させた。
レーデルの声にはっと気づいて、アルケナルはすぐに身体を引きはがす。
「……あら……我ながら、ちょっとやりすぎたわね……」
「いや、まあ……」
レーデルが言いつくろうより早く、ルーティが言った。
「大丈夫だって。おっぱい押しつけられるのが嫌な男はいないから」
「ルーティは黙ってろ」
レーデルは指でルーティの口を塞いだ。
がりっとルーティはレーデルの指を噛み、脱出した。
「ボクが窒息したらどうするの!?」
「おまえは石像なんだから窒息しないだろうが!」
「おっと、そうだった。……あ、アレクトだよ」
言われて振り返ると、ちょうどアレクトが舞踏室の外、大窓の向こうの庭を横切るところが見えた。




