その4 ハートの瞳を持つ女
「正直言うと、この辺は来たことないわ……私……」
乾いた土の道路を歩きながら、アルケナルは言った。
ホルスベックの西側、貧困層が住まう街区――有り体に言うとスラムである。
話によれば、今はスラムと化しているこの街区も、かつてはごく普通の住宅街だった時期があるらしい。しかし、五十年前に勇者が大魔王軍から都市同盟域全体を取り戻した後に、騒乱で財産を失った人々が住み着き、市当局もおいそれとは手が出せない危険なエリアと化したのだという。
「そりゃそうだろ。ここは女性が一人で来ていい場所じゃない」
その辺に居座っている浮浪者たちの視線を無視しつつ、レーデルは答えた。
(でも、昔は普通の街だったみたいだな)
と、実際に歩いてみて感じる。
意外なことに表通りは広く、道の左右には築百年はくだらないだろう石像の建物が並んでいる。もっとも、建物窓はあらかた割れ、中にはドアすら無くなってしまっている家屋もある。その向こうに見えるのはがらんどうのエントランス、あるいは浮浪者が住み着いている痕跡だ。
「というか、男でも一人で気軽に来られる場所じゃないね。油断したらその辺の路地に引きずり込まれて掘られそうだ」
「気をつけてくれよ。レーデルが掘られる姿なんて絶対に見たくない」
あきれ顔を浮かべつつ、ルーティが呟いた。
レーデルは、アルケナルとともに敵を探している。
竜騎士の胸甲が浮かび上がらせる地図の光は、このあたりに双月の竜騎士の兜が隠されていることを示していた。とはいえ縮尺の問題で、細かいところまでは判別できない。実際どこに兜があるのかは、現地に行ってみなければわからない。
なので、ある程度土地勘があるアルケナルをレーデルが護衛する、という形でスラムを歩いていた。
セレナは、一時ホテルに身を隠したエビンとマティカスの護衛についていて、この場にはいない。
「それにしても……こんなに堂々と道を歩いていていいのかしらね……」
やや不安げに、アルケナルがこぼした。
昼日中、さんさんとした太陽がスラムに降り注いでいた。スラム特有の陰鬱とした雰囲気がやや中和され、いささか気楽ではある。
しかし昼間から路上に居座る浮浪者たちの視線が、妙な不安をかき立てる。
「堂々としていた方がいい。妙にビビっていると見透かされるぞ」
レーデルはアルケナルにアドバイスした。
「あっちこっちに視線を投げないように。スラムに不慣れな奴だと思われる。弱気につけ込まれたら、あっという間に身ぐるみ剥がされるぞ。特にアルケナルは美人だから、口にするのもおぞましい事態になりかねない」
「うーん……美しさは罪という奴かしら……仮面をつけた方がよかったかもね……」
「ま、堂々と姿をさらしていれば、敵の方から近づいてくるかもしれない」
「敵ね……。敵は私達のこともマークしてるでしょうね……」
「問題は敵の手、というか、コレクター夫妻を窒息させた謎の技なんだが……」
敵のやり口がわからないのでは、対策の立てようもない。状況としては極めて不利である。
この点、どうにかして挽回する必要があった。
「とりあえず……その辺の方々に訊いて回る……?」
「……その手間が省けたかも」
表情も歩調も変えず、レーデルは不意に声をひそめた。
突然の緊迫感に戸惑うアルケナルに、ルーティがささやく。
「そのまま普通に歩いて。尾行されてるよ」
「…………!」
やっと事態を理解して、アルケナルは無表情になった。
ルーティはショールの中に身を隠しながらレーデルの背に回り込み、視界をシンクロさせた。
レーデルの脳裏に、距離を置いて二人を尾行する人物の姿が浮かび上がる。
「敵は一人か」
前方を見据えて歩きながら、レーデルはアルケナルに情報を伝える。
「ジャケットを着た男――いや、男か女かはわからないな。背の高い女かも。シルクハットをかぶって、顔を仮面で隠している。真っ昼間から仮面をつけて歩くとか、怪しすぎるな」
「私は仮面をつけずに来て正解だったかしら……」
「腰にサーベルを下げてる。気をつけろよ、アルケナル」
警告されて、アルケナルは手首に仕込んだタクトを長手袋の上から撫でる。
「どうするの……?」
「すぐそこの建物を右に曲がる」
十字路に面した廃屋を、レーデルは指さした。窓がことごとく破れていて、がらんとしたエントランスが見える。
「曲がったらすぐこの廃屋に飛び込んで、身を隠す。尾行者が俺たちを見失って、ふらふらと進み出てきたところを、背後に回って捕まえる」
「なるほど……」
角を曲がった瞬間、二人は扉のない入口から飛び込んだ。
フロアの角に身を隠し、割れ窓のそばに張り付いて、待つ。
薄暗い、ひんやりとした空気の中、木の床に落ちる白い光。
その光の中に、黒い影がぬっと姿を現した。
そっとレーデルが身を乗り出すと――
「……レーデル!」
ルーティの叫び声と共に、いきなり白刃が飛んできた。
「ぬあっ!?」
さすがに、身をよじってかわすのが精一杯だった。無理な体勢になり、レーデルは肩から背後の壁にぶつかる。
その間に、尾行者は廃屋に飛び込んできた。レーデルの姿を見るや、サーベルを振り上げ襲いかかる。
「アルケナル!」
レーデルは思い切りアルケナルを突き飛ばして遠ざけ、剣を抜いて斬撃を受け止めた。
噛み合った刃の向こうに、レーデルは仮面を、仮面の奥に隠れた目を睨む。
「何者だ、あんた……!」
尾行者は言葉を発さず、ただ鼻で笑った。
レーデルは全身の力を込め、尾行者を思い切り押し放った。
尾行者は踏ん張りきれず、大きく後方に飛んだ。
間が空いたところで、レーデルは素早く横に動き、アルケナルをかばうように立ちはだかった。
「気をつけて、レーデル……」
アルケナルはタクトを取り出し、いつでも精霊を喚び出せるよう構える。
尾行者は大きく間合いを取ったまま、ヒュンヒュンとサーベルを振り回した。
(こいつ、ふざけてるのか?)
レーデルはいぶかしむ。命がけの剣戟に挑むにしては、随分と態度が軽い。興味からレーデルの腕前を試そうとしているかのような気配だ。
ますます気を引き締め、レーデルはじりじりと間合いを詰め――剣を走らせた。
左手を離し、身体を一気に伸ばした片手打ち。
次の瞬間、切っ先が尾行者の顔面に届いていた。
「な……!?」
間合いの外からの一撃に、尾行者は顔をのけぞらせた。
薄い手応えが、レーデルの右手に伝わってきた。刃は皮膚にすら至らなかったが――
尾行者の仮面が、きれいに真っ二つに割れる。
レーデルは剣を両手で握り直し、追い打ちとばかり切り下げる。
「……ストーップ! 降参! 降参しますよ!」
寸前、尾行者は突然サーベルを投げ捨てて、両手を掲げた。
ぴたり、とレーデルの剣は尾行者の額の寸前で止まる。
レーデルとルーティは、あらわになった尾行者の顔を凝視して、
「……アレクト! おまえかよ!」
大声をハモらせた。レーデルは即座に剣を引っ込め、鞘にしまう。
両手を挙げたポーズのまま、尾行者はニタニタと笑みを浮かべた。
「いやー、お久しぶりですねえレーデルさん、ルーティさん! ずっと会いたいと思っていたんですけど、ここで出くわすとはびっくりですねえ!」
妙に陽気な、なれなれしい調子でまくしたてつつ、シルクハットを脱ぐ。帽子の中に押し込んでいた銀色の長髪がふぁさっとあふれ出た。
「女性……どちら様……?」
アルケナルは銀髪の女性を見やり、すぐに気づいた。
女性の瞳孔がハートマークになっていることに。
「こいつはアレクトと言って、大魔王のしもべだぞ」
レーデルは説明した。
「大魔王のしもべ……? そんな相手と知り合いって、どういうこと……?」
アルケナルはますます混乱する。
アレクトとレーデルは、それぞれに説明した。
「簡単なことです。レーデルは勇者、私は大魔王軍幹部。三度の死闘を繰り返したライバルですよ」
「いや違う。こいつは俺のストーカーだぞ」
「ストーカーとは人聞きの悪い! 私はレーデルさんのことを尊敬しているんですよ? 愛していると言ってもいいかもしれない。お近づきになりたいと思って、つい尾行してしまうのも当然のことだと思いますけれど?」
「そういうのをストーカーって言うんだよ! そもそも、しばらく顔を出さないから死んだと思ってたのに、なんで今更突然出てきた? まさかおまえか? アッカニアのコレクター夫婦を窒息死させたのは!」
「いえいえ、私ではありませんよ! というか、私もその窒息死させた犯人を追いかけているんです」
「……なんだと?」
「そうしたら、レーデルさんも同じ事件を追っていると知りましてねえ! お久しぶりってことで、ちょっかいかけてみたんですねえ。これは言わば、レーデルさんに対する愛の発露ですよ!」
「……はいはい。アレクトも強盗殺人犯を追っているのか?」
「そうなんですよ。目的は一緒ですし、手、組んでみません?」
アレクトの提案に、レーデルは一旦黙り込む。
アルケナルがレーデルに尋ねた。
「……この人……信用できるの……?」
「信用はできると思う。ただ、こいつの手を借りるのは、悪魔に魂を売るようでなあ……」
「失礼なことをおっしゃいますねえ! いいえ、私と手を組むしかないと思いますよ。なにしろ私、犯人の正体を知ってますのでねえ」
「……マジ?」
「もちろんですとも」
驚きの表情を浮かべるレーデル、アルケナルを見つめながら、アレクトは懐中から黒眼鏡を取り出し、ハート型の瞳孔を隠した。




