その3 黒い顔の竜
「おいおい、本当にドラゴン来てるじゃねーか!」
外に飛び出したセレナが、驚きの声を上げた。
白い満月の輝きの下に、黒いドラゴンの巨躯が大きな影を落としていた。
そのサイズは、レーデルたちがホルスベックの地下で見た竜の巨像と同程度。身体の表面は赤い鱗で覆われ、首は長く、その背には巨大な翼が生えている。
四本の足で地面に立ち、繰り返し頭の角を手近な建物の壁にぶつけ、そのたびに咆吼を上げていた。
「逃げろ! 女子供は裏手の広場に逃げるんだ!」
村人達の対処は水際立っていた。やや年配の男性が女性や子供を避難誘導しつつ、腕に覚えのある若い男たちは弓矢を持ち出し、ドラゴンに射かけている。
しかしドラゴンの鱗は堅く、矢は標的こそ捉えるものの、表面を滑るばかりで一本も刺さらない。ドラゴンもほぼ気にせず、ひたすらに頭を建物にぶつけ続けていた。
「目だ! 目を狙え!」
誰かの呼びかけに従い、射手たちはドラゴンの顔面を狙い始めた。
だが、正確に目を射貫くのは並大抵のことではない。そもそもドラゴンの顔面は一枚の固い面のようなもので覆われ、守られていた。
面の存在に気づいて、レーデルははっと息を呑んだ。
「おい、アルケナル! あの面って……!」
「間違いないわ……! 双月の竜騎士の竜面よ……!」
その面は、黒い金属のごとき輝きを帯びていた。
「向こうから目的のブツが飛び込んできたってわけかよ! でもどうやって取り上げる!?」
セレナの疑問に、レーデルは単純明快な答えを返した。
「ぶっ倒すしかないだろ! ルーティ、弱点は見当たらないか!?」
「同調するよ、レーデル!」
ルーティの目が薄く赤い輝きを帯びる。
応じて、レーデルの両目も同じ色を放ち始める。
ルーティの能力の一つだった。魔力を見抜く視覚情報を、レーデルに送り込むことができるのである。
レーデルの視界の中で、ドラゴンの全身が赤いオーラを帯びる。ドラゴンがまとう魔力の奔流が可視化されているのだ。
一見、オーラは全身をまんべんなく覆っているように見えたが――切れ目があった。
右後ろ足のすね部分。さらによく見れば、その部分の鱗が何枚か剥げ、欠けている。
「そこだな!」
剣を握り直し、レーデルは果敢に突撃した。
一気に飛び込み、鱗の欠け目に斬撃を叩き込む。
鱗の下の皮膚も頑丈で、刃が食い込む感覚はまるでなかったが――
「ゴゲァァァァ――ッ」
ドラゴンは頭をもたげて絶叫した。
わさっ、と両の翼を羽ばたかせる。
ふわり、とドラゴンの巨体が宙に浮く。
「撃て撃て! 撃ちまくれ!」
追い打ちとばかり村人達は矢を射かけたが、羽ばたきが起こす風によって矢の軌道は曲がり、一本も届かない。
ドラゴンはそのまま高度を上げると、宙で身を翻した。
最後に村全体に巨大な黒い影を落とすと、そのまま飛び去ってしまった。
「……意外とあっさり逃げやがったな……」
レーデルは、小さくなって消えていくドラゴンの姿を、ただ黙って見送るしかなかった。
「実は、この村がドラゴンに襲われるのは、初めてのことじゃないらしい」
と、シアボールドはレーデルたちに語った。
翌日。よく晴れた空の下、レーデルたちはベンチに座り、昨晩のドラゴンの被害を受けた家屋を修繕する村人達の作業を眺めていた。
一階の窓が砕かれ、雨樋が完全に使い物にならなくなっていた――が、被害と言えるのはその程度。半日もかからず、修復は終わりそうだった。
「最近何度か襲撃を食らってるって話は聞いたけど?」
「いや、もっと昔に、って話」
そう前置きして、シアボールドは話し始めた。
「十年くらい前に、一人の冒険者がここの旅籠に滞在していた。そいつは魔界領域を旅して、魔法の竜面を入手したらしい。それがどうやら、かぶるとドラゴンに変身できるって代物だったそうでな。冒険者はその力で周辺の集落を襲っては金目の物をあさって、ここの近くの洞窟に集めていたんだと」
「私達が求めている竜面ね……」
アルケナルが呟く。
「その冒険者ってのは、ペイトネイアゆかりの人間だったのかしら……?」
「いや。そいつとしては、人の目が少ない田舎の村だったらどこでもよかったらしい。ただ、長居しすぎて、村の人間から怪しまれてしまった。で、村の人間は近くの街の衛兵と力を合わせて、こいつを取り押さえようとした。ところがすんでのところで気づかれて、冒険者はドラゴンに変身して大暴れ。そして洞窟に逃げていった。村人と衛兵はそれを追いかけて、洞窟でドラゴンを――つまり、冒険者を殺した。そこに隠されていた財宝類もすっかり回収されたけど、何故か竜面だけは見つからなかった、とさ」
「ところが、その竜面が今になって出てきて、繰り返しペイトネイア村ばかりを襲撃している、と……」
「まるで村に恨みを持っているみたいにな。かつての冒険者の恨みを晴らそうとしているようなムーブに思える」
「でも、十年前に冒険者は殺されたんだろ?」
セレナの指摘に、シアボールドはニッと笑った。
「もしかしたら、冒険者の怨念が亡霊となって蘇ったのかも……」
「ヒッ! 冗談でもやめろよ、そんな話」
セレナは自分の身体を抱きかかえ、すくみ上がった。
その隣で、アルケナルは深刻な表情を見せる。
「死霊魔法がからんでいる可能性がある……?」
死霊魔法。死者の魂を呼び起こしたり、死体を自在に操るといった魔法である。魔界起源の魔法体系であり、魔族なみの素養が無ければ操れない、ともされる。
ただ、シアボールドは懐疑的だった。
「可能性だけならあるだろうが……」
「冒険者の縁者による復讐、ってオチじゃないのかね」
と、レーデルは主張した。
そこへルーティが口を挟む。
「そもそも、ドラゴンの正体が誰かなんてどうでもいいじゃないか。ボクたちの目的は、竜面を回収することだろ。極論すれば、村にどんな被害が出ようが知ったことじゃない」
「その言い方はよくないな、ルーティ」
レーデルはルーティの頭を指で押さえ、たしなめた。
「俺はもはや勇者じゃないが、困っている人を助けたいという気持ちは捨てないでいたい。俺たちが竜面を回収すれば、村もドラゴン襲撃という悩みから解放される。みんなが幸せになるのが一番いいのさ」
「……ま、そうかもね」
珍しく、ルーティは素直に主張を引っ込めた。
軽くルーティの頭を撫でてから、レーデルはシアボールドに問いかけた。
「ドラゴンの居場所を突き止めないと。犯人が冒険者の縁者だとして、かつて冒険者が利用していた洞窟に潜んでいる、なんて可能性はあるかね?」
「可能性はあるかもな。ダメ元でも調べてみる価値はあるだろう」
「その洞窟はどこにあるんだ?」
「それは知らない。村の人に聞いてみないとな」
「そうか。じゃ、情報収集は任せるよ」
「レーデルはどうする」
「お見舞いに行ってくる。久しぶりにリーリアと会えたんだ、このままじゃ気まずいだろ。向こうも待ってるんじゃないかな」
レーデルは腰を浮かし、道向こうの旅籠の二階に目を向けた。
二階の窓の一つのそばにリーリアらしき人影が立ち、レーデルたちを見下ろしていた。
「あたしもついていく? この間みたいにいきなり斬りかかられたら面倒だろ」
セレナは提言したが、レーデルは首を横に振った。
「いや、大丈夫。前はリーリアも動転していたんだろう。今ならきっと快く迎えてくれるはずだ」
「本当だろうな?」
レーデルは小さく笑って、旅籠に向かった。
レーデルが旅籠の玄関扉をくぐった後、
「気になる。念のため控えておいた方がいいんじゃねーの……」
セレナはこっそりとレーデルのあとを追った。
「……一人になったわね……少し昼寝でもしようかしら……」
最後に残ったアルケナルは、たまたまその場を通りかかった村人に問いを投げかけた。
「あの……ここの村、井戸はどこかしら……?」




