呪いの魔神像
青年の名はレーデル・クラインハイト。「元勇者」である。
剣の腕に優れた戦士である彼が勇者をやめた理由は単純。わけあって祖国の教会から勇者の称号を剥奪されたのだ。
能力が足りなかったわけではない。むしろ優秀な勇者だったと言える。大魔王討伐に必要不可欠とされるアイテム、「魔神像」を入手することに成功したのだから。
だが、魔神像を入手してしまったが故に、レーデルは祖国から命を狙われる身となった。
レーデルが魔神像を手に入れたのは、今から半年前のこと――
「やっと見つけた……これが魔神像か……!」
神殿に棲み着いた魔物を死闘の末に打ち倒し、ついにたどりついた海底洞窟の最下層。冷え切ったフロアに、レーデルの歓喜の声が響いた。
広大なフロアの隅に、岩壁を彫った大きな祭壇がそびえている。その中心に据え置かれた台座の上に、魔神像は設置されていた。
「これが魔神像? すっげえグロい怪物の像が出てくると思ってたのに、全然違うじゃねーか」
と感想を語ったのは、レーデルのただ一人のパーティメンバー、セレナである。
魔神像は高さ二十センチ強。裸の女性の姿をした悪魔の像だった。
背中には皮膜で覆われたコウモリ風の翼、頭部には湾曲した山羊風の角。しかし悪魔めいているのはその二点だけで、あとはとてもスタイルのいい全裸女性である。目、鼻、口まではっきりと彫り込まれ、凜々しい顔立ちをしている。
細部まで微細かつ精巧に作られていて、素人目にも優れた芸術品だと見て取れた。
「美しい……というか、エロいな!」
レーデルも正直な感想を口にした。
「よほどの変態じゃないとこんな代物は作れないぞ。ムッチムチの全裸女性なのに、神々しささえ感じさせる……これはすごい」
「これがパンデモニウムに殴り込むための『鍵』ねえ。鍵にしてはちょっとエロすぎねーか?」
パンデモニウム。大陸の西方、魔界領域の空に浮かぶ大魔王の居城である。
この魔神像は、人間族がパンデモニウムへ乗り込むための鍵だと言われている。
魔界領域のいずこかにあるという「魔界門」。パンデモニウムへの往来を魔族のみに許し、人間族を決して通さないという門である。
魔神像を携帯することで、常人も魔界門を通り抜けることが可能になる。五十年前に大魔王を討伐した勇者アマトは、この魔神像の力で魔界門をくぐった、とされている。
そんな伝説的重要アイテムがこのような外見であることに、レーデルもセレナも驚きを隠せなかった。
「背中はどうなってる? あと尻は……?」
「なにエロいこと言ってんだよ」
「純粋な美術的興味だ」
より至近距離から、ありとあらゆる角度から確認すべく、レーデルは魔神像を掴んだ。
その瞬間、レーデルは異様な感覚に襲われた。
「……!?」
軽く、生命エネルギーを吸い取られるような感覚。
それと同時に、魔神像が変化を始めた。
黒い硬質の表面が、人肌の色を取り戻し、人肌の柔らかさを得る。
ものの数秒も経たないうちに、魔神像は人間のミニチュアみたいな姿に変じ、その上レーデルの手の中で身じろぎを始めた。
「……はあ……んんん〜。あー、よく寝た」
長い眠りから目覚めたかのように、魔神像は大きく背伸びした。
「しゃべった!?」
驚きのあまり、レーデルは魔神像を台座に戻そうとした。
が、手放そうとしても離れない。掴んでいた右手を大きく開いたのに、魔神像はぴたりとくっついたまま落ちなかった。
「なんだと!? どうなってる!?」
左手で魔神像を掴むと、あっさりと右手から離れた。が、今度は左手から離れない。
「おいセレナ! ちょっとこれ取ってくれ!」
「イヤだよ! あたしにそれ押しつける気!?」
セレナは慌てて飛びすさる。
と、魔神像が落ち着き払った声で語った。
「そっちの子に渡しても何も起きないよ。ボクが取り付く相手は、最初に触った一人だけだから」
「…………」
レーデルはすぐには答えず、魔神像をまじまじと見つめた。
翼、角を除けば、ミニチュア化した人間そのものとしか思えなかった。言葉を発すればしっかりと口が動くし、像を握る手には人肌の暖かみを覚える。
立派なプロポーションを晒しているにも関わらず、魔神像は一切恥じる様子を見せず、堂々とした姿勢でレーデルに呼びかけた。
「誰かになすりつけようとしてももう手遅れだ。ねえちょっと、聞いてる?」
「聞いてる。というかおまえ、何者だ!?」
「人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀じゃないかなあ?」
「石像のくせに人の礼儀を知ってるのか」
「あのさあ。ボクがただの石像に見えるのかい?」
そう言い返しながら、魔神像は自分のバストを持ち上げた。
当然乳房も本物と変わりなく、魔神像の手の中でむにゅりと形を変えた。
本能的に、レーデルは魔神像のバストを凝視してしまった――が、すぐに我に返り、一つ咳払いした。
「……俺はレーデル・クラインハイト」
「あたしはセレナ・ラス・アルゲティ」
レーデルと肩を並べ、セレナも名乗る。
名乗りを受け、魔神像は順番に二人を見つめた。
「背が高くてまあまあハンサムなのがレーデルで……」
「まあまあ、ってなんだよ。はっきりハンサムと言え」
「金髪でおっぱいが大きいのがセレナか」
「おまえには負けるってえの」
「ボクの名前は……たしか……ルーティ。うん、ルーティって呼んでほしい」
「女の子風だな」
「当然でしょ。ボクが男に見える?」
クールで落ち着いた口調は、むしろ少年風だった。が、見た目は間違いなく女性である。
「わかった。ルーティだな」
「ああ、ルーティだ。……多分。きっとルーティでいいはずだ」
「なんで自信なさそうなんだよ」
「寝起きで頭がはっきりしないんだ……っていうか、そもそも、ここはどこ?」
ルーティは周囲を見回した。
「海底洞窟の神殿だけど?」
「何それ?」
「おまえ、何も知らないのか? 五十年前のこと、何も覚えてない?」
「五十年前? 何のこと?」
「五十年前、勇者アマトがおまえの力で魔界門をくぐって、大魔王を倒したはずなんだが?」
レーデルの言葉に、ルーティは必死に記憶を探る。
「うーん……そんなことがあったような気もするけど……自分のことしか思い出せないな。記憶が抜けている……?」
「ならその話はいいや。それよりルーティ、おまえのこと、まったく手放せないんだけど、どうなってんだよ?」
「ひゃあああああ!?」
レーデルは像がくっついたままの手のひらを下に向け、思い切り振った。
ルーティは思い切り揺さぶられたが、落ちる気配はまったくない。常に身体のどこかが手のひらにくっついたままだった。
「ちょっと何すんの!? 目が回るだろ!?」
ルーティはレーデルの腕を這い上り、肩口に取り付いて耳たぶを思い切り掴んだ。
「痛ぁ! そっちこそ何しやがる!」
レーデルはルーティを捕まえようとしたが、ルーティは器用にレーデルの体表を這って逃げまくる。
二人を引き合わせる謎の力は、皮膚との接触でなくても効力を発揮していた。ルーティがレーデルの服の上、皮鎧の上を移動しても、滑り落ちることはない。
「へえ……。これ、どうなってるんだよ?」
セレナがルーティを捕まえ、引きはがすと、簡単に離れた。
しかしセレナが手を離すと、ルーティはまっすぐレーデルへ飛んでいき、ぺたりと張り付いた。
「なんだこれ? 磁石みてーじゃねーか!」
目を輝かせ、セレナはもう一度ルーティを捕まえた。
捕まえたまま駆け去り、十数メートル距離を置いてから、ルーティを手放す。
高所から放り出されたレンガのごとく、ルーティもまっすぐに「落ちた」。きれいに揃えた両脚が、たまたまレーデルの首筋に突き刺さる。
「オゲーッ! 何しやがるこの野郎!」
レーデルは悶絶した。ルーティの胴をわしづかみにして引きはがし、にらみつける。
当のルーティは楽しげに笑っていた。
「アハハハ! 分かってくれたかな?」
「分かるか! 一体何で俺に取り付いたんだよ!?」
「ボクは魔界門をくぐる鍵だからね? ボクを紛失して、魔界門をくぐれなくなったら困るだろ? だからボクには、一度ゲットしたら二度と捨てられない魔法がかかっているのさ」
「そんなことははっきり覚えてやがるのか! 捨てられないとか迷惑すぎる!」
「美の化身たるこのボクがずっとそばに付き添ってあげるってのに、何かご不満でも?」
「不満だよ! おまえ、見た目がきれいなだけで実質呪いのアイテムじゃねえか!」
「見た目がきれいって言ってくれるなんて嬉しいねえ。君には美を理解するセンスがある」
「あのなあ……」
レーデルはさらに反論しようとしたが、セレナが割り込んできた。
「ここで言い合ってもどうにもなんねーぜ? とりあえず洞窟出ねーか?」
「……それもそうだ。さっさと戻るか」
ふと我に返ると、どっと疲れが押し寄せてきた。祭壇に背を向け、レーデルは来た道を重い足取りで戻り始めた。
対照的に、ルーティは元気な声でレーデルに問いかける。
「さっき五十年前の勇者がどうとかって言ってただろ? ってことはボク、五十年眠ってたってことなのかな?」
「さてな。長いこと眠っていたのは間違いなさそうだが」
「じゃ、なんでレーデルはボクを起こしたのさ?」
「大魔王を倒すためだ。といっても俺はおまえを目覚めさせたことを既に後悔しているぞ」
「なんで後悔するのかなあ。ボクと一緒にいられれば、人生は間違いなく実り多きものになるよ」
「俺はそうは思わない。全速力で大魔王を倒して、一秒でも早くおまえを解呪してやるからな」
と、レーデルは誓いを立てた。
しかし、レーデルの目論見が実現することはなかった。それどころか、後々勇者の称号を剥奪されるハメになるとは、この時は夢にも思っていなかった。