歩いて移動することがきちんとイメージできるかって中世的世界の創造で大切
よく歩く。
主に週末だが、朝一番に7㎞くらい歩く。ほぼほぼ1時間くらいで歩ききり、けっこう汗も出る。
実際のところ、長く歩くことも昔はやっていて、40km以上歩いた経験が何度もある。朝から夕方までとか、夜を徹してだとか、かなりの時間をかけてだが。
1日に最大に歩いたのは約60km。地図上の見かけの距離が50と数kmで、昼食時間込みで8時間くらい歩きづめ、さらに到着した先で夕食と一杯ひっかけるのに徘徊して、そのくらいというところだった。
そういう経験をした人間の目で見ると、24時間テレビで100kmとかの超長距離のマラソンも、やってやれないことはないな~と傲慢に思ってしまう。
もちろん、100kmを24時間でこなす移動というのは大変である。だが、移動を管理するという視点をしっかり持つと、大感動をもたらすほどの困難なことでもない。もちろん、ランナーにそれなりに高い基礎体力があり、肉刺、肉離れなどの突発的なトラブルがないという前提はあるが。
例示してみれば、21時に出発して、翌日の21時に目的地に到着するという予定を立てることはできる。時速10kmの速度を維持するという条件なら、次のようなスケジュールになる。
00km 21時出発
10km 22時到着 休憩 23時出発
20km 24時到着 仮眠 02時出発
30km 03時到着 仮眠 06時出発
40km 07時到着 休憩 08時出発
50km 09時到着 朝食 11時出発
60km 12時到着 昼食 14時出発
70km 15時到着 仮眠 17時出発
80km 18時到着 休憩 19時出発
90km 20時到着
100km 21時到着
ラストは盛り上げのために2時間連続で走るが、それ以外は1時間走って、すぐに休憩を入れてというやり方で完走できてしまう。
時速10kmの維持に現実味があるか、ということになるが、「走る」なら「ゆっくり」である。
人間のスピードの目安はだいたい以下のような感じだ。
時速4km のんびり歩く
時速5km 普通か少し急ぎぎみに歩く
時速6km まあまあ速足で歩く
時速7km けっこうスポーツ感のあるウォーキング(自分の普段のウォーキング)
時速8km かなり気合いの入ったウォーキングまたは普通のジョグ
時速15km 50km競歩の世界最高記録並み
時速20km 世界クラスのマラソン級
時速36km 100m10秒フラット
時速10kmというのは、ジョグと競技レベルの競歩の中間くらいの速度であり、走る習慣のある素人ランナーが軽めに走ってるとか、競歩の選手の軽い練習レベルの速度だといっていい。
つまり、現実味のある速度で走りきれ、もう少し覚悟を決めて走れば、休憩を減らせるし、24時間かからずに走りきれるだろう。楽とは言わない。だが、しっかりと準備すれば、不可能事ではない。
これが普通のマラソンなら、もう少し楽になるw
たとえば、東京マラソンに一般ランナーとして参加したとする。この大会はゴールまでに制限時間があり、ゴール地点までに7時間以内に走らないといけない(節目の距離で、それを比例配分した制限時間があり、それに引っかかるとアウトである)。
東京マラソンは膨大な数のランナーが参加するので、隊列の後方に回された一般ランナーは、スタートラインを超えるまでに30分くらいかかるという。さらには、給水やトイレなどのロスタイムも入れると、6時間で走りきれということになる。
話を単純にするために、42÷6時間とすると、時速7kmを維持しろということだ。自分なら「何だ、普段のウォーキングのペースか」と思ってしまう。これならば、気合いを入れて6時間ウオーキングすればいい。時計をしっかりみて、節目の計測ポイントでヤバそうだとなったら走れば、何とかなってしまう。
長距離を移動することは、実際には怖くない。きちんと考えれば、距離に圧倒されることはないのだ。
体を鍛えることはもちろん大事なのだが、それと合わせてキチンと計算することこそが大切で、その計算通りに動けば良し。動けないときに、何か対策を考えればいいということなのだ。
そして、こういうことを踏まえていれば、中世的な世界で、交通手段が人の「足」しかないというところで、「宿場から宿場の歩き旅や軍隊の行軍も、小説のなかでリアリティをもって組み立てることができる」わけだ。
たとえば、普通の町娘が10里=約40kmをお天道様が空にあるうちに歩ききれるだろうか。
時速4㎞でとぼとぼ歩いて連続10時間、時速5㎞でせかせか歩いて連続8時間。春分~夏至~秋分の頃なら、計算上は可能だろう。
だが、現実には難しいだろう。休憩もいるだろうし、食事もいるだろうし、水も飲みたい。身一つなら、余計な負荷はかからないが、飲食物の調達は大変になる。自分のR-18小説の登場人物は、36km地点で力尽き、野宿をしようとして、男たちに捕まって手ごめにされる羽目になった。
個人の旅なら、本来は5里=20kmも行ければいいところ。特に長旅の途中であれば、翌日に疲れを残さないためにも無理はしないだろう。
軍隊の行軍ならどうだろうか。一人前の男たちなら問題ない……わけがない。
何しろ、今度は刀を持っていたり、槍を担いでいたり、兜をかぶって、甲冑を着込んで……となる。重いのだ。
となると、現代人ほどの体格のない中世~戦国時代の人間であるから、休憩を多めに入れて、時速5~6㎞を維持するのが精いっぱいだろう。
さらに、一人旅・少人数の旅ならともかく、数百、数千、数万の人間を動かそうとするなら手間もかかる。統制を取って歩かせ、無理をさせない。さもなければ、脱走が横行しかねない。何か意味のある軍事行動で、そのことを兵隊に納得させられるのでない限り、強行軍はやめておけと思う。
敵のいないと想定される地域での行軍ならば、夜明けとともに起きだし、身支度し、宿営地の後片づけと朝食後に、行軍序列に従って行軍を開始する。場合によっては、出立まで待たされるだろう。
そうして、昼過ぎには宿営地を定めて昼食。午後はその日以降の食糧の調達、宿営地の準備、食糧の分配などなどの雑事でつぶれてしまうわけだ。
さらに即戦闘が予想されるような場合には、なおさら疲弊しているわけにはいかない。
普通に行軍させるには、20~30kmで一区切りというところだ。
自分の小説では、双方の策源から20kmくらいのところを決戦地にし、多くの隊が朝一で出立し、正午に開戦したが、けっこうぎりぎりだったりするわけだ。
こういう風に徒歩での移動がイメージできるようになると、乗用動物や車のありがたみも理解できる。馬がトコトコとリズムよく歩ければ、時速8kmくらいで動ける。全隊が騎馬兵の一隊があるなら、かなり有利な戦略的機動が可能となる。
こういう速度で情報の伝達も規制される。では、それをどのように克服したら……という具合に速度と距離のことを考えていくと、なかなかネタは尽きないのだ。