99.そして、受け繋がる想いの在り方
過去に十兵衛さんがミスフェアへ来たことがある。
一見単なる海外旅行的なものかと思えるが、その実中々に重い意味がありそうでもあった。
なにより十兵衛さんは忍びである狩野一族の長。そんな存在がこの時代の航海に出るということは、一族のものにとっていらぬ危機感を煽らないとも限らない。なにより現実ほど整った海外移動手段もなく、一般的な船でとなればその危険度は計り知れない。
「私が乗った船は、元々ミスフェアとの交易船であり、何度も航海を重ねている信頼の高いものでした。だがいくら信頼が高くとも、何か不測の事態に見舞われてしまえば話は別です。航海も終盤となり、もう何日かでミスフェアへ到着するであろう。そう航海士より告げられた私達に、気の緩みがあったのでしょう。そこを突く様に激しい嵐に見舞われてしまった。いくら腕に自信があっても、海の上では何もできない。全てを航海士たちにゆだね、ただ祈ることしかできなかった。結果として船は激しく損傷し、当初の予定よりも大幅に到着が遅れてしまった。そして何より、生きる為にと大半の積荷を海に捨ててしまった。折角遠くよりやってきたが、その意味を全て失っての到着となったのだ」
沈痛な面持ちで過去の話をする十兵衛さん。その時の苦い思い出が色々浮かんでいるのだろう。
「更に悪いことは続いた。予定より大幅に伸びた航海日程により、私の体に原因不明な不調が生じた。予定通りの航海で、なおかつ食料も十分であれば起きなかったと言われた。私以外にも乗船していた航海士たちも何名か不調を訴えたが、その症状になれていなかったせいか私は特に重症だった」
十兵衛さんの話を聞いて、俺はその症状がなんとなく察しがついた。おそらくは壊血病──俗に言う『航海病』ってヤツだ。体内のビタミンC不足により、色んな栄養不足が連鎖していき、体組織や血管を損傷する病気。
激しい嵐に見舞われて疲労が高まっているのに、食料不足でまともに栄養もとれなかったはず。ならば予想だにしない病気になっても道理というものだ。
「だが、そんな厄介者でしかない私を、温かく迎え看病してくれた人達がいた」
「……それが、アルンセム公爵家の人達ですか」
「ええ、そうです。どうやら私は、航海士がよくかかる病に侵されたとの事。だが、既にその症状は重くなっており、とうてい回復の見込みはないといわれた。私はそこで、ようやく死へ向かう事を実感し、同時に覚悟もした。心残りは国においてきた一族、そしてなにより妻と娘たちだった」
娘たちとの言葉に、静かに話を聞いていたゆきの体が一瞬揺れる。当然今こうして無事でいるのだから、この後助かることは百も承知。それでも……という心情なのだろう。
「もはや私の衰弱した身体には、どのような治療を功を成さなかった。だが、最後に見取ってもらえる人達がアルンセム公爵家の方たちでよかった……そう思っていた。そんな私に、公爵のご令嬢ミレーヌ様が手を伸ばして触れた時にそれは起こった。霞みがかったような頭が一瞬で冴えわたり、体中に蔓延していた痛みなどは微塵も感じず、体調不良のすべてが一瞬で消え失せてしまった。それはまさに、奇跡としか言えない事だった」
ここまできてようやくエレリナさんの、ミレーヌに対しての気持ちが見えてきた。かつて自分の父親を掬われた御恩を返そうとしているのだ。それにしても、ミレーヌってそんなに強力な力を持ってたのか。ある程度知ってると思ってたけどまだまだだな。
そんな事を思ったのだが、その考えは次の十兵衛さんの発言で消えてしまった。
「だが、私に強力な神聖魔法で治癒を施したミレーヌ様は、当時まだ3歳にも満たない齢だった。苦しむ私のために無意識に強大な力を行使してしまったのだろう。その影響で、ミレーヌ様は自身が持つ強大な魔力を、自分の意思で魔法として使用することができなくなってしまった。彼女の未来を私が奪ってしまったのだ……」
納得した。確かにミレーヌ自身に内包された魔力はとても強力で純粋だった。だが、それを行使しての魔法を使役しない理由。そこには、しないのではなく出来ないという事実があったのだ。
「だから私はミレーヌ様と公爵夫妻に願い出た。この身朽ちるまで、この家へ尽くしたいと。当初は困惑もされたが、最後は私の熱意を認めてその願いを受け入れてもらえた。だが、一つだけ条件があった。今の私の責務をきちんと果たしてからにすると。要するに、一度彩和へ戻り一族の長としての役目を全うして、それでもまだその気持ちがあるのであれば、という事だった。要するに、それは私への気遣いを遠回しに行った返事だった。一旦彩和へ戻ってしまえば、その立場上そう簡単にはミスフェアへは来れないだろうと」
「……それでお姉ちゃんを代わりに行かせたの?」
じっと話を聞いていたゆきが、我慢できないという感じで聞いた。その発言に怒りも悲しみもなく、ただ淡々と事実確認をしているように見える。
「いや、そうじゃない。戻ってきた私は事の全てを皆に話した。そして、納得をしてもらってすぐにミスフェアへ渡るつもりだった。だが……」
「ゆらさんが、それを引き止めたんですね」
「はい。ゆらが言うには、私は一族の長なのだからここにいなくてはダメだと。御恩を返しにいくのは自分がすると」
「それで、ゆらさんが行くことを許したんですか」
「いや、許さなかった。ゆらの気持ちはわかったが、私も親としてそれを認めるわけにはいかなかった。だからゆらに条件を付けた。絶対にゆらが成し得ない条件を」
「……それは?」
「私と勝負して、勝てば許すと」
「えっ!?」
条件を聞いたゆきが驚きの声を上げる。どうやらその条件は、俺が思う以上に高い壁らしい。
「当時の十兵衛さんとゆらさんって、どのくらいの強さだったんですか?」
「……以前のゆらの実力では、何かいやっても確実に私の勝ちです。地力が圧倒的に違い、ゆらが勝つ要素が皆無でした」
「やっぱりそうだよね。それじゃあ、条件なんてあって無いようなものじゃない」
だが結果としてゆらさんは、エレリナさんとしてミレーヌの専属メイドとなっている。それはつまり、勝負に勝ったという事に他ならない。だからこそ、俺もゆきも疑問に思っているのだ。
「なら、どうしてゆらさんは今……。その、勝負は結局どうなったんですか?」
「勝負は──ゆらの勝ち、私の負けだ」
「えっ!!」
そうなのだろうとは思っていた。でなければ、今エレリナさんがミレーヌの傍にいる筈ないのだから。それでも圧倒的な差があった勝負で、どうしてそんな結果になったのか知りたかった。
「私とゆらの実力は差がありすぎた。まったく話にならないほどに。だが……」
言葉を切った十兵衛さんが少し笑う。過去の苦い思い出を、懐かしくしかし愛おしい、そんな風に思っているような気がした。
「だが、ゆらは絶対にあきらめなかった。何度退けても、その度に立ち上がり向かってきた。その内私も意地になってしまった。絶対に自分の不始末を娘に背負わせるものかと。その一心で勝負を受け続けた。それが一番正しいと信じて。だけど……いや、だから負けた」
「だから負けた……?」
「ゆらの想いに、心に負けた。私は過去の過ちを悔いて、それをずっと見続けて、ずっと後ろを見ていたのだ。だがゆらは違った。私の過ちを知り、その先を見据え、更なる未来の為にと。私のせいで力を失ったミレーヌ様に関しても同様だった。私がただこれからは守り抜くと言うだけに対し、ゆらは共に寄り添って強く前へ進もうとした。常に前へと進み続ける者と、過去に囚われ後ろばかり見る者、そんな両者の勝負は最初から結果は決まっていた。その事に気付いた時、私は負けた。ようやく、正しく負けることができた」
「それが、ゆらさんの想いと決意……」
「そうです。だから……だからカズキ殿、お願いします! ゆらを、ゆらをどうか!」
色々本当に納得した。
ゆらさん──エレリナさんの想い。
十兵衛さんの想い。
納得して送り出したとはいえ、自分の大切な娘の幸せを願わないわけがない。その気持ちが今の十兵衛さんを動かしているのだろう。今度は過去にとらわれず、ゆらさんの未来の為にと。まあ、それが俺に娶ってくれという話だってのは、少々気恥ずかしい所ではあるが。
それにエレリナさんの、少し過剰ともいえるミレーヌへの忠義。その根底にある想いがようやく理解できた。無論今はそれだけじゃないと思うけど、最初に形成された想いというものは間違いないだろう。
「わかりました。一度ゆらさんと話してみます」
「……ありがとうカズキ殿。感謝する……」
思わずゆきと視線を合わせる。そのゆきの表情に、どこか真剣な色味を感じた。
何か大切なことを決心したような、そんな表情に見えた。




