98.それは、希(こいねが)う親として
「……すまん、正直助かった」
「ううん、あたしもちょっと混乱してるし……」
俺の謝罪を、力ない笑顔で返事するゆき。ここは彩和の狩野の一室──ではなく、現実世界の俺の部屋だ。
先ほどの十兵衛さんの言葉で思わず絶叫してしまった後、どう気持ちを落ち着ければいいのか迷っていた時、背後のゆきがそっと俺の服を掴み「一緒にログアウトさせて」と囁いた。その言葉で瞬時に俺はログアウトをして、今こうしている。
「……実際に逃げ道がある選択肢ってのは、便利なものだな」
「まあこの場合は、たっぷりの時間稼ぎなんだけどね」
それでも頭を落ち着かせて、じっくりと考えるには十分な処置だ。あのままでもログアウトにたどり着いたかもしれんが、ここに今ゆきも一緒だというのが心強い材料の一つでもある。
「しかしお父さんったら、まさかあんな事言い出すなんてね。お姉ちゃんとカズキって、そういう話とか今までにあったりは──しないか。してたら今こんな状況じゃないよね」
「正解だ。俺にとってゆらさんは、確かに年上の頼りになる女性かもしれんが、それ以前に『エレリナさん』としてミレーヌに専属するメイドさんだ。普段の行いからしても、まずミレーヌとアルンセム公爵夫妻が第一で、そばにゆきがいたらそれも含むって感じだ。……自覚あるだろ」
「うん。まあ、その公爵夫妻……ミレーヌちゃんの両親だよね。そちらはまだ会ったことないけど」
「そうだったか。じゃあ今度ミスフェアとグランティイルを案内するよ」
「うん、ありがとう……って、今はその話じゃなく」
「そうだった」
つい話が脱線してしまった。これは多分嫌な事や苦手なものを、回避したくなる人間の性だ。ありふれたたとえだが、学生時代のテスト前とかの部屋掃除や買い物みたいなもんだ。
「ともかく十兵衛さんが、どういう意図であの発言をしたのか聞かないと。いくら自分の娘とはいえ、少し出しゃばり過ぎなんじゃないのかっていう気がする」
「同感よ。なんかお父さんってあーゆーこと苦手そうだし。さっきも話を切り出しにくそうにしてた」
そこは俺もひっかかる。娘が大切なのはわかるが、あの発言は単にゆらさんの年齢を考えた結果思い至っただけとは思えない気がした。
「ち・な・み・に~」
「ん?」
ふと声色の変わったゆきを見ると、ニヤリという擬音がとても似合いそうな顔をしてた。それはもう悪そうな顔で、見る人がみたらぞくぞくする良い笑顔だ。
「カズキ的にお姉ちゃんはどう? あり? なし?」
「あのなぁ……」
「ごめん。でもちゃんと聞きたい。できれば真面目に答えて」
ちゃかすなよといいたかったが、一転ゆきが真面目な顔を見せる。姉妹そろって重度のシスコンだ。
「カズキがお姉ちゃんを嫌ってない……ううん、好き嫌いなら好きだってのは十分知ってる。でもその方向性はどうなんだろうって思って」
「俺にとってのゆらさんは……そうだな。やっぱりまず『エレリナさん』って事だ。常にミレーヌの側にいて、気遣ってくれる優しいお姉さんって所だ。まあ、ちょっとばかり戦闘技量が高いとか、姉妹そろってシスコン過多だってのもあるけど」
「……最後のは聞かなかったことにしてあげる」
「ただまあ、やっぱりイメージとしてはアレだ。アルプスの少女のロッテンマイヤーさん」
「うわっ、例えるにしてもソレもってくる? あの人って家政婦だっけ?」
「家政婦長だよ。だからエレリナさんのイメージは、アルンセム公爵家の中心にいるメイドさんって感じかな」
「……要するにカズキは、お姉ちゃんに恋愛感情は無いってこと?」
「今のところは。もちろん尊敬してるし、好意は持ってる。けど多分感謝とか、そういった意味合いでの好意なんだと思ってる」
「りょうかーい。カズキがラノベ系にぶちんキャラならどうしようって思ったけど、そういう訳でもないみたいね」
やれやれという感じでため息をつかれた。だが、色々と話している間に結構落ち着いたのも事実だ。
「そろそろ戻って、十兵衛さんに発言の真意を聞いてみるか」
「そうね。ただの思いつきにしては、少しやりすぎだわ」
十分なクールタイムを経て、俺達は戻った。さすがに間隔をあけすぎると、思考が話題を置いてけぼりにしてしまいそうだったからな。
「……ちょっと驚きました。すみません、騒がしくして」
「あ、いや。こちらこそ突然寝耳に水な発言、ご容赦を」
思った俺の視線に映るのは驚いた顔の十兵衛さん。おもいっきり絶叫してすぐにログアウトをしたんだったな。
お互いに頭を下げる。どうやら思わず声をあげてしまい、それで冷静になった……みたいに受け取ってもらえてるようだ。ならばそのまま色々と話をしてもらおう。
「十兵衛さん、色々と聞きたいのですが……よろしいでしょうか?」
「はい。あのような事を申し上げた手前、どのような質問にもお答え致します」
「わかりました。ではまず、先ほどの発言ですが……なぜあのような事を?」
まず何よりそこが知りたい。さすがに差し出がましいと思える行動が、どうにも十兵衛さんのイメージにそぐわないから。
俺の問いに暫し沈黙する。だが先ほどの言葉もあり、十兵衛さんは重い口を開く。よほど大事な話なのだろう、姿勢を正し言葉も丁寧になっている。
「ご存知の通りゆらは海向こうの大陸の国、ミスフェアで公爵家へご奉公に出ています。それ故に既に婚期は過ぎ、このまま独り身で生涯尽くして生きるのだと思っていました。しかし、向こうで世話になっている公爵家のご令嬢がカズキ殿に嫁ぐとの事。しかもそのカズキ殿は、後々領主となり更には国を立ち上げて一国の王へとなると。なによりそのカズキ殿にはうちのゆきも嫁ぐ予定。ともなれば、是非ともゆらも一緒に貰ってはもらえぬか。……そう考えた、愚かな親の心情です」
十兵衛さんの言いたいことはわかる。
エレリナさんの年齢はたしか20代半ばだと聞いてる。この世界ではそれは、既に婚期を逃してしまった扱いにされる。そんな中。自分の仕える主と妹が、同じ男に嫁ぐことになった。当然主の専属メイドとして、その結婚後も生来を共にするのであれば、その男に嫁いでしまってもかまわないだろう。そういう心情になっても不思議ではないかもしれない。
理解はした。でも、やっぱり納得はしかねる。
「十兵衛さんの思いは理解しました」
「では……」
「ですが、まだ納得はできません。いくら親であっても、十兵衛さんの申し出は行き過ぎです。正直あなたがそんな我が儘を、自分の身勝手で言い出すとは思えない。……十兵衛さん、まだ話してくれてない事があるんじゃないでしょうか」
俺の言葉に、体を硬くして顔を下に向ける。正直な人だ。これだけで何かまだあるとわかってしまう。だからこそ、きちんと話を聞いておかねばとも思える。
「少し、長くなりますがよろしいですか?」
「お願いします。それを聞かない事には、私達の話は先に進みません」
先に進まないといった瞬間、少し驚いたような目を向けられた。だがそれも一瞬。すぐさまいつもの雰囲気にもどり、ゆっくりと話始めた。
「私は嘗て海を船で渡り、ここよりはるか遠くの地へ出かけたことがあります」
「海を渡った遠くの地……もしかして」
答えは予想がつく。だが、思わず聞き返していた。そして帰ってきた答えは、予想通りだった。
「はい。ミスフェア公国です」




