395.そして、想うべき者六人目
大陸の東側国家による、国家間バランスの傾倒を危惧する故の婚約申し込み……先程の話ではそういう事になる。本音を言ってしまえば、そういう理由で──というのはちょっと心苦しい。なんというか、そこに信頼みたいなものが無いように思えてしまって。
もっとも、この世界だけじゃなく現実世界であっても、そういう政治的な意味合いでの婚姻は皆無じゃない。むしろ強大な力を保持する組織であれば、そういう事例の方が多いのかもしれない。
そんな考えが顔に出ていたのだろう。フローリアが俺を見て、「しょうがないですわね」という顔を見せる。
「カズキ、忘れていませんか? リスティとの婚約に至る理由が一つでは無い事を」
「……そうだった。それで、他の理由というのはまだ幾つか……?」
「どうですか、リスティ王女」
質問する俺の視線をうけたフローリアは、いくらか真剣な眼差しをリスティへ向ける。あえてリスティ王女と呼んだのは、そこに関わる大きな意味があるのか。
問われたリスティはフローリアから視線を俺に移し、しばしじっと見つめてくる。
「いいえ、理由はあと一つです。そして、これが私にとって一番大切な事です」
そう告げると、一つゆっくりと深呼吸をする。改めて俺を見るその瞳には、強い意思が十分に感じられた。
すっとその場に立ち、おなかの前で手を重ねる。
「私リスティ・イルク・ラウールは、カズキ・ウォン・ヤマト国王をお慕いしております。未熟でありますが、どうかこの想い……受け取りくださいませ」
そしてゆっくりと頭を下げる。その動作は王女や令嬢が行うカーテシーではなく、俺にとっては見慣れたお辞儀──立礼だった。
その所作と発言が相まって俺は暫し言葉を失ってしまう。
「…………カズキ?」
「えっ、あ、うん。驚いて言葉が出なかった」
素直にそう述べながら、脳内では今自分が告げられた内容を思い返す。リスティが俺の事をお慕いしている──端的に言えば、好きだという事実。
これまでの会話などから、ある程度の好意は向けられているとは思っていたが、やはりこう真正面から言われると色々と思う所があるわけだ。
脳内整理をしている俺に、フローリアがどこか楽しげな声で話しかける。
「リスティは、カズキが彩和とよくにた文化を組んだ国の出身と聞き、エレリナにちょっとした作法などを習ったりしていたのですよ」
「ちょ、フローリア! そういう事は言ったらダメなんですよ!」
「うふふ、それが違うのよ」
慌てて声を上げるリスティに、どこ吹く風とフローリアが返答する。
「殿方というのは、そうやって『自分の為に何かを成そうとする』という事に、ついクラッときてしまうものですのよ。ね、カズキ?」
「あ、ああ、そうだが……って、いやいや! 今のはその……」
「あぅうう……」
虚を突かれた俺の発言に、リスティが顔を赤くして戸惑いの声を漏らす。確かにその所作は可愛いというか、悪い言い方をするとあざといとでも表現すべきか。
ただ少なからず彼女を知っている俺から見れば、それが計算ではなく彼女の素であることは理解している。だからこそ、フローリアの言うように効果的なのだが。
ともかく、彼女の俺に対する気持ちは理解できた。そして彼女としては、その想いこそが俺との婚約へと至った重要な部分であることも。
ただ……やはり俺としては聞いておきたい事がある。
「リスティ。その……いつから、ですか?」
「えっ。そ、それは……」
どこか要領を得ない俺の質問だが、彼女は戸惑いではなく焦りや照れの表情を浮かべる。それは質問の意味──“いつから俺のことがすきなのか?”──が彼女にも伝わっているという事に他ならない。
ちらりと視線を俺に向けたあと、今度はすがるようにフローリアたちへ向く。だがそこで待っているのは優しげな笑みのみ。最後に姉であるアミティ王女へ向くと「大丈夫よ」と優しい声が返ってきた。
それをうけて、もう一度こちらに視線を向け、
「──初めてお会いした時から気になってはおりました」
ゆっくりと話し始めた。
「初めてお会いしたのは森で偶然出会ったの日でした。ですが当時の私は既に、フローリアからカズキの事は色々と聞いておりました」
「えっ、そうだったの?」
「大丈夫ですよ。変な事は言ってませんから」
ニッコリと返事をするフローリアだが、そこは暗に「聞いたらダメですよ~」という雰囲気が多分に押し寄せてきている。……うん、話を進めてもらおう。
「私にとってフローリアは立場や境遇が近しいこともあり、幼きことからの親友であった。その彼女が自慢するほどの存在……気にならないという方が無理だった。そんな折、あの森での出会いだ。魔物に襲われている私達を、カズキたちが駆けつけて守ってくれた。そこから、私の中で“親友の想い人”から、徐々に“気になる異性”となってしまっていった……」
そこまで言ってこちらを見たリスティは、恥ずかしげに視線をそらしてしまう。いやまあ、こうなると俺も恥ずかしいよ。こんな風に恥ずかしがりながら、まっすぐに思いを向けられているんだから。
「そして……やはり私の気持ちが明確に、自分でもハッキリと自覚したのは……あの洞窟です」
「洞窟……というと、ミスフェア公国の洞窟から飛ばされた?」
「はい。あの時、あの場所、そこで私は気付きました。貴方が……カズキのことが好きなのだと」
「…………そうか」
俺もあの時の事はよく覚えている、なぜならば──
「それからですか? お二人がお互いを名前だけで呼び合うようになったのは」
「そうですね。私もリスティが男性にあんな風に名前を呼ぶ許可を出したのは初めてだったので驚きましたわ」
今までじっと話を聞いているだけだったミレーヌが、しれっと重要な発言をする。それに乗っかりフローリアも発言する。
要するに洞窟で自分を“王女”ではなく“リスティ”と呼んで欲しいと言った時、彼女の心の中では想いが形作られていたとか。今ならまだしも、当時の俺はまだ公爵の地位にいて、普通ならば王女の……特に他国の王女の名前を気軽に呼べる立場じゃない。
そんな彼女から俺へと向けられた気持ちの表れだったのだ。
「ありがとう。俺もリスティのことは嫌いじゃない。いや、むしろ非常に好ましいと思っている」
「っ! でしたら──」
俺の言葉に喜色の笑みを浮かべるリスティ。だがお互いの立場もあるし、特に俺は自身の一存で決められるものではない部分が多々ある。
「だが俺は、知っている通り既に五人の許婚がいる。そんな俺と──」
「それなら大丈夫ですよ」
「──へ?」
俺の言葉に遠慮なくかぶせられたフローリアの声に、俺は思い切り思考停止する。
「……えっと、大丈夫とは?」
「ですから、私達は皆リスティの気持ちを知っておりますよ。それでいて、彼女がカズキの許婚に加わる事にも理解を示しているという事です」
「………………はぁ!?」
今日何度目の思考停止だろうか。
つまりこれは……デキレース? 予定調和? えっとえっと……。
「それともなんですか? カズキはリスティとの婚約は嫌なのですか?」
「えっ……」
フローリアの言葉に不安そうな目を俺に向けてくるリスティ。その表情がとても不安げで、普段の彼女とは違う儚げな感じがした。
「そ、そんな訳ない! リスティはその……うん、好き……だ」
「カ、カズキ! 私もです!」
表情を一転し、パァッと華々しく満開の笑みを見せるリスティ。それがまた可愛らしくて思わずドキッとしてしまう。
「それならば問題はないでしょ? 政治的にも、本人の意思的にも」
フローリアの言葉を、ゆっくりと噛み締める。確かに政治的な判断でいえば、この婚約は意味が大きい。
だが、それ以上に本人の気持ちがそこにある。ならば俺も、その気持ちにしっかりと向き合い応えるべきだ。
ゆっくりとリスティの隣に歩いていく。
「……リスティ」
「はい」
「俺は──カズキ・ウォン・ヤマトは、貴女──リスティ・イルク・ラウールとの婚約を喜んでお受けいたします」
「…………はい」
そっと伸ばされた手を、両手で暖かく包み込む。手をしっかりと握られたリスティは、目に涙をたたえてこちらを見る。
「どうぞ……宜しく、お願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そのまますっと体を預けてくるリスティを手を回して抱き止める。
そんな二人を祝福するように、温かな拍手が送られたのだった。




