39.そして、好奇心の逢瀬
以前、現実世界へフローリア様と来た時、こちらの世界にいるときは身分を忘れて、仲の良い友人として振舞うようにしていた。
その中でも顕著だったのは、名前呼びの敬称略。こっちにいる間はお互い『フローリア』『カズキ』と呼び捨てていた。
その事を俺はすっかり忘れていたが、フローリア様は覚えていたらしく、ミズキをからかうようにしてその事を伝えてきたのだ。まったく、油断も隙もないとはこのことだ。
その事を伝えなんとか納得してもらったが、最終的な落としどころとして、
「それならこの三人だけの時は、呼び捨てで過ごしましょう!」
というフローリア様の……いや、フローリアの提案により、明らかに三人だけの時は身分の上下なく接することとなった。
そんなわけで、少々余計な時間をとったがようやく休憩だ。
俺の部屋については、以前に二人とも泊まったこともあり、お手洗いなども理解しているので安心だ。
又、今回は先日色々と掃除もしたので、隣の空き部屋には布団を二式用意しておいた。
他にも……
「ハイ、これ飲んでみて」
「ん? 何これジュース?」
「なんでしょうか。淡い黄色ですね……」
「グレープフルーツのジュースだよ」
向こうの世界にはグレープフルーツはないようで、名前を聞いても知ってる素振りはない。とはいえ、喉も渇いたのか素直に手にとって一口のむ。
「え? すっぱい……という感じですが、でもなんというか爽やかな……」
「何コレ? なんか不思議な味がする! えっと、グレ、グレ……何?」
「グレープフルーツ。こっちの世界では一般的な果物だよ」
「ふーん。……でも、なんかクセになるね」
「はい。あと、何か体に良さそうな気も……」
その言葉を聞いて、聞きかじりの曖昧な知識だがつけたしをする。
「そういやグレープフルーツは、疲労回復とか身体にいいらしいな」
「へー」
「なら、今の私だちにピッタリですね」
「あと美肌効果とか」
「なんっ!?」
「ですと!?」
一際大きな声をだした二人は、そのままぐいっとグラスを煽って一気に飲む。
そして空になったグラスを俺の方へ突き出し、
「「もう一杯ッ!」」
……いや、絶対もう一杯で終わらす気ないだろ。あと、そんな暴飲したらアカンよ。
というわけで、もう一杯だけという条件でおかわりを許可した。何か未練たらしい目で睨まれたが、あんまり飲みすぎると逆に良くないからね。後、色々大変になるし。
「さて、それじゃあ行くよ」
あの後、二杯目のジュースをじっくりと飲み干して、俺達はインした。
すぐにスレイプニルを呼び出し乗馬するが、今度は一番前にミズキが座る。どうやら休憩などのタイミングで、前後交代する取り決めらしい。それに二人はさほど背丈に差が無く、少し横にずれれば前も見えるので何も問題ないようだ。
再び走り出し、すぐに周囲の景色が物凄い速さで流れ出す。
当初は、もっと移動が怠慢になるのかとも思ったが、二人が思いのほか会話が弾み、それを聞いてるだけで結構時間がつぶれる。たまに話しかけられると、ついていけない時もあったりするけど。
「……ミズキの髪の毛って、なんかいい香りがしない?」
「え? わ、私の髪の毛が?」
「はい。なんというか、こう……ほのかな……すんすん、柑橘系の果物、みたいな……」
「ちょ、フ、フローリ、アッ、くすぐったい」
ミズキに後ろから抱き着いているフローリアが、そのまま後ろ髪の香りを嗅いでいる。その状態でたまに言葉を発するせいか、息が首筋にかかってくすぐったそうだ。
なんかこう……子犬子猫のじゃれあいでも見てるような気分だ。
「何か特別なもので、髪を洗ったりしてますの?」
「いや、特に何かかわってものは……って、もしかして」
「なんですの!? 何か重大な秘密ですか!」
「秘密というほどではありませんが、私の髪の毛はお兄ちゃんが持ってきた、髪の毛専用の液体で洗っていたなぁと」
「カズキの特別製ですか!?」
ミズキに抱きついたまま、ぐりんと此方に顔を向けるフローリア。少しばかり眼力が真剣すぎて、ちょっとひきます。
尚、洗髪剤についてだが俺が特別用意したわけではない。LoUの仕様でマイルームに設置されている風呂にある洗髪剤が、最初から柑橘系の香りがするものだったのだ。
「現実の世界の風呂場にも同じようなものがあるから、今日の夜は使ってみるといいよ」
「本当ですか! 本当ですね! 約束ですよ!」
「あ、私も使う!」
「はいはい」
ちなみにマイホームで使っている洗髪剤だが、少しばかりズルい方法で入手している。
というのも“マイホームの備品”という大雑把な括りをしていたおかげで、棚から取り出した後扉を閉めると内部で配置リセットがかかり個数が初期化されるのだ。まあ、要するにいくら使っても元通りってわけだ。意外なところで地味なチート効果だが、まあこれくらいなら内緒にしておいたほうがいいだろう。
ちなみに家族からは、俺がなにか妙な仕掛けをして補充をしてるくらいに思われている。
こんな感じでしばらく雑談と共に進んでいく。先ほどの休憩から、そろそろ2時間ほど経過しているハズだ。
そうなると一旦休憩し、今度は昼食も兼ねた休憩をとったほうがよさそうだ。
そう思った時、スレイプニルから前方に何かいると察知した感覚が伝わってきた。現在スレイプニルを召喚したのは俺なので、こういった時は逐一伝達するようにしてある。
しかし少し進むと、それが普通に走行している馬車だとわかる。まあどちらかといえば、俺達よりもそっちの馬車のほうが普通なんだよなぁ。
「前方、少し先に馬車がいる。といっても普通に走ってるだけだ」
「お兄ちゃん、わかるの?」
「ああ。といっても、このスレイプニルが教えてくれた」
「そうなんですか。すごいですねスレイプニルさん」
感心したフローリアがやさしく背中を撫でる。その触り方は本当に愛情がこもっており、おそらくは愛馬のプリマヴェーラに接するようにしているのだろう。あのプリマヴェーラは、純粋にこっちの世界の馬なんだが、フローリアに愛されているせいか随分と利口な馬に思える。
そうこうしているうちに、視界の先かすかに馬車が見える位置にまできた。
よくこういったシチュエーションでは馬車襲撃イベントとかあるのだが、実際そうそう出くわすものじゃない。事故事件にあう馬車と、あわない馬車とでは、比較するのも馬鹿らしいほどの件数差がある。
「どうしようか。普通に横を高速で抜き去ると、なにか怪しく思われるかもしれないな」
「それじゃあささっと追い越すことできないの?」
「……いや、いっそのこと思いっきり飛び越してみるか」
「思いっきりというのは、どういう意味でしょうか?」
「それは……こういうことだっ!」
スレイプニルへ主として指示を出す。それによって、瞬く間に上空高くへ跳躍……いや、飛翔する。
「「きゃあああああああああ!?」」
視界の急激な変化と、さすがに少しばかりの加重により、驚いて声をあげてしまう二人。
「お兄ちゃん! びっくりするじゃない!」
「そうですわ! カズキは意地悪ですっ!」
「まあ、そう言うなって。……ホレ、みてみろ」
「え? うわあ……」
「すごい景色です……」
はるか高みから見下ろす景色。同じように見下ろすことは、アルテミスの視界を借りてみたことがある。だがやはり自分自身の目で見ると、その景色はまるでちがう。
それは俺も同じだ。高層ビルや観覧車のような施設から見るのと、こうやって空の息吹を感じてみる景色は、同じわけがない。
「さて、ずっと見てるわけにもいかないぞ。馬車を追い越したら昼休憩だからな」
「うん!」
「はい!」
元気な返事が二つ、何も遮るもののない澄み切った大空に響いた。




