385.そして、出発前の一休みに
皆の所へ戻ると、十兵衛さんや狩野の方々からすごかったとの声をかけられた。言葉には笑顔を返したが、やはり心の中ではどうにも笑顔を浮かべられなかった。
宿の部屋に戻り、一人そっと先ほどの事を思い返す。思えば異世界に来てからというもの、時々先ほどのように我を忘れる場面がある。それもきまって、大切な人が危険にさらされたと感じた時だ。
人が感情によって行動することは悪い事じゃないと思う。だが、さすがに先程のを善し悪しで言えば……ダメだろうなぁ。そんな事を考えていると、入り口の襖から軽くたたかれる音がして声がかけらた。
「すみません」
「えっ、あ、はい」
自分の考えに没頭していたせいか、すぐ傍に人が来ていることに気付かなかった。それと顔が見えないとはいえ、急に声をかけられて驚いたというのもある。
にしても、和式建築で襖なんだから普通はノックとかしないのでは? だが、入ってきた人物を見てなんとなく納得した。
「あの……カズキさん、少しお話……いいですか?」
「……うん。いいよヒカリちゃん」
やってきたのはヒカリちゃんだった。おそらく実家に襖とかもなく、入室マナーはノックという感じの子なんだろう。
とりあえず部屋に招き入れ、卓袱台を挟んだ反対側に座らせる。適当にストレージから紅茶あたりを出してあげる。彩和の人なら緑茶だろうけど、彼女のドリンク感覚は俺たちと同じだろうし。
「どうぞ」
「すみません、頂きます」
緊張しているのか、出した紅茶にすぐ口をつける。二口ほどのんだところで、落ち着いたような感じを見せた。
「……えっと、それでお話っていうのは?」
「あ、はい。というかですね──」
落ち着いたところは話を聞いてみたところ、正確には彼女自身には特別話は無いらしい。ではどうしてやってきたかというと、どうやら“俺が先程の様子を皆に見せて気にしている”ということを、ゆきをはじめ皆に言われたからだとか。
ただ、自分は特に含むようなこともなく、ただ……いわゆる俺のケア的に足を運んでくれたということらしい。うう、なんだか気恥ずかしい。
「あー……その……悪かったね。さっきはちょっと気が動転してね」
「それって、ヤオちゃんが襲われたから……ですよね」
「……まあね。俺って、どうにもこっちの世界だと、自分が大切に思っている人に害意を向けられるととたんに沸点が低くなるみたいなんだよね」
「へぇー……」
実際のところ、現実世界でこんな生命に関わる危機に直面したことないから、どうなんだろうかってのもあるにはあるけど。
どこか感心したかのような返事をするヒカリちゃんに、俺は少しだけ緊張しながら聞いてみた。
「……そん時の俺って……怖かった?」
聞きながら思い出すのは、あの時ミズキが言った『さっきまでのお兄ちゃん、ちょっと怖かった』という言葉。こっちで一番長くいるミズキに言われたその言葉は、思った以上に俺の中では気になっていた。
そんな俺にヒカリちゃんが返したのは──
「そうですね……何というか……格好良かった?」
「…………え?」
ヒカリちゃんから出てきた感想に、毒気を抜かれたような声が出てしまう。ミズキが『怖い』といっていた状況を『格好良かった』と言ってくれるとは。
「ええっと……そう、かな?」
「はい。何て言うんでしょうねぇ……大切な仲間のために凄く怒るとかって、何かアニメとかラノベとかそういう感じでしかあんまり見た事なくて……」
彼女のモノの例えを聞いて、ゆきと同じようにオタ気質……サブカル好き? という感じなんだろうと感じた。そんな事を思っている俺に、さらに彼女が言ったのは。
「うまく言えないけど、ありふれてるけど王道! ……みたいな? どこか、見てみたいなぁ~っていう感じがするものだったんですよ」
「あー……うん、えっと……なんとなく分かる」
そんでもって、改めて言語化されると恥ずかしい。ただ、ヒカリちゃんがそういう感じに受け取ってもらえたのは良かったと思う。変に怖がられたりするのは、今だけじゃなく今後の事にも影響してくるだろうし。だっていってみればゆきの妹だし、現実世界じゃ隣の部屋に住んでるし。
……そうか。今の俺にとってのヒカリちゃんは、もしかするとゆき以上に価値観が近しい人物なのかもしれない。そう思ったら、親近感にも似た感情がよりわいてきた。
「…………そっか。うん、ありがとう」
「へへ~、どういたしまして?」
ニカっと笑うヒカリちゃんは、顔は違うのにやはり雰囲気がゆきと似てた。それがまたほほえましくてこっちも笑みを浮かべる。
……よしっ。せっかくだからちょっと辛気臭い空気はここまでだ。
「それでどうかな、こっちでの旅行は」
「あっ! うん、楽しいよねぇ。友達と卒業旅行もしたけど、それとはまた全然違う感じで楽しいし」
そうえいばヒカリちゃん、大学入学のために上京したって言ってたな。その前にお別れ会の意味も含めて友達と卒業旅行をしたのか。
「それにここ……彩和だっけ。なんだかものすごい江戸時代っぽいよね?」
「そうだね。俺らがいるこの辺りは尾張三河の辺りで、中には史上で目にしたことある名前の人とかもしたりするし」
その中でも松平広忠なんて人物は、こっちじゃ10代の女の子だし。君主でありながらミレーヌの大親友だと教えたら、いつか自分も会ってみたいと言う。このあたりのお手軽感覚が、あっちの世界の人なんだと痛感する。いわば首相とか大統領とかに、お友達感覚で「会わせてー!」って言ってるようなものだし。
そんな感じで和みながら話していると、廊下を進んできた人が襖の向こうへ立ち止る。そしてそのまま声をかけてくる。
「朝食の準備ができましたのでどうぞ」
「あ、はい。わかりました」
俺が返事をすると、そのまますっと立ち去っていく。それを見ながらヒカリちゃんは「あー……襖ってノックしないんだ」と漏らしている。多分先程自分でも、襖をノックするときに疑問を持ってたんだな。
「……よし、それじゃあ朝食に行こうか。十兵衛さんへの挨拶も済んだし、いよいよ温泉地へ向けて出発するよ」
「おーっ! 了解ですよ、ふふっ」
可愛らしくお茶目な感じに、敬礼をしながら返事をするヒカリちゃん。それだけで楽しみにしているのが十分伝わってくる。
もちろん、俺も非常に楽しみにしているけどね。
更新が遅くなりました。
テレワークに少々慣れず、身体疲労が大きく執筆が遅れました。




