370.そして、俺は決断を下す
グランティル王国の女王様がご懐妊、それも男の子──第一王子であるという噂は瞬く間に各国を駆け巡った。大陸の中でも大国とされるグランティル王国の世継ぎともなれば、これ程の情報伝達はむしろ当然というべきか。
中でもフローリアと仲良しの王女姉妹がいるラウール王国は、フローリアがよく遊びに行く為にどの国よりも速やかに広まっていった。
こうなってくると人々の関心事は、これまでグランティル王国の王位継承権の最上位にいたフローリアに向いてくる。筆頭でありながら、他所の領主──要するに俺──と婚約をし、王国での立場が不明瞭になっていた彼女。だが彼女自身は王国のみならず、他国からも愛される人物であったため、今回の第一王子ご懐妊の報は別の見方をすれば彼女への祝福も兼ねたものでもあった。
フローリア自身もそれを自覚しており、各国の賓客に祝いの言葉をもらうたび、
「これで私も安心してヤマト公爵と一緒になれますわ」
という言葉を笑顔に添えて返答していた。事実上の王位継承権破棄宣言だが、そんな無粋な物言いをする者は当然いない。皆が素直に彼女と王家を祝福した。
そんな祝いの雰囲気も、半月もすればだいぶ収まってきて、一月も経過すれば人々の生活もほとんど以前と同じ感じに戻ってきていた。
その間にもヤマト領はいろいろと整備が進んだ。
まずかねてより計画していた学校。これが正式に開校の運びとなった。学校といっても、現実世界にある小六中三の義務教育学校ではない。どちらかといえば塾などに近い感じがする学び舎だ。この世界の人は文字の読み書きや計算が結構苦手なのは、そういった事を教える人も場所も少ないからだ。むしろ教会などで養われている孤児のほうが、文字を読み書きが出来たりする程だ。
領地も広がり、それに伴って住居施設なども新たに増築した。それらもすべて上下水を完備し、新たに入居してもらった人たちにも歓迎されている。そしてそういった居住区の広がりに合わせ、食品などを扱う店を集めた区域なども設けた。肉や野菜、調味料などのほか、ミスフェアとの交易により魚などを取り扱ったりもした。これにより、領民の主婦たちが買い物とおしゃべりをする場所が出来上がった。ご婦人の井戸端会議もこれではかどるってものか。
施設だけでなく、役割が変化してきた人々もいた。
両ギルドのマスターである二人は、残念ながらというべきは今のところ変化はない。だが、ユリナさんが王都のサブマスターに指名したルミエさんは、グランティル王国騎士団副団長のアデルさんと結婚した。なんでも二人は幼馴染で、もともと恋仲であったが王女様ご懐妊のお祝いにあやかって一緒になったとか。おかげでしばらくはユリナさんからのせっつきが厳しく大変だった。
そんな冒険者ギルド模様だが、ヤマト領で最初にギルド所属したアリッサさんたちだが、この度彼女たちだけで古城クエストのクリア──デーモンロードの討伐を達成したとの報告を受けた。それまでは俺やミズキ達以外には、デーモンロードを倒せる冒険者はいなかったので、これでいよいよ彼女たちも、名実ともにヤマト領最高峰の冒険者だと喜んでいた。
人も、街も、国も、時の流れとともにどんどん変わっていく。その変化は、時に目を見張るほどに素早く、そして儚い。
それを実感しながら、俺は想いの整理をしたくてずっと星空を眺めている。
「……今日はいつにも増して思考に耽っておるようじゃな」
なんとなく意識が緩んだところへ、狙ったかのような声が耳に届く。
今俺は自宅の屋上にある露天風呂につかりながら、瞬く夜空を眺めていたのだ。当然この場所には、当たり前のように手酌をたしなむヤオがいる。何かしらの用事でもない限り彼女がここを離れることはなく、むしろ屋上の露天風呂にお湯が貼ってあれば居ると思え! くらいの感じで入っている。
「まぁ、俺もいろいろと考えることがあるんだよ」
「考えるのは別に構わんが、迷う事と迷っている格好をするのは別じゃぞ」
「…………どういう事だ?」
「どうもこうも、そのまんまじゃ」
俺の言葉をなんの衒いもなく切り捨てるヤオ。ただ、自分でもわかっていることである。わかっていても、踏み出せない気持ちというのは存在するのだ。
「自分でもわかっているんだ。元々このヤマト領だって、最初から国を……大和国にすると決めていた。その為の準備もしてきたし、今や何の問題もないだろうと思っている」
「なら問題ないじゃろ。とっとと領民たちに『国になるぞ』と御触れを出せばよい」
何でもないという感じで言うヤオ。実際その通りなのだし、それ以外の選択が無いのも事実。でも……という感じで、何か踏み切れない自分がいるのも事実。
「……のう主様よ。主様は以前自分を『神みたいなもの』と認めてたじゃろ。そんな主様が何を迷って居るんじゃのう。別に民を虐げるでもなし、好きにすればよかろうて」
「それはそうなんだが……神様にも知らないことがあるんだよ。俺みたいななんちゃって神様なら、明日どころかこの後すぐの事すらわからないんだから」
自嘲気味に言って、領地を見下ろしていた視線を再び夜空へ戻す。
「この後すぐの事なら、私にはわかりますよ」
「へっ!?」
「おっ、フローリアか」
「どうもヤオ様。あ、お注ぎいたします」
声に驚き振り向くと、そこにはバスタオルのみを巻いたフローリアがいた。そのまま湯舟につかり、ヤオの盃に酒を注ぐ。驚いた俺を見て楽し気にクスリと笑った。
「ホラホラ、カズキもここに来て下さい」
「あ、ああ……」
なんとなくフローリアの言葉に導かれて彼女の隣に座る。そっとフローリアが腕にもたれてきて、触れ合う肌に思った以上に動悸が早鳴るのを感じた。
そのまましばらく星空を眺める。だが俺の中では先ほどの彼女の言葉がずっとめぐっている。この後の事ならわかる──そう彼女は言ったのだ。
「えっとその、フローリア──」
「カズキ、私もそろそろかなって思うんですよね」
意を決して口を開いた俺の言葉を遮るフローリア。偶然ではなく故意なのは明白だが、彼女が意味もなくそんなことをするはずないだろう。
「えっと……何が?」
予想はできるが、俺は念のために聞いてみる。
「ふふっ、もちろん結婚ですよ」
「うっ……」
そして案の定、返ってきた返答に言葉が詰まる。
フローリアとの結婚──それはかねてよりの約束であり、そもそもすでに婚約者として大々的に発表もしている。何より以前その座をめぐり、王都で大いに宣言をした事も人々の記憶に残っている。
そんな彼女との結婚において、一つどうしても叶えておきたい事があった。それは国の独立であり、自分が王として彼女を迎えたいということだった。
その事はフローリアのみならず、他の婚約者であるミレーヌをはじめとする皆も知っていること。でもだからといって、俺の国を立ち上げろとせっつくような事はなかった。
だが今、フローリアは言ったのだ。そろそろ自分も結婚したい──と。
そこには往々にして「国を立ち上げる時期ではありませんか?」という意味が込められている。そして、俺の後ろには私が──私たちがいる……との想いも。
思わずフローリアの顔をまじまじと見つめる。見慣れたはずの表情だが、聖女と呼ばれる彼女の顔を見飽きることはない。しばし見続ける俺に、ニコリと笑みを返したフローリアが聞いてくる。
「どうです? 決まりましたか?」
「……ああ」
楽し気な彼女に、俺ははっきりと告げる。
「ヤマト領から大和国への建国をする。その手助けをして欲しい」
「はいっ。お任せください、未来の旦那様っ」
元気よく笑顔で返事をするフローリアだが、その眼もとにはうっすらと涙が浮かんでいた。その涙に光を照らす夜の月、そこへヤオが盃を掲げる。
「ふむ……今宵の酒は、いくらか甘いのぉ」
そう言って掲げる盃の中に、夜空に浮かぶ月がひっそりとたたずんでいた。
執筆環境が復帰致しました。更新が幾度か遅れて申し訳ありませんでした。
今回の話は結構重要な内容なので、更新できなくて私自身無用な焦りが生じておりました。
何度か休んでしまったので2/23(日)にも更新しようと思っております。




