349.それは、酒と憩いと男と女
クラーケンの討伐をしたその夜。
俺は今、のんびりと露天風呂に浸かりながら夜空に浮かぶ月を眺めていた。見事な満月で、思わず中秋の名月って言葉を思い出す。あれって十五夜あたりの月だっけ? 何の気なしにボー……としている俺に、ミズキの声が聞こえてくる。
『お兄ちゃんもちゃんと入ってる?』
『おう。入りながら月を見てるぞ』
『へー今日って満月なんだね』
返事をした俺にゆきの声が返って来る。ここはいつものヤマト領の自宅の屋上露天風呂ではない。あのまま伊勢に滞在して、今日はそこの宿に招待されたのだ。
クラーケン討伐に関して、街をあげての大歓迎を受けた後、何かお礼がしたいと強く言われてしまった。こちらとしてはただ討伐しただけであり、おまけに依頼達成料金に素材に魔石と、十分な見返りを得ているのだが、街の人達にとってのクラーケン討伐は思っている以上に意味があったようだ。
そんな俺達が気ままな旅の最中だと知った組合長が、街の温泉宿にかけあって無料で招待してくれたのだった。結局あまりゴネてもということになり、ではお言葉に甘えて……という事で今日はこの宿に泊まることとなった。
そんな訳で、今はそこの露天風呂に入っている。もちろん男女別々なのだが、入りながらも念話で声が届いてしまうのは苦笑いしかない。
『しかし冒険者組合も気前いいよね。クラーケン討伐のお礼でここまでしてくれて』
『それだけ街の方々が困っていたという事でしょう。一見まだそこまで……という風に見えましたが、観光地だからと無理を押して見栄えを立てていたようですね。もしこのまま討伐されなかったら、それも破綻して街が立ち行かなくなったとの事でしたから』
フローリアの言葉に皆がそうだったんだ……と安堵の息を漏らす。
『そういえば宿の女将さんから、「明日の朝食は、新鮮な魚介をお出しできますので、楽しみにしていて下さい」と言われました』
『『『『『おお~!』』』』』
嬉しそうなミレーヌの声に、全員が期待をこめた声をあげる。新鮮な魚介となれば、やはり取れたて魚の刺身とかだろう。うん、期待せざるを得ないな。
『そういえば、主様は一緒に入らんのじゃな』
『そうだな。ここは家族風呂とかないみたいだし、まあしかたないだろ』
不意なヤオの言葉に少しドキドキしたが、出来るだけ声に出ないように平静を保った。でも、おそらくはミズキやゆき以外にはバレてるんだろうなぁ。こういうトコの察しの良さはまいってしまう。
『じゃが、この時間はわしらだけの貸切だと聞いたぞ? 男湯は主様だけなんじゃろ?』
『ああ、そうらしいな』
そうか貸切なのか。それで他の人は誰も入ってこないんだな。他の宿泊客は廊下とかで見かけたのに、なんで誰も入ってこないのかなって不思議だったんだよ。
『ふむ。それなら……』
『どうしたのヤオちゃ──あっ!?』
『ん?』
何かに驚くようなミズキの声が届く。一体どうしたのか──と思った時。
「よっと」
「うわあああっ!?」
ザバーン!
ふいに目の前の現れたヤオが、そのまま湯船の中に落ちて水しぶきをあげた。ヤオは俺と契約しているため、実体化した状態でも俺のいる所に跳んでくることが出来るのだ。
「……ぶはっ! ふー……寂しいかと思って来てやったぞ」
「お、お前なぁ……」
カカカと屈託無く笑うヤオに、俺はどうしようかと悩む……間も無かった。
『カズキ! そちらからヤオさんの声が聞こえましたけど!?』
『お兄ちゃん! まさかヤオちゃん、そっちに居るの!?』
念話で代わる代わる、異音同意な質問文が人数分届く。
『皆安心せよ。主様が一人で寂しがってたが、わしが傍にいてやるからの』
念話どころか、壁の向こうから普通に「ずるいー!」みたいな声が聞こえてくるが、流石にヤオ以外は家風呂以外で混浴はちょっと問題だろう。
それに今回のクラーケン討伐、ヤオには少し縁の下の力持ちとして働いてもらったしな。そもそもクラーケンを即効で倒すのなら、本気を出したヤオをぶつければ終了だ。でも折角の獲物だし、今回の旅行の一つに「皆に思いっきり力を振るってもらう」っていう目的もあった。大武闘大会では魔力使用を制限していたので、それをなくして全力を出してもらってちょっとした気晴らしをして欲しかった。
なので実際の討伐は、ヤオ以外の皆でやってもらった。勿論ヤオにも出番はあったが、相手が逃げないための壁役という役割だったので、討伐行為に直接は関与していないからな。
「ふぃー……いい湯、いい月、いい酒じゃなぁ……」
「うん、そうだな……」
気付けばヤオが隣にきて、取り出した徳利をを浮かべた手桶に立てていた。……ってこの手桶、徳利が倒れないように支えのある、湯船のお酌専用じゃないか。何時の間にこんなもの用意したんだ……。
「ほれ、主様もたまには酒につきあわんか」
「……そうだな。たまにはいいか」
ヤオに進められた一杯を飲み干し、今度は俺が一杯お酌をする。それを同じようにぐいっと飲み干し、俺に向けてニカッと笑みを零す。その顔が凄く可愛げのある子供っぽさをかもし出しているのだが、その手にある杯がどうにもアンバランスで苦笑を禁じえない。
ただ、こうして言葉ではなく、杯を交わしてつかる湯船もいいものだな。
……と、そんな事を感じていたのだが。
『やっぱりズルいです! 私も行きます!』
『え、ちょっ、ミレーヌ!?』
『ミレーヌ様、まさか──』
突然ミレーヌの声が聞こえたと思うと、あわてた様子のフローリアとエレリナの声が届く。
そして──
「カズキさーん! 私もこっちにー……わわっ!」
「ちょっ、待て──」
バシャン……
男女の温泉を仕切る高い境向こうから、一つの白い影が飛び出してきてこちらの湯船にとびこむ。改めて確認する必要はない。その影は白銀の狼──ホルケで、当然背にはミレーヌが乗っている。
ホルケは着水時にその勢いを殆ど殺しそっと着水した。いや、別にだからいいって訳じゃないよ?
「ミレーヌ、お前なぁ……」
「だってヤオさんだけずるいです! 私も一緒にお風呂入りたいです!」
そういって駄々をこねるミレーヌだが、確かにヤオ以外ではギリセーフの範疇かもしれない。最も広義で解釈するなら、今露天風呂を貸切にしてる時点で混浴しても大丈夫なのかもしれんけど。
「……来ちゃったもんはしかたないか。とりあえず湯船に浸かりなさい」
「はーい。うふふ~……」
やったーと笑顔で、俺を挟んでヤオの反対側に据わる。ふむ、露天風呂で両手に可憐な花という所か。
だが、そんな暢気な感想を許してはくれない者達がいた。
『お兄ちゃん! ずるいよ!』
『カズキ! 私もそっち行っていい?』
『致し方ありません。ヤオさんの飲み仲間として、そちらに──』
『そうだわ! カズキがそこにポータルを設置すれば──』
『しねーよ!』
わいわいと抗議の言葉を送ってくるが、ふとそれが途切れた。どうしたんだろう……と思うのもつかの間、その理由がはっきりと見えてしまった。
「お兄ちゃんー!」
「カズキー!」
「……お邪魔します」
ばさっと湯船傍に降り立つのは、麒麟、ペガサス、ペガサスの召喚獣たち。あっという間にその背から飛び降りた主は、ざぶざぶんと湯船に飛び込んでくる。
「おまたせー」
「へへへー」
「……お酌致します」
そしてそのまま平然と会話に加わってくる。先ほどよりも、何倍も濃い苦笑いが浮かぶが、ふとある事に気付いて俺は聞いてみる。
「……フローリアは?」
『もうっ! 皆さんずるいですわ!』
向こうに一人残されたであろうフローリアの念話が届く。彼女だけは、単独で飛行する召喚獣がいないので、境を飛び越えてこれないのだろう。
だがこうなった以上、フローリアも呼ばないとなぁ。そう思った俺はスレイプニルを呼び出して、迎えにと思ったのだが。
『……いいですわ。それなら、こうです!』
何か意を決したフローリアの声が聞こえた。そして何かが振動するような音が聞こえてきた。それはまるで、水が物を押し流すかのような……まさか!?
「カズキ! あれっ!」
「ちょ、まさか……」
「かかっ、面白い事を考えるもんじゃな」
驚き見上げた視線の先、男女の境の上からこちらに滝のように水が流れ込んでくるのが見えた。
そして──
「きゃああああああっ!?」
「どわああああああっ!?」
その水流の上に見えるのは、白い蛇──フローリアの召喚獣サラスヴァティだ。水神の御使いであるこの白蛇が、女湯のお湯を空輸で流し込み、それに乗ってこっちへやってきたのだろう。
そしてそのお湯はそのままこちらに降り注ぐ。その光景にあわててしまい、誰も何もできずそのままざぶんとお湯をかぶってしまった。
「フローリア、お前なぁ……」
「だって、一人だけ残されて寂しかったんですもの……」
湯船の中で軽くノックアウト状態の俺達を尻目に、一人平然とした様子のヤオが杯を傾ける。
「……うむ、酒が旨い」
手にした杯を月に掲げ、満足そうに言うのであった。




