312.それは、相容れぬ存在と立場
八咫烏──それは、日本神話で導きの神とされる存在だ。また八咫烏は、スサノオに仕える存在であるとも言い伝えられている。だが、スサノオの伝承として有名なヤマタノオロチとの、直接的な面識があったかどうかを記した記録はない。ちなみに八咫烏は“三本足”で有名だが、それぞれが“天・地・人”を表しているとの説がある。
その八咫烏がヤオ──ヤマタノオロチの前にいる。
「ヤオ、その……大丈夫なのか?」
「心配無用じゃ。ただ、やはりというべきか……どうもこやつと面を向かわせると、何とも形容し難い不快感が涌いてくるのじゃがな」
忌々しく八咫烏をにらむヤオだが、それは八咫烏に対してではなく、その向こうに感じる者──スサノオを意識しているように見えた。
ならばこそ、相手も同じなのだろう。
『人の子の姿なれど……お前はヤマタノオロチか』
八咫烏が言葉を発した。一瞬言語を解するのかと思ったが、鳥にしてはあまりにも流暢な物言いに俺はなんとなく思いついた事があった。
「今の声……スサノオか」
「そうじゃ。おそらくはこやつを通じ、わしを見ておったようじゃな」
となると、ここに来るかもしれない……そう思った時だった。八咫烏の背後の空間が歪んだと思ったら、そこから一人の男性が現れた。この状況でやってくる者なの一人しかいない。──スサノオだ。
スサノオは髪を左右に結い、布を体に巻きつけたような服装だ。おおよそ日本人が“邪馬台国”などの言葉から連想するイメージ通りの格好をしている。
手にした刀……あれは天叢雲剣だ。抜いてはないが、腰に構えいつでも抜ける体制となっている。
「お前は私が確かに討ち取った。だが、何故まだ居る。しかもその姿は何だ?」
「うぐっ……」
そしてやはり、ヤオは天叢雲剣を前に動けないでいた。以前ヤオと初めて会ったときも、俺が天叢雲剣を抜き放った瞬間勝負がついた。そこには、天叢雲剣とヤマタノオロチの因果関係があるのだと思う。天叢雲剣の実在は、同時にヤマタノオロチの敗北だから。そして、目の前にいるスサノオの腰にある天叢雲剣は、彼が討伐したヤマタノオロチから得たものだろう。
はっきり言って、この状況ではヤオは何もできない。それに──
「いきなりな挨拶だな。俺の仲間を脅さないでくれないか?」
「あ、主様……」
固まって動けないヤオの頭にポンポンと手を置きながら、俺はかばうように前に出る。その行動とヤオの言葉を聞き、スサノオの視線が俺に向けられる。
「主様だと? 貴方がその蛇の主だと言うのか?」
「ああ、そうだ。それが何か問題でも?」
ヤオへの態度が気に食わない上、蛇よばわりする事で少しばかりのイラつきが生まれる。どうも俺はこの世界では、大切な人が悪く言われると思いのほか怒りやすいようだ。幸いにも、この世界のスサノオはある程度話ができそうな設定らしい。伝承によってスサノオ像は、暴れん坊であったり英雄であったり。もし目の前の人物が暴れん坊だったら、出会って即刀を交えていたかもしれない。
「私はその蛇が、いかに凶悪で非道かを知っている。そんな存在が主と呼ぶ貴方を、黙って見過ごせる道理もないだろう」
「くっ……」
そう言って刀──天叢雲剣を抜いた。その刀身を見て、ヤオが先ほどにも増して苦渋の表情を浮かべる。実際のところあの天叢雲剣とヤオとの間に関係性はないが、やはり伝承上にて記述された事は、ここでは史実として特別に意味をもっているのだろう。
なので……当然俺は、ヤオの前に立つ。このヤオ自身から生まれ出でた天叢雲剣を手に。
「なっ……その刀、まさか……!」
「そのまさかだ。これがこの子──ヤオから生まれ出でた天叢雲剣だ」
そういってこちらも刀を抜く。一瞬ヤオが気になりチラリと見るが、どうやら俺が天叢雲剣を手にしている場合は平気なようだ。
一安心したので、改めてスサノオを見る。逆にこちらは、俺が手にする天叢雲剣を見て驚愕している。本来一振りしかないはずの神剣が、この場に二振りあるのだから無理もないが。
「それが、そこの蛇から──」
「まずその呼び方を改めてくれないか? この子には『ヤオ』という名前がある」
知らないだろうけど、無下に何度も蛇々と言われては不愉快だ。怒気をこめた視線を向ける。
「……その刀が、そこの──ヤオから生まれたという事か」
「そうだ。ならばわかるだろ。このヤオは確かにヤマタノオロチだが、あんたが打ち倒した相手じゃない。それでも刃を向けるというなら」
抜いた刃をスサノオへ構える。その行動に、少しだけスサノオの瞳が揺れるが、静かに目を閉じて一回大きく息を吐き出した。
そして手にしていた天叢雲剣を収めて腰に戻す。
「……承知した。どうやらこちらの勘違いのようだ」
そういってまっすぐヤオを見る。そして真摯な態度で頭を下げた。
「不快な思いをさせた。申し訳ない」
「あ、ああ。わかってくれたなら、それでよい……」
よもや謝罪をされるとは思っていなかったようで、しどろもどろになりながら返事をする。ともかくヤオがそう言うのであれば、俺からはもう何も言うことはないからな。
結局、その場はそれで終わりとなった。元々の発端はちょっとした誤解なので、それさえ解決すれば何も問題はない。実際のところ、スサノオとしてはヤマタノオロチなる存在を見過ごすのは難儀かと思うが、それが名を持ち俺と主従の関係であることには納得してくれた。なのでその後、少しばかり言葉を交わしたのちすぐにスサノオは立ち去った。
これでようやく、本当に一安心となったのだが……何だろう、何か忘れているような。
「あ、リスティか」
「おお、そうじゃったの」
ようやく思い出して洞窟を入ってすぐのところへ戻る。そこには召喚獣がまとう風障壁にまもわれたネージュと、それに跨っているリスティがいた。
「おまたせリスティ」
「カズキ、大丈夫でしたの?」
しばらく放置気味だったので不機嫌かとおもいきや、ネージュと一緒だったおかげか非常にご機嫌だ。
すでに洞窟外の安全は保障されているので、今度はリスティも一緒に洞窟を出る。
「ふぅ……ようやく外に出られましたわね。ここなら、先ほどカズキが言っていた“念話”でフローリアとも連絡が取れますわね」
「「…………あっ」」
リスティの言葉に俺とヤオの声がハモる。先程までは八咫烏とスサノオのせいで、そのことをすっかり失念していたのだ。リスティの「えー……」という、残念な人を見る目にさらされながら、俺はフローリアとミレーヌに念話を送る。
『フローリア、ミレーヌ、聞こえるか?』
『カズキ!? 無事でしたか!』
『カズキさん!? よかったー』
すぐさま二人の声が返ってくる。声だけでどれほど心配してくれていたのかわかることに、申し訳ないと思いながらもうれしく感じてしまう。
『詳しい場所はわからないけど、どうやら彩和にきているみたいなんだ』
『ええっ!?』
『そうなんですか!?』
『ああ。ヤオがどうやら彩和だと言うし、先程──』
おそらくは彩和の人物だろうと思う人に会ったといおうとした矢先、自分のすぐそばに何かを感じて言葉が途切れた。そして、次の習慣俺たちが見たのは。
「カズキー!! 心配しましたよ!」
「カズキさーん!! よかったですよー!」
「わわっ! フローリアにミレーヌ!? なんで!?」
空間がゆがんだと思ったら、そこからフローリアとミレーヌが飛び出してきて、俺に抱きついてきた。一瞬なにが起こったのかわからずにいたが、ふと二人を見て思い出したことが。
「ああ! 指輪の能力で!」
「そうですよ!」
「忘れてたんですか?」
俺が以前、皆に渡した婚約指輪。これには幾つかの能力が付与してある。その中のひとつに転移魔法である【ワープポータル】があるのだが、皆の行き先リストにはひとつだけ特殊な行き先があった。それは“カズキのいる所”という項目だ。念話が通じる場所にいる場合、どこからでも俺のいる場所へ転移できるというものだ。
「まぁ、なんだ。ちょっと色々あったからな」
「色々……ですか?」
ミレーヌが不思議そうな顔をする。だがその言葉にフローリアが、何かを詮索するような視線を向けてくる。
「色々ってなんですか? まさかと思いますが、リスティに何かしたりとか……」
「いやいや、そんな訳ないだろ。別に何もしてないよな、リスティ」
「はい。カズキはとても紳士的に接してくださいましたわ」
「「ん?」」
俺とリスティの会話に、フローリアとミレーヌの動きが止まる。
「リスティ。あなた、カズキの事……名前で呼んでいましたか?」
「……え?」
「カズキさん。カズキさんってリスティ王女を、そんな風に呼んでいましたか?」
「あ、いや、それは……」
別に疚しいことは何もないが、妙な雰囲気に少し気圧されてしまった。だが、それが余計に不信感をあおってしまったようで、フローリアとミレーヌはキッとこちらを見て詰め寄ってきた。
「カズキ!」
「カズキさん!」
「「何があったか白状して下さい!」」
そんなにぎやかな光景をみながら、リスティはそそっとヤオに耳打ちをする。
「あの……いつもこんな感じですの?」
「そうじゃのぉ。まぁ、こんな感じかの」
「そうですか。……ふふ、楽しいですね」
「うむ。楽しいぞ」
そういってわいわいと騒がしい俺たちを見ながら、リスティとヤオは穏やかな苦笑をうかべるのだった。




