264.それは、出会いと浄化と願い事
5/24の更新はお休みします。次回は5/25を予定しております。
途中での休憩を終え、再び川を遡っていく。ざっと見渡してみると、どうやら既に山の中腹は超えているようだ。山から流れている川というのは、当たり前だが山の中腹で上下に分けた場合、下流側のほうが何倍も流域面積がある。だからこそ、ちょっとばかり気になることもあった。
「領の傍から川に沿って進んできたが……ここまで一度も魔物の類に会ってないな」
「そうですね。時々、川の水目当てで動物が顔を見せてましたが」
笑みを浮かべてフローリアが答える。時折水を飲みにきたのか、野生動物が川にきているのを何度か見かけた。中には浅瀬で水につかって、グルーミングなのか体を回転するようにしていた。思わず立ち止まってみたいなともおもったが、そこはぐっとがまんして進んだ。
「とても可愛らしかったですね。あちらの世界の動物園とかの動物も可愛かったですが、やはり自然の中でのびのびと生きてる動物は輝いてますね」
「そうか。フローリアもミレーヌほどじゃないけど、感情の機微が身体を纏う光のように見えるんだっけか」
「はい。といっても、私の場合そちらの力はあまりなので、何となく感じられる程度ですけれど」
そう言うと、少しだけ表情を真面目にして話を続ける。
「ただ、先程ミレーヌとも話したのですが、この川の水……微量ですが何か力が働いてます」
「な? それって危険なものだったりするのか?」
「いえ、どちらかといいますと精霊の加護のような、そういった類のものです。それだからこそ、川に魔物が寄りついてないのかと」
そう言われて気付く。確かにヤマト領の街付近であれば、川は祝福の産物として綺麗に浄化される。だが、さすがに今いる場所はかなりの遠地。ここまで領地の祝福が届いてはいないはずだ。にもかかわらず川の水が何らかの力を受けている理由は。
「湖にいる主とやらの影響かな?」
「憶測ですが、おそらくそうだと思います。以前スレイスでお会いした火竜様と同じかと」
「ああ、そういえばアレもそうだったな」
山の洞窟内に流れる川の水は、すぐ傍に生息している火竜の影響により効果を受けていた。予想通りに湖の主が言われていた大亀ならば、やはり何かしらの影響を与えていても不思議ではない。
『ヤオ聞こえるか? この川の水って、何か力が付与されてたりするか?』
『む? 水に溶け込んでいる微量な力の残滓の事かの?』
とりあえず聞いてみたら、ズバリ返答がきた。あれ? ってことは……
『気付いてたのか?』
『気付いてなかったのか?』
……はい、気付いてませんでした。
せっかくなので、そのまま念話でヤオの意見も聞いたが、やはり湖にいる主がその原因だろうとのこと。ちなみに『それじゃあせっかく何か効果があっても、ヤマト領で浄化の魔石を通したら消えるのか?』ときいたところ。
『消えておらぬぞ。おそらくは魔石に宿した浄化の力より、より高位な力を持った存在なのじゃろう』
とのこと。水にふくまれてる量は本当に微量だが、その元が強いので消えてないらしい。幸いにも害はまったくないようなので、特にヤオも気にしてなかったとか。ちなみにこの水に与えられた効果は、フローリアが浄化魔法をかければ消すことはできるそうだ。まあ、意味がなさそうなのでやらないけど。
ともあれ、これは是が非でも湖の主とやらに会いたくなってきた。もし、火竜や古代エルフの知り合いである大亀ならば、伝えたいこともあるし。
しばらく川を遡り、周りをみてもそろそろ山頂だな……と思ってると。
『主様よ、どうやらお呼びでないモノがあるようじゃぞ』
『えっと、それはいったい……』
「お兄ちゃん! あれっ!」
驚くミズキの声が響く。ここに居る者の中で、一番視力良いうえに先頭で進んでいたので最初に何かに気付いたようだ。ミズキの声で視線の先の方、ようやく見えた湖をじっと見てみる。そこにあったのは確かに湖だが、それ以外に目にとまったものがあった。
「あれは……いつぞや見た、黒い霧か?」
「間違いありません。以前見たのと同じもので、悪意の塊のような存在です」
フローリアが間違いないと断言する。正直会いたくないものではあったが、ここにフローリアがいてくれたことでその意味は逆転する。聖女である彼女ならば、問題なく打ち消せるからだ。
あの黒い霧が今は湖面の少し上で停滞している。その理由は、おそらく真下に大亀がいるからだろう。
「ミレーヌ、こっちに来てくれ。他の人達はしばらく離れて」
黒い霧を目の前にして、二人を呼ぶという事の意味を皆すぐに理解した。すっと隣にやってきたホルケに乗るミレーヌへ手を伸ばす。その手をにぎったのを確認して、彼女をスレイプニルの方へ移動させる。
そしてフローリアの隣に座り、二人がぎゅっと手をにぎる。とたん、二人を中心に温かな光の奔流がゆるやかに広がり始める。
そのままスレイプニルは前進していき、二人が生み出した光の空間が霧に触れる。
すると、まるで綿菓子が水にとけるかのように、すっと跡形もなく黒い霧が消えて行く。黒い霧自体に意思はないのか、そのまま二人が寄って行っても逃げることなく浄化されていく。そして、気付けば水面上にあった黒い霧は全て消えていた。
大丈夫だとは思っていたが、一仕事終えた二人は笑みを浮かべ安堵する。
「うん、大丈夫そうだ。二人ともお疲れさま。ありがとう」
二人へ労いの言葉をかけ、それじゃどうしようか……と思った時。
「主様よ。どうやらあちらから来てくれるようじゃの」
「え?」
ヤオの言葉と同じくらいのタイミングで、湖面がにわかにさざ波を起こし始める。なんだろうと思っていると、湖の底の方からなにかが浮上しているように見える。一瞬岩かと思ったが、それにしては思いのほか大きい。驚いて俺達は、湖面より少し上に上昇した。
水面から距離にして20メートルほどだろうか。建物でいうと8階あたりか。
そこから見下ろすとよくわかる。ちょっとした小島に見えたアレは──大亀だ。おおよその目測だが、直径は30メートルくらいか。野球場のダイヤモンドくらいの大きさだ。
驚きに声も出せずに見ている間に、その大亀は甲羅の頂点を水面から出し、続けてざばっと出てくる。その質量が水面からせりあがったせいで、空中に浮かんでいる俺達にも空気の揺れが伝わってきた。
そして甲羅から伸びている頭が、水面下から持ち上がって文字通り顔を見せた。
『まずは先程の事、感謝する』
落ち着いたしゃべりながらも、どこか安心したような気配を感じさせる声が聞こえた。状況からして間違いなく目の前の大亀だろう。その、思ったよりも普通に響いてきた事に少し落ちついた。
『はじめまして。私達はあなたに会う為にここに来ました』
『そうか。して、どういった用件なのか』
『先程私達が追い払った黒い霧。あれに関して話を聞きにきたのですが──』
とりあえず、自分たちがここに来た理由を説明する。そして、以前に古代エルフと火竜にも同じように関わってきた黒い霧を打ち消したことを伝えた。
『……そうか。あの正体不明な黒いのは、あいつらにも及んでいたか』
『はい。火竜より、貴方は水中にいるので大丈夫だろうとお聞きしていたのですが……』
『そうなのだが……どうにもあの黒いのは、生命体ではないのだろう? おかげで水面から少し浮かんだまま、ずっとわしの上に浮かんでおってな。ずいぶんと顔を出せずにおったぞ』
そういって大亀がふすーっと鼻息を出す。それが水面を揺らして、そこそこな波をたてる。なんというか、基礎本体が大きいのでちょっとした動作がいちいち大きい影響を呼びそうだ。
「亀ってどのくらいもぐっていられるんだろう。亀は万年……は、寿命か」
ポツリと呟くゆきの声がきこえた。なんとなく気になったので雑談として聞いたら『ずっと潜っていられるぞ』を言われた。スゲー。
『それにしても……そこの蛇は何者だ。わしらと同じくらい、濃密な力のうねりを感じるぞ』
『ほほぉ、さすがに気付くか。わしは……』
ぴょんと麒麟の背から、スレイプニルの……正確には俺の頭に飛びついてきて、
『主様の従魔じゃ』
『ほぉ……その人間がお前ほどの存在の、主だというのか』
そういってこちらを見るが、その視線に不快なものはない。バカにしているとか、見下すというのではなく、何かを伝えたい……そんな感じをうけた。
『何か、伝えたいことでも?』
スレイプニルを大亀の顔の前に移動させる。じっと見つめる視線は、少し逡巡したように揺れるも、何かを決ししたのか少し閉じたあと、強くこちらを見る。
『見るだけでその強さは理解できた。その上で、一つお願いがある』
『お願い?』
その口からでた願いというのは──
『どうか……“卵”を取り返してはくれないだろうか?』
ちょっとばかり予想だにしなかったお願い事だった。




