257.それは、素直な気持ちの酌み交わし
「準備はいいんかね!」
「何がだよ」
お墓参りを終えて小樽駅まで戻ってきた俺たちだが、心底スッキリした様子のゆきは終始ハイテンションだった。すっかり肩の荷がおりた感じのゆきは、とにかく嬉しそう。
苦笑いをする俺の隣に、すっとゆらが来る。
「すみませんカズキ。今日くらいは、その……」
「わかってるよ。ゆらも色々複雑な心境だろうけど」
「……ですね」
顔を見合わせて再び苦笑い。そんな俺たちを見て、ゆきがビシッと指を差す。こらこら、人を指差しちゃいけません。
「何を辛気臭い顔してんの。ホラ行くよ!」
そう言って歩き出す。自分の故郷だからと、色々と案内したいらしい。そんなゆきを見ながらも、本音ではやはり嬉しいと感じている俺たちだった。
その後は、ゆきの案内で市内観光をした。さすがに元とはいえ地元民だけあって、ずっと徒歩移動だったのだが中々に飽きない内容だった。有名な運河やスイーツの店など、そこまで詳しくない俺でさえ「テレビや雑誌で見たことある」という反応をしてしまう所ばかりだった。
とはいえ、時間は無限にあるわけじゃない。日が沈む頃合いに合わせて、俺達は駅前に戻ってきた。近くで夕食を済ませ、今夜泊まるホテルへと戻ってきた。
ミズキに預けてある荷物をいくつか受け取りホテルの自室へ。このホテルは新しいので機能的だが、ある意味綺麗にまとまりすぎているため、旅館ならば定番の広縁がなかった。仕方なく廊下を歩いていると、中庭を見下ろせる廊下窓際にテーブルと椅子が2つあった。うん、こういうのもいいな。
早速すわってまったりと外を見る。既に日が落ちているが、運河などを照らす灯りが街をきれいに着飾っているのが見える。そういえば運河では、船で遊覧観光できるんだったな。明日なら時間とっていけそうかな……などと思いながら景色を見ていると。
「カズキ、向かい側よろしいですか?」
「え? ああ、ゆらか。勿論」
いつの間にか、浴衣に着替えたゆらが傍にいた。断る理由もないので了承すると、嬉しそうに向かいの椅子にすわった。……そうなのだ。何か嬉しそうにしているのが気になる。
「えっと……何かいいことあった? その、今日はゆきにはあったかもしれないけど、その……」
うまく気遣ったいい方ができなくて口ごもってしまう。昼間ゆきは生前の家族に会えたし、特に妹の陽光ちゃんとはしっかり話もできて、すっかり前に進めたと思う。でも、今現在実の姉妹であるゆらには、色々と複雑な心境なのではないかと思ったのだが。そんな俺の考えをくみ取ったようで、ゆらが笑顔な理由を話してくれた。なんと──
「ゆきが妹と連絡先を交換した……だと?」
「ええ。先程もカズキに渡された……スマフォでしたか? あれで何やら文のやりとりをしていました」
「チャットか何かか。電話はしてなかったのか?」
「電話というのは遠距離での通信でしたよね。私が見ている時には、それらしいことは特に」
「……そうか。まあ、別にいいけど」
正直なところ、狩野ゆき=菅野雪音という事がバレてしまっているなら、もう電話くらいべつにいいかという感じだ。現実と異世界の関係性は、あまり話して欲しくはないけど。
「だが……それだけでは、ゆらが笑顔な理由がわからないのだが?」
「あ、そうでしたね。実はその文のやり取りをしている最中に、ゆきに言われたんですよ。今度会う時は、ちゃんと私とあの子をお互いに紹介してくれると。あの子──陽光さんは、生前のゆきの妹。少し不思議な感じもしますが、あの子と私も姉妹みたいなものだ──と、ゆきに言われまして」
「……なるほど」
「はい。それが何故か、とても嬉しく思えまして」
そう言って、本当に嬉しそうな顔を見せる。きっとそこには、理屈じゃ分からない親愛の情みたいなものがあるのだろう。
「……そっか。とりあえず丸く収まった感もあるし、よかったよかった」
「はい」
俺の言葉に簡潔にゆらが答えると、しばし二人で外の景色を眺める。ここから見える運河は、川の両側の灯りが照らす中、ナイトクルージングの船が進んでいた。あれも面白そうだが、船に乗るならやはり昼のほうが周りの景色が見えて面白いな。夜はどちらかといえば、船を外から見た方がきらびやかだ。
どこか落ち着いた雰囲気の中、ふとゆらが声をかけてくる。
「今回の旅行、もうやるべきことは全部終わったのですか?」
「そうだなぁ……まあ、主な目的だった温泉宿の体験と調査、それとゆきのお墓参り。この2つが無事に達成できたから満足かな。ゆらはどう? 何か心残りとかある?」
「私ですか……」
俺の問いに少し思案する様子を見せるところ、特に何か際立っての心残りはないようだ。まあ、元々現実の世界にそこまで詳しいわけでもないので、心残りになる事象という大前提がないか。
「特にこれといってありませんね。こちらで2種類の美味しい麺料理を頂けたのは、まさに僥倖だったと思っていますが」
「函館の塩ラーメンと、札幌の味噌ラーメンね」
「はい。どちらの麺も美味しかったですが、やはり両スープがとても味わい深かったです。鶏ガラを煮込んだスープに昆布やカツオの出汁を合わせた塩もよかったですが、驚いたのは味噌です。私達のいる彩和で出回っている味噌とは、似てはいますが明らかに違いました」
「……ああ、そうか。あの辺りはいわゆる尾張三河地方だから、八丁味噌──赤味噌か」
聞くと赤味噌は、札幌の味噌ラーメンで使うものとは違うらしい。確か製法過程で、大豆を茹でるか蒸すかで最終的な違いになると聞いた気がする。その辺りをゆらに伝えるといたく興味がわいたようで、異世界に戻る前にネットで詳しく調べて欲しいと頼まれた。
うん、だんだんわかってきた。ゆらは特に料理関係にこだわるようだ。無論とてもいい事なので、忘れずに調べてあげようと思った。
それから、しばらく話をしてから部屋に戻った。一応ゆきへの伝言で「ほどほどなら通話もいいよ」と言づけておいた。……ゆきの“ほどほど”に期待しておこう、うん。
自分の部屋に戻ってごろんとベッドに寝転がる。案外寝心地の良いベッドのせいで、少しだけ横になるつもりが、いつしかゆっくりと眠りについていってしまった。
「……よ。……様よ、起きてくれんかの」
一応の目的をはたし、後は明日帰るのみ。そんな身軽になった気持ちのせいで、思わずうたた寝をしてしまった俺を誰かが起こすのを感じた。
一瞬だけボーっとなるも、すぐに旅行中だと気付いて起き上がる。一応せっかくの旅行でうたた寝はもったいないという感情が湧いたのだろう。そして声のする方を見ると、案の定ヤオがいた。そういえばヤオなら、俺のいる場所に自由にこれるんだったな。
「ヤオか。どうかしたのか?」
「いやな、この酒を飲もうかと思ったのじゃが」
そう言って手に持った酒瓶をもちあげる。おそらくは温泉宿あたりで購入したもので、ミズキにあずかってもらっていたのだろう。
「そうか。でもなんでわざわざ俺の所に来たんだ?」
「主様が言っておったじゃろ。こちらの世界では、20歳になるまで飲酒は禁止じゃと。わしは見た目がコレじゃし、同室のミズキもまだ20歳じゃないしの。万が一部屋に飲酒跡があったらマズイじゃろ」
「まあそうかもしれんけど、ゆらの所でもよかったんじゃないのか? この旅行では、いつも飲酒はゆらと一緒だったと思ったけど」
そう言った俺を、ヤオがハァ……と大きく溜息をついた。なんか珍しいものを見た気がするけど、俺なにかヘンなこと言ったかな?
「今日の事もあるし、今あの姉妹に横槍はヤボじゃろうが。もうちっと気を遣えんのか?」
「なっ……ヤオに気遣いをとわれた……」
「……なんか主様に少しバカにされた気がするの」
ジト目で睨みながら、ベッドに座る俺の側に腰掛ける。そして懐からコップを2つ取り出して、俺にも手渡す。
「ん? 俺も飲むのか?」
「そりゃそうじゃろ。いい酒といい女があれば、酌み交わすのが男の器じゃろうて」
「……ごもっともだ」
ヤオの差し出すコップを受け取り、そのまま酒を注いでもらう。せっかくだからとヤオのコップには、俺が酒を注いでやる。まあ、後はヤオが全部飲むだろうからと酒瓶は返したけど。
「さて、では何に乾杯すればよいのじゃ?」
「そうだな……まあ、無難に楽しい旅行の夜──いまこの瞬間に」
「ふむっ、乾杯じゃ」
「乾杯」
チンッとグラスを合わせぐいっと飲む。しっかりした味わいながらも飲みやすく、さほど酒を飲まない俺でも素直に美味しいと感じた。
最初にコップ3分の1ほど飲んだ後は、ちびちびと口をつけるように楽しむ。ヤオはすぐに空けてしまい、さっさと手酌をはじめている。のんびりと酒がまわり少しだけ口元がゆるくなったのか、ポツリと思いがこぼれ出す。
「幸せに、なりたいな……」
意識せず口からでた言葉は、要領を得ない曖昧なもの。でも、何故か素直に吐露した気がした。
「……安心せい。主様にはわしが、わしらがおるじゃろ」
ヤオが言葉を返してくれた。ありきたりな事かもしれないが、今日はそれがやけに嬉しい。
隣でこくこくと酒を飲むヤオの、頭にそっと手をやり軽く撫でる。
「……うん、ありがとう」
「うむ」
その声を聞いて、もう1杯酒を注いでもらった。もう1回、ヤオと一緒に飲みたいと思ったから。




