211.そして、聖なる結びの証
「そろそろ、説明してもらっていいかな?」
あの黒い霧を浄化するためにフローリアを呼んだのだが、目的を実施した後なぜか討伐対象となっているはずのヒュドラを回復させた。
一応道すがらダークエルフ達からの依頼を話し、ヤオが討伐しようとしていた旨は伝えてああった。だからこそ、その行動には何か意味があるのだろうと思う。おまけにそれを見ていたヤオも、驚くような様子も見せず半ば感心するような表情を見せたから。
「はい。まずこちらの……ヒュドラさんと言いましたか。この魔物はもうこちらに危害を加えるようなことはなさらないと思います」
「何故わかるんだ?」
「私の魔眼は真偽の看破はできますが、ミレーヌのような対象の善悪を見抜くことはできません。ですがこの聖女の血筋とでもいいましょうか……」
そう言いながら自分の掌をみつめる。そこには何もないのだが、何故か温かな光が集まっているように感じる。見える、ではない。感じたのだ。
そしてその手をそっとヒュドラの胴に触れ撫でる。
「この者が私達に悪意を抱いていないことはわかるのです」
胴を優しく撫でられたヒュドラは、そっと目を開けて首を1つフローリアに向ける。位置的に一番中央にある少し太い首のようだ。多頭だがリーダー的な頭があるのだろう。
その首がすっと撫でられている部分に近寄り、その手に頬ずりするように首を傾げて触れてきた。
にしても、フローリアは随分と度胸があるというか。たとえ悪意が無いとしても、大きな蛇がこんな風に体を寄せてきたら怖いんじゃないのか? そう聞いてみたのだが。
「あら。私は最近、もっと大きな多頭の蛇さんを何度も見てますよ。もう慣れました」
そう言ってくすっと笑う。そう言えばそうかもしれんな。確かにさっきまでのヒュドラの禍々しさは近寄りがたいものがあったが、今の状態だとただ大人しいだけの大蛇って感じだ。
「しかしそうなると、このヒュドラはもう無害ってことか?」
「あー……それなんじゃが主殿」
俺の質問に、少し割って入る様にヤオが話す。
「先程も言ったが、こやつは自分の意志でわしらを攻撃したことは一度もなかったぞ。先程は苦しみかアレの影響か、意識が半分飛んでしまっていたようじゃしな。そうなると生物としての本能で、近づいてきたわしらを退けようと暴れていたにすぎんようじゃ。そもそも、こやつはあの変な黒いのに纏わりつかれる前はどうだったんじゃ? 以前からあの暗闇妖精たちに危害を加えるような存在だったのかのぉ」
「あの黒い霧でおかしくなる前は、おとなしくしていたんじゃないのかって事か?」
「もしかして、の話じゃ。まあその辺りは聞いてみればいいかの」
「聞く? 誰にだ?」
そう聞き返した時。
「カズキ! 一体どうなっているのですか?」
「えっ! それ、ヒュドラ……ですよね?」
洞窟の広間にやってきたのは、マリナーサとエルシーラだった。いけね、入口が臭気で近寄れないからって、ずっと外で待機してたんだった。おそらく臭気の発生がとまり、中で事態が好転したんだろうと判断してやってきたようだ。
「とりあえず解決した……のですよね?」
「まあ、そうかな。それについてちょっと聞きたいこともあるんだが」
俺は先程ヤオと話したことを二人にも聞いてみる。ヒュドラが凶悪な魔物だとしか思っていなかった二人は、今フローリアに灘られて体を寄せている姿を見て驚きを隠せない。
「実際のところ、私達ダークエルフでこれまで危害を加えられた者はいません。人や動物を襲っていたという話も、目撃ではなく聞いた話だと思います。ただ、他の魔物……おそらくはゴブリンなどのかと思いますが、それらを襲っているのを見たものは居たかと」
「私はエルシーラと違い、あまりこちらの地方には来ませんので当然見た事はありません」
「そうなると、このヒュドラは魔物狩りはするけど、自分から襲い掛かるような存在でないのか?」
「……わかりません。ですが、もしかしたら戦っていたという魔物も、危害を加えられそうになったから止むを得ずの戦闘だったのかもしれません」
もし先天的に悪意が無いのならば、そういう可能性も大きいのかもしれない。ともかく一番懸念とした黒い霧は浄化した。ヒュドラも大人しくなったし、問題は解決したと思っていいだろう。
「とりあえず、一度戻って報告しよう。おそらくもう被害は広がらないだろう」
「そうですね。まずは長たちと話して今後の方針を考えましょう」
エルシーラの言葉に俺もマリナーサも頷く。では戻ろうとフローリアに声をかける。少し名残惜しそうだが、最後に一撫でしてフローリアがヒュドラから離れて立ち去ろうとする──が。
「えっ、あ、あの? どうしましたか?」
フローリアが少しあわてた声をあげる。見るとヒュドラが立ち去ろうとしたフローリアに着いて来ようとして、体を摺り寄せたりしている。爬虫類の表情なんでわからないけど、何か寂しそうに見えるのは俺だけだろうか。
「……ふむ。どうやらこやつ、王女を気に入ったようじゃな?」
「そうなのですか?」
驚くフローリア。まあ俺達も驚いたけど。確かに意識を取り戻してからは随分と懐いているようには見えたけど、洞窟を立ち去るのについてくるほどとは思わなかった。
「おそらくは、自身が死ぬ寸前までいったところを助けられた事や、その回復魔法に対しての感謝というか依存というか……それを王女から感じておるのじゃろう。要するに“親”みたいな感覚で好いておるのじゃろうて」
「親、ですか……」
未婚の14歳がまさかの親へ。しかも子供はこんな大きな蛇。……ファンタジーというよりミテリーだなこれは。
自分に懐くヒュドラの目をじっと見つめるフローリア。ああ、これ何となく先がわかった。
「カズキ、お願いがあります」
ほらきたよ。多分次に言うのは──
「私とこの子を、主従契約できませんか?」
はい予想通り。うん、俺もフローリアの思考がわかるようになったな。
まさかの申し出にマリナーサとエルシーラは声もでない。ヤオは……普通だな。
しかしまあ、ヒュドラ……か。確かに丁度先日、フローリアやミズキにも戦闘に耐えうる召喚獣を付けてあげたいとは思ったけど。それがまさかヒュドラ……大蛇とは。
「えっと、フローリアいいのか? その、こんないい方は良くないかもしれないが……蛇だぞ?」
「え……、~~~~~!!」
何故か俺の言葉にポカンとした後、一転して声も出ないほどに笑い出すフローリア。何がそんなにツボったんだよと思った瞬間。
「ほぉ~……主様は、蛇の従者では不満と申すか」
「…………あ」
いつのまにか、俺のところに巨大な影がおりていた。そっと後ろを振り向くと、それはもう不満爆発な雰囲気をあふれさせた八岐大蛇さんが仁王立ちしていた。8つの首で睨み、8つの尻尾で腕組みをして睨んでいる。すんごい不満顔だ。さきほど爬虫類の表情なんてわからんと言ったけど、どこからどうみてもすんごい怒ってます。
この後、散々あやまりたおした。言葉の綾だとか言い訳せずとにかく謝った。ちょっと情けないけど、俺が悪いのだから仕方ないね。
「えっと、それじゃあ主従契約は……ヤオ、どうやるんだっけ?」
「しかたのない主様じゃの。ほれ王女よ、指を前に出すのじゃ」
「あ、はい」
素直に指を伸ばすフローリア。それを見て俺も過去の事を思いだす。
「少しだけヒュドラに血をわけてやれ。何、少しチクリとするだけじゃ」
「……わかりました。ではヒュドラさんどうぞ」
そう言われたヒュドラは、そっと指先を舐めてかるく歯をたてる。切るというよりも、触れただけのように見えたが、一瞬フローリアが表情を歪ませたので痛みがきたのだろう。しかしすぐにヒュドラが離れ、指をもう一度舐めて元にもどる。
「これで契約完了じゃな。後は自分の従者という証に、名前を与えてやれ」
「名前ですか? ヒュドラ……は種族名でしたね」
そう言いながらヒュドラの頭に手を伸ばしそっと撫でる。ヒュドラも目を細めて気持ちよさそうにしている。優しく撫でているフローリアが不意に、
「…………サラスヴァティ。そう名前が浮かびました。この子はサラスヴァティです」
フローリアの命名は女神の名前シリーズだが、聞いたことあるがあまりよく知らない名前だ。何だろうかと思いUIで現実と繋がっている検索エンジンで調べる。
その時。
「ど、どうしたのですか?」
「ほぉ……これは不可思議な……」
フローリアの前にいたヒュドラ──いや、サラスヴァティが強い光を発した。だが不快な光ではなく、フローリアが放つ回復魔法にも近いおだやかな光だった。
その光に全身をつつまれた後、ゆっくりと光がおちついていく。だが先程まで黒光りしていた全身の鱗は、光が収まってもまだ白く発光したままだ。……いや違う、これは。
「サラスヴァティが、白蛇になりました……」
茫然と呟くフローリア。白くなったその巨躯は、先程まではただ禍々しいものだったが、今はどこか神聖な雰囲気をも醸し出していた。魔獣というよりも聖魔獣とでも言うべきか。
「なるほど白蛇か。さしずめ水神の使いといったところかの」
「水神?」
「うむ。わしの国では白い蛇は“神の使い”と崇められておるからの。そして白い蛇は、水をつかさどる存在だとも言われておるし」
それを聞いて何か名前との関連に気付いたような気がした。フローリアはサラスヴァティという名前が無意識に浮かんだと言ったが、多分何かしらの影響で浮かんだのだろう。検索してみた情報を確認してみる。やはりそうか。
日本では有名な七福神の弁財天。実は水を司る蛇神としても有名な神様だ。そして一説によると、その弁財天の由来となっているのが、ヒンドゥー教の女神サラスヴァティだと言われている。
さすがにフローリアもこの事は知らないと思うが、何か結び付けるような働きかけがあったのだろう。
「これからよろしくお願いしますね、サラスヴァティ」
笑みをこぼしてやさしく頭を撫でるフローリア。それをうけて別の頭の甲で、フローリアに優しく触れるサラスヴァティ。さっそく仲良さげだな。
しかし蛇だというのに、あそこまで心を砕けるとは……時々見るフローリアの聖女として心だな。
「ふふっ。これでカズキと同じ“大蛇従者持ち”ですわね。旦那様と同じなのは正妻の証かしら」
……聖女としての心、なんだよね?




