203.それは、心豊かに温まる記憶と
「うぁ~……湯船に浸かると、どうしても唸りたくなるなぁ」
俺は現在、洞窟の最奥にある“秘境温泉”呼ばれる場所で入浴中だ。といっても、大きな湯船が一つあるのみで、男女の垣根もなければ、普通の浴場のように鏡つきの洗い場もない。自然の中にある温泉と言うにふさわしい状況だ。
ただ、一つだけよくある自然の中にある温泉と違うことがある。それは、この温泉がある空間だ。この温泉がある広間の奥側の壁が、蒼い水晶で覆われているのだ。それは湯船の壁面根元から、天井までをしっかりと覆っている。要するに水晶での半円ドーム状になっている。ここまで煌く壁のお風呂なんて、現実世界のスパでもなさそうだ。
その綺麗な水晶を見ながらのんびりしていると、
「お兄ちゃーん」
「カズキー……あ、もう入ってるし」
「おお、来たか……」
ミズキとゆきの声がしたので振り向く。ここはその形状から混浴となるので、水着での入浴が許可されている。だから女性陣は今回、全員が水着に着替えている。昨晩の散歩後に皆で入った混浴は、湯船で暴れないという条件で水着を着ずに入った。まあ、おかげで全然皆を見れず、のぼせる前に俺は上がってしまったけど。だからフローリアとミズキ以外の水着は初めて見ることになる。
さて、まずは二人が来たのだが。
「………………」
「ん? どうしたのお兄ちゃん?」
「……ははぁーん? カズキったら、私の水着姿に見惚れたわね?」
「あ、いや。何だろうなぁ……」
フローリアとミレーヌが、ジャージと色を合わせてきたので、おそらく他もそうだろうと予想していた。なのでミズキが赤い水着だろうという予想はできたが、それがビキニとパレオで、南国風にハイビスカスアレンジしてあって、なんか一瞬目がひきつけられてドキっとした。……したんだけど。
「なんでお前はスク水なんだよッ!」
そう、ゆきがベタすぎるスク水姿でやってきたのだ。おまけにゼッケンに「ゆき」ってある。これって、絶対に俺のツッコミ待ちだよな。
「いやー、なんか青系で水着探そうと思ったら、ちょうどいいものが……」
「確かに紺は青系だけど、いや、そうじゃなくて……」
「なーんてね! 本当はこっちだよー!」
「わ! ぬ、脱ぐなっ……」
急にスク水を脱ぎだしたゆきに慌てるも、……まあ、案の定視線は外せない。そのままどうしたものかと慌てふためいていると、さっとスク水を脱ぎすて、中から水色のビキニと、藍色のパレオ姿のゆきが登場した。パレオの向きからして、ミズキと左右対称の格好になっている。
あっけにとられて声が出ない俺を見て、ゆきがニマニマと笑みを浮かべる。
「ふふっ、どう? 驚いた? ドキドキしちゃった?」
ドッキリ成功だぜといわんばかりの顔を向けるゆき。それを見て、ようやく息を吐き出した。
「……驚いたぞ。ったく、変な演出するから、せっかくミズキが可愛らしくしてたのに、そんな感想もふっとんじまったじゃねえか」
「えっ……お、お兄ちゃん? その。今……」
「……知らん、忘れた」
「お兄ちゃ~ん! ゆきちゃん! ゆきちゃんがやりすぎるから、お兄ちゃんから褒めてもらえなくなちゃったぁ!」
「わ、ご、ごめんごめん! ……はっ!?」
何かに気付いたように俺を見るゆき。ミズキはゆきをつかまえてゆさぶってわめいて気付かない。俺はゆきの視線にむかって、『おかえしだ』と笑みを返してやった。これでイーブンだ。
「カズキ、お待たせしました」
「カズキさん、お待たせです」
次にフローリアとミレーヌが来た。既に二人とは、最初に三人で家族風呂に入ったあと、その夜も全員で入ったりもして、これで三度目の混浴となる。なので、その水着姿も、見知ったもの……ん?
「あれ、二人とも。その水着……」
「あっ! 分かりましたか?」
「はい! 前とは別の水着ですよ!」
別に俺が、以前二人の水着をガン見して覚えていたわけじゃない。ただ、さすがにワンピース型からニキニ型になったら覚えてるだろ。ビキニ型といっても、ミズキ達が着てるようないわゆるビキニではなく、形状としてはワンピース型の胴部分を外したような、スポーズブラみたいなビキニだ。胸元に軽くリボンがあしらわれていて、色はやはりフローリアが白、ミレーヌがピンクとなっている。
……うん、普通に可愛いな。
「二人ともよく似合ってる。可愛いよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「ありがとうございます。でも、将来は可愛いじゃなく、綺麗だって褒めて下さいね」
……なんだろう。微妙にミレーヌの将来を約束するような言葉は。いつもこの子の思考だけは、掴みどころがない気がする。……掴んだらダメなのかもしれん。
「フローリア様、ミレーヌ様、お待ち下さい」
「……ぉぉ」
思わずもれる俺の声息。それを聞き拾ったミズキとゆきがこっちを睨む。
小走りでやってきたエレリナは、予想通り水色の水着だ。明るいライトグリーンのビキニで、小走りにやってきたために、その……うん、アレだ。いわゆる着やせというか、普段はメイド服が多く身体的特徴が強調されることがなかったけど、思いのほか思いのほかだった、うん。
「……カズキ、お姉ちゃん見すぎ」
「は! い、いや、そんな事ないぞ」
「いいえカズキ。私にもそう見えましたよ」
「うん、カズキさんすっごいエレリナを見てた」
じとーっとした目に囲まれる俺。なんだっけこういうの。四面楚歌? 孤立無援? どっちかというか、モンスターハウスに迷い込んだ冒険者気分?
どうしようと、内心かなり焦っていたのだが。
「と、なるのは仕方ないですよね」
「……は?」
「まあね。逆にここでカズキに見てもらえないのは、寂しいもん」
「……えっと」
「でもだからって、あんまりジロジロ見られると恥かしいよ?」
「……あ、はい」
「なのでカズキさん。ぞんぶんに見てくださいね」
「…………」
何故か両手広げてウェルカム姿勢のミレーヌはさておき。
この場では、まあそこそこになら見てもいいですよとの言葉をもらった。まあ、皆との関係を考えると、そこまで拒絶されるのも寂しいとは思ったが、どうぞご自由にといわれるのもまた二の足を踏む。
ちなみに。
「ヤオちゃんも入れたらいいのにねー」
「仕方ないよ。どうやらこの温泉、壁の水晶は何か魔力が通ってるけど、お湯はごく普通のお風呂と同じっていうし」
「あの温泉のような湯じゃないと、のぼせるを通り越して茹だってしまうそうですね」
とまあ、そんな訳で今ヤオはこの秘境温泉入り口で、警戒待機をしてくれている。後で埋め合わせしてあげよう。
そんな事を考えていると。
「皆さん、お待たせしました」
「エレリナさん、水着ありがとうございます」
「いいえ。お役に立てたのなら光栄です」
ユリナさんとエリカさんがやってきた。軽く前を手拭いで隠しているが、見える部分から察するに二人ともビキニの水着を着用していた。ユリナさんが深緑、エリカさんが黄緑。先の発言や色からして、おそらく体型の近いエレリナのものだろう。
しかし……こう、なんだ。手拭いが邪魔で、ちょっとよく見え……見え……。
「カズキ、何をしているのかしら?」
「ふへっ!?」
無意識に必死に凝視していたのだろう、隣で湯船につかっているフローリアにえらい睨まれた。え、さっきは水着姿を見てもいいって……。
「お兄ちゃん。ユリカさんたちの水着はダメにきまってるでしょ!」
「見るなら私達にきまってるじゃない」
ミズキとゆきが断言した。ああ、そういう事か。言われてみればまあ、ごもっともだけど……んー……ついついレア度のせいか、二人の方へ視線が……。
「っ!?」
「カズキさん? わかりやすいですよ?」
顔を背けながら、ちらりと視線だけで追おうとしたが、その視界には笑顔のミレーヌがアップになる。わーい、ミレーヌの笑顔がなんかすごく綺麗だー。温泉に入ってるのに、ちょっと振るえちゃったよ。
「カズキさん、わかりましたか?」
「……ハイ」
諌められた。11歳の女の子に。
まあ、少しばかりゴタゴタしたが、その後は皆でのんびりと湯船につかる。
しかし目の前にある蒼い水晶壁がすごい。風呂場でこんな光景みたことないから面白い。この水晶自体が軽く光を発しているのか、この空間も思いの他明るく、水面にもれた光が乱反射して、また水晶に返って煌く光景は感心しか生まなかった。
「この水晶綺麗だよね。なんかキラキラして、星空みたい……」
そんな事をつぶやきながら、何の気なしにゆきが壁の水晶に触れる。すると、
「へ? な、何これ!? 星空!?」
「!?」
その場にいた皆の思考が停止した。
目の前から天井までを覆う蒼い水晶に、一面の星空が浮かび上がったのだ。まるで半円のドームスクリーンに、映写機で絵を写しているような、そんな感じになっている。
驚きで力が抜けたのか、ゆきの手が壁からそっと離れる。
「あ、消えちゃった」
すっと投影をやめたかのように元の蒼い水晶壁に戻る。
「ゆきさん。もう一度、星空の事を思い浮かべて触ってみてください」
「あ、うん。じゃあ昨日みた星空を……」
何か思いついたフローリアの言葉をうけ、ゆきがもう一度壁に触れる。
「出た。昨日みた星空だ」
「……やっぱり」
「フローリア、何か知ってるの?」
「これはおそらく、手で触れた人が思い浮かべている景色を投影することが出来る水晶ですね。同じようなものが、城にもありますが……」
「こんなにも大きなものは初めて見ました……」
フローリアの説明にミレーヌが感想を続ける。どうやら二人は、この情景を投影する水晶を知っているらしい。
「……綺麗」
「本当。天空に浮かぶ湯船にで入ってる感じ」
暫くその光景に見惚れていた。そして、ふと思いついたことがありフローリアに声をかける。
「フローリア。その、水晶に景色を映すのって誰でもできるのか?」
「はい。おそらくカズキでも出来ます」
「何々? お兄ちゃん何を映すつもり?」
壁の方へ歩いてきた俺を見て、ゆきがそっと手を離す。再びそこには、元の蒼い水晶の壁が。その壁にそっと手を触れて目を閉じる。
かつて、会社の社員旅行で行った温泉宿。
温泉宿の事はよく覚えてないが、たった一つだけ鮮明に覚えている景色があった。それを思い浮かべる。
「…………わああああ!」
皆が驚く声が耳に届く。
ゆっくりと目を開けて、目の前にある壁に映し出された景色を見る。そこには──
「──雪景色の露店風呂──」
水晶に細部まで映し出された景色は、立派な庭を眼前に設えた湯船からの光景。庭にある草木や灯篭には、しんしんと降る雪がゆっくりと積もって幻想的な光景を見せていた。
そう、そこにはかつて日本海──能登の温泉で見た、雪降る中で入った露天風呂の光景があった。
しばし、その光景を皆ことばをなくしてじっと見つめていた。
この温泉の湯には何も効果はない。でも雪景色を見てつかるその湯は、寒さと温かさを一緒に感じさせ、心の奥底を豊かな気持ちで満たす……そんな効果を感じてしまっていた。




