196.そして、差し伸べる御心の手
目の前にいる火竜にまとわりつく幾つもの黒い霧。それはかつて、エルフの里にあるご神木にも同様にまとわりついていたものだった。
この黒い霧のせいで、ご神木である古代エルフはいくらか衰弱し、それによって里の結界に綻びが生じることとなっていた。その結果、結界ではじかれていた魔物が何度か侵入してくる事となったのだ。
そんな厄介なものが、この火竜にもまとわりついていた。そのため火竜が衰弱し、その結果温泉への影響や周囲の気象悪化に繋がったのか。
『火竜よ、この黒い霧が原因で弱っているのだな?』
『……ああ。人間よ……何か……知っているのか……?』
火竜の目が俺を見る。本来ならとても強い圧を感じるのかもしれないが、こと衰弱している状況ではわずかに睨まれた程度にしかならない。
『ソレが一体何なのかは知らない。だが、以前エルフの里のご神木……古代エルフにも同じものが纏わりついていた。その時は聖女の助力にて霧を消滅させた』
『………………』
『もし貴方が望むのであれば、その身体にまとわりつく黒い霧を祓う手助けをしたいと思う』
『…………頼む』
言葉少なげに返事を返してくる。どうやらかなり容態が芳しくないようだ。
「フローリア! ミレーヌ!」
「「はい!」」
俺の呼びかけに二人の声が重なる。聞くと俺と火竜が話している間、フローリアも黒い霧に気付いたと。そして自分とミレーヌが呼ばれると察し、先にミレーヌに説明をしたらしい。随分と察しが良いと常々思うよ。彩和の広忠みたいな予知的な力も無いというのに。ともあれ、わかっているなら話が早い。
「二人とも、お願いできるか?」
「大丈夫です。ミレーヌ、やりましょう」
「はい、フローリア姉さま」
そう言うと、二人は共に手をのばしてしっかりと握り合う。その瞬間、何か見えたわけではないが、とても温かい空気に満たされたような感じがした。
二人はそのまま、繋いで泣いてを前へ出して火竜に触れるほどの近さにかざす。そのまま手のひらから光が伸びていき、火竜の体へと触れる。その光はそのまま体全体を覆うようにひろがり、すぐに火竜を薄い光の膜で覆った。
その光景をみて思い出したのは、エルフの里でご神木から黒い霧を消した時のこと。あの時も、彼女の光がその黒き不浄なものを消したのだ。
『……オォ……これは……なんと……!』
光に覆われると同時に、自分に纏わりついていた黒い霧がどんどん霧散していく。それにより、今まで覇気を感じさせなかった火竜の声に、徐々に力強さが込められてくる。
そして全身を覆った光が一度強く光った後、膜が薄れるように消えた。改めて火竜をみるも、先程までは凝視しなくとも見えた黒い霧がどこにもなかった。
「……ふぅ。カズキ、終わりました」
「もう大丈夫かな?」
「はい、おそらくは」
「そうか。二人ともありがとう。後はホルケの背で休んでいていいよ」
二人へ労いの言葉をかけ、今度は火竜の方へ話しかける。
『あの変な黒い塊はもう消えたと思うけど、どうかな?』
『…………ああ、先程までの不可解な感じが一切しなくなった。──感謝する』
そう言って俺の頭を下げたあと、改まってフローリアとミレーヌを見て火竜は頭を下げる。
「火竜が二人に感謝してるってさ」
「そうですか。お役に立てて光栄です」
「私も。元気になられてよかったです」
暫し感謝の意を表し、頭をさげていた火竜はゆっくりとこちらを見る。そして今度は念話でむこうから話しかけてきた。
『先程、古代エルフにも同じものがついていて、それを助けたとの言があったが』
『ええ。あそこにいるエルフの……』
俺の後方で火竜を敬うように見ているエルフ見る。
『エルフの里にあるご神木が古代エルフなのですが、以前黒い霧にまとわりつかれていたのを、先ほどの様に彼女──聖女フローリアが消滅させたことがあります』
『……そうか。アヤツは今は元気か?』
『え? ご存じなのですか?』
『過去の……はたして幾年前か。まだわしもここに住まう前の頃の事じゃ。わしもあやつも、まだ気の向くまま日々を流していた頃の事だがな』
そういってそっと目を細める。過去の出来事を思い出しているのか、その表情はどこか優しげで、それでいて寂しげだ。
ともあれ、大事に至らず一件落着かな。古代エルフよりも黒い霧の数が多かったせいかい、フローリアとミレーヌの二人で行ったにもかかわらず、少々二人はお疲れの様だけど。
あとはこの火竜に温泉との関連性を聞いて、できれば元に戻る様にして欲しい話をすれば終わり。そう思って話しかけようとした時だった。
「──主様よ」
ヤオから呼びかけられた。その声は、緊張の中にも愉悦がいりまじったような声。
つまり……今から何か始まるぞという意味を含んだ声だ。
「何かあった──」
言葉を言い終わる前に、その変化は訪れた。
何か強い力と共に、この洞窟の広間……あえて名づけるなら火竜の間ともいえる場所に、一つの巨大な影が立ち上った。その姿を見て、俺はおもわず声を漏らす。
「ドラゴン……?」
大きな翼を持ち、見るからに強靭な巨躯を掲げるその姿は、まさしくドラゴンだった。
だが何かおかしい。そう、そのドラゴンはどう見ても……
「あれは、既に死んでいます」
はっきりと断言するフローリアの声。聖女である彼女は、命の存在有無を“見る”ことが出来る。その結果、目の前にいるドラゴンは死んでいると断言したのだ。
「しかし、なんで今このタイミングで……」
『それは、わしを倒すためじゃろう』
「え!? それは一体?」
ふいにかけられた火竜の声に、驚いて振り返る。火竜の声はいま、俺とヤオにしか聞こえてないが、それを皆に説明する時間が惜しい。俺は念話ではなく、そのまま声にだして火竜に問いかけた。
『その竜擬きが何なのかは知らぬが、わしがここで弱り伏せっていることを知り、なぜか倒そうと機会をうかがっていたようじゃ』
『それじゃあ、あの死んでるドラゴンが先程の黒い霧を……?』
『いいや、おそらく違う。あの竜擬きはこの黒い霧を恐れておった。故に弱るわしをすぐ間近で見ておきながら、手をだせなかったのだろう。思考があるとは思えぬが、本能でそんな判断を下したか』
そんな死んでるドラゴン……何だ、ドラゴンゾンビとでも言うのかな。そのドラゴンゾンビを見て、火竜が身体を起こして構えようとする。しかし、つい先程まで体に不自由をきたして弱っていたので、まだ普通に起きるだけでせいいっぱいのようだ。
それに──やっぱりな。もうこの先の展開が、わかりやすくて仕方ない。
「皆下がって。火竜も下がって下さい」
『何を言うか。アレはわしを……』
『病み上がりで無理しないでください。それに……』
俺の言葉に従って下がる一同をしり目に、一人だけ口角をあげて笑いながら歩いて行く者がいた。
『それに、うちには一人重度の戦闘狂がいまして』
そう念話で伝えた瞬間。
「くくくっ! いいぞお前! 今回は遠慮せず最後までぶち抜けそうじゃなぁ!」
心底楽しげにそう言い放つヤオは、一度立ち止まる。ドラゴンゾンビがヤオをとらえるも、さして気にした様子も見せない。実際のところ、そこでヤオの力を見抜けない辺りで、いわゆる“お察し”レベルなんだとは思うけど。
「せっかくだが出し惜しみせず、最初から────全力じゃ」
ヤオを中心に、ゴオッと吹き荒れる嵐のような魔力余波がとぶ。その数瞬後、そこには本来の姿のヤオがいた。伝承にある八頭八尾の大蛇──八岐大蛇が。
「なっ! ヤ、ヤオ殿か!?」
「え!? 何!? ナニ!?」
驚くマリナーサとエルシーラ。あれ? エルシーラは以前ヤマト領で見た事なかったかな? ……ああ、そうか。あの時はフローリアと一緒に業者側の会合に参加してたか。
相対する巨大な存在。そうなるととりあえず気になるのは、
『この洞窟って、衝撃で崩落とか……ないですよね?』
『安心せよ。この広間はわしが何年もかけて作り上げた場所だ。わしが死なぬかぎり崩れることはない』
それを聞いて一安心。思いっきり本気のヤオが暴れたら、普通の洞窟なんてあっという間に生き埋めスポットになっちまうからな。
『ヤオ、火竜が言うには洞窟は崩れることはないそうだ。存分にやっていいぞ』
『了解じゃ! 我を見ていてくれい!』
そう言ってどっしり構えるヤオ。姿はヤマタノオロチなのだが、まるで腕組みをして仁王立ちしているかのような安心感が溢れている。
一瞬その圧で怯むも、本来恐怖を感じないという死んだ魔物特有の無謀さか。ドラゴンゾンビはそのままヤオへ突進してきた。
巨躯と巨躯のぶつかり合い。まるで特撮怪獣映画でも見ているかのような映像だが、そこから伝わる空気に振動、息遣い、それらが作り物ではない事を実感させる。
ドラゴンゾンビが突進しながら、鋭く細い鉤爪をのばす。それはまっすぐヤオの胴にあたり、さらに力を込めるドラゴンゾンビの行動により……ドラゴンゾンビが後ろに押し戻された。
ヤオはまったく動いていない。というより、微動だにしなかった。ドラゴンゾンビ渾身の攻撃は、そのまま自分を押し返すというあまりにも実力差を示す結果となっていた。
ドラゴンゾンビの行動が止まる。思考などするはずもない存在が、あまりにも常軌を逸した結果に本能でも行動理念を組めなかったのだろう。
「あまりに脆すぎじゃな。くくくっ……これでっ」
巨躯に似合わない素早い動きで、ヤオが尻尾を地面へ打ち付ける。地震のような振動をうけるが、その尻尾は先を下に曲げ地面へと突き刺さってる。それはまるで自身を地面に固定するかのように。
「これで、終わりじゃあああっ!」
完全に位置固定されたヤオの体から、7本の頭がドラゴンゾンビに鞭のように打ち付けられた。体の中心を基軸に、下以外の7方向から同じタイミングで同じ力での打ち付けだ。
そして最後に一番主軸となる頭が、ドラゴンゾンビの正面から豪快にぶつかった。何をも妨げることが出来ぬほどの力の波状は、あっさりと相手の体を打ち抜き、そして粉砕した。
「勝利じゃー!」
楽しげに叫ぶヤオの声が、まだ衝撃の余韻が残る広間に堂々と響き渡った。




