19.それは、まさかの襲来で
帰宅して一休みしている間に陽は落ちて夜となった。
その後夕食はデパート帰りに買ってきた蕎麦を茹でて食べた。どちらの食べ方にしようか迷ったが、せっかくなのでザル蕎麦にしてみた。ちゃんと海苔ものせて、そばつゆにみりんも入れた。
フローリアの評判は良かった。最初は音を立てて啜るという食べ方に、少々抵抗があったようだが、私がそうしているのを見て次第に真似するようになった。
食事の後は少しのんびりした後、フローリアにとっては待ちにまった一日千秋の瞬間だ。
冷蔵庫からケーキを出すと、もうその後は何か話しても視線はずっとケーキ固定。箱から出して、俺の分のショートケーキ1個を貰い、それ以外のケーキを渡すとそれはもう、満面の笑みだった。
さすがは皇女様という感じで上品に食べ始めたが、気付けば全て食べ終わっていた。俺と同じショートケーキの他、チーズケーキにショコラケーキ、あとカップのプリンアラモードがあったはずだが……。
女の子のデザートは別腹というのは、異世界でも変わらないんだなと感心した。
そして気付けば時刻は午後8時に。
別にこれでお別れという訳ではないが、何か寂しいという感じなのだろうか。静かに目を閉じて軽く息を吐いたフローリアは、ゆっくりと立ち上がった。
「カズキ、そろそろ……」
「……ああ」
リビングを出て部屋へ入っていくフローリア。俺は座ったままそれを見送る。中でなにかゴソゴソしているような音が聞こえるような感覚を受ける。しばらく待っているとドアが開き、LoUでの正装──グランティル王国の王女のドレスを纏っていた。
「おまたせ致しました、GM.カズキ様」
「……はい」
着替えが終わり、俺を呼びに来たフローリアを……いや、フローリア様を見て、俺も席を立つ。
そのままフローリア様に続いて部屋に入ると、ベッドの上にはゆったりと折りたたまれた白いワンピースがあった。今日デパートで購入した服だ。
俺の視線に気付いたフローリア様は、その視線の先を見て……寂しそうに微笑んだ。
「フローリア様」
「……はい」
ベッドの上のワンピースをそっと手に取り、そしてフローリア様に渡す。
「えっ……GM.カズキ様?」
「もしかしたら、持っていけるかもしれません。試してみますか?」
「…………はいっ!」
俺はいつものようにPCの前に座る。そして画面にはLoUの画面が表示され、ログイン画面を抜けキャラ選択画面まで進む。
「フローリア様、お手を……。決して離さないで下さい」
「……はい」
マウスを操作する右手は無理なので、左手をそっと後ろに差し出す。その手を優しく握り返す感触を感じた俺は、キャラクター“GM.カズキ”でログインをした。
ふっと意識が切り替わるような感覚の後、目の前には見慣れないが見覚えのある壁。
「……戻ってこれたんですね」
後ろから聞こえる声に、ゆっくりと振り向く。そこには安堵の表情を浮かべた、フローリア様がいた。
そしてその手には──白いワンピースがあった。
「これは……! 持って、これたのですね……!」
自分の手の中にあるワンピースに、ゆっくりと顔を近づける。そしてそっと抱きしめて、まぶたを閉じて感慨深く「嬉しい……」とかすかに呟く声が聞こえた。
それを見て満足した俺は、今日はもうこれで帰ることにした。ほぼ丸一日いたのだ、今日はもういいだろう。
「それではフローリア様。……おやすみなさい」
「はい、GM.カズキ様。おやすみ…………あっ」
お休みの挨拶を述べている途中で、何かに気付いて言葉を切るフローリア様。どうしたのかと見ていると、手にもったワンピースをそっと広げて自分の身体にあてて微笑みながら、
「カズキ、お休みなさい」
その行動に驚かされた。でも、どこかすごく嬉しく思う自分がいた。だから、
「お休み、フローリア」
そう返事をして、俺はログアウトした。
ログアウトはしたが、そのまますぐに“カズキ”でインをする。出た場所はマイルームの自室。
リアルではほぼ一日経過したが、こっちの“カズキ”はミズキと模擬戦をした夜だ。疲れたので早めに寝たという状況で、今夜はこのままここで眠ってしまおう。
ただ、今回のフローリア様との事で色々と考えねばいけないことも増えてしまった。
身体を休める為ベッドに横になっているが、目が覚めてしまっているのでそのまま考え事をする。
改めて考えないといけないことは主に2つ。
まず一つ目。
今回フローリア様は、リアルの世界から服をこちらに持ち込めた。これはある意味、とんでも無いチートだと思う。とはいえ許容範囲もわからないし、気軽に多様するわけにはいかない。
何より、俺一人で実行可能な現象ではない。リスク予想もできないから、しばらくはそういう事実があったと記憶しておくに留めておくしかないか。
そして二つ目。
ペット機能についてだ。
これに関しては気軽に実装するわけにはいかない。まずペットの定義範囲を決めないとダメだ。単純に愛玩動物なのか、それとも共闘できる相方レベルなのか。共闘可能なら、それは常設か召喚か。召喚であればさらに『召喚師』のようなクラスが必要になるかもしれない。単純にモンスターをペットにするだけでも、テイミング関係の仕様を考えないといけなくなる。
他にも細かく考えないといけないことはあるが、差しあたってシステムに直接関わってくるような事はこの二つだろう。
しかし今までと違い、終始一人でやらないといけない。仕様の設計ミスは言語道断だが、実装に際して調整不備もこまりものだ。はぁー、なんか仕事でやってる時よりシビアかもしれない。
横になりながらも、頭の中で仕様を考えてプログラムコードを仮構築していく。起きてる時間の全てをゲーム開発にあてるスケジュールなんて、マスターアップ直前の頃みたいだなと思うと何か不思議な気分になる。
そうやって延々と考えているうちに、次第に眠気がやってくる。
なんとなく今日はここまでかなと思い、考えるのをやめると急速に意識がおりていく。
今日は特に色々あったな……そう思い返しながら、そのまま寝付いた。
翌朝、特に何事も無く起きた。
リアルで散々デパートを歩き回ったが、その反動の筋肉痛もなく快適。もしかしたらリアルで寝てたら、こうじゃなかったかもしれないけど。
とりあえず朝食を済ませ、今日はどうするかを考える。昨晩考えたことをリアルに戻って作業着手でもするか。
そんな事を考えている時だった。どうにも外が少し騒がしい気がする。
「ミズキ、何か外が騒がしくないか?」
「うん、私もそう思う。ちょっと見にいく?」
「……そうだな」
ミズキと共に家を出ると、少し離れた場所から騒音が響いている。だが、その音はどうにもイヤな感じがする。なにより、その音にまじって──
「……悲鳴だ」
「え!?」
王国の中央道の方から聞こえる音、それに混じって聞こえるのは悲鳴だ。とにかく状況を確認すべきだと、俺はすぐにそちらへ走る。それに気付いたミズキもわずかに遅れて追走してきた。
中央道に近づくにつれ、何かの破壊音と打撃音。戦う音と悲鳴が響き、何人かがこちらに走ってくる。どうやら逃げているようだ。
建物脇の道を抜け中央道に出る。そこには、何十匹かのモンスターであふれていた。
「なっ……なんだこれは!?」
「えっ、なにこれ……」
驚く俺の後ろから、少し遅れてきたミズキが目の前の光景に絶句する。
近くでモンスターを切り伏せていた冒険者に声をかける。
「これはいったい何ですか!?」
「わからん。いきなりモンスターの大群が、湧くように出てきて……」
「……まずはコレを鎮静しないとだめか。いくぞミズキ」
「うん!」
あまり状況はわからないが、王国の中央道で暴れるモンスターを見過ごすわけにはいかない。俺とミズキはすぐさま討伐を開始する。俺は収納から武器を出して装備、ミズキも肌身離さず持っている愛剣を構える。
幸いにもほとんどが下級モンスターで、普通の冒険者ならまず遅れを取る様な事はなさそうだ。
俺とミズキの他にも、同じように駆けつけた冒険者たちによる掃討が始まった。おかげで少し余裕ができたので、まわりを見渡してみる。
先ほど話を聞いた冒険者からは「湧くように出てきた」と言っていたが、そんな様子はなく徐々に討伐も進みモンスターも目に見えて減っていた。
しかし、なぜ街中にモンスターが?
そう疑問を持ったが、もしLoUと同じ仕様が適応しているのであれば、この騒ぎの原因には心当たりがある。
LoUではモンスターを倒すと魔石が入手できる。魔石はそのモンスター特有の能力が内包され、武器や防具、装飾品などに利用されることが多い。だが、もう一つ変わった使い道もある。
それは『召喚石』だ。魔石を媒体に特殊な呪符を合成させると、そのモンスターを召喚するアイテムになる。
基本的にはあまり意味はない。同じモンスターを討伐するなら、クエストを受けてフィールドへ出向いた方が何倍も利益も意味もある。なんせ原材料の魔石は、一度倒したモンスターから出たものなので、それから作った召喚石で呼び出したモンスターは、ドロップはおろか経験値すら入らないのだ。
だが、実は一つだけとんでもない仕様がある。
ものすごい低確率だが、召喚した時に元になった魔石のモンスターではなく、その上位モンスターが召喚される場合があるのだ。
例えばゴブリン。ゴブリンの召喚石を使った場合、256分の1の確率でホブゴブリンになる。また65536分の1の確率で、なんとゴブリンキングになるのだ。ちなみにホブゴブリンの召喚石では、ゴブリンが出てくることはないが、32768分の1の確率でゴブリンキングになる。
このあたりのどのモンスターが確立何%で上位変異するかは、仕様のテーブルに決められているが一定の法則で定められた値になっている。一番低級なモンスターが、レイドボス級のモンスターを呼ぶ確率は4294967296分の1という、とんでもない確率だ。確率なら0.00000002328...%という所か。
この辺りはプログラムを組んだ際、変数の取り扱いを16進数で00000000~FFFFFFFFにした為だ。これを10進数──つまりコンピュータが理解する数値から人間が理解する数値に置き換えて、0~4294967296という範囲になっている。
まあ、内部の数値事情は今はどうでもいい。
とりあえず現実的な可能性で、ゴブリンやオークの一段階上位種が出てくるあたりは考慮したほうがいいだろう。
実際討伐されているモンスターには、ハイオークなどの姿も見られる。まあ、ハイオークあたりなら、元々ハイオークの魔石だった可能性の方が高いかもしれないが。
冒険者たちの初動が早かったのか、思ったほど酷い被害は出てないようだ。屋台はいくつか損傷しているようだが、この通りにならんでいる屋台は全部商業ギルドの保険に入っているはずだ。問題ないだろう。
見える範囲でのモンスターが全て淘汰され、とりあえず安堵したその時。
「うわああああああああッ!!」
少し離れた場所から、恐怖に染まった悲鳴が聞こえた。
どうやら中央道の東側の区画から聞こえたように感じた。そちらは整地されただけの広場があったはずだ。これがフィールドなら視界右側に表示されるマップに、マーカーが表示されるのだがここでは表示されない。なので確認のためにそちらへ向かった。
召喚石を使ってのモンスター召喚は、普通はモンスターが入ってこれない街中でも可能だ。それゆえにこの行為は『テロ』とか『石テロ』と呼ばれている。ゲームであれば、何度も生き返ることができるし、街であればデスペナもないので、面白がってやるプレイヤーも多かった。だが、この世界での生死はやり直せない。これは……犯罪だ。
建物の脇道を抜け、広場の前へ出た時にそれは目に飛び込んできた。
一人の男性が血を流して倒れていた。一目でもう息をしていないのがわかる。
その手元に散らばる麻袋からは、幾つかの魔石……いや、召喚石がこぼれ見えている。どうやら彼がこのテロの犯人だったようだ。
だが、問題はその男の傍にいた。
人よりはるかに大きな巨躯。
全身を纏う黒いローブより、さらに暗く禍々しいオーラを纏い。
こちらを見るその目には、生気はないが血のような赤い輝きを。
間違いない。
実装モンスターの中でも屈指の強敵で、トッププレイヤー達が強力してやっとというレイドボス。
「デーモンロード……」
熟練のプレイヤー達が、完璧な連携をしてようやく討伐できる強敵だ。
なので、さすがにこれは無理ゲーだと感じた。
そう、“カズキ”には荷が重いな──と。