119.それは、僥倖な未知との遭遇
深淵の森へ向け歩き続けること数分──いや、もしかして十分以上、もしくはもっと……かも。このエルフの里は時間の流れが独特なのか、どこかゆったりとした時の中にいるような気になってしまう。
ともかく、程よく歩き続けた俺達が多い茂った木々の道をぬけると、そこは開けた場所となっていた。
その中央には……。
「これが古代エルフの宿るご神木……っ!」
“時間”がそこにあった。
深く、しかし瑞々しいその木面は、太古より延々と時を刻んできた証を見るだけで感じられるほど。よくテレビなどで齢数百年の大樹を見たりするが、それをも包み込むような圧倒的な存在だった。
太さはざっと見て10メートルを楽々超えていると見ていい。もしかしたら、この世界でいうところの『世界樹』みたいな存在なのかもしれない。
見た目もすごいが、この樹から感じるその力もすごい。見えないのだが、その“圧”というかとにかくこちらを圧倒する力の奔流が感じられる。
しばらく眺めていると、フローリアがぽつりとつぶやいた。
「ここにミレーヌがいたら、どんな光が見えたのでしょうね」
何気ない言葉だが、俺もゆきも思わず「あぁ」と声を漏らす。ミレーヌは珍しい特性の魔眼持ちで、相手の本質を本人が放つ色合いで見極められる。その対象は人間に限らない。ましてこれだけ強い力を放出しているのだ。ここのご神木でもきっと何か見れたに違いない。
感慨深く眺めていたが、ふと自分たちが何のためここに来たのかを思い出した。あわててマリナーサを見るも、こちらがご神木に感動しているのを微笑ましく見ているようなのでほっとした。
「すみません。思わずご神木に見惚れてしまいました。さっそく本来の用件を」
「わかりました、こちらです」
俺の言葉にフローリアとゆきも慌てて視線も戻し、俺達の方にやってくる。それを見てマリナーサはご神木の裏側へまわりこむ。それに続いて俺達もそちらへ行く。
「ん? これは……」
「はい。これが先程お話した黒い霧です」
ご神木の裏側、高さ的には俺の腰あたりだろうか。そこに黒い霧のようなものが纏わりついていた。気体のようだが、黒い色をしており、ずっとそこに滞在しているのを見るとたんなる湯気などの存在ではないことがわかる。
さすがに気味が悪いので、そのまま手を伸ばすのは……と考えていると、フローリアがすっと前に出てきた。そして黒い霧の方に手をかざした。少し心配になり声をかけようとすると、
「大丈夫です。少し手をかざして様子を見るだけですから」
落ち着いた声で返答された。既にもう聖女フローリアとして行動しているのだろう。
手をかざした姿勢のフローリアがうっすらと光の膜が貼られるように光る。魔力が強いため、視認できるほどの光になっているのだろう。手のひらの光が強くなり、それがそのまま黒い霧に伸び……触れる。
瞬間、光が黒い霧を消し崩すように消去していく。光に触れた箇所から、どんどん黒い霧が散って消えて行く。そして大きくなった光が収まった時、もうそこに黒い霧はなくなっていた。
「……もしかして、消えた……のですか?」
つい先程までどう対処してよいのかと悩んでいたものが、一瞬の出来事で文字通り霧散して消え失せてしまった。おかげでマリナーサは目の前の出来事が、うまく消化理解できていない。
「とりあえず──です。今ここにあった霧はなくなりましたが、何故ここにあの黒い霧があったのかは今の時点ではわかりません」
「なるほど。でも、とりえあずご神木にあったあの霧は消えた、ということでよろしいのですよね?」
「はい。あの霧は純粋な悪意の塊でした。その質が純粋すぎるので、神聖な魔力以外での駆除が難しかったのだと思います」
「そうですか。でもこれでひとまずは……」
ようやく安堵の表情をうかべたマリナーサが、その心情を吐露しようとした時、ご神木から激しい力の奔流を感じた。それは、まるで激しい暴風の中にいるのに等しいような衝撃をうける。だが、息苦しいようなこともなく、純粋に只々そこにあるということを実感するだけ。
何が起こっているのかと困惑していると、その力の奔流がご神木の根本にあつまる。そしてそれは人の形をつくり、やがて大きな流れも収まった。
そこには一人のエルフがいた。端整で美麗な顔立ちで、中性のような笑みをたたえた存在。その人物をみてマリナーサは、はっと気づいたようにあわてて頭を下げる。
その様子に、俺はなんとなく予想がつく。
「あなたがご神木の……古代エルフですか?」
どう聞いていいのかわからなかったが、とりあえず普通にそのまま質問。俺の声を聞いたその人は、俺を見たあとフローリアとゆき、そして頭をさげているマリナーサを見て微笑む。そして何かを発するように口をぱくぱくするが、何かの力が漏れたりするような気配もない。なので少し様子を見ていると、
『……んぁ、……すえ、……と』
何か会話の端々が聞こえるような声が漏れてきた。そして、
『……これでどうか。長らく人族と交流がなく“言葉”を扱うのも久しい故』
はっきりと声が聞こえた。口から発しているように見えるが、声は耳からではなく頭へ語りかけるように聞こえてくる。言葉自体が、意思をもって相手へ届けられているということか。
『そして……ふむ。古代エルフと呼ばれることもあるな。それ以前はどう呼ばれていたのか、もう覚えてもいないのだが』
そういってその古代エルフが俺を見る。
『我の膝元に纏わりついていた悪意を消してくれたのは、そなたたちか?』
「はい。でも、実際にそれを行ったのは……え? どうした二人とも!」
フローリアとゆきの方を見ると、まるで何かに耐えるかのように地面に崩れ落ちている。それは巨大な力で押しつぶされそうになっているようにも見え、おそらくはこの古代エルフが放っている力の影響なのだろうと推測する。
「あ、あの。もし出来たら力の放出とか抑えたりできませんか?」
『力を抑える……? ああ、こういう事かな』
古代エルフがふっと力を抜いたように感じる。とたん、背後から大きく息を吐くような声が聞こえた。
「……ふぅ。もの凄い力を感じました」
「本当ね。なんでカズキは平然としてるのかな。不公平だよ」
「いや不公平とかいわれてもな……」
愚痴られても困るので反論したが、俺を不思議に思う声は他にもあった。
「ハイエルフの私でも、膝から崩れ落ちないようにするので精一杯だったのに……貴方は一体……」
いや、そんな事を言われましても。そして、
『ふむ……とても面白い“在り方”をしている人族だね』
古代エルフに面白いと言われた。まあ、多分この面白いっていい方には、俺の不思議な事情を含めての意味合いだろう。
「俺が何なのか……わかるんですか?」
『詳しくは知らないかな。私が記憶という概念を理解できるようになって以降、貴方のような存在には出会ったことはない』
「そうですか。……あ、先ほどの黒い霧を払ったのはこちらの……」
「私です。初めまして古代エルフ様。私はグランティル王国第一王女フローリア・アイネス・グランティルと申します。この旅は聖女の力をとの申し出を受けまして、こちらへ来ました次第です」
丁寧な挨拶をするフローリア。とりあえず当初の目的も一応果たせた安心感もあるのだろう。
『そうですか、感謝します聖女フローリア。私ではあの悪意の塊は、まともに対処できない不可思議な存在だったのでな』
「それなんですが、何か心当たりとかありますか? いつどうしてあんな霧が纏わりついてきたとか」
一応の解決はしたけど、根本がまだだと思う。いってみれば目についたゴミは片付けたけど、そのゴミを生み出した原因がまだ野放しということだ。
『……永らくこの場所にいたが、ついぞあのような不可思議な物に会ったことはなかった。いつから……というのもわからぬ。気付けばそのようになっていたのだと思う』
「初めてあの黒い霧を見たのは10日ほどまえです。それから数日のうちに、大きさはさほど変わらずとも、秘める悪意の強さが増大になり、そして結界の一部に綻びが生じました。それで私が外へ出て行くことになったのです」
古代エルフはその性質からかあまり記憶をしていない。なのでマリナーサが補足をした。
『そうか、影響で結界に綻びが出ていたか。ならば──』
古代エルフがそっと目を閉じて、一瞬強大な魔力を放出する。何がおきたのかさっぱりだが、おそらくは結界の修復などをしたのだろう。ならばこれで一安心……と思ったその時。
「ん? 誰かこっちにやってくるな」
「何だと?」
マップに俺達以外のマーカーが映って、こちらに接近している。色は青で、どうやら里のエルフだと思われる。なのでそのまま待っていると、道の先から一人のエルフが走ってくるのが見えた。
「…………~ッ!」
「なっ!?」
そのエルフが叫んだ聞こえない声を、マリナーサが聞いて驚きの表情をうかべる。
「いったい何があったのですか?」
ただ事ではないと緊張した表情でフローラが聞く。それに対し少しあわてた様子で、
「彼が言うには、結界の綻びから幾多の魔物が、内側へ侵入したらしい……と」
「少し遅かったか。……行こう、フローリア、ゆき!」
「はい!」
「ふぅ、やっと出番かな」
俺はすぐさま決断する。当然マリナーサも頷いて行動を開始する。俺は最後に古代エルフの方を見る。その顔は笑みを湛えながらも、真剣な意思をもっていた。
「まずこれを片付けてから、色々と話をしましょう」
『……よろしくお願いします』
その言葉をうけ、俺達は来た道を戻り走り出す。
まずは侵入した魔物の掃討だ。それから古代エルフの話も聞かないといけないな。
後は……フローリアを一度休ませるか。あっちの世界にいって添い寝……じゃない、休憩をさせてあげないといけないよな。
……休憩だよ。ご休憩ではないよ?




