救済処置
1
「という訳で、今日から俺達のクラスで匿うことになる雲雀だ」
「……よろしく」
教室に入るなり早々に言い放ったハルの横で、相変わらず薄い表情のまま雲雀が小さく頭を下げる。そのまま数秒、辺りに静寂が満ちた。
雲雀と合流した、その翌日。
朝の教室にはハルと雲雀の他に二つの人影がある。
ハルより先に教室に来ていたフェルミと切正の二人は、揃って似たような半眼をハル達に向けてきていた。
「……いや、いきなり、という訳とか言われても何も伝わらねーから」
無言のままでは話が進まないと思った斬正が、こめかみを掻きながら呆れたように溜息を漏らした。
「それで、結局そこのやつは誰なんだ?」
「だから言っただろ。今年入った新入生の雲雀。種族は有角種」
「新入生、ねぇ……?」
そう呟いて、切正は胡乱げな視線をハルの脇に経つ緋色髪の少女に向けた。無慮な視線を向けられた雲雀が居心地悪そうに身じろぎする。そうしてから半歩、まるで親を頼る子供のようにハルとの距離を縮めた。
それを見て切正が首を振る。
「随分と懐かれているようで……。それで、その新入生で有角種の雲雀ちゃんは一体どんな経緯でうちのクラスで匿うなんて話になったんだ?」
「個人情報に関わる事情につき黙秘する」
「……じゃあ、港で聖獣団に襲われてた理由は?」
「それも黙秘で」
「…………お前とその子の関係は?」
「黙秘」
「………………ほぉ」
表情こそいつもの口の端をつり上げたものだったが、切正のその額に青筋が一つ浮かび上がる。その気持ちはハルにも分からないでもなかったが、事情が事情だけに説明することもできない。雲雀が鬼種だということは出来る限り広めるべきではないのだ。
「ハル」
ここで不意に、ハルと切正のやりとりを眺めていた雲雀が声を上げた。ハルと切正が揃って小さな体躯の少女を見やる。
二人の視線を向けられながら、雲雀はちょこんと小首を傾げた。
「クラスって、何?」
雲雀の素朴な疑問に切正はとうとう頭を抱えて項垂れた。
「おいハル。それすらも知らない奴に肩入れをしようとしているこの状況に何か疑問は覚えないのか……!」
「あー……、そういえば説明が必要だったか」
恨みがましい切正の声を完全に無視して、ハルは頬を掻いた。
この学園に辿り着いてから雲雀はずっと聖獣団の追撃を受けていて、学園から新入生に対して行われる説明会などに一切出席していない。その為、この学園では誰もが知っているような知識も持っていない。ハルはそのことをすっかり失念していた。
「クラスって言うのは、要は生徒達主導の集まりみたいなものだ。年に一度ある序列戦の上位戦績者にはいくつか特権が与えられるんだが、そのうちの一つにクラス編制の権限が与えられてるんだよ」
この少女にはこれから色々と教えていく必要があるなと考えながら、ハルはこの学園のクラス制度について説明していく。
世界中から粒ぞろいの才能が集まるエテュディアン学園の中でも、最も優れた才能を決めるために年に一度行われる序列戦。
序列戦で勝ち残った上位五十名の学生達にはクラスを編成する権利が与えられ、またそれぞれのクラスに専用の教室が与えられる。教室といっても学園の校舎とは完全に独立していて、実質的には利用自由な拠点を丸々一つ与えられるようなものだ。クラスはその教室を利用して、各々研鑽に努めるのである。
「で、この場所もそんな感じで与えられた、俺たちのクラス〈クラス=アルームノ〉の教室なんだよ」
そう説明された雲雀は改めて教室内を見渡した。
学園から与えられたという〈クラス=アルームノ〉の教室は木造の一階建ての建物で、部屋の隅にはロフトに続く梯子が立てかけてある。単純な構造の室内には、多人数用の大きなテーブルが一つに窓際にはソファーが二つ。部屋の奥には簡易のキッチンらしきものまで確認できる。
しかしそれらよりも雲雀が気になったのは、部屋模様であった。
窓際にはインテリの観葉植物があり、ソファの上には柔らかそうなクッションがあり、テーブルの上にはそれぞれのマグカップが置かれている。
それらを確認し終えた雲雀は納得したかのようにこくりと一つ頷いた。
「日々を堕落して過ごすための場?」
「もう少し包み隠して発言しような?」
ハルも否定はしなかった。学園に一切干渉されない拠点を手に入れたことを良いことに、ハル達は教室には各々が好き勝手に娯楽品を持ち込んで、自分達が過ごすのに快適な空間を作り上げている。そこには自己を錬磨するための要素の欠片もない。
「ああ、そういえばこれからは雲雀の分のカップとかも必要か。近いうちにまた港にでも買い物に行くか」
「ん」
ハルと雲雀の二人のやりとりを横で聞いていた斬正は既に雲雀をクラスで匿うことが決定事項として進んでいることを悟って、うんざりと溜息を漏らした。
「……おいフェルミ、お前からもなんか言ってやれ」
自分の言葉だけでは何の意味がないと思ったのか、切正は大して期待もせずに、それでも一応、今の今まで無言だったフェルミに声をかける。
フェルミは声をかけてきた斬正の方には視線もやらずに返答する。
「……ハルが入れたいって言ってるんだからいいじゃん」
「お前はいい加減そのハル絶対至上主義をやめろよ……」
クラスメイトの予想通りの返答に切正は嘆息する。
フェルミのハルに対する態度は妄信に近い。聞いたところで、この獣人種の少女が何よりもハルの意見を肯定することは火を見るより明らかであった。
意気消沈する切正の姿に流石に哀れみを覚えて、ぽんとハルはその肩に手を置いた。
「まあまあ、斬正、別にお前だって厄介事は嫌いじゃないだろ?」
「俺は外から厄介事を眺めるのが好きなんであって、自分がそこに参加するのは好みじゃないんだよ。……てことで、今回俺は一切関わらない方向で」
「却下」
にべもないハルの返答に斬正はもう一度、溜息をつく。
「……わかってるよ。意見が割れた場合は多数決で決める。それが、このクラスの決め事だからな。……だけど」
「ん?」
「うちのバネの世話はしっかりとしとけよ」
そう言って斬正が指差す方向にハルが顔をやると、そこには無言のまま雲雀を見遣るフェルミの姿があった。ハルも一応、雲雀と教室に来てから殆ど喋らずに無言のままだったフェルミのことが気になってはいたのだ。
感情をすぐに表に出すフェルミにしては珍しく、顔は無表情である。しかし、制服のスカートから伸びる尾はぶんぶんと振られていて、その心情を激烈に語っていた。
フェルミはハルの意見には盲目的に従ってしまうところがあるので一応は雲雀の加入にも賛成はしたが、納得はあまりしていないようだった。
「……なんであいつはあんなに不機嫌なんだ?」
理由はともあれ聖獣団と荒事になるような事態だったら、フェルミは諸手を挙げて喜びそうなものだ。そんな理屈が通用してしまうほどに、フェルミと聖獣団の折り合いは悪い。
そのフェルミがどうしてああも機嫌を拗らしているのかが分からずに、ハルは首を捻る。
「なんでって、お前……」
その理由に一切思い当たる様子のないハルの様子に、斬正が盛大に呆れを漏らす。
まかりなりにもこの学園でも常識外れの実力で知られ、時には神童とすら呼ばれるこの獣人種の少女が一体どうしてこのクラスに籍を置いているのか、普通少しでもその方向に考えが至れば容易く察することが出来るだろうに。
「なんだよその目は?」
「いいや、別に」
なにか可哀想なものを見る目を向けてくる斬正を睨み返すが、あまり意味は無かった。
居心地の悪くなったハルは話を進めることにした。何故か不機嫌のフェルミには、後で話をすれば良いだろう。
「ともかく! 今朝港区でも方見たとおり、多分聖獣団と事を構えることになる。とは言っても雲雀がうちのクラスで匿う以上、向こうも今までみたいに迂闊には手を出さないとは思うんだけどな」
今までのように一人の生徒に手を出すのとは状況が違う。
クラスに所属する生徒に手を出せば、それは組織と組織の対立になる。ハル達のクラスは他のクラスと比べると極端に在籍する人数が少ないが、それでもそう簡単に手を出すわけにはいかなくなるだろう。
「まあ、用心に用心は重ねて、とりあえず雲雀は今後単独で行動はしないこと。それと出来る限りはこの教室で過ごすこと」
そう言われて、雲雀は若干不満そうではあったが頷いた。
ハルとしても窮屈だろうとは思ったが、これは我慢して貰うしかない。今朝のように好きに単独行動を取られては護衛のしようも無い。
「もうそれはいいけどよ、根本的な解決にならないだろそれじゃ」
斬正の意見に、ハルも頷く。
「分かってる。これじゃいつまで経っても事態は収まらない。最終的には聖獣団に雲雀を諦めさせなきゃいけないんだけど……」
「執行部は?」
「駄目だ、今回の件で執行部はあてにならない」
「そりゃどうして」
きょとんとした様子の斬正に、ハルは以前あった話の内容を伝えた。最初は平然とした表情だった斬正も、話を聞き終えた後にはすっかり苦々しい顔つきになっていた。
それはそうだろう。
あの内容はつまり、状況次第では執行部すらも敵になる可能性があるということだ。
未だに執行部が動かない理由は分かっていない。情報収集を頼んだ楠葉からも、今のところ連絡は無かった。
斬正と一緒に話を聞いていたフェルミは、面倒事を前になんてことも無いように言う。
「もういっそのこと、聖獣団を壊滅させちゃえばいいじゃん」
「なんでそんな好戦的なんだよ……。そもそも、相手の規模と実力を考えて言え」
あまりにも短絡的なフェルミの意見に、ハルはがっくしと肩を落とした。
聖獣団はこの学園でも最大規模の集団派閥である。
加えて聖獣団の団長は昨年の序列戦三位に名を連ね、その相棒である契約者も序列戦では三十位以内に食い込むこの学園切っての実力者だ。
フェルミは確かに才能をかき集めたこの学園においてもよりいっそう優れた才能を持つ逸材だが、だからといってそれで聖獣団をどうこう出来るものでは無い。
「……しばらくは時間を稼いで、その間に打開策を探るしかないか」
少なくとも雲雀がハル達のクラスの庇護下に入った以上、短期間でどうこうされるような状況は脱しているはずだ。
「そういうわけにもいかないんじゃないか?」
「ん、なんで?」
「阿呆。色々と常識外れではあるが、一応ここは学校で、学校ていうところは勉強するために存在してるんだぞ」
「あ」
言われるまで授業という存在を完全に失念していたハルは、思わず間の抜けた声を漏らした。そんなハル見て斬正は呆れたように息を漏らす。
「そうか。授業か……、むう……」
ハル自身は中等部に所属している時点で必要単位を殆ど取り終えてしまっていたので、完全にその存在を忘れていた。授業があっては、引きこもって時間を稼ぐことも出来ない。
最悪、今期の授業は全て捨てるというのも可能性としてはありかもしれない。幸い、後期になれば再び履修授業は選択することが出来る。後期の授業計画がかなり辛くはなるので、入学した年からそれはあまり認めたい行為ではないが。
どうするべきかとハルが頭を悩ましていると、今まですぐ横で静観していた雲雀がくいくいっと、袖を引っ張ってきた。
「ハル、そんなあなたに朗報」
「ん?」
「なんと私は前期、一切授業を取っていない」
「…………は?」
しんと、教室の空気が固まった。
間抜けな声を漏らしたハルだけではなく、横にいた斬正も何を言われたのか分からないかのように緋色髪の少女を注視している。いままで機嫌を拗らせ口数を無くしていたフェルミですら、目を丸くして雲雀を見遣っていた。
教室中から視線を向けられて、雲雀が小首を傾げる。
「ん?」
「いやいや、ん? じゃないから。そうじゃなくて、授業を取ってないって、なんで!?」
「そこには涙無しには語れぬ、世界を破滅の淵に追いやる一大事情が存在する」
「やたら規模がでかいなー」
「十八部構成全三話」
「部が多い! そして話少なっ! 密度濃!」
単純計算で一話毎に六部が詰め込まれていることになる。そもそも部と話の関係とは、それで成り立つものだっただろうか。
「なんだろう。逆に俺はどんな話か気になってきたんだが……」
斬正が神妙な顔つきで唸る。
「そういうのは良いから、出来るだけ手短に話せ」
「ん」
先程のやり取りなど無かったかのように、雲雀はあっさりと頷いた。
曰く、何もそうしたくてそうしたわけではなく例によって聖獣団に追撃を受けていたのが原因らしい。学園の規則には疎い雲雀だが、一応期限までに履修届を出さなければいけないことは知っていたのだそうだ。だがそれは聖獣団側も承知で、学園の窓口付近には常に監視の気配があって近づけなかったんだとか。
「だから心配する必要は無い」
「当面の心配を逃れる代わりに、俺は別種の心配が出てきたがな……」
何故か胸を張って言う雲雀にハルは頭を抱える。
果たしてこの少女はこの学園を卒業することが出来るのだろうか。
「……でも臨時選択科目があるじゃん」
「あー、やっぱそれしかないか」
一応協力をするつもりはあるらしく、未だ不機嫌な色を残しつつも飛んできたフェルミの助言に、ハルも首肯した。
聞き覚えのない単語の登場に、横で聞いていた再び雲雀が首を傾げる。
「……臨時選択科目?」
そんな雲雀に向かって、ハルは肩を竦めた。
「一応、救済処置があるんだよ。お前みたいにふざけた選択をした学生向けのな」