学園島の教師
戦闘技科目野外実習訓練。
それが、雲雀がこの学園に入学して初めて受けることになった科目だった。
毎年、新入生が入ってから一ヶ月程経ったこの時期に行われる恒例の臨時選択科目である。
臨時選択科目は学期始めに週単位で決める通常科目と違い、不定期に学内の掲示板などに告知が行われてから、各生徒が任意に申請することで受講することができる科目だった。
「おーおー、たくさんいるなあ」
周囲に溢れる人集りを前にして、ハルはそんな感想を漏らした。
広い学園内でも南東に位置する港部に比較的近い場所にある広場。
若草色の芝生がきちんと整理されたその場所を、ハルと雲雀は二人で並んで歩いていた。
この場所は港場付近であり学園の各施設に行く際にも中間地点にあることもあって、何かと集合場所に指定されることが多い。今回もそんな一例である。
集まっている人数はおおよそ二百人程だろうかと、ハルはざっとあたりをつける。広さに余裕があるとはいえ、それだけの人数が一カ所に集まればそれなりに混雑する。すれ違う人の合間をすり抜けながら、ハルはそれとなく周囲を窺う。
「離れないように気をつけろよ。はぐれると色々と厄介だからな」
状況が状況だけに警戒を怠るわけにはいかない。
ただでさえ、雲雀の紅色の艶髪は目立つ。
集団の中にあって、先程から好奇の視線を度々向けられているのを感じていた。ただの好奇心ならば問題ないが、もしその中に聖獣団が紛れ込んでいたとすると厄介だ。流石にすれ違いざまに刃物で刺すような暗殺者紛いのようなことはしてこないだろうが、港区では場所も弁えずに襲ってきた例がある。
「ともかく、常に注意しておくこと。知らない相手にはついて行かないこと。俺とは出来る限り離れないこと。分かったな? ……雲雀?」
もし斬正あたりが聞いていたら過保護だと呆れられそうなことを口にしてから、返事が全くないことを疑問に思い隣に居るはずの雲雀を見遣る。そこにはあちこちに忙しなく首を動かす少女の姿があった。
「おい、どうした?」
「ふぇ!?」
「……」
軽く肩を叩くと雲雀が小さく悲鳴を上げた。まさかそんな反応をされるとはハルも思っておらず、まじまじと雲雀の顔を眺めてしまう。
「え、……あ」
はっきりと自分が醜態を晒したことを自覚したのか、雲雀は顔を紅くして俯いてしまった。その様子を気まずげに眺めていたハルは暫く考えた後、見なかったことにした。
「で、なにか気になることでもあったのか?」
何事も無かったように話を続ける。
「気になるというか、その……」
釈然としない雲雀の様子にハルはもしやと考え、注意を巡らせる。
ハルには気付くことの出来なかった相手の気配を、この鬼種の少女が察知できていたとしてもおかしいことではない。鬼種の雲雀とヒト種のハルでは生来の能力に大きな差がある。ましてや雲雀は一ヶ月以上の間、聖獣団の襲撃から逃れてきた実績があった。
「……大したことじゃないから」
「なんでも良い。言ってみろ」
何故か言い淀む雲雀は促されてもなお暫く逡巡していたが、少しして観念したように言った。
「知ってはいたけど、いろんな種族がいるなって思っただけ」
「……ん?」
予想外の言葉にハルが首を傾げると、恥ずかしくなった雲雀が早口に捲し上げた。
「だから、いろんな種族が居るなって思ったの! だって、こんなに人が集まってる場所なんて初めてなんだもの! しかもこんなに色々な種族が、たくさん! 私だけじゃなくて、誰だって初めてだったら困惑する!」
「わかった! わかったから唾を飛ばすな!」
その迫力にハルは思わず身を引きながら、雲雀がこんなに感情を露わに話すのは港区で焼き菓子を食べたとき以来だなと驚く。己に流れる鬼種の血を語るときでさえ、能面を保っていたというのに。羞恥心に絶えきれず逆ギレとは、この鬼娘も中々可愛いところがある。
顔を上気させる雲雀を宥めながら、ハルは改めてじっくりと周囲を見渡した。
「なるほどな」
目に入ってきた光景を確認して、確かにと納得する。
有角種、有翼種、獣人、小妖精、エルフ、ドワーフ、リザードマン――等々。
今、この広場には雲雀の言うとおり様々な種族が存在していた。
学園生活の長いハルには見慣れた光景でしか無かったが、学園に入学しながら今まで授業に一切出席せずに逃走を繰り返してきた雲雀にとって、これだけ多様な種族が揃っている場に参加するのは今回が初めての機会だろう。
「う……」
ハルに続くようにもう一度辺りを見渡した雲雀だったが、偶然、近場にいた一人の小妖精と視線が合って、慌てて顔を反らした。そのまま一歩後退って、ハルの背後に隠れるようにして回り込む。
「……おい」
まるで迷子になった子供にも似たその様子に、流石のハルも呆れた。
今雲雀と視線の合った小妖精という種族は、ヒト種と同じような肢体、そして背中に美しく透き通った羽を持つ種族である。
小妖精達の特に際立った特徴として、その身長の小ささが挙げられる。
小妖精の平均身長は僅か20センチ程だ。
見た目通り他種族と比べて筋力などでは大きく劣るが、その飛行能力と視認性の低さ、マナを攻撃に利用した魔術の扱いに長ける種族で、相手にするときは決して侮れない。
が、当然小妖精に見た目的な威圧感などは一切無い。そんな体長僅か20センチの相手に怯える鬼種というのははたしてどうなんだろうか。少なくとも、傍から見ていてとてつもなく情けなく感じられる。
「お前はもう少し度胸をつけような……」
「こんなにたくさん人がいるの初めてだから、落ち着かない……」
自分でも一応情けないという自覚はあるのか、その声音は低い。しかしすぐ隣を大柄のリザードマンが通っていくと、さらに半歩程、隣にいるハルとの距離を縮めた。
港区で漁夫達と食事をした時にも随分と口数が減っていたし、この少女、以外と肝が小さい。自分に対しては平然と斜め上の発言をしてくるのは、信頼されていると喜ぶべきなのか舐められていると悲しむべきなのか、迷うところだ。
「……お前、そんなんで大丈夫か? 学園対抗祭なんてこの比じゃないぞ。そもそもここにいるのだって、学園生徒の極一部だし」
学園対抗祭とは二年に一度行われる、この学園と同じように契約者を育てる学園と合同で行われる模擬戦のことだ。実際に死人が出ることも珍しくない、生徒達の国元からは度々中止要請の出る学園の悪名高き風物詩である。参加不参加の自由はあるものの、全校合わせて 毎回六千名以上が参加する最大規模の訓練である。
それと比べてしまえば、この場所にいる生徒達はこの学園の戦闘技科の一部の生徒でしかない。数は多く見積もっても二百程度。三千近くの生徒を抱える学園の、極一部にすぎない。
それに、とハルは続ける。
「ここにいるのはお前と同じで履修状況に難を抱えている奴らだからな」
「あ」
雲雀が気がついたように声を上げた。
ハルの言うとおり、この臨時選択科目には雲雀のように己の抱えた履修計画に悲鳴を上げた生徒達が救いを求めて参加している。新入生が入学してからそろそろ一ヶ月、丁度この辺りの時期が各々が自分の履修計画の欠陥に気付く頃だ。毎年、新入生が入ってから一ヶ月程経ったこの時期に行われるこの臨時選択科目は、絶望の淵に吊された救いの糸というわけである。
まあ、流石に雲雀のように一切の授業を取っていない者は他にいないだろうが。
「ほら、そう考えれば少しは親近感も沸くんじゃないか?」
「うん」
雲雀は慎重な動作で再び周囲を見渡して、
「無理」
ぎゅっと、腕を伸ばしてハルの制服の袖を強く握った。
その仕草はかわいらしくもあったが、ハルは呆れたように肩を上下させる。
一人にさせないようにとついてきたハルだったが、果たしてこの鬼娘は一人だったらどうなっていたのだろうか。その事を想像すると、ハルは溜息をつかざるえないのだった。
「よーし、全員集まってるなー? 面倒だから出席確認はしないぞー」
そのまま暫く落ち着きの無い雲雀と話していると、集合場所の広場によく通る声を上げる人物が現れた。その人物は集合場所の広場中央に陣取ると、集まった生徒達を腰に手を当てながら見渡していく。
「あーやれやれ。今年も新入生共が大漁大漁。これに懲りたら、後期はしっかりと履修計画を立てなさいよ」
そう快活にからからと笑いながら言うのは、ハルにとっては良く見知った相手である、亜麻色の髪をした長身の女性だった。
身体のラインをなぞるようなピッチリとしたレザースーツの上に、急所を守るだけの軽装の防具を身につけている。そして何よりも目立つのは、銀色の細長い柄の先にロングソードにも劣らない大きさの刃が付いた、剣と槍を合体させたような長大な武器を背負っていることだった。広場の誰もが、その獲物の巨大さに注目し目を見張っている。
「知らない奴も多いだろうから一応自己紹介をしておくわ。私はこの学園で戦闘技科の実技を受け持ってるシェンナ・ハンテス。今日みたいな実技系の臨時選択科目も基本的には私の担当だから、覚えておくよーに」
シェンナの言った言葉の真意を察して、ハルは苦笑した。
彼女の台詞は暗に、どうせ今いる奴らはこれからも臨時選択科目の世話になると言っているようなものだった。
「そんでもって」
シェンナは背中に背負っていた巨大な長物を片手で指さし、
「この子が私の契約相手である剣身種のセン。私とセンはこの学園の卒業生でもある。つまりあんた達の先輩ってことだ。いいかー、敬えよー?」
そう冗談めかしながら笑う姿を見て、シェンナがこの学園の指導者だと実感が沸いた生徒は少なかっただろう。その雰囲気から、寧ろ同級生のような気楽ささえ覚えてしまう。
そもそも卒業生と言っても、シェンナがこの学園を卒業したのは十五才、高等部になってすぐの頃だった。そのため、そこまで生徒達と歳は離れていないのである。
「じゃあ、早速だけど今回の授業内容を説明するよ」
シェンナの調子に俄に空気が弛緩していたが、その台詞に広場に集まった生徒達の緊張感が高まった。
何しろここに集まった多くの生徒が前期の単位を捨てる羽目に陥っている、入学早々に出だしを挫かれた者たちである。その遅れを少しでも取り戻そうと、気が逸るのも仕方が無い。
ハルの制服を握る雲雀の手にも、自然と力が入る。
そんな様子も毎年のことで慣れているのか、シェンナは軽く笑った。
「授業内容は至って単純。知ってる奴も多いと思うけど、この島の半分くらいは未だ手を入れないまま放置されてるわけ。あんた達にはその未開拓部からいくつか材料を取ってきて貰う」
「材料?」
手前の生徒が漏らした呟きに、シェンナが頷く。
「そう。いくつかの薬草と鉱石。詳細はこの資料に書いてあるから」
そう言って、シェンナが課題内容を示した紙を生徒達に配布する。ハルと雲雀もそれを受け取って、内容を確認する。
「それらは錬金学科で使う物なんだけどね。不足分の材料を課題にこじつけて補充しようってわけだ。錬金学科は材料が手には入って、あんた達は単位が貰えて、みんな幸せってわけ」
「……」
ハルは手元の紙に目を通していく。
書かれた材料の数は決して多くは無く、また探索の難易度もそこまで高いものではない。最初に言っていたとおり、初めての臨時選択科目ということもあって然程苦労するものではない。また、提出期限にも大分余裕がある。新入生が多いということも十二分に考慮されているのだろう。
しかし、指定された材料の中にどうにも気になることがあった。
それはハルだけでは無かったようで、集まった生徒のうちの一人が手を上げる。
「あの……」
「ん?」
「最後にある酩酊竜殺しっていうのは……?」
「ああ、それは港付近の酒屋で売ってるから、入手は簡単よ。お値段はちっとするかもしれないけど、店番をハゲのおっちゃんがしてるときなら値切ることも可能だと思うわよ」
「……」
沈黙する生徒。多分その生徒は、そういうことを訊きたかった訳では無いだろう。
別の生徒が再び挙手する。
「ええと、じゃあ……。塩っ気のある食べ物って言うのは……」
「あーそれはお酒と合えば何でも良いかな。個人的には塩漬けした乾燥肉とかが好きだけど」
「……」
その生徒も黙り込む。
「…………」
広場に何とも言えない空気が漂い始める。なんとなく、今自分達の前に立つ教師がどんな人種か全員感づき始めたのだろう。
「他に質問はある?」
気になることはある。ありすぎる。
しかし、相手が先生という立場であるがため、迂闊には言い出しづらい。そんな雰囲気を知ってか知らずか----ほぼ間違いなく前者であろうが----、シェンナは特に気にした様子もなしに辺りを見渡した。
げんなりとした生徒間に目に見えない重い曇天が立ちこめる中、そんな空気を引き裂くように叫び声が上がる。
「ふ、ふざけるなっ!」
広場に怒声が響き渡る。一体何事かと、生徒達が一斉に声のした方向に顔を向けた。
「酒につまみだと!? どう考えても、こんなもの錬金学科で使わないだろう!」
そう怒声と共に正論を吐き出しているのは、その肩に小妖精を乗せた男子生徒だった。
共通の学園の制服を身につけているのにやけに身嗜みが良く、どことなく気品が漂う美男子だ。恐らくはどこかの貴族出身なのだろう。身振り手振りで抗議するその姿勢も、堂に入っていた。
男子生徒の紛れもない正論に果たしてシェンナがどう受け答えるのかと、広場の生徒達の注目が集まる。そんな中、シェンナはあっけらかんと言った。
「うん、そうだろうね。それは私が欲しいだけだし」
開き直りやがった。
ハルのみに限らず、広場にいた生徒達の殆どが内心でげんなりとする。
声を上げて訴えていた男子生徒もまさかそんな返しが来るとは思っていなかったらしく、目を見開いて硬直していた。
しかし、すぐに我に返る。
「き、貴様、それでも世界に名立たるエテュディアン学園の」
「てや」
「ごぱあっ!?」
次の瞬間、声を上げた生徒の姿が吹き飛んだ。
その生徒は目にも止まらぬ速さで地面に激突し、そのまま身体を引き摺るようにして近くに生えていた木の幹に激突した。
シン、と広場が寝静まったかのように音が消える。
そのままぴくりとも動かぬその男子生徒を、周囲の生徒達は震えながら見ている。いかなる方法によってか、吹き飛ばされた生徒の肩に座っていた小妖精も同じように意識を失っていた。
さらに恐るべき事に、あれだけの速度で地面に激突したはずなのに、その生徒には目立った怪我が一つも無い。
一体何が起こったのか、その動きを目で追えた者はこの広場には誰も居なかった。
「うーむ、ご愁傷様」
ハルが呟く。
シェンナは、小等部からこの学園の戦闘技科に在籍するハルにとってはよく見知った教師だった。ハルは齢十の頃からあの人物の元で剣を教わり身体を鍛え知識を得てきたのだ。当然その実力もよく知っている。
学生達の静寂に包まれた広場をシェンナは笑顔で見渡した。
「はーい、じゃ、他に質問がある人いる?」
その問いに、手を上げる者は誰も居なかった。
世界中から粒ぞろいの才能が集まるこの学園島。
傑出した才能を持つ者たちは自分に自信を持ち、基本的に我が強い傾向にある。
そんな問題児達を預かるこの学園島の教師が、ただの教師に収まる範疇でいるわけがないのだ。