7 鬼ヶ島の門、ガルーチ
前話のあらすじ
光の柱はワイザーがやったことになっていた。
ユーキはこれ幸いと油断して柱を見たら大変な揺れに襲われた。
修験国ガーラの中心である鬼ヶ島は天を突き刺すように聳え立っている。
遠くから見れば針のようだったそれは、近づいて見れば、両端が見渡せない。
見上げれば所々に大きな岩が突き出ており、黒い岩肌が輝いている。
その山に近づくにつれ、薙いでいた波は荒れ、視界を遮り、船を大きく持ち上げた。
山の近くを通る大きな海流があり、海底に突き出た岩がそれを乱しているという。
揺れる中で思い出す。
大きな揺れに巻き込まれた例の事件。
今も上下に振り回されているが波の波長は大きくゆったりとしたものだ。
あの時はもっと短い周期の深刻な揺れだった。
しかし、揺れていたのは僕だけだったそうだ。
シャプリーンさんによれば、僕は急に体制を崩してギザベルさんに倒れ掛かったそうだ。
とっさに僕が伸ばした腕は彼女の胸に伸びていたらしい。
「あんなに男らしく圧しかかるなんて、大胆ですわ」
シャプリーンさんはからからと笑っていたが、笑っていたのは彼女だけである。
僕はまだ、ギザベルさんには謝ることが出来ていない。
すぐに船室に連れて行かれ、今に至っている。
シャプリーンさんは事情も説明したので気にすることは無いと話していたが、どうにも落ち着かない。
せめて一発張られていれば少しは楽だったのに。
「ユーキ様、落ち着きませんか?」
「ええ、まぁ」
整体師でもあるシャプリーンさんにより、倒れたのは神の息吹の影響によるものと診断された。
光る柱を目に入れないようにと念押しされたこともあって、船室から出ることを自粛していた。
「かなり揺れてますからね」
「……ああ、そうですね」
ギザベルさんのことが気になっていたのだが、ルニは船の揺れのことだと勘違いしているようだ。
「良かったら甲板に上がってみますか?」
「……そうですね」
ルニに勘違いされたままだけれど、甲板に出るのならギザベルさんに合う機会もあるだろう。
そう思って手を引かれて外に出た。
『これは凄いね』
『噂には聞いてましたが、本当に凄いです』
囂々と吹く風は謎の力で船を避けていくが、音までは防げない。
多くのスキルが無効になっている中で【ウィスパー】は無事で本当に良かった。
魔道具で波を操って進む船だが、大波を吸収しきれず上下に揺れていた。
乗り物の揺れには強い方だが、立っていられるかどうかは別問題だ。
足下が落ち着かない僕とは違って隣のルニは全く危なげ無い。
彼女は【歩行術】の力なのか根を張る大樹のようにしっかりと立っている。
一方で僕の【歩行術】は仕事をせず、彼女の左腕に情けなく捕まるしかない。
『ユーキ様』
『え、なに?』
『くすぐったいので、もっとしっかり捕まってください』
あんなことがあった後なので、恐る恐る捕まっていたのだが……。
ギザベルさんのあの冷たい視線を思い出す。
副船長にあんなことをした割には、船室に食事を持ってきてくれた男性の船員さん達は好意的だった気がする。
去り際にサムズアップをして行った人がいたのは何でだろうか?
『あんなことがあった後ですし。ねぇ』
『仕方無いお人ですねぇ』
笑顔でそう言うと、前を通ってくるりと後ろに回り、慌てる僕の腰に手を回してしっかりと支えてくれた。
揺れる背中に柔らかいものが……場に相応しく無い邪念を小さく頭を振って追い払う。
氷河で難破する豪華客船の映画でこんなシーンがあったな。
あれ?なんか男女が逆だったような。
情けなさにため息が出て、それ以上考えるのを止めた。
―――――
船は聳え立つ山を前に右手に大きく舵を切り進む。
進んでいるのか分からないぐらいの波の中だが、岸壁に飛び出た大岩はゆっくりと後ろに流れていた。
落ち込んだ僕の気分や海の荒れ模様に関係無く船は進む。
「客人!驚いたか!」
「ええ!すごいですね!」
「ここはシャハグンでも恐ろしい所だぜ!この船じゃなけりゃ遠回りするところだな」
ギザベルさんに会えればと思って居たが、遭遇したのは船長のバッツさんだ。
近くの欄干に捕まりながら大声で話しかけてきた。
僕の表現力では凄いとしか返すのが精一杯だった。
急流下りよりも、遊園地の大型アトラクションよりも恐ろしい光景が流れていく。
「ほれ、もうちょっとだぜ!」
似たような岩の隆起が海底にいくつかあり、このあたりでは比較的安全なルートとのことだった。
鬼ヶ島の回りをぐるりと進むと、やがて建物が見えてきた。
「おお!あれが?」
「そうよ!あれがガルーチ!我らが港町よ!」
大陸から張り出したような港には多くの船が停泊している。
いつまでも続くかと思われた風と波の音が収まり始め、やがて喧噪に出会った。
湾内には大小多くの船が停泊している。
乗って来た船もそこそこの大きさだったが、その甲板から見上げるような大きさの船も停泊していた。
同じような大きさの船が止まる桟橋に近づくとあれよという間に係留作業が進み、タラップが架けられた。
「ほんじゃ、またな!」
係留作業を見守っていたバッツさんはタラップを降りて行った。
つるっと光る頭がかっこいい。サハギンが発音できなくてシャハグンと言っちゃうのを打ち消すぐらいにはかっこいい。
僕にああいった仕草は似合わないのは分かっているけれど、ちょっと羨ましい。
「よっこらせ」
声のほうを見ればワイザーが椅子から立ち上がっていた。
これまでずっと上半身裸だったのに、船員の服を借りて羽織っている。
その脇に立つシャプリーンさんもいつものヒラヒラした服ではない。
帽子まで被って完全に水夫さんの姿だ。
なんでも、この船に乗るときにワイザーを見ようとする一団とひと波乱あったらしく、今回はお忍びスタイルで行くらしい。
正直、僕はそこまでしなくてもと思っているが、船員の皆さんの表情は真剣だった。
「それではよろしいでしょうか?」
近くにはルニ、ラル、ワイザー、そして先導役のシャプリーンさんが居る。
残念ながら、ギザベルさんへの謝罪の機会は得られなかった。
「この服が邪魔くせえ、さっさと行くぞ!」
「はいはい。行きますよ」
シャプリーンさんを先頭にタラップを降りる。
桟橋に足をつけると、船上とは違いしっかりと反応があって嬉しい。
なんとも大地のありがたみを感じた。
皆が危なげなく降りたのを確認して、桟橋を進んだ。
大きな荷物を抱えた人が多いが、流石ゲームだけあってその荷物のサイズがおかしい。
物置一つ分ぐらいの箱を肩に背負った人が歩いている。
こういうときは【インベントリ】の出番だと思うんだけど、そういえばまだ普及してない設定なんだっけ?
なんにせよ、視覚的には今の方が面白いのでわざとかもしれない。
「あぶない!」
大きな声に意識を戻すと、その物置一つ分が僕たちの方に倒れてきていた。
いや、もう当たりそうというか回避できない。
「ちゃんと持てや」
ワイザーはキャッチボールでもするような気安さで箱を受け止めると押し返した。
「わ、わりいな。助かった」
「おう、気をつけな」
その脇を何事も無かったように一行は進んだ。
桟橋は大きな物が枝のように分かれてそれぞれの船に繋がっている。
その桟橋の根元に辿り着こうとしていた。
「危なかったですね」
「そうか?」
「騒ぎになったら、折角目立たないようにしてるのが台無しですよ」
ワイザーに自覚は無かったようだが、さっきはそれなりに目立っていた。
町に入ればシャプリーンさんの師匠という人のお宅に行くことになっているのでそこまでの我慢だ。
「この門も懐かしいな」
「あら、そうでしたか?」
町の入口となる桟橋の根元には大きな門があった。
地面から岩の柱が2本、道を挟むように突き出ていた。
左の柱には「鬼ヶ島の門」右の柱には「ガルーチ」と書かれている。
【インタープリター】のお陰で確かに読めるが、その文字は丸みを帯びたシンプルなものだった。
鬼ぐらいはビガンやヘルムートでも目にしたが、それとは違っていた。
「身分証を出して下さーい」
役人らしき人の掛け声に隣を行くルニが【冒険者カード】を出した。薄黄色のカードは僕も同じレベル5の物だ。
続けてラルが出した薄いピンク色のカードはレベル4の物だ。
「ユーキ様も出して下さい」
「おっと」
慌てて出した【冒険者カード】は濃い緑色だった。あー、そういえばレベルが一つ上がってたな。
このアメリカで便利なカードみたいな色はちょっとどうかと思う。
「ワイザーは?」
「俺は持ってねえぞ。なかなか覚えられんくてなぁ」
「無くても平気なの?」
「さあな?前は検査なぞやってなかったから知らん」
……ふーん。
シャプリーンさんは右手にピンクのカードを持っている。
彼女の伝手もあるだろうし、なんか入る方法あるんだろう……。
それでも、なんかひっかかるな。
何だったか、入門する時に……。
係の人が空港で使うような金属探知機のような道具を持って入門する人に対応している。
ビガンやヘルムートはゲート式だったけど、大きな荷物があるせいか、チェックする側が動く仕組みのようだ。
今では当たり前だが最初に【冒険者カード】を翳したときは嬉しかったな。
最初はどうしてたっけ?
係の人はもうシャプリーンさんのチェックに来ている。
カードに道具を翳すとピッと鳴った。
ピッと鳴るのは支払いの音だ。
ビガンでもヘルムートでも入町税は200¥だったがガルーチはどうかな?
手続きを終えて今度はワイザーの番だ。
「俺はカードが無いんだが」
「はいはーい。じゃ確認するんで右手伸ばして」
あ!最初にビガンに入ったとき!
係の人は金属探知機のような道具をワイザーの腕に近づけた。
「カードが無くてもいいなんて、便利になったよなぁ。毎回講習会を勧めるのも」
ガチンという金属音がして、彼の話は中断された。
続けて「ビー、ビー」とガス警報のような音が続いた。
向こうから、水夫さん達やワイザーに負けない屈強な見た目の方々が近づいてきている。
そうそう。最初は【犯罪履歴】チェックでしたね。
ワイザーの腕には黒い輪が巻き付いていた。
拘束能力は無さそうだが、逃走しても所在を知らせる仕組みがあるのかもしれない。
「お兄さんはちょっとあっちでお話聞きましょうかね」
あー。そうだった。
ワイザーは【ステータス】覗きの軽犯罪が累積して町に入れないんだった。
「あなた方もご一緒のようですが、カードをチェックしますね」
「おい、こいつらは違うぞ」
「はいはい。チェックしてから順番に聞きますからね」
ルニから順番にカードを提示したが問題は無かった。
「お連れさんと一緒にお話聞きましょうか?」
「あー。俺だけでいいだろ。すまん。シャプ、ユーキ達を連れて先行っててくれ」
考えもしなかったという表情のシャプリーンさんと、残念な物を見る我々を尻目に、ワイザーは連れて行かれてしまった。
あいつ、ちゃんと解放されるのかな?
解放されない方が多くのプレイヤーには良いのかも知れない。
連れて行かれる大男に、僕は貰えるはずだったメダルの行く末を心配した。
次話「愛と呪いと」




