5 焼ける肉は言葉を呼んで
前話のあらすじ
使えないスキルがあって悲しんでいたら、ワイザーがメダルくれた。
船は不思議な波に乗せられて水上を滑る様に疾る。
完全に水流の力に依存したこの船にはマストも帆も無く甲板は広い。
海の上だが揺れは少なく、路面のような振動も無かった。
「これも、こっちも裏面にワイザーの名前があるけど、こっちは筋肉ダルマで、こっちは優男風なんだけど?」
「あー、こっちの細っこいのもまぁ俺だ」
「昔はスリムだったけど、鍛えてマッチョになったってこと?」
「あーそいつはな。スキルが生まれねえかと食うのを我慢してた頃の俺だ。だがまぁ、長くは続かなくてな。ほんの千年ぐらいのもんだぞ」
隣で床に座るワイザーの解説が入る。体が大きいので床に座っていても椅子に座る僕と目線が変わらない。
先日ワイザーに貰ったオズワルド硬貨を甲板で眺めているうちに、ワイザーが話しかけてくるようになって、これが今では小さな楽しみだ。
ワイザーは千年をほんのと言い張る言葉通りに、オズワルド硬貨の図案になるほどの偉人は古い人物でも良く知っていた。
ヘルムートの書店で手に入れた人物辞典は【森崎さん】から取り出せないので、ワイザーの大ざっぱな記憶でも十分にありがたかった。
ただし、こいつは女癖が悪いとか、口が臭いとか、笑いすぎて死んだとか、人間臭い情報の方が多かった。
「こっちの太ってるのもワイザーなの?」
「そりゃ、太ったらなんかあるかと試してた頃だな。量を食わなきゃならんし、ちっと体動かしすぎっと減っちまうのが大変だったな」
「良いことなんてあるの?」
「まぁ、打たれ強くはなったが、体が重くて動きは遅くなったな」
「あんまり良さそうに聞こえないけど」
「だからこそよ」
――だからこそ。
数日過ごして、この男の言うだからこその意味も分かる。
不便だからこそ新たなスキルが生まれる可能性に敢えて挑んでいるのだ。
この男は自分の定めた目標に忠実だ。新たなスキルを生み出すという、このゲームのグランドクエストに馬鹿馬鹿しいほど真面目に取り組んでいる。
今となってみればプレイヤーを襲うというイベントも動機面だけは理解できる。
イベント用のキャラ設定としては良く出来ている。
とは言え、襲われたことに納得はできない。
「ワイザーの金貨は種類が多いな」
ワイザーにもらった袋には硬貨がぎっしりと詰まっていた。
オズワルド金貨は23枚あったが、10枚がワイザーが意匠のもので、バリエーションが5種類もあった。
健康神の5高弟の中でも弟子になってからの年数だけならワイザーが一番長いらしい。
【再生】のスキルを生んだことから健康神の高弟として古くから世界を見てきたという設定だ。本人曰く『ずうっと昔から』、ラルの解説によれば数万年では済まないずうっと昔からだ。
現実世界で置き換えてみると紀元前の世界で全く想像が付かない。
僕は、真面目なのかバカなのか分からないこの人物に対する態度を決めかねていた。
「ユーキ殿はそいつが本当に好きなんだな」
「まぁね」
僕は今、ワイザーと一緒にいる。
僕は呼び捨てで、ワイザーが殿付けはバランスは悪いがワイザーの『まぁ、お互い好きなようにすりゃいいか』の一言でお互いの呼び方には不干渉になった。
甲板に設置された布張りの大きな椅子に座ってただただ穀を潰している。
波を操作して進む船の甲板上は進行速度の割に穏やかな涼風が吹いてとても快適だ。
ワイザーが大きすぎて船内に行けないので、最近ではずっとここが定位置だった。
早朝にルニ達の鍛錬を横目に整理運動した後は、他にやることがない。
部屋にいるよりはここで波を見ている方が気が紛れた。
視界の隅、甲板の片隅には、ルニ達がシャプリーンさんに無手格闘術の指導を受けているのが見える。
あのラルがアクション映画のような組み手をしているのを見ると、未だに不思議な気持ちになる。
遠くて良く見えないがなんか高度なやりとりをしているのが分かるのは、ワイザーとの一戦でやけに上がった【拳術】【蹴術】 の効果だろうか?
彼女達とは一年以上合っていないという事になっているが、僕にとって分かれたのはつい数日前のことだ。
時間の経過を表しているのだろうが、単にキャラブレにも見える。
暫く離れていた彼女達の輪に入りたいがそうも行かなかった。
目が覚めた日の翌日、ルニからいつもの朝練に誘われた。
ヘルムートでしていたように剣を持ち型を一式となったのだが、僕は最初の一振りでバランスを崩し、続く一振りに行く前に転んだ。
手の振りと足捌きが全く合わず、元々どうやって動かしていたのか分からなくなった。
そして、何度かやってみたものの一式終える前に息が切れ、少し涙が出た。
以来、シャプリーンさんに激しい運動は止められている。
師匠筋の整体師に診せるまで無理するなということらしい。
スキルが不調なだけではなく、体調も今ひとつなことから大人しくするしかない。
「おっ、この匂い。そろそろだぞ!」
「いちいち見せなくていいって。ほらっ汁!汁飛んでるから!」
汚されては敵わないのでメダルをさっと金貨用の袋に戻し【インベントリ】に戻した。
【インベントリ】が残ったのは不幸中の幸いだな。
ワイザーが摘まみ上げてこちらに見せてくるのは肉汁が滴るステーキだ。
まだ生の部分がある肉を当たり前のようにを素手で掴んでの所行である。
肉を片手に満面の笑みがやけに似合う。
感染症を気にしたこともないような振る舞いもゲームなら良いのかな。
ステーキが載っているのは大型の魔道コンロだ。
甲板に備え付けの設備で、サイズは本格バーベキュー施設にあるような大型のものだった。
スリットの入った金属の板がかけられ、売るほどの量の肉塊が並んでいい音をさせている。
肉から立ち上る白煙の向こうに広がる海原をぼんやりと見つめた。
日は高くなってきたが、昼時にはまだ早い。
まだ早いのだが、甲板でまどろんでいるとワイザーが肉を焼き始めて僕に食べさせようとするのだ。
大量の肉は【メガロシャーク】という体長が5メートルもあるサメ風の魔物だ。
その不幸な魔物はワイザーによって毎日のように捕らえられて来る。
僕が寝室から甲板に上がって来てルニの横で整理体操を始めると間もなく、マーライオンのような騎獣に乗ってワイザーが現れる。
ロープで繋がれた魔物の巨体を甲板に引きずり上げると【解体】を使う事も無く手刀で首を撥ね、皮を引っ張って剥がし、同じく手刀でズバッと背骨から切り分けられた。
その頭部と背骨、そして内臓は海上で待つ騎獣の餌だ。
鬣を持つライオンのような騎獣は古い種類の魔物でワイザーしか載せないという。
獅子の様な大きな口がゴリゴリと骨をかみ砕く音も最初は驚いたが、連日となれば流石に慣れてしまった。
「美味ぇ!このあたりの海じゃ、やっぱりメガロの肉だよな!水温が高くて脂の具合も悪くねえ」
「もう食べてんの?まだ早くない?」
既に咀嚼しているワイザーに突っ込んだ所でぎゅるりと腹が鳴った。
体調はいまいちでもお腹は空く。
「ほれ、皿」
ワイザーの声に無言で皿を突き出すと、ワイザーは既に空になった手をぺろりと舐め、鉄板の上から肉を掴んで寄越した。
僕も慣れたもので、奴が掴んでいた部分にそっと【洗浄】を掛ける。
【洗浄】しすぎると旨味も飛ぶ気がするので最小限に抑えるのがポイントだ。
「さあ食え食え」
「はいはい。いただきまーす」
「おう、まだまだあるからな!どんどん食えよ!」
偉そうなワイザルドは既に次の肉に噛み付いていた。当然手づかみだ。
一切れといっても600グラムステーキぐらいの塊である。それをトゥーン映画のように大きな口で齧り付いて3口ぐらいで食べてしまう。
アレはちょっと真似できない。
僕は文化的にフォークで抑え、ナイフを入れる。
厚い肉にすっと刃が通るのがとても気持ちいい。
持ち上げた切断面の赤色と周囲の焼け具合とのコントラストが綺麗で食欲を刺激する。
がぶりと噛み付くと先ほどから鼻を刺激していた匂いに相応しい肉のうま味が脂と共に広がった。
岩塩を揉み込んで寝かしてあっただけなのに――
「うまい!」
「そうか!そりゃ良かった」
子供のように破顔するワイザーは悪い奴じゃない。多分とても良い奴だ。メダルくれたし。
邪険にしていたけれど、一緒にいるうちに僕はワイザーと仲良くなってしまっていた。
また一切れ切り出し、しっかりと咀嚼し味を楽しむ。
あふれ出るうま味は強いが単調ではなく舌の全体で楽しめる。
一口、一口と幸せを噛みしめて、皿が空になっていく。
「ほらよ」
良いタイミングで新しい肉が載せられる。
皿から顔をあげるとワイザーがいい顔をしてこっちを見ていた。
「ありがと」
「肉食って早く本調子になってくれや」
僕は苦笑いを返し、コップを掴むと水を流し込んだ。
調子の良いことを言って周りを安心させたいが、僕の体調は自分でもさっぱりよく分からない。
肉ばっかり食べていていいのかも正直分からない。目の前にあるよく謎の野菜の漬け物を申し訳程度に口に運び、また肉にフォークを突き立てた。
「まだまだあるからな」
「知ってる」
肉が沢山あるのは良く知っている。
船の冷蔵スペースに入りきらないと船長のバッツさんが零しているのを聞いて、【森崎さん】があればと思ったのは今朝のことだ。
新鮮なのを食った方が体に良いからな!と笑顔のワイザーに狩りに行くのを止めろとは言いにくかった。
「ほらもっと食え」
「まぁちょっと待って」
二切れ目であるが大きな肉塊で、現実だったら大食いチャレンジの写真が店舗に張り出される程の量だ。
しかし、まだ食べられた。そして、食べていれば皿は空く。
「ふー」
「ほらよ」
平らげたのところで、また一枚載せられた。
肉はわんこそばのように平らげる度に新しいものが提供された。
うん。まだ平気だ。
ゲーム的な要素で即座に体力や魔力に変換されているのかもしれない。
まだ食べられるが……それでも塩だけというのは少し飽きてきた。
よし。ちょっと味を変えよう。
「ワイザー、ちょっとそこのタレ取って」
「おう」
ワイザーは良い返事だったが、手を伸ばす前にそれは別の人の手によって奪われた。
「ワイザルド様、私めもご一緒させてください」
「おう、構わんぞ、勝手に座れ」
「ありがとうございます!」
長身の女性は長い手でその壺を掴み、綺麗な仕草で匙を取り出すと僕の皿にかけてくれた。
とろりとした茶色の液体から漂うスパイシーな香りが食欲をそそる。
「ユーキ様、これでよろしいでしょうか?」
「ありがとうございます」
表情が薄い彼女はギザベルさんだ。身長2メートル超。少し細身。あまり笑い顔を見せない。ワイザーと同じ鬼人族。そしてこの船の副船長だ。
「わぁー。どのお肉も美味しそうですわ!」
「おう、好きなの食え食え」
「ありがとうございます!」
そんな彼女もワイザーと話すときは普通に笑顔だった。
あー、失敗したな。撤退時を間違えた。
そろそろ昼時だったのを失念していた。
ギザベルさん以外にも船員の皆さんが仕事の手を休めて集まって来ている。
目の前の肉だけ片付けて撤退しよう。
「こちら、よろしいですか?」
「えっ?」
まあ、割と細マッチョな女性も大好きだから、全然大丈夫というか嬉しいぐらいですけど。
「あ・な・た・には聞きたいことがあります。黙って場所を詰めなさい」
「えっ?」
ギザベルさんはそのまま隣のチェアにすとんと座った。
なんか不穏なセリフが出ていたような……。
これまで船員さん達は遠巻きに様子を伺ってる感じだったのに、急にグイグイ来たな。
彼女はワイザーの焼いた肉を一塊確保すると、サイドテーブルの上を勝手に詰めて皿を置く。
そして素早くナイフを入れ、まだ熱そうなそれを口に運んだ。
「まぁ、本当に美味しい!」
わざわざワイザーを振り返っての感想だったが、ワイザーの回りには他の船員が集まり始めていて誰もこっちを見ていなかった。
彼女はばつが悪そうにゆっくりと僕に向き直った。
「いや~。ワイザーは忙しそうだね」
「ワイザルド様に同行する機会はとても貴重ですから、船員の中でも座る順番が守られていますのよ」
貴重……なのかなあ。
会いたくないと思ってのダッカ行き。そして、そこからの一連の流れで貴重だと思える要素は全く無い。
「ユーキ殿はワイザルド様とどのようにお知り合いになったのですか?」
「え?聞いてないんですか?」
「ワイザルド様もシャプリーン様からも客人としか伺っておりませんので」
「あれ?そうなの?」
これはちょっと意外だ。
片っ端から【ステータス】を覗き見ていたワイザーなら、僕の状態をペラペラと喋っていてもおかしく無いと思っていたのだけど。
「どんな風に聞いてるの?」
「私が聞きたいのですが……」
彼女は考えるような表情で肉を一切れ放り込む。
「ワイザルド様の客人ということですので我々もそれ以上の詮索はしていなかったのですが」
「うん」
また一切れ口に運ぶ。鬼人族は健啖家が多い。
「ワイザルド様が別件の折に直接ユーキ殿に伺うように仰って下さったので、私がこうして参ったのです」
「へぇー。普通に聞いてくれて良かったのに」
「ワイザルド様の客人であるからにはそうは行きません」
「そうなの?ワイザーの、ねぇ」
「ユーキ殿はワイザルド様の偉業をどの程度ご存じかしら?」
なんか、急に来たな。
ご存じですかと言われても一般的な事しか分からない。
「……えっと、健康神様の五高弟の一人で[剛健]のワイザルドとか呼ばれてるんですよね」
「そう!そして、その前身、原初の三高弟の一人でもあるのですわ」
「へー」
タレをかけてもらった肉にナイフを入れると湯気が上がった。
口に放り混むと謎のソースの旨味が口いっぱいに広がる。
謎ソースは船の備品で聞いたことの無い木の実と香辛料を混ぜた、ちょっといいものらしい。
「んぐ……その、原初の三高弟って何ですか?」
「な!ワイザルド様の客人ともあろう人が知らないなんて!」
そんなこと言われてもな~。
一緒にいることに気がついてからまだ一週間も経っていない。
そもそも、山賊だと思ってたし。
「よろしい!教えて差し上げましょう。そもそも原初の三高弟とは長い歴史の中で……」
ギザベルさんは語り出した。
ワイザーのことを話す彼女はとても楽しそうだが、振り回すフォークに刺さった肉から飛ぶ肉汁が気になるので一旦口に入れて欲しい。
「筆頭は[剛健]のワイザルド様、[極手]のヨハンナ様、[不倒]のガンマー様の……」
強制的に始まったが、話は意外と面白かった。
ヨハンナ様は鍛冶神となる前、ヘルマン様の5高弟の一角だったらしい。
[不倒]のガンマー様は食中毒で倒れて、その反省もあって後進が[狂胃]のアンガス様だというのは面白い。
「ワイザルド様は健康神様の五高弟の中でも特別なのだ。そもそも……」
思ったよりボリュームのある話で僕の皿にはギザベルさんによって何度も肉が載せられた。
流石に僕のお腹もかなり厳しいが、女性に勧められた食事を食べないわけにはいかない。
船員の皆さんもすっかり昼ご飯を片付けてそれぞれの持ち場に戻っている。
僕の相づちも相当におざなりなのに、ギザベルさんの話は止まらない。
「ギザベルさんはワイザルド様が好きなんですね」
「すっすっ、好き……に決まってます!」
「ですよね」
息継ぎに質問を突っ込んでみると可愛らしい返事があった。
やっぱり!
僕にとって、既に好きな人がいる女性というのはとてもありがたい存在だ。
死の恐怖に怯えずに安心して接することが出来る。
「最近だとワイザーにはどんなエピソードがあるんですか?」
「一緒に居るのに知らないの?!つい先日も大事件があったのに?!」
あれ、妥当な質問だと思ったのに、地雷踏んだ?
彼女は信じられないものを見たような顔でこちらを睨んできた。
「えーと?」
ダンっと手に持つフォークを彼女の皿に残るステーキに突き立てる。そして、そのまま口に運ぶとがぶりと噛み切った。
「いいわ。とことん教えて差し上げますわ」
ぞくぞくする。
細マッチョ体系の女性から放たれる上からの鋭い視線が素敵!
いい。とてもいい。
夢中で話す女性はとても素敵だ。
「こちらをごらんなさい!」
彼女は左手で僕の顎を掴むと首を船の後方にひねる。
その指は肉の脂でぬるりとしていた。
次話「6 その成果は強者の元に」




