ex10 異世界で彼に会うために
異国情緒を楽しんだノゾミが望むのは残すところただ一つ、大好きな彼に会うこと。
これはそんなお話の続き。
私は来年に厄年を控える前厄の32歳だ。
宮城の実家に帰ると祖母が見合いの話を用意して待っているのにも少しだけ慣れた。
ホテルでコンシェルジュをしていた頃、お客様からおばさんと呼ばれたことがある。
当時は社会人になったばかりで、20台前半だった私はとても驚かされた。
小さなお客様から見れば知らない社会人はおじさんかおばさんになるらしい。
小さな紳士の主張ではお姉さんは20歳までだと言う。生意気な。
今も若いつもりではあるが、当時よりもおばさんと言われる機会も増えている。
行き遅れていると言われると反論しつつも少し納得してしまう自分もいる。
人並みに結婚の願望はあるけれど、私の好きな男の子は仲間としての好意は示してくれるがそれ以上はくれない。
いっそ告白して玉砕してみればと想像したことが無い訳じゃ無いけれど、彼が困ることをしたく無い。
彼の子供を育てたい気持ちもあるので年齢的な焦りもあるが、もう少し時間が欲しい。
客観的に見ても私は勇輝君に恋をしている。
愛していると言いたいけれど、一方的な恋愛感情であるうちは恋だと思う。
好きな男性に近づきたくて転職するなんて自分でもやりすぎの自覚はある。
それでも、この恋を諦める気は無い。
自分で言うのは憚られるけれど私は割ともてた方だと思う。
何度も告白されたけれど、ピンと来たことが無かった。
学生の頃はテニス部の部長や生徒会役員をしていたせいか知らない男子から告白されることも多かった。
社会人になってからも男性のお客様からお花と共にお誘いを頂くこともあった。
息子や孫の嫁になって欲しいとお見合いを持ちかけられたこともあった。
誕生日にお部屋の予約を取って会いに来て下さる熱心なお客様への対応には苦慮し、周囲のスタッフにも迷惑をかけた。
皆さんにそれぞれの真剣な理由があり、きちんとお断りをするのは大変なことだった。
私はいい年になるまで恋愛というものが分かっていなかったと思う。
恋愛よりも両親や周囲への期待に応えるのが楽しくてそれに時間を使いたかった。
いざ自分が恋をしてみれば時間でどうこう出来る問題では無い事が良く分かる。
きちんとお断りしていたつもりでも、自分が恋をしてみると間違いに気付くことも多い。
好きな男の子に会うためにゲームの中にまで訪れるなんて。
今の私の行動はお部屋を予約して会いに来て下さったお客様と大差無いのかも知れない。
毎朝ご飯を作りに行ってしまう柴田さんのことを笑えないと思う。
勇輝君に会ったとき、何て言えば良いのか分からない。
『気分転換にゲームを始めてみました』では言い訳にはちょっと苦しい。
『ちょっと手に入ったので』品薄なのに?無理がある。
最も彼は私の好意に気がついている所もあるので追求はされないだろうけれど。
―――――――
弓を構えるということは己と向き合うことに通じる。
そしてこの世界と向き合うことになる。
VRギアを装着して現れたこの世界はゲームだと言うけれど驚くべき現実感を伴っていた。
狙いに向かい弦を引き絞り矢を放つが横合いから風を受けて的を外した。
「ほら、もっと良く狙って!当たって当然。そう思ってやってみなさい」
「はい」
横合いから吹き付けた風は何と魔法!
【風魔法】が使える門弟のアネッサさんによる意図的な障害だ。
アネッサさんは耳が横に長く細面の美人だ。
そう、なんと彼女はファンタジー世界で良く知られるエルフなのだ。
他にも猫耳の人や鱗がある人などいろんな種族の人が一緒に訓練をしている。
「ほら!もう一度!早く!」
もう一度。弓を引く。
的に当たる姿を強くイメージして、矢を放つと的の中央に矢が突き立った。
「ほら!休まない。その程度で魔物は止まっちゃくれないよ」
「はいっ」
矢筒から矢を一本取り出して弦を引き絞り放つ。
続けてもう一本取り出して弦を引き絞り放つ。
続けて放った矢は、的の右端と左端に刺さっていた。
このファンタジーの世界の弓は私の知るものと少し違う。
小型の弓が主流で、弓の硬さが全然違う上に、それに反して命中精度が恐ろしく高い。
アーチェリーで使われるリカーブボウやコンパウンドボウと呼ばれる機構の弓は普及していない。
なぜならば、威力や命中率はスキルで補うことが出来るし、硬い弓も能力値とスキルで引くことが出来るからだ。
戦闘時における保守性や堅牢性が問われることも理由の一つだ。
「さっきのだと魔物の目は射抜けないわねぇ。ちゃんと弓に相応しい腕を身に付けましょうね。続けなさい」
「はいっ」
弓に相応しい腕前にはまだまだ足りない。
少し値が張った私の弓は魔弓。この世界では魔道具と呼ばれるものだ。
先ほど複雑な機構の弓が普及していない究極の理由は魔弓があることだ。
大きな力を持つ素材を活かして作られた弓や、長らく使った弓に力が宿って魔弓になるという。
複雑な機構の弓は保守により部品交換が多い結果、魔弓に成りにくい。
魔弓には不思議な効果が付随するという。
凄い物では射た後で矢の本数が増えたり、当てた対象が燃えたり、雷を落としたりするという。
それに魔道具に共通する効果として、破損しても自動的に復旧するという。
【弓術】の使い手を目指すならば魔弓の所有を目指すのは当然と言えた。
腰から下げた矢筒から矢掴むと、足を開き姿勢を正して足踏み、弓を左手で持ち上げ胴造り、弓掛けを弦に掛けて弓構え、両手を持ち上げ打起し、両手を左右に引き絞り引分け、心身を一つにして的に向かい会、そして離れ、最後に残心。作法は弓道で学んだ射法八節と変わらない。
矢をつがえて的と一つになり放つ。そして残心。それを繰り返す。
「遅い!細かい所作に気を割きすぎないで。それじゃ魔物を引き受ける戦士が囲まれちゃうわ」
「はいっ!」
ここ暫く加奈美ちゃんに紹介してもらった道場で弓を習っている。
正確には加奈美ちゃんから依頼されたという風祭君による紹介だ。
ここで中級の剣士。私の場合は中級弓士となると【見取り稽古】が教えて貰えるようになる。
彼によればこのスキルがあればこの先が大きく楽になるという。
指導して下さるのは道場の女将さんでカミールさんだ。
風祭君によれば、以前は無かった弓術の射的場が新たに設けられて女将さんが指導することになったという。
本来は上級弓士の指導を受け持つ女将さんの直接指導を受けて居る。
私の持つ小ぶりの魔弓の持つ効果は対象に当たりやすくなること、そして張った弓の力よりも強く矢が射出されることの二つ。
射法八節は正しく弓を運用して弓本来の力を引き出す。その狙いの一つは命中の向上だ。
それを弓が助けてくれる。そしてさらにこの世界には【弓術】というスキルがある。
一度学んだ弓の技術を精度高く実施することをサポートしてくれる。
カミールさんにはスキルの力を活かしなさいと繰り返し言われる。
縋るのではなく、任せるのでもなく、自分と重ねて受け入れることでその力は活きるという。
道場に来て一ヶ月になるが、私の【弓術】スキルは魔石で覚えた直後のレベル2のままだった。
「そんなことじゃ、ユーキ殿に会いには行けませんよ。次!」
「はいっ!」
カミールさんの一言に目を瞑り気合いを入れ直した。
会いたくて仕方無い勇輝君はここには居ない。
百合ちゃんにゲームの一式を譲って貰った後、相談した葛西さんが直前までゲームで一緒だったという。
ダッカという場所に行く途中で山賊に襲われてゲームオーバーになったそうだ。
VRMMOという種類のこのゲームは倒されても強くなってやり直す事ができるという。
勇輝君もゲームオーバーになったそうだが、やり直しの場所は少し離れている。
ヘルムートというその町はここから西にずっと行った場所で危険な場所だそうだ。
―――――――
休みに入り、少し会えなかった勇輝君に会うのはゲームの世界でさらに大変なことだった。
この世界に来て2週間ほど道場に通った頃、加奈美ちゃんと合流した。
私に付き合って【弓術】スキルを一緒に学んでいる。
私の弓道経験について冒険者ギルドに情報を流したお詫びというわけでは無い。
それどころか私がゲームをすると思って居なかったそうだ。
仙台に帰ったときは時間が無かったが、この世界では時間があった。
加奈美ちゃんといろんなお話をした。
そして驚くことに勇輝君とこの世界で知り合いだということが分かった。
薄々そんな気がしていたという加奈美ちゃんは、冒険に同行したこともあるらしい。
ゲームを始めたばかりの彼に付き添い大型の魔物を倒しに行ったそうだ。
その話の流れで、カミールさんの娘さんが勇輝君達に同行していた事が分かった。
同じく山賊に遭遇し消息が分からないという。
魔法の力で生きていることは分かっていると道場の人は笑うけれどどう接して良いか分からない。
念のためにということでサイモンさんという実力者が消息を確認に行っているそうだ。
私が勇輝君の知り合いだと知って以来、女将さんの指導が厳しくなった。
なんでもユーキ君には恩義に感じる出来事があったらしい。
その縁で知り合いである私にも厳しい指導をして下さるそうだ。
相当に厳しいお稽古に額面通り受けとって良いのか悩む日もある。
『あらあら。あなたがあの森崎さんですか?』
そう言った時の女将さんが私を品定めするような目が忘れられない。
勇輝君が私の事を話していたのかと聞けば、そうでは無いという。
カミールさんに寄れば、彼女の娘さんは中々の実力者だ。
勇輝君はもっと凄くて道場主のルーファスさんを負かしたことがあるという。
イベントでゲームをする彼を見る機会が増えた私はそんなこともあるかもしれないと思う。
VRMMOという自らの身体を動かすゲームではあるけれど、彼ならば……。
彼の得意分野はいろいろある。
大会でインタビューした彼のライバルと呼び声が高い武蔵選手は目が良いと言っていた。
テスターとして付き合いが長い渡辺課長は指先が器用なのが凄いと言う。
私は大会のモニターを眺めていて思うのは俯瞰する姿が格好いいと思う。
……と。そうじゃなくて、彼の視野の広さから来る切り替えの早さが強みだと思う。
一方で、私はもう少し技を磨かなければ、道中で倒れてしまうだろう。
―――――――
練習を終えて道場の風呂に浸かる。
人並みに【生活魔法】も覚えたので汚れは【洗浄】で事足りるのだが、あれば入りたくなる。
出るときにはタオルを使わず、やっぱり【洗浄】を使うんだけどね。
疲れた身体に暖かいお湯がじわりと染みる。
「でもさぁ、ノゾミ姉ちゃん。普通にリアルで会いに行った方が良くない?」
「うーん。会いに行く口実が難しいわ」
「そんなの、家に行くわけじゃないんだし、仕事の道具持って行ったら?」
「そうねぇ」
勇輝君を取り巻く恋愛模様はちょっと複雑だ。
その原因には彼自身が苦悩しているので誰も文句を言わないが、距離感を図りかねている。
柴田さんのように直接家に行くのはちょっと違うと思うし。
「ま、良いけどね。乙女乙女してる姉ちゃんが可愛いし」
「もう。そう言う加奈美ちゃんは大和君とどうなの?」
「ど、どうもしないよ。単なる同好会仲間だし」
加奈美ちゃんとこうやって過ごすのも悪く無い。
でも、本当の理由は加奈美ちゃんには恥ずかしくて言えないな。
だってロマンチックじゃないですか。
旅先でふらりと再会する男女。
彼が驚いた顔で、私に声を掛けてくるときなんて言うかな?
少し若作りな私を見て気付いて貰えるかな?
初めての恋だから情熱的な出会いの場面を期待している。
彼自身が止まっていたとしても、一緒に思い出を作っても良いよね?
森崎さんの話は一端ここまで。
次話「ex11 魂込めてグーで殴る」は12/29(木)の予定です。
閑話の更新は年内にあと一回で登場人物紹介で最後の予定です。




