ex6 異界神アンネの困惑
その時アンネ様はシリーズ④です。
閑話ですが本筋に絡む話となります。
青と緑の石が敷き詰められた石畳の廊下を歩くものがいる。
小刻みに動く足下からはカツカツと音が聞こえた。
柔らかなとカールがかかった栗色の髪が可愛らしい女性だが、その表情には陰りがある。
口元が小さく動き何かをブツブツとつぶやいており近寄りがたい。
廊下の突き当たりで足を止めると大きく息を吐く。
金色の過剰な装飾が目立つ大きな両開きの扉を勢いよく開いた。
「ちょっと!アンネちゃん!!」
中央にある晩餐会でも開くような長いテーブルの上には書類が散らばっている。
その回りを二重にぐるりと座る様々な種族の面々が一斉に振り向いた。
皆が上等な装いを身に纏っておりそれぞれが使命を帯びた者だと分かる。
だが、その表情からは焦りが感じられ、部屋の空気が重い。
一瞬の沈黙を破ったのは奥に座る堀の深い男性だ。
「これはマーガレット様。どのような用向きでしょうか?」
「あんたたちが会議してるのと多分一緒ダネ。アンネちゃんは?」
マーガレットと呼ばれた女性からの問いに皆がゆっくりと顔を背ける。
背けたその先には小さな扉があった。
「ふ~ん。またナルホド?」
「何やら問題があったようで……」
「何があったか結局分かってないの?」
「一部の来訪者が突然【ログアウト】する事態がありまして……」
「アハ。やっぱ分かってないってことか。キミタチ振り回されてるネ~」
「面目もございません」
マーガレットは両手を上に向けて首を振り、再びため息をついた。
「誰か一緒なのかな?」
「それが、みな追い出され、ここに控えておるところでございまして……」
「アハハハハ。キミタチに免じて許してあげようか。入っていいかナ?」
「よろしくお願いします」
彼女は先ほど皆が顔を向けた扉に向かい、手をひらひらと振って入っていった。
―――――――
マーガレットは魔具神を冠する魔道具のクリエイターだ。
地球という異世界から魂を呼び寄せて行動させるための現し身に儀体を作った。
異界に通じたアンネの呼びかけに応じて参加したこのプロジェクトには彼女も並々ならぬ情熱を注いでいた。
既にその成果は出始めており、彼女の元にはユーキが作成したスキル魔石がある。
儀体には彼女の技術の粋が注ぎ込まれており、メンテナンスのために状態がモニタリングされていた。
但し、何か異常があれば分かるといった程度のモニタリングだ。
彼女も魔具神と呼ばれる存在だ。技術的に難しかった訳では無い。
次元神と異界神の二人に毒されてプライバシーに配慮しすぎていた。
先日、モニタリング対象の儀体のうち数体の魂のリンクが同時に切れたのだ。
異世界からの魂の渡航は【ログイン】スキルに依存にしている。
【ログイン】スキルは元々ゲルハルトが持つ固有スキル【異界渡航】を元にしており、同じくそれを得たアンネが後に生んだものだ。
儀体のリンクが切れたということはアンネに何かあったはずと考えるのは当然の流れだった。
「で、何があったのヨ?」
可愛いとは言い難いぬいぐるみの群れに囲まれたベッドの上で膝を抱えて座る女性に声をかけた。
ジャージを身につけ、体を前後にゆらゆらと揺らすその女性に振り返る気配は無い。
「チョッと~もしもし?」
「……一人にして欲しいのじゃ」
聞こえていたようだ。だが、一行にこちらを向こうとしない。
マーガレットは腰に手を当て息を大きく吸うと張りのある声を出した。
「アンネちゃん!」
「ひゃ、ひゃい!」
慌てて女性が振り返る。
ジャージ姿のアンネ様は大いに驚いた顔をしていた。
「ま、マーガレット殿?」
「マーガレット殿じゃなくて、マギーちゃんですヨ」
「マギーちゃん……」
異界神様は眉を八の字にして泣きそうな顔をしている。
素晴らしい体躯の女性ではあるが、ジャージ姿でマーガレットに向かう姿は十分に可愛らしいと言えた。
そのままぐるりと向きをかえると、マーガレットもその近く、ベッドの縁に腰を下ろした。
「どうしちゃったのヨ?」
「ワイザルドのおじさまが……」
「ワイザルド?ワイザーのおっさん?あー。あのいろいろ壊しちゃう人ダネ。それが?」
「不可侵条約を破り、ヘルムートまで赴き地球人と接触を図ったのじゃが」
「アイツなにやってんのよ。あれって直弟子まで禁止だったから私も苦労したのに!」
マーガレットもわざわざ依頼の形でユーキへの接触を図ったのだ。
あの男ふざけている。ただ元よりふざけた大男だった。
あの男がルールを守るイメージが沸かない。
「ヘルマンさんは何やってんのヨ!」
「ヘルマン殿は休眠中とのことで埒が明かぬのじゃ」
「何だヨ!もう!セルマちゃんに言いつけちゃうもんね!」
「そうじゃ!セルマ殿に懲らしめてもらうより他に無いじゃろう」
向かい合う二人は小さく笑い合う。
楽しげな二人からは何故か恐ろしい気配が漂っていた。
「それで、ワイザーのアホは何やったのよ?」
いつの間にか相当な格下げである。
ワイザルドのおっさんはあっという間にアホ呼ばわり。
健康神5高弟も彼女達を前にすれば形無しである。
アンネは下唇を突き出して続けた。
「地球人に壁の試練を仕掛けての」
「ハァ~?!」
「幾人もが破れ散ったのじゃ」
「アイツなに仕事増やしてくれてんのよ!」
プレイヤーが【ログアウト】している間、その儀体はマーガレット指導の元でメンテナンスが行われていた。
ゲルハルトによる【次元魔法】の力を借りて回収し、魔道具を補修するのだ。
部位に欠損があれば、その分補修作業にも手間がかかった。
普段は背中に備える魔法の羽根で飛んで移動する彼女がわざわざ歩いているのは補修作業のために魔力を温存するためなのだ。
本質的に気ままに暮らす彼女がわざわざ節制したものを無駄遣いするワイザルドの極刑が確定した瞬間だった。
「こりゃもうヨハンナ姉さんにも言うしか無いね!ゼッタイ許さ~ん!」
「儀体の元はヨハンナ殿が拵えた者じゃから、詮無きことよの」
向かい合う二人からどす黒い何かが放射されているように見える。
10神のうち4名までから狙われた彼の運命や如何に。
いや、まだフォーカード。フィリーレースまで入ってフルハウスで無くて良かった。
そのターゲットが非常識なまでに頑丈なのは幸いと言えるのだろうか。
マーガレットは小さく息を吐き、ベットの縁からぴょんと立ち上がった。
「それでプチプチリンクが切れチャッタのね?」
しかし納得しない様子。
右手を顎に当てて首を傾けた。
「でも~。同時にプチッと切れたんだよネ~。場所もヘルムートのあたりじゃなかったよーな」
「うむ。これには続きがあるのじゃ」
「なになに?」
「ユーキ殿が……」
そこまで言いかけてアンネが下唇を噛み、視線を膝に下ろした。
再び膝を抱え、前後に揺れて目尻に涙を溜めている。
それ以上、口にするとこぼれてしまいそうだった。
少し週順したが、好奇心に生きるマーガレットはそこに飛び込んだ。
「ここでユーキちゃんが出てくるの?どゆこと?」
「ワイザルド殿はユーキ殿をその手にかけたのじゃ」
「え?!……どどど、どうなったのヨ?」
「さしものユーキ殿でもワイザルド殿を相手ではその守りを抜けず胸を打ち抜かれこの世を去った様じゃ」
アンネ様の目からは涙がポロリポロリと二筋大きく流れた。
一方のマーガレットは面白い顔をしている。いや、見た目はそうだが、驚いている。
目が大きく見開かれ。口はだらしなく開いていた。
「ユーキ殿の儀体ってサー」
アンネ様は少し涙声でそれに答えた。
「うむ。ユーキ殿の魂とリンクしたままじゃ」
スキルは魂の内から生じると言われている。
ユーキはその魂の力を発露し次々とスキルを世に下ろした結果、魂はその儀体と強く結びついていた。
元々魔道具である儀体はゆっくりと回復するが通常は部品を補い補修作業をしていた。
魂とのリンクが切れた状態であればそれで良かった。
しかし、魂と強く結びついた儀体のパーツを安易に取り替える訳には行かなかった。
彼の魂が持つ【再生】スキルの力を加えて回復するのを待つしか無い。
「ユーキ殿がこれほどに早く再びヴァースを去るとなれば、この流れる時の差が恨めしいものじゃ」
「フーム」
「早う、早う戻ってきて欲しいのじゃ」
「あ、またリンク切れた」
半眼となったマーガレットには分かってしまった。
この強制【ログアウト】の原因を作ってしまったのはワイザーのアホで間違いない。
しかし直接の原因はこの子だった。
「アンネちゃん」
「うむ。ワイザルド殿には反省して貰わぬとな」
再びアンネ様に黒いオーラが漂う。
次元をまたぐ扉の外にいる彼女の関係者達が撤退するのも仕方無いことだ。
空気を読まないマーガレットは続けた。
「まぁ、それもあるけどネー」
「それもとは?」
「うーん。この際だから一旦全部リンク切っちゃおうか」
ワールドメンテナンスの真相はこうである。
地球人の魂による転移を支える根幹であった【ログイン】スキルが変質していた。
遠く異世界の地を見たいという願いに応えたそのスキルは、異界神アンネが生みだしたが完全には世界に根を張っていない。
兄に倣い身につけた【異界渡航】スキルは当時、流れる時間の差を生まないスキルだった。
これまでは地球の知見や文化を味わい尽くし、異文化による知識チートを行き渡らせることこそが最良だった。
彼女のそんな思いは徐々に時間の格差を生み、今やヴァースの一日は地球の1分にまで進んでいた。
アンネも当時と立場は変わり冒険者ギルドの運営もある。
今は地球からの来訪者を受ける一大プロジェクトの真っ最中なのだ。
さらに言うならば、アンネ様の地球での現し身は電子キャラクターであり、ユーキと接触するのは難しかった。
こうなると時間のギャップは彼女にとってデメリットとなった。
なるべく早くユーキに戻ってきて欲しい。その思いはまだその形を模索している【ログイン】スキルを揺らした。
その結果起きたのがリンクの切断である。
強い魂でリンクを維持した者も多かったが、不意打ちの外乱は大きくその安定を奪った。
マーガレットは気まぐれな質ではあるが、優秀な魔道具職人だった。
その魔道具の根幹はスキルであり、そのような症状にも心当たりがあった。
このままであれば、それはさらに進んでしまうだろう。
この状態が続けば訪れている魂に負荷をかけ傷つけるかもしれない。
マーガレットはそれを恐れた。
どうせ、アンネが懸想するユーキは暫くログインできないのだ。
アンネの魂が、【ログイン】スキルが安定するまでプロジェクトの休止を提案した。
―――――――
「いやー大変だヨー」
「誠にすまぬのじゃ」
「本当ダヨー。飯奢れヨー」
「それはもう存分に」
「キャハハ。冗談ダヨ~。仕方無いヨネ~」
メンテナンスの間、【ログイン】スキル並びに【ログアウト】スキルはゆっくりと変質していく。
やがてヴァースの一日が地球の4分のギャップになった頃、それは再び安定を見せた。
そこからが大変だった。既に数十万の儀体が稼働していた。
【ログイン】スキルの力と強く関連付けられた魔道具であるその全ての補修を行った。
スキルの生みの親として、プロジェクトの関係者として、アンネも協力したが、出来る事は多く無かった。
むしろその間、冒険者ギルドを通じて混乱を治めることが急務となった。
メンテナンスが明け、残務が片付いた頃、再びユーキが訪れた。
その儀体は既に大きく変質しており、マーガレットの手元には回収されなかった。
十分なモニタリングも出来ないそれは、ユーキ自身の【再生】の力で人知れず復活を遂げた。
「ユーキ殿の気配がするのじゃ」
冒険者ギルドはアンネ様の神域の一部でもある。
その気配をうっすらと感じたが、マーガレットには確証が無かった。
【ログイン】スキルの変質に振り回されているうちにユーキは戻ってきてしまった。
日々忙しく過ごす彼女達はワイザルドの処分についても未だ手付かずだった。
それはマーガレットが想定していたよりも早すぎた。
彼女から見ても予想だにしない【再生】の力の発露だった。
ワイザルドの力をユーキが学ぶ可能性について考えが及んでいなかったのだ。
もたもたとしているうちにユーキは再びワイザルドに遭遇し戦端はひらかれた。
「間違い無い!これはユーキ殿じゃ!」
【遠隔視】に映る戦いは決着を向かえたように見える。
あの殴り甲斐のあるワイザルドが敗北する様子が見えた。
ワイザルドは防御に特化した力を備えた戦士だ。
アンネよりも、マーガレットよりも古くより活躍し人の世界を開いた古の戦士だ。
アンネをしても負けないが勝てない相手だった。
「なんということじゃ……」
すぐにまた再生するだろうが、手足が斬り飛ばされたワイザルドがうずくまっている。
想像していなかったシーンを目にして沸き上がる感動は止まらない。
今にも現地に赴こうとしてするアンネだが、その胸元をぎゅっとにぎりしめていた。
そこで気がつく。自分がジャージ姿のままであることに。
忙しさにかまけて長らく【洗浄】のみで過ごし、身綺麗にしていないことに。
「なんということじゃ……洋服を取りに行くための服が無い」
着替えは眷属の者達に洗濯を任せたが、戻る度に追い払っていたため手元にない。
「アハハハ。アンネちゃんおっかしー」
そうこうしているうちに、ユーキ殿はあのワイザルドと卓を囲み始めた。
許せるものではない。あの野郎。
「なんということじゃ」
アンネの視界に強い光が見えた。
あれは、まさか。
アンネ自身も何度か見たスキルが発露する兆しだ。
しかし、それにも増して強く光って見える。
「アンネちゃん。なんで光ってんの?アハハおっかしー」
「マギーちゃんもアレが見えておるか」
「アレっていうか、コレっていうか、アンネちゃんが光ってるけど?」
アンネは【遠隔視】で飛ばしていた視界の片方を戻し自分の手を見た。
確かに光っている。ユーキと同じだ。
ユーキと同じくますます光を強めていた。
『世界に冒険者のスキル分類が生まれました』
『異世界のスキルの一部は冒険者のスキル分類に移行されます』
どこからとも無く世界の声が聞こえた。
本当に久しく耳にしなかった声がアンネの魂を揺さぶる。
「なんということじゃ―――――!!」
――彼女はこの時より異界神改め、冒険神となる。
意外に難産だったので、時間がかかりました。typoはこれから直します。指摘頂けると幸いです。
(22:09追記)直しました一番のミスはゲルハルト様の名前が世を忍ぶ仮の名前になっていました。
次話「ex7 掲示板回 至高の遠隔武器」は12/21(木)の予定です。