ex4 ワイルドハンティング
バスピールさんとヘルムート一族の話です。
右手で下向きに短剣を持ち、左手をだらりと下げ、半身で泰然と立つ女性がいる。
脱力しているようで隙の無い構えが歴戦の勇士を想起させる。
だが、その表情にはいつもの余裕は無い。
頭部にまっすぐ立ち上がる二本の長く柔らかそうな耳が兎人族であることを主張していた。
その手前には細身の女性が対峙している。
短めにまとまった頭髪は黄色と黒のメッシュになっており、そこから二本の獣耳が突き出ている。
腰を落とし、体を揺らし、左右の手に持つ短剣がゆっくりと動いている。
同じく熟練の戦士のようだが、相手を静とすれば動の構えだ。
手前の戦士が低い姿勢から踏み込み、前に構えた左短剣をかち上げる。
兎人の戦士がそれを横に躱して――小さく金属のぶつかる音が聞こえた。
大きく伸びた細身の女性はなかなかの長身だった。
そのまま振り上げた短剣が下ろされると、今度は兎人の戦士が後ろに飛んで躱した。
「いいね。今日はここまでにしとこうかい」
兎人族の戦士がそう言うと手前の戦士は姿勢を正し一礼した。
回りからわっと歓声が聞こえる。
「次は、誰だい?」
「おっ、俺が!お願いします」
鼠人族の男性が名乗りを入れた途端、彼の腹がきゅうと可愛く鳴った。
「おっと、そんな時間だね。先に飯にするよ」
「オス」
猫人族の師範代ダッゾスは瞠目し先ほどの組み手を振り返った。
ピニェーラ師範に応対していたのは同じく師範代であるバスピール。
豹人族の女性で彼が敬愛する先輩だ。
組み手では負荷を掛けることと門弟の手本にすることを狙いとして上位者は加重の腕輪を付ける。
一本でも体が重くなることが感じられるそれを互いに十本付けての組み手だ。
あのピニェーラ師範の次元を裂くような刺突を最小限の動きで躱す。
奇妙な起こりからの打ち込みで度々機先を奪う。
巻き込む剣旋に逆らわず上空に飛んで体を替える。
元々の身軽さに磨きがかかり、動きが洗練されていた。
彼女の通り名[暴虐の女豹]は敏捷性に裏打ちされた暴力とも思える部位を振るうことから来る。
冒険を共にした仲間が魔物を蹂躙する彼女の猛威に驚き、誰からとも無く言い出したものだ。
ちょっと普段の口調が荒っぽいのが影響していることは否定しない。
そんな彼女の動きは更に一皮剥けていた。
ダッゾスはその先輩を追い数年前に同じ師範代になった。
ヘルムートの道場で一番の成長株だった彼がバスピールに並んだ時には加重の腕輪は同じく四本だった。
停滞していた先輩にここ暫くで大きく離されたが嫌な気分ではなかった。
―――――――
ヘルムートの英雄ヴァルガーンが興した道場には三武聖と言われる3人の達人がいる。
一人は道場主代理を務めるヴァルガーンが五男[氷の奇剣]のハザラル。
彼は冷気を纏う剣にて剣筋を惑わしその剣を躱せるものは居ない。
一人はそのヴァルガーンの末子[華麗なる刃]パイヤ。
騎士団長の役割で師範の任を離れているが実直な剣にて全てを断つと言われる。
ヘルムートの兄弟はヴァルガーンの薫陶を受けて一流の武人揃いだ。
剣にて切れぬもの無しと謳われる[断絶の剣]の長子カドマス。
無手に刃の魔力を纏い全てを穿つという[穿つ双拳]の長女ミルザリア。
その兄弟の中にあって、二人の強さは突出していた。
そのヘルムートの一族が統べる一角に食い込むのがピニェーラ師範だ。
長らくヘルムートを離れ隠居して長いと言われるヘルムートの開祖ヴァルガーン。
既に師範の身を引いた【弓術】のチャルベルグを含め四武聖と言われたその二人が欠けて在席するのは二名。
遠く離れた地ではヘルムートの道場は凋落したとまことしやかに言われているが事実とは異なる。
ヴァルガーンは齢数千年を超えるが未だ途上であった。
ヴァルガーンの師は[幻旋]のマドゥーダ。
面倒を嫌う魔人族にあって5高弟に名を連ねた人物だ。
ふらりとその地位を得るとふらりとそれを手放し去った人物だ。
遠く歴史に名前を残す大昔の人物だが魔人族の間では現在も健在と言われている。
それを事実だと述べるヴァルガーンは楽隠居する彼女と場末の風俗街で出会い薫陶を受けたという。
ヘルムートが安定した今、ヴァルガーンはその武を追っていた。
「ヘルムートの厄介事のせいで遅くなっちまったが俺だっていつかは武神5高弟よ」
黒い肌に白い髭を蓄えた強面の道場主はいつもそう言っていた。
四武聖、今は三武聖はその彼の練習相手を務める武人達なのだ。
同じく師範を拝命していても【槍術】師範のギムサックとその格は大きく異なる。
そのピニェーラ師範にもう一歩で届きそうなバスピールがいる。
ダッゾスは髭が震えるのを止められそうに無かった。
「姉さん、飯行きましょうぜ」
ダッゾスの心証とは違い、バスピールの顔色は優れなかった。
右手に握りしめた短剣を眺めながら心ここにあらずといった様子。
「これでは届かぬのだ」
「姉さん」
「あの!あのユーキ殿が!届かぬ壁を抜く術が無ければ足手まといなのだッ」
先日より共に修行するカズヤとユーキが敗れたという山賊はどれだけの手練れなのだろうか。
この世界は厳しい。犯罪者には更に厳しい。魔の領域で活動するなど言語道断。
パイヤが率いるヘルムートの守備隊やカドマスが治める城砦都市ダッカの周辺において活動する山賊などこれまで聞いたことが無い。
あの恐るべき膂力。それを退ける山賊。
ユーキが持つ力は恐るべきものだ。
バスピールを伴って魔境に立つ前、練武場のマギオン鉱を貫いたその力。
一度破れて戻った彼は魔道金属ではあったが、魔剣ではない単なる短剣でもあっさりとマギオン鉱を砕いた。
間を置かず、サイモンを伴い再び魔の領域に再び向かった。
今見ても震えが来るそれを見て、勘違いする馬鹿者が多く出た。
淡々とした彼の振るまいからは分かりにくいその実力に騙されたのだろう。
さらに多くがマギオン鉱に挑んで返り討ちにあった。
ダッゾスも人目を避けて挑んだものの、血まみれの両腕の見返りが一かけ削り取っただけとは誰にも言えなかった。
「姉さんもあの高みを目指すんで?」
「当たり前だ!俺だけが、むざむざこんなところで!」
「あ、危ない」
バスピールは強く握りしめた短剣を乱暴に振り下ろした。
彼女はオンとオフがはっきりした性格だ。
練武を終えた時間の彼女は抜けている事が多い。
剣を握っているからといって、戦場でもないここではオフの時間が来る。
「え?……ひゃー」
振り下ろした短剣は彼女の帯を討ち、それを裂いた。
帯ははらりと落ち、道着ははだけ、胸のさらしが明らかになった。
「ちょっ、見た?」
「みみっ、見てないです」
嘘だ。ダッゾスはしっかりと見てしまった。さらしが必要とは思えないささやかな胸を。
同時に見えた縦に割れた腹筋のあたり、綺麗なへそが脳裏に焼き付いた。
顔を逸らすダッゾスに詰め寄り左手でダッゾスの肩を掴む。
両手を前に構えていたダッゾスの手にはささやかなものが収まっていた。
「な、なによちょっと!」
慌てて手を離そうとするダッゾスをそのまま左手で突き飛ばすバスピール。
ダッゾスの手はなにか紐のようなものに引っかかった。
すとんと落ちたものがある。
パスピールの下衣の紐がほどけ、下着があらわになっていた。
彼女は右手の短剣を取り落とし、その場にうずくまった。
「うぁーーーん」
ダッゾスは彼女を敬愛している。
回りで暖かい視線を送る女性達も、目線を逸らして困った顔をしている男性達も同じくそうだ。
彼女は愛すべき存在だった。
恐るべき破壊力に皆がやられている。
ダッゾスは年上の彼女を妹を見るような目で見ていた。
ユーキが相応しいなら貰ってあげて欲しい。
珍しく男と遠征に行くというのでそれでも良いという結論に至ったが、またダメそうだ。
そこにキラキラと輝くものが降ってきた。
光が弾ける魔法に包まれたものは白い封筒のようだ。
うずくまるバスピールの目の前で留まり輪郭が光っている。
彼女が手を伸ばすと封筒は便箋に変わった。
地球人の冒険者で時折使える者がいる【メール】というスキルだ。
バスピールは食い入るようにその便箋を見つめていた。
大きく何度もかぶりを振っている。
「やったよ!ルニが、ルニート殿が無事だ!ラル殿も!」
「なんと!」
彼女は大きく飛び上がると近くにいたダッゾスに飛びついた。
朗報に彼も心が躍り、バスピールを抱きしめた。
平均的な体格のダッゾスの顔は大柄の彼女と抱き合うと丁度胸の前に来る。
白いさらしがゴツゴツと当たった。
つまり彼女の下衣ははだけたまま見えてはいけないものが見えていた。
「きゃー!」
彼女の通り名は[暴虐の女豹]。
冒険者として広く恐れられている猛威を振るう彼女には裏の姿がある。
今日もまた彼女の無自覚な牙が新たな門弟達のハートを狩り取るのだった。
次話「ex5 掲示板回 ワールドメンテナンスを超えて」は12/19(火)の予定です。
23:00 更新
原稿が少し古いものだったので更新しました。
執筆環境の改行コードが変わってしまったためちょっと手間取っています。