第9話「これは不可抗力ってやつなんです」
「詠唱なんて、実戦で詠唱なんて本気かよ! 実戦じゃ待ってくれないんだぞ! 敵はぁ!」
「剣で斬られたらな……痛いんだぞっ! 痛みを知らない奴が、剣なんか握るな!」
向かった先にあったのは、暴走気味に盗賊と戦っている分身の姿だった。良い感じにハイな感じでちょっとおかしいテンションになっている分身は、やっぱり本体と同じように、実戦で何か感じいるところがあったらしい。
そこに居たのは、魔法使いらしい、呪文詠唱を始めた盗賊に、一気に間合いを詰めてどつき、足蹴にしている分身と、武器を持った盗賊に素手で執拗な攻撃をしかけている分身の二体だった。
もうそれ以外は戦闘が収束しているようで、分身は周りの兵士がどん引きな様子で遠巻きに分身たちを眺めている事にも気づいてないらしい。
「もう終わったんだって。戻れ」
影分身がぽん、と煙のように消え去り、解放された盗賊が、ほっとしたように気絶する。気絶した盗賊たちを、兵士たちが盗賊を回収し、外に運ぶ。馬車に入れて、王都に護送するのだろう。
「っと……」
二体一気に分身を解除した事で、フィードバックされた情報量に、眩暈と頭痛がする。しかし、戻ってきた情報の中に、自分が盗賊を殺した、というものが無く、自分も分身も、人殺しをしなくて済んだのだと、少し安心した。
盗賊のアジトの外に出ると、この戦闘の事後処理を始めているディアナ王女が、俺に気付いた。
「リーダーを捕らえてくれたのは助かった。奴は正式に処罰をした方が、被害者たちの心証もいいのでな」
ディアナ王女にそう言われるも、聞いた俺としてはあまり良い気にはなれない。平和な日本に居た俺でも想像がつく。正式に処罰、というのが公開処刑辺りだろうという事が。それを行えば、確かに被害者とその関係者辺りは満足するのだろうけど、殺さないために生かしておいた結果がそれだとすると、やるせない。
仕方ないのだ、と自分を納得させようとしているうち、ディアナ王女が近づいてきた。
「良くやってくれた」
「はい……いづっ」
ディアナ王女がそう声をかけてくれたが、軽く肩に手を乗せられただけで、バトルアックスを受けた肩にかなりの痛みが走り、顔をしかめる。
「む、怪我をしているのか…? 衛生兵、勇者殿の手当てを!」
ディアナ王女の掛け声一つで兵士の1人がやってきて、俺の怪我の様子を見始める。その後、ディアナ王女は、その手当をしてくれる兵になすがままにされている俺を、心配そうに見ていた。
なんかさっきから随分優しい気がするな。なんでだろう。ふとそんな事を思ってディアナ王女の顔をじっと見つめていると、彼女は、はっと何かに気付いた様子で俺から顔を逸らし、そっぽを向いて辺りに聞こえるような大きめな声で俺に言った。
「…っ、ふん! やはり、この程度の任務で怪我を負うようでは、実戦には早かったかもしれんな。この件は王にも報告させていただく」
よくわからないけど、いつものディアナ王女か……? 釈然としないながらも、答えはでないのでそれで納得し、俺は手当をしてくれた礼を言って、帰り支度を始めた兵たちに交じって、自分の準備を始めた。
◆◇◆◇◆◇
王都への帰りの野営時に、それは起こった。野営場所を決め、仕事を終わりの兵士たちは少々緩んだ空気のある中で、それは聞こえてきたのだ。
「やぁぁぁぁ!」
遠くの方でどこからともなく聞こえてきた、絹を裂くような悲鳴。野営している場所のすぐ側の森から聞こえてきているようだった。他の兵士は気づいていないようだ。切羽詰ったような声だったので、気になってそちらに向かう。
向こうには確か川があったような。さっき道中の水を補給したから間違いない。その後の索敵で特に何も見つかっていなかったはずなので、特に何か脅威があるはずはないのだが……
「やっ!」
「待て……!」
そんな声が聞こえてきて、俺はそちらに向かって走る。先に聞こえた悲鳴が、助けを求めるようなものだったからだ。それも、女性というには若いような幼い声。
「何があった!?」
牽制するつもりで声を張り上げると、藪から人影が出て来た。
それが、すぐに10歳かそこらの少女だと解ったのは──いや、解ってしまったのは、その少女が、全裸だったからだ。水に濡れた、黒い髪の上には、ちょこんと狼のような耳が立ち、一糸纏わぬ形のいい小ぶりのお尻から、大きな尻尾が生えている。
初めて見る獣人。しかし、それに驚くよりも、裸の女の子が自分の方に飛び込んできたという方が衝撃だ。あまりの衝撃に固まってしまい、少女がこちらに向かって飛び込んできたのをそのまま受け止めてしまう。服の上からも感じる、慎ましやかながらも女性特有の柔らかを感じ、どう動いていいか解らずさらに固まる。
女の子はそんな俺に構わず、俺の裾に縋りつきながら、俺の背に周り、大量に付いている水を振り払うため、犬のようにブルブル身体を震わせ、水を落とし始めた。
「う、うわっ!」
大量の水滴が顔やら服やらを濡らし始める状況に、固まっていた俺も思わず声をあげる。すると、少女の出てきた藪の方から、音が聞こえてくる。
「待てと言っている……! まだ身体も拭いていないじゃないか!」
そんな声と共に、藪から出てきたのは予想外の人物で、さっき以上の衝撃と共に、余りに想定外の事態に背筋が凍る。
「な、何故ここに勇者殿がいる……」
「なぜ、と言われましても……悲鳴みたいな声が聞こえたので、気になって……」
俺はなるべく視線を逸らす努力をしながら、そう言い訳する。今の状況では、何を言っても立場が弱いのが、男性というものだろう。ディアナ王女は、水浴びでもしていたのか、全身がずぶ濡れで、その身にタオルのような布一枚纏っただけの姿だ。腕一本だけで支えられた布地の下から、豊満な女性の象徴が布を押し上げているのは何とも目のほよ──いや毒です。中途半端に藪に隠れてはいるが、裸身が半端に隠されているせいか、余計に想像を掻き立てられてしまう。
「あ、そんなところに隠れていたか! 勇者殿、その子をこちらに引き渡すのだ」
「ぅるるるるるる──」
ディアナ王女が、俺の後ろに隠れる犬耳少女を指差しながら俺にそう要求してきた。
「と、言われましたが、何が何だか……」
「うむ。私もそうだが、だが一つ言える事がある。この件で何も要求されたくなければ、その娘を大人しくこちらに引き渡すのだ……!」
「は、はい……!」
ドスの効いた王女の声に、俺は抵抗する事もできず、そう答える。すると、後ろに居た少女が、俺が動く間もなく抵抗の意を示した。
「やっ!」
「あ、こら! 逃げるでない!」
逃げようとする少女に対し、鍛えられた戦士であるディアナ王女が電撃的に反応し、少女の尻尾を捕らえ、少女の動きを封じる。しかし、それは別の問題を引き起こした。ディアナ王女が纏うなんて表現もおかしいような、身に着けていたたった一つの装備品が、藪に引っかかり風に揺れている。
つまり、何が言いたいのかと言うと、少女を捕まえようとして、結果として俺の目の前まで迫ってきたディアナ王女はその身に何も着けておらず、その女神の如き裸身を俺の前に──
「み、見るなぁ!」
ディアナ王女の空いた手が、的確に俺の顎を揺らし、俺の意識を小宇宙の果てまで飛ばしたのは、そこまで考えたあたりの出来事だった。
「すまなかったな。さっきは」
「いえ、自分が軽率でした」
目が覚めた俺に、えらく不機嫌なディアナ王女が謝罪を口にした。俺はそれに無難な返答をする。今の彼女は、いわば餌を前にした猛獣だ。下手な刺激は危険と判断し、俺はびくびくしながらディアナ王女の反応を伺っている。そんな彼女は、俺の方を見て、小さくため息をつくと口を開いた。
「私も迂闊であったんだ。この件は終わりにしよう……奴隷となった人たちに水浴びをさせれば、少しは気も紛れるかと思ってな、それで水浴びをさせていたのだが、そこの少女が水を嫌がってな。水に慣れさせるために私も一緒に入ろうとして、途中であんな事になったしまった。別に、勇者殿が悪かった訳ではない。間が悪かった、というのは少しあるが」
少しだけ険が取れたディアナ王女が、俺にそう説明してくれる。ちなみに、件の少女という犬耳の娘は、今は着替え、何故か俺の裾を小さな手でがっしりと握っている。
「しかし、勇者殿は随分その娘に懐かれているな? 何かしたのか?」
「いえ……」
ディアナ王女に聞かれても、俺にもさっぱりだ。何がそんなに彼女の心を捉えたというのか。自分の腰の高さくらいしかないその少女を見下ろすと、その少女が、無機質な様子で俺を見上げている。初対面、のはずだ。間違いなく。だけど、どこかで見たような。
「あ。もしかして、盗賊のアジトで見た……?」
少女がこくりと頷く。あの時は薄暗くて、人が倒れている、くらいしか解らなかったが。彼女だったのか。諦めや絶望に沈んでいた目は、多少はマシになっているように見えるのは、ディアナ王女の気晴らしのおかげかだろうか。
「アジトで見かけたのか。しかし、それだけなのだろう」
「そうですね。それ以上の心当たりは……」
「そうか。しかし、そろそろ他の奴隷たちの場所に……」
「やっ!」
ディアナ王女が控えめに言った言葉に被せるように、少女が抵抗を示す。裾を握る手が、右手から左手も増え、縋りつかれるような状態で、俺の影に隠れてディアナ王女を伺っている。
「ダメそうだな……」
「はい……」
ディアナ王女は困り果てた様子で少女を見つめている。ただ、俺に縋るその様子を見れば、ディアナ王女も無理やり引き剥がす事も出来ないようで、俺も同じ気持ちだった。
「あの、ディアナ王女様」
俺は思い切って、ディアナ王女に考えを口にする事にした。
「ん? 何だ」
「ご迷惑でなければ、この子、こちらで預かっても良いですか? 王都までくらいなら、何とかなるんじゃないかと思いますので」
俺に出来る事なんて少ないが、せめてこのくらいは。そんな風に思っての事だった。
「その提案は、願ってもない事だが……良いのか?」
「はい」
「解った。では、よろしく頼む……あ、そうだ。勇者殿」
どこかほっとした様子で俺に彼女を預けたディアナ王女は、最後に何か思い出したように付け加えた。
「くれぐれも『間違い』を起こさないように」
「起こりませんよ!? そんな事!」
底冷えするような脅しと共に去っていたディアナ王女の背中に、俺はそんな抵抗を口にしていた。