第3話「王女様の憂鬱」
ああ、油断していた。この時間は、まだ剣聖ガフに絞られている時間だと思っていたのに。
勇者──服部影史の影分身の王宮内の位置は把握していた。そのため、そちらと遭遇する確率を下げるため、態々別の廊下を使い、移動していたというのに。
「まさか本体と遭遇してしまうなんて──な」
はぁ、と自室で吐いたため息すら絵になる少女の名は、ディアナ・フィン・アクスと言った。窓から指す月明かりだけに照らされた自室で、窓枠に肘をついて、自分の髪を物憂げに弄るだけで、見る者は見惚れるだろう少女。儚げで、触れれば壊れてしまうような容姿を持った彼女だが、武勇を誇る将でもある。そんな彼女が、部下には見せないであろう落ち込んだ様子で、また一つため息を吐いていた。
「勇者──カゲフミ殿は、また私を軽蔑したろうな」
本人の前では、名前など呼んだ事はなかったが、ディアナは1人自室で、カゲフミの名を呼んだ。
彼女の憂鬱の原因は、自国の貴族が呼び込んでしまった異世界人──カゲフミの事だった。勇者召喚とも呼ばれる古より伝わる大魔術、召喚術によって呼び出された人間は、異世界の壁を超える際に負荷がかかり、その負荷によって存在を変質させる。それにより、この世界の人間が持ちえないような超常の力を得る場合がある。
しかし、今回の召喚者、服部影史はこれまで記録に残っているような能力の類は現れなかった。唯一発言した能力はアルターエゴ。本人は影分身と称していた。能力だ。
使用した本人と全く同じ能力を持った分身を作る能力らしい。貴族たちの見解は、使えない、の一言だった。しかし、ディアナはそうは思っていない。
「経験の蓄積──本当に、大した能力だ」
そしてそれは、賢者が提案した実験の結果が証明している。勇者はこの世界に来たとき、確かに一般人。いや、この世界の基準で言えば、一般人以下と言えるような水準の力しかなかった。魔力しかり、体力しかり。
しかし、影分身を複数使い、同時進行で修業、学習を行う事で、この数か月で勇者はあっという間に一般兵を超える力を手にしている。本人は急激な力の上昇のせいか、自分を過小評価している点があるようだし、貴族連中は最初の「無能」という色眼鏡を外せないらしく、その事に気付いていない。
それに、あの剣聖の修業についていけている、というだけでもう驚きだ。剣聖の修業といえば苛酷で、10人弟子を取ったら、つぶれずに残るのは1人いるか……という程で、そうなるまでに大概逃げ出してしまう。たった数か月とはいえ、みっちりと仕込まれた現在、実戦レベルの実力は身に着けていると予想できる。
「しかし、そうと気付いてもらっては困る」
勇者──カゲフミには、「無能」でいて貰わないと。
不意の勇者召喚に置いて、唯一無二の幸運。それは、勇者カゲフミの能力が、見た目には地味で無能のように見える事だった。
ディアナは勇者召喚反対派の人間だ。それは、勇者の能力が強い弱いに関わらず、勇者がこの国、ひいてはこの世界に何の関係のない人間だったからだ。彼、ないし彼女ら召喚された異世界人は、召喚により何らかの強さを得、その強さを召喚された個人や、国に期待される。しかし、その末路は、
「でなければ、彼を使い潰さなければならなくなる」
駒として、兵器として。魔族との戦争で使い潰す事になる。
勇者は強い。しかし、召喚できる人間はそう多くはない。今回は1人。かつても多くて数人、二桁に届くかどうか、という人数だったと記録がある。そんな人数で万を超える相手と戦う? 馬鹿げている。戦いの基本は数だ。少し強いだけの個人がそれを覆せるというのなら、剣聖ガフがそれを行っている。あるいは魔王一人にこの地は蹂躙されている。
勇者一人で何人敵を殺せる? 百か。二百か。千か。万に届くか。結果勇者は何を得ると言うのか。彼らはこの何の関わりもない世界で不遇の死を迎えるか、少なくない死体の山の上で、英雄という虚像を押し付けられるに過ぎない。そして仮に魔族を殺したとしてその先に何があるか? 次は人間同士の戦争だ。人間同士の戦争の道具として、勇者という兵器が、戦場に投入される事になる。
「英雄なんてまやかしだ」
いつの間にか、指が白くなるほどに強く握り込まれた拳は、震えていた。
虫唾が走る思いだった。
彼女は為政者の1人だ。必要があるなら、その判断をくださなければならない。勇者を駒として扱う決断を。そして、この国はその決断を迫られる程に切羽詰っている。勇者が「使える」と貴族たちが気付けば、王や貴族らにより、容易にその決断はくだされるだろう。
「絶対にさせない。例えカゲフミ殿と敵対する事になっても」
そうする事が、勇者カゲフミを守る事に繋がる。ディアナはそう信じていた。
◆◇◆◇◆◇
「お前も、お前もぉ! 俺のために死ね!」
「何言ってやがる! お前も俺だろうが! お前がいけよ!」
「い、いやだぁ……死にたくないぃ!」
訓練場は今日も阿鼻叫喚だった。俺の、俺たちの悲鳴で。
影分身たちは俺の本音が漏れやすいのか、恥も外聞もなく悲鳴をあげ、訓練場の隅で、少しでも距離を取ろうとしていた。恐怖の象徴──ガフ師匠から。 自分自身だというのに、自分とは別の分身を少しでも前に出そうと必死だ。なんて醜い争いだろうか。
俺は、そんな自分の悲鳴や情けないとすら思える態度を横目に、ひたすら基礎体力訓練に励んでいる。今日は本格的な実技をする、という事で俺はその様子を眺める事になっていた。ちなみに訓練の内容は。
「何でもいいから懐に飛び込んで来い。そうしたら儂が全力で斬り伏せる。一撃良いのを儂に入れられたら、終わりにしてもいい」
らしい。それを聞いた俺(の分身たち)が色めき立つ。
「一撃。たった一撃……一撃さえ、入れられれば……!」
「おい! 落ち着け! 忘れたのか、先日逃げようとして、一撃入れるどころか、かすり傷一つ付けられなかったんだぞ!」
「終わりだ……終わりだ……」
しかし、ある程度の自己を持つ俺は、それを聞いても容易に訓練に移ろうとしない。それもそうだ。
師匠の全力で斬る、というのは文字通りそのままの意味で、手にした刃のある大剣を使い、師匠に攻撃を加えようとした俺の身体を斬り伏せる、というのを意味している。実際、すでに影分身が一体切られており、二体は間近でそれを見てビビり、一体は一体消えた事により、フィードバックされた情報──主に、その瞬間感じた、殺される、という恐怖や、痛みに似た一瞬身体を刃が通り抜ける感覚──を持った状態で作り上げた影分身だ。計三体がこの場に出ている。他にも影分身は作っているが、そっちは他の訓練や学習中。
この場に居る影分身は全員、己が斬られる事を理解しているため、誰も先に行きたがらない。その気持ちは解る。
「茶番は良い。そこに直れ」
『はい、師匠』
三人の俺の声が揃った。師匠には、逆らう事はできない。
影分身は素早く横に整列する。縦に整列してしまえば、前にいる奴から餌食になる、そういう判断だ。
「まずは貴様からだ」
「はい!」
そう言って、一番右に立っていた俺が、悲鳴に似た返事をする。その隣に居た自分は、立ち位置的に次は自分だと悟り青ざめ、三人目の自分は、一瞬だけほっとしていた。
「ではこい」
「はい!」
最近ではしっかりと身についてきた体育会系ばりの返事と共に、俺の分身が剣を構えながら前にでる。剣は正眼ではなく、僅かに斜めに相手に向け、左手は柄に添えるような、少し変則的な構え。
相手の出方を見る構えで、この状態から相手の動き次第で柔軟に対応できる構えではある。しかし今は、自分から攻める、という条件があるため、構えに大した意味はない。気持ちの問題だろう。あるいは、隙を見ようとでもいうか。
ガフ師匠は、そんな分身の動きを何ともなしに見て、剣を無造作に右手にぶら下げている。横で見ている俺から見ても隙だらけ。しかしあからさまなモノは罠で、一見してそうと解りづらいモノは罠。本物の隙もあるのだろうが、剣術の経歴がたかだか数か月の俺には判別がつかない。
「はぁぁぁぁっ!」
気合で恐怖を押し殺し、がむしゃらに突進する。
「これまで何を学んでいたぁ!」
ガフ師匠は、その無謀な突進を、一太刀で切り伏せた。駆けだした時、前にただ出していただけの、構え何て言えないような俺の分身の剣ごと、叩き斬る。剣は魔力によって複製された模造品だが、本物の剣には劣るモノの、そう簡単に折れたり切れたりするものではない。だと言うのに、あっさりとそれを切断し、肩口からバッサリと切り伏せた。
「──!」
悲鳴も上げる暇もなく、煙のように消え失せる分身。
断末魔もなく、幻覚だったのかとさえ思えるその非現実的な光景がそれを見ていたものの恐怖心を煽る。そして俺は、直前まで分身が感じていた恐怖や経験のフィードバックに、涙目になっていた。
分身が感じていたのは、恐怖。それに強烈な殺気と、目を逸らさなかったはずなのに、ガフ師匠の剣が動き出す兆候すら捉えられなかった事に対する疑問。第三者視点で見ていた俺にもさっぱりだったので、気持ちは解る。
「次だ。訓練の成果が見えないようなら──解っているな?」
「はいっ!」
ガフ師匠の底冷えするような低い声に、返事をした分身は涙声だった。そして、これまでの訓練の成果を見せるべく剣を構えた。今度の俺は剣を構え、目を閉じた。
見ても解らないなら、いっそ──という作戦ではないらしい。目を閉じ、自分の体内に流れる魔力を感じ取り、それを束ね、強く、太く練り上げていく。
「行きます!」
練った魔力を全身に巡らさず、一点に。前回逃げた時のように、使用する魔力は使う部位に、必要なとき、必要な分だけ使用する。全身強化はくまなく強化できるものの、例えば筋肉で言えば、屈筋と伸筋両方を強化してしまい、アクセルになる筋肉とブレーキとなる筋肉が拮抗してしまう。それではせっかく強化しても、大した力は発揮できない。なので、動作に応じてそれらを取捨選択し、適切な筋肉に適切な強化を施す。
そうする事で強化率を大幅に引き上げ、身体能力をかさましする。
はたしてそれは功を奏した。踏み込みは歴戦の戦士もかくやという程に鋭く、瞬き一つでガフ師匠への間合いへ。
「ふっ!」
鋭い呼気。分身はそこから、愚直に攻撃に移る訳ではなかった。スピードを使い間合いを詰め、緩急をつけて横へ移動する。前方への突進をフェイントにした動き。相手が格下であったなら、もしかすると、分身を見失って、無防備な側面を晒していたかもしれない。
「相手の間合いで小細工を弄してどうする。そんな暇があれば、最高の技でもって相手に牙を剥け」
しかし、相手は各上。剣聖だった。分身は無情にも胴を薙ぎ払われ消え去った。ガフ師匠は一切手加減するつもりは無いらしい。いつものように、防御に徹してこちらの剣に手持ちの剣を合わせたりしない。
訓練の内容は、ガフ師匠の懐に潜り、ただの一撃を入れるだけ。それだけの事が、なんと難しい事か。だが、ようやく趣旨が見えてきた。これは、今のガフ師匠のような、待ちの相手に対して、どうやって攻め入るのか、という訓練だ。ただやっては出来ない。分身も、そう感じているようだ。逃げられない事で腹をくくったか、分身はこれまで以上に真剣に考えを巡らしている。
「間合いを考えよ。常に自分の最高の一撃が放てる状態を保て」
ガフ師匠の言葉を、俺と分身は反芻しながら最後に残った分身が、ガフ師匠の前に立つ。剣を持ってみるが、分身は何か気に入らなかったのか、鞘に納めた。
居合い切りなんてファンタジーな技俺に使えるはずもなく、そんな事をすればまず間違いなくガフ師匠に攻撃できないのだが。
いや、そうか。この訓練は、ガフ師匠に「一撃」入れたら、終了だ。何も剣で、とは言われていない。何なら魔法でも、恐らく構わない。それを裏付けるように、分身が武器をしまった事に関して、ガフ師匠は何も言わなかった。
剣を使い始めたのはほんの二か月。それまでは格闘歴といえば、護身術ーなんてかじった空手くらいだ。全然強くなれなかったので、通う頻度は少なかったが。それでも、だらだらと一年以上通っていたのだから、にわか剣よりはまだ歴は長いと言える。
「では行きます」
今までと違って、落ち着いたスタートをきる分身。さっき分身がやられた位置の手前まで、ゆっくりと歩を進め、足で相手の間合いを測るように、じりじりと間合いを詰める。ガフ師匠はそれを黙ってみていた。俺の分身は、ぎりぎりまで間合いを詰めた所で、一つ深呼吸をした。覚悟を決めるように。
「はっ!」
もう一歩も詰めれば剣の間合い、という近距離で、身体強化を使って全力で身体をかがめながら間合いを詰める。ガフ師匠はそれに対して、冷静に、ただ剣を振り上げ、振り下ろした。
これまで見えもしなかった一太刀。それを見、躱し、無防備になるガフ師匠に一撃入れるため、俺も、分身も、目を強化してそれを見る。
そして振り下ろされる剣に合わせ、魔法を発動した。
「≪水球≫≪乱流≫!」
この前見たエイラ先生の水球。それと同じような魔法。水の抵抗で剣を止めようと言うのか。それでは足りないと見たのか。水球の内部は渦巻くような流れを持っており、真上から迫る剣を受け止める。
「その程度で……む?」
「流石……ですが!」
剣は水球を前にして止まらず、分身に迫る。その剣を、分身は鞘に入ったままの自分の剣を持ったまま、上段受け。騎馬立ちとなり、上段から迫ってきたガフ師匠の一撃をしっかりと受け止める。地面にめり込む程の圧力を受けたのか、地面に衝撃が伝わっているの感じる。左腕一本で受けているが、それを支えるのに、全身に魔力を巡らせ、身体強化を限界まで引き上げているようだ。
「あぁっ!」
分身は消え去る寸前、空いていた右手で、渾身の一撃を繰り出す。
しかし、その拳は、ガフ師匠に届くほんの少し手前で消え去ってしまった。
「ふむ。多少の剣であれば受け止めるか。まぁ、今日の所はこの辺りでよい。カゲフミ。訓練終了だ」
「はい……ふぅ」
俺は重しを地面に起き、ずっと同じ姿勢を維持していたために強張っていた身体をほぐす。そのまま整理体操を行っている最中、いつもならさっさと部屋に戻ってしまうガフ師匠が、俺に声をかけた。
「カゲフミ」
「はい!」
あまり例のない事なので、びっくりして飛び上がるが、ガフ師匠は手でそれを制した。
「よい。そのまま続けていろ。少し話がしたいだけだ。さっき分身が見せた技はなんだ?」
「さっきの……上段受け、でしょうか。魔法も使っていましたけど」
「魔法はいい。上段受け、といったな。お前の居た世界ではそういった術があるのか」
ガフ師匠が珍しく、興味津々といった様子で俺に聞いてきた。いつもは俺の世界の話を聞くのはエイラ先生なので、新鮮だ。
「はい。と言っても、齧っただけですけど。今のは俺の国で護身術とかとして伝わってる空手って武術です。基本的に無手で相手を攻撃したり、素手の状態で武器を持った相手を制する事を想定して動いたりします」
「ほぉ……」
「なんか、中国って国から伝わって国内で変化したーとか、琉球って所が発祥とかいわれがある武術ですね」
「ふむ。面白いな。次の訓練の時にでもまた聞かせてくれ」
「わかりました」
意外……ではないのか? ガフ師匠とは共通の話題が武術だけなので、話のタネが増えたと喜んでおくべきか。
整理体操を終え、立ち上がると、ガフ師匠も用は済んだとばかりに歩き出した。そこでふと足を止め、思い出したように俺を振り返る。
「ああ、そうだ。明日訓練は中止だ」
「え!?」
い、いかん。突然の事で喜びが顔に出ていないだろうか。師匠の気まぐれだとしたら、この休息が無くなったりするかもしれない。
「まったくお主と言うやつは……明日は訓練の代わりに王宮からの行事が一つある。疲労でみっともない恰好を見せたくなければ、ちゃんと休んでおけ」
なんだ……王宮からの呼び出しか。上がったテンションは、水をかけられた火のようにしぼんで消えた。
「そうなんですか。ちなみに、行事ってなんですか?」
「お主の、正確には勇者専用の装備を渡すそうだ」
何ですと? 勇者専用……装備?