第22話「勇者」
ディアナが西門に駆けつけた時、そこは控えめに言っても酷い有り様だった。
「はははは! おらどうした!? 手応えが無さすぎるぜ、人間!」
西門から侵入していた魔族はたった一人。門をくぐった、広い場所を陣取るようにして暴れている。獰猛な笑みを浮かべ、攻撃するために近づいてきた人間の頭を掴んで投げ、また別の人間を殴りつけ、連携を取ろうとした者たちには飛び蹴りをかましていたのは、魔将ゲルトだ。
「皆のもの、下がれ! そのものは私が相手をする!」
ろくに魔力も練れないような兵士だけでは被害が出るばかりと判断したディアナは、当初そうするつもりであったように、1人で魔将と対峙する。恐怖がない、なんて言えば嘘になる。強敵を前にする恐怖も、自分が敗れれば、士気は崩壊し、味方が潰走するであろうという恐怖もある。
震えそうになる身体に活を入れているのは、自分がこの国の将であり、王女であるという矜持と、常にそうありたいと願う、自分自身の思いだった。
「我が名はディアナ・フィン・アクス! 魔将ゲルトとお見受けする! 正々堂々、貴殿との一騎打ちを所望する」
「あぁ?」
暴れていたゲルトの動きが止まり、ディアナを視界に捉える。その眼は品定めするようにディアナを下から上まで眺めて、ゲルトはため息をついた。
「なんだよ、こっちに来たのは剣聖じゃねーのかよ。おいアクスの戦乙女。さっさと剣聖を呼んでくるんだな。テメーじゃ俺は満足できねぇ」
ゲルトは今目の前にいた兵士の1人に手刀での突きを加え、心臓を握りつぶしながらそう言った。その、仲間をものか何かを壊すように殺されていく様に静かに怒りを燃やしながら、ディアナは持っていたハルバードに力を籠める。
「そちらに用が無くても、こちらには充分に理由があるのでな……嫌だと言っても相手をしてもらう!」
長いリーチを生かし、ディアナは遠間から渾身の片手突きを放つ。片手で伸ばした分、リーチがさらに伸び、無手では想像もできないような間合いからの攻撃。片手だというのに動きの重さは感じさせず、重量武器がごう、と空気を巻き込み唸りをあげながら、ゲルトに迫る。
「おっと」
頭を潰しに来たその突きを、首を傾けただけで避ける。渾身、といっても躱されることも織り込み済み。両手に持ち替え、高速で引き戻しながら、ゲルトの頭部をハルバードの斧部で狙う。ゲルトはそれを、頭の後ろに目でもついているかのように身体を屈めてあっさりと避けた。
「はっ! いいねぇその殺る気! 他の奴らより面白そうだ! 剣聖が来るまで、暇つぶしに相手してやるよ!」
やる気になった様子のゲルト相手に、ディアナはゲルトが自分のペースを作らせる気は無かった。このまま自分のペースで攻撃を続けるべく、引き込んだ慣性を利用しながらハルバードを回転させ、遠心力を用いて横殴りに斧部を叩きつけに入る。狙いは、動かしにくく、的が大きく外しにくい胴。
「おうおう。いいねぇ」
速度と威力が増したその一撃を、ゲルトはにやにや笑いながらハルバードに拳を叩きつけ、真下に弾く。ハルバードに行ったのが生半可な攻撃であれば、その攻撃や防御事巻き込んで叩き潰す威力があったはずの一撃は、虫で払うように易々と叩き落とされてしまう。あまりの衝撃に、ハルバードから伝わった衝撃で、ディアナの両腕がミシリと嫌な音を立てた。
「さてさて。どうする? その長柄じゃ、こっから戻すの面倒だろ!?」
ゲルトが迫る。長いリーチを誇るハルバードは、その反面、先端を引き戻すのに時間がかかる。ディアナは柄の端を持っていた両手を、柄の上で滑らせながら前進。前進の勢いを利用しながら、柄を中心として穂先と石突きで円を描き、迫るゲルトの顎を、石突きでカウンター気味に跳ね上げる。
「ひょお!」
完全に捉えたかに思えた、そのリーチの長さを感じさせない器用な一撃を、ゲルトはバックステップで避ける。
「しっ!」
ディアナは冷静に一歩間合いを調整しながら、石突きを跳ね上げた事で、稼いだハルバードの尖端の高さを利用して、斧部をゲルトの頭上へ振り下ろす。ゲルトはそれを今度は横に躱した。
勢い余ったディアナのハルバードの斧部が地面を砕き、地響きに似た振動を発生させる。
「はっはぁ! 良いぜお前! 思ったより楽しめる!」
ディアナはそれに答えない。否。答えるだけの余裕がなかった。自分の呼吸が間に合わない程の猛攻をしている筈なのに、敵にはかすりもしない。
息苦しさに、焦燥が重ねられ、ディアナは消耗を強いられていた。
勝負を、仕掛ける必要がある。
ディアナは飛び退りながら、ハルバードを引き、振り抜く構えを見せた。
「はは。次は何してくれるんだ? ん?」
度肝を抜かせてやる。
ディアナは口には出さなかったが、体内で練り上げられていく魔力と、次の一撃で決着をつける、という覚悟を、ゲルトは見て取った。ゲルトの口が裂け、三日月のような形に変わり、獰猛な笑みが現れた。
来る気のないゲルトに、ならばと存分に身体中の力を一点へと集中させる。力が頂点に達したと感じた瞬間、ディアナは解き放たれた矢の如く、ゲルトに向かって鋭く踏み込んでいた。
「はっ!」
振り抜いたハルバードは、下段──ゲルトの脚を狙って振り抜かれた。
通常の人間、いや、魔物のような強靭な肉体を持つ存在と言えど、脚を束ねて刎ね飛ばされるような一撃。
「よっと」
ゲルトはそれを、軽く跳んで避ける。だが、その動きはディアナの想定の範囲内。
「ここ!」
ディアナがハルバードの柄を思い切り捻る。バギン、という金属音が響き、ハルバードの斧部が割れるように剥がれ、剥き出しの、細い穂先だけが残された。
ディアナはその変形したハルバードの穂先を、宙にいる身動きが取れないゲルトに向かって突き込む。
重量が落ち、鋭さと速度を増した、ディアナの隠し玉。
「残念。その殺気は見えてんだわ」
だが、それは僅かにゲルトに届かない。両手でハルバードの柄を掴んだゲルトは、それだけで槍を止めてしまった。ディアナの高速の突きは、ゲルトの両手で強烈な摩擦を生み、煙を生んだだけだった。
「……っ!」
ディアナが愕然とした一瞬、悠然と着地したゲルトが、槍を手元に引きながら強烈な蹴りを放った。
「が……はっ!」
弾き飛ばされたディアナは、壁に叩きつけられ、ディアナが叩きつけられた壁に大きな振動とヒビが走った。一瞬、呆けていたとはいえ、槍を手放し、蹴りに合わせて後ろに跳んで衝撃を散らした。それでも、蹴りを受けたブレストプレートはくっきりと足形が残り、街を守る防壁にまでダメージを与えてくる程の一撃。
ディアナは血を吐き、膝を付いた。
「ちっ! たった一蹴りでこれかよ。人間はやっぱ脆いぜ」
ゲルトの、興ざめだ、とでも言うような、トーンを落としたその声音は、本当にその事を残念がっているようだった。強敵を望むゲルトは、自分の要求を満たしてくれる相手を望んでいた。熱く血が滾るような戦い。脳が焼けつくようなぎりぎりのやり取り。ヒリヒリと身を焦がすような緊張感──惜しいところまで来ていたのに、楽しい時間が終わるのは一瞬だ。しかし、ディアナはその要求に答えるには足りない。その事実に気付いてしまい、急に冷めたゲルトは、楽しかった時間を惜しむように歩いてディアナへと近づく。
「ファブリスの奴みたいに、弱ったの嬲るのは趣味じゃねーんでな。これで楽にしてやるぜ」
どこか、慈悲すら感じさせるような声でそう言って、ゲルトはディアナに向かって、己の拳を振り上げた。
「く……」
身体の芯までダメージが及び、呼吸一つとってもまともに出来ない。息を吸おうとしただけで、激痛で肺が痙攣し、かひゅ、口の間からか細い音が漏れるだけだ。
ここで、死ぬのか。
ディアナは、ただの事実としてそう思った。
周りは奇妙な程に静かだった。西門にいたディアナの部下にあたる兵士たちは、ゲルトとの戦いを見て尻込みし、今まさにディアナが止めを刺されそうな事に、絶望を感じていた。兵士たちは恐怖と、目の前で自分たちのために戦った将が殺されそうな時に、指一本動かせない情けない自分に失望していた。
それを見たディアナは、兵士たちに、希望を持たせられなかった事は、少し悔しいと感じた。勇者のような英雄がいなくとも、きっと勝利を収められると思っていた。浅はかだったのだろうか、やはり、勇者のような存在でなければならないのだろうか。
しかし、この戦いに関しては、後はガフが、きっと何とかしてくれる。自分は持てる力を出し切って、戦ったはずだ。己が目指す理想のために、平和のために、戦った。やり残したことは、後悔するような事は何もない。
ゲルトが迫る。拳を振り上げるのが、酷くゆっくりに見えた。
本当に、そうだろうか。何も、後悔などする事はないのだろうか。そんな言葉が、ふと脳裏をよぎる。
その瞬間、ディアナの心に浮かんだのは、たった一人の少年の事だった。
「させるかドアホがっ!」
ディアナに狂拳が振り下ろされる直前、ゲルト相手に、横から駆けこんできた人影が、飛び膝蹴りを決め、ゲルトの身体を吹き飛ばす。
「な、んだぁ……てめぇ!?」
吹き飛ばされたゲルトが、身体を起こしながらその人物を睨みつける。息を切らせたその人物は──
「なんだと聞かれて名乗るような大した名でもねぇが、聞かせてやるぜ! 俺はアクス王国の勇者、服部影史だ!」
「勇者、だぁ……!?」
びしっと音が聞こえるような勢いでゲルトを指差していたのは、黒髪の少年だった。
「な、何故ここにいる……!? カゲフミ!」
痛みで軋む身体で、ディアナはそう言った。俄かには信じられなかった。カゲフミがこの場所にいて、自分の危機に助けに入ってきたなどと。
「何故、じゃないこのバカ王女が!」
「ば、ば……!?」
「あんたには言ってやりたい事があるんだ! それなのに勝手に諦めて、死のうとして! 黙ってそこで、俺に助けられてろ!」
言ってることはめちゃくちゃだった。
しかし、ディアナはその時、小さな希望と、言葉に表せないような嬉しさを、感じていた。身体にくすぶっていたはずの、ずしりと重いダメージも、今は遠い。
突然の登場者に、味方であるはずの兵士たちも混乱していた。しかし、いつの間にか先程まで辺りを支配していた絶望感は払拭され、その場はたった一人の人間がペースを握っていた。無能などと言われ、ディアナが下手な策を弄してまで遠ざけたはずの、勇者が。




