第21話「決戦の火蓋」
魔族との戦いは、魔族側の奇襲によって開始された。
ディアナは朝方、眠っていたところを敵襲撃を知らせる鐘によって起こされた。すぐさまベッドから飛び起き、着替え、ブレストプレートを装着し、愛用のハルバードを手に持つ。防衛拠点としている建物内が慌ただしくなっている中、彼女は指令本部となる会議室に向かう。
「遅いぞ」
「すみません。状況は?」
ガフはすでに本部で指示を出しており、ディアナはガフに、現在の状況を確認する。
「東門、西門が同時に攻撃を受け、戦闘に入った。今はこちらがやや優勢、と言った所か」
籠城を行っているこちらは、今の所余裕を持って対応出来ており、損害も少ない。と、伝令に来た兵士からも確認する。
「とはいえ、向こうもそのままという訳ではないでしょう」
4魔将がいるとなれば、このまま黙ってみているとは思えない。問題は、向こうに4魔将が何人いて、いつ攻めてくるか、という事だ。
戦況を聞きながら、対応すべく兵士たちと話しあっていたディアナの元に、伝令が駆け込んできた。
「た、大変です! ひ、東門が……東門が破られました! 魔将が現れ、一撃で東門を突破! 現在東門にいる部隊が応戦中!」
「なんだと……!」
思ったより展開が早い、そんな風に歯噛みする時間はなかった。その伝令が東門の状況を伝えている途中で、息を切らせた伝令がもう一人、駆け込んできたのだ。
「お伝えいたします! 西門が、魔族によって破られました! 門が何らかの攻撃を受けた模様! 壊れた門から魔族の軍が流れ込んできております!」
一気に二か所も破られる事態に、ディアナは血の気が失せる思いがしたが、己に活を入れ、良く通る声で兵たちに伝える。
「東門は剣聖殿を向かわせる! 西門は私が直々にでる! それまで持ちこたえさせろ!」
伝令は返事をする暇も惜しんで駆けていき、ディアナはこれから始まる戦いに想いを馳せ、武器を握りしめた。
「ガフ師匠。東門をお願いいたします。私は西で、敵を食い止めます」
「うむ。では少し、暴れてくるとしよう」
こうも早く、「剣聖」という数少ない切り札を切る事になろうとは。これまでとは違う、敵の総力を前に、一抹の不安が過る。この状況下において、獰猛な笑みを浮べるガフの胆力に救われるような気持ちで、ガフが東門に向かった後、ディアナも自分の仕事を果たすため、西門へ向かった。
◆◇◆◇◆◇
東門に向かったガフが見たのは、今にも瓦解しそうな味方の部隊だった。
「退くなぁ! 持ちこたえろ!」
恐慌に陥った味方を、隊長格が何とか持ち直そうと叫ぶが、魔族がその者の喉笛を剣で切り裂き、混乱を助長させる。
ガフは、その中を散歩でもするような気軽さで、混乱の中心に向かって歩いていた。
中心となっているのは、魔族の流入が止まらない東門付近だろう。ガフはそちらに向かってのんびりと進む。
「後は儂がやる。味方をさげよ」
「け、剣聖様!? 撤退、撤退だ! 剣聖様に道をあけよ!」
適当な兵士に声をかけ、兵士が伝えた号令によって、味方が撤退を始める。当然、それを追いかけてくる魔族を、ガフはすれ違い様に斬り伏せる。胴を分断された魔族は、何が起こったのか理解できず、己の身を見て絶叫をあげた。
絶叫を皮切りに、ガフの元へ視線が集まる、味方は安堵し、敵である魔族は、新しく沸いた獲物に敵意を向ける。
ガフはそれらに、視線すらくれてやることは無かった。味方はガフの為に門までの道を開けていると言うのに、ガフの前には敵も味方も存在しない。
それでも、血気盛んな魔族が数人、ガフの元に己の武器を振り上げて迫る。ガフはそれを、歩みを止める事無く相手どった。
無防備にも剣を振り上げ間合いに入った魔族を、無造作に乾竹割にし、味方が斬り伏せられた隙を突こうとしてきた魔族は、横凪ぎに斬られ、その両腕を失う。
どちゃりと水気を含んだ音と、魔族の悲鳴が辺りに響く。あまりに隔絶した実力を前に、どの魔族も尻込みを始めた。
「ふむ……準備運動にもならんな……」
ガフは剣を一振りして血糊を払い、悠然と歩を進めた。その歩みを阻むように、魔族の一人が現れる。
「初めまして、剣聖。私は魔将が一人、ファブリス。貴方の相手は、この私が致しましょう」
「ほう。貴様が4魔将とやらの一人か。他にはおらんのか?」
「もう一人は、西門を制圧している頃でしょう」
ガフの言葉は、もっといてくれても良いのに、という個人的願望をはらんだものだったが、ファブリスの言葉から、西門に4魔将がいること、今回の攻撃で参加している4魔将は恐らくそれで全員だろうと辺りを付けていた。ブラフである可能性もあったが、ガフは相手が嘘を言っていないだろうと当たりを付けた。理由は、ファブリスという魔族からはこちらを見下しているのが言葉の端々に見えていたからだ。格下と侮っている相手に、そこまでしないだろうな、と判断を下す。
もし、その宛が外れたとしたら、こいつをゆっくり倒した後でそれらも倒せばよい。そう考える。
「では、お主を倒してそちらに向かうとしよう」
そして、ガフもまた、目の前のファブリスを歯牙にもかけないものいいで、だらりと剣をぶら下げる。その様子に、ファブリスの額に青筋が浮かんだ。
「く、くくく。劣等種である人間が、私を倒すだのと……面白い冗談を言う。良いだろう。格の違いが理解できん猿に、優良種たるこの私が、この剣を持って教えてやろう!」
「まだこんのか。お前の剣とやらは、そうやって能書きを垂れる事を言うのか?」
ガフはうんざりだ、と顔で語り、ファブリスの堪忍袋の緒は、そうそうに砕け散った。
「殺す!」
ガフの目にも、辛うじて捉えられる早さの踏み込み。全身の動きから剣の軌道を読み切り、ガフは最小の動きで振るわれた剣を躱す。
速度も威力もました返しの一撃を、ガフは己の剣を合わせて防ぐ。当然、その攻撃だけでは終わらず、一度防御してから、ガフは蜘蛛の糸に絡まれたかのように、敵の連撃から逃れられずに、何度も迫る剣を防がなければいけなくなる。
「どうしました? 剣聖! 貴方の剣はその程度ですか!?」
攻め入るファブリスの剣に愉悦が走る。現状ではどちらも一撃入れる事もできず、状態としては互角。状況的にはファブリスが攻撃を仕掛け続け、それを受け続けており、ファブリスがやや優勢に見えた。だが、ファブリスの顔に愉悦が走ったのは、己が絶対優位に立っているという確信があってこそだった。
「ぬ……」
顔色こそ変えないが、ガフもまた、己の不利を理解していた。一見互角に見える剣戟も、打ち合う毎に消耗を強いられている。
己の体力──ではなく、剣が。ファブリスの膂力、技は魔将というに相応しい卓越したものがある。だが、決定的に差があるとすれば、二人が持つ剣にあった。ガフの剣は業物であったが、鋼でできたありふれたものだ。
ファブリスが持つその剣は──
「魔剣か」
「ご名答! 魔剣ヴァルツスト! 不壊の剣と呼ばれる魔剣ですよ!」
魔剣とは、かつての高名な錬金術師が残したと言われる剣の総称で、数は少ないがどれ一つとっても同じものは存在せず、善きにしろ悪しきにしろ、いずれも歴史に名を残す剣であった。そんなものと、ただの剣が打ち合えばどうなるか。
「ほう」
感心したようにガフは声をあげつつ、己の剣を魔剣に当て、ファブリスの攻撃を捌き続ける。
一撃で刃が欠け、二撃目で刀身にヒビが走る。三撃目、四撃目と、箇所を変えても同じように剣にダメージが蓄積されていく。
「ほら! これで! おしまいですよ!」
やがて限界を迎えたガフの剣は、剣身の半ばから砕け散る。中ほどから切っ先に向けての剣身は、ぱらぱらと儚くちって地面に落ちた。
「くくく、剣がなければ、剣聖も形なしと言ったところですか!」
勝利を確信したファブリスが、剣を振り上げる。だが、そこまで追い込まれていても、ガフの表情に焦りはなかった。
「何か、勘違いしておるようだな」
半ばから折れた剣を持ち、この時初めてガフが攻勢に回る。振り下ろされる剣より早く、ガフはファブリスの懐に潜り込む。
「そのような屑鉄で!」
ファブリスは振り下ろす剣の軌道を、迎撃に変える。
ファブリスはあえて魔剣で受け、残った剣身をも砕いてやろうとしていた。しかし、ファブリスの予期した未来は永劫訪れる事はなかった。
「ぬぅん!」
折れた剣身と、魔剣が一瞬だけ拮抗する。魔剣の刃がガフの剣に食いつく一瞬、ガフは裂帛の気合いで剣を押し込む。震脚によって発生させた力を、各関節の捻りによって増幅、繊細な身体操作によって、その力を一点に収束させる。剣と剣とがぶつかり合う場所へ。
「かぁ!」
さらにだめ押しに、体内で練りに練られた魔力を折れた剣身に流し込み、魔剣に叩きつける。今まさに、折れた剣に食いつこうとしていた魔剣の刃は、逆に、欠けた刃に食いつかれ、引き裂かれる。
きぃん、という澄んだ音が辺りに響き、魔剣の剣身が、宙を舞う。ほとんど柄しか残っていない魔剣には、もはや剣としての意義は失われていた。
「な──は?」
呆然とするファブリス。
ガフはこれまで、ただ防御に回っていた訳ではない。敵の攻撃をほとんどかわさず、わざわざ剣を当てていたのは、魔剣の同一箇所にダメージを蓄積させる為だった。魔剣のダメージがある程度蓄積させた所で、大技を一度に加え、ヘし折って見せたのだ。
「さて、さっきは剣聖がどう、とか言っておったな」
ガフは、そこらに転がっていた適当な剣を拾い上げる。折られた魔剣を呆然としたまま眺めているファブリスに向かって、それを無造作に振り下ろした。
「儂が剣を使っているのは、こだわりではなく、戦場に最も多く転がっていた武器が剣であったというだけだ」
ガフの一閃によって、縦に二分されてしまった魔将を見た魔族たちは、戦意を折られ、たちまち東門から撤退を始めた。
「さて、西門の方に向かうか」
味方の兵士にその場を任せ、責務を果たしたガフは剣を手に提げ、西門の様子を見に向かった。