第19話「大切な約束」
さっきとは別の理由で、俺の胸にはすぐにこの街を出るべきだ、という思いが浮かぶ。俺は感情のままに部屋の外にでて、夕凪亭のおかみの元へむかう。
「おかみさん、魔族と戦争してるって所にいく、移動手段があるって言ってたよね!?」
「な、何だい急に……戦争に行くのかい?」
ちょっとおかみが引くぐらいに勢い込んで、俺は聞く。速く移動する手段がある、おかみは確かにそう言っていたはずだ。
「ああ、恩人がいるんだ。すぐに行かないと」
「なら、ログマホースを使うんだね」
「ログマホース?」
「そうだよ。この街に来るとき、道があったろ? あの道は、ログマホースって魔物が走ってできた跡なのさ。その魔物を使った便がある。それで行くんだね」
そんな道が、確かにあったかもしれない。歩いてきた道とは別に、舗装されたみたいな綺麗な道が。あれがその便で使われるものなのだろうか?
「それって、いつ出ます!?」
「そうさねぇ……毎日朝、夕と出てるはずだから、街の外に行ってみると良い。乗り場があるからさ。馬車なんかより速いし、陸での移動最速さね」
「そうですか……ありがとうございます!」
「なんだい、慌ただしいね。朝飯、食べていくなら早めに起きてくることだね!」
おかみさんに礼を言って、自室に戻る。その俺の背中に、おかみさんの怒鳴り声が聞こえていた。取りあえずの目途がたち、俺は明日のスケジュールを頭で組みながら自室に戻ると、俯いてベッドに座ったままのクーが居た。
「カゲフミ、戦争、いくの……?」
さっきまでの気持ちに、冷水をかけるような、そんな、縋るようなクーの言葉。俺は、彼女に向き合うために、隣に座った。
「うん。行こうと思う。恩返し、しなくちゃいけないと思うから」
「ダメ! 行っちゃダメ! もう、1人はやだ……」
そう言って、俺の胸に顔を埋めた彼女の髪を、そっと撫でる。こんな彼女を放ってはおけない。だからこそ、俺は全部にケリを付けるためにも、ディアナ王女がいる戦場に向かうつもりだった。
「そうだね。俺も、1人は嫌だ。クー。俺の話、聞いてくれる?」
「カゲフミの……」
「俺さ、勇者なんだ。勇者、っていうのは異世界……この世界とは、別の世界からくる人間。俺は、その異世界から魔法で召喚されてきた」
「別の、世界……?」
クーは、異世界と言われても、良く解ってなさそうだった。遠くて、すぐには来れないような所にある場所なんだ、と付け加えてやる。例え彼女が解らなくても、それでも、彼女に俺の持ってた思いを伝えるために、言葉を重ねる。
「俺さ、この世界に来て、ずっと一人だと思ってた。生まれた世界じゃないし、望まれてきたはずのに、期待された力はないって、無能だって、ずっと言われてたし。この世界にはさ、必要とされてないんだ、ってずっと思ってた。だから、こんな世界から、早く帰って、何もかも、忘れてしまおうって思ってたんだ」
修業に打ち込んだのは、そう言った考えから、目を背くためだった。要らないって思われてても、辛い修業に打ち込んでいるあいだは、それらを忘れていられる。そうやって、逃げて、考えないようにしていた。クーは、忘れてしまいたい、ってことに自分が含まれている事を察したのか、強く俺の服を握りしめた。
「でもさ、本当は、俺が気づかないように……見ないようにしてただけで、1人じゃないんだよな。ディアナ王女には、影で助けられてたし、ガフ師匠には、強くしてもらった。エイラ先生には、文字を教わったり、魔法を教わったりした。それで、クーは俺の側に居てくれた」
「クー、側にいた、だけ」
「嬉しいんだ。妹できたみたいでさ。兄弟とか、いないし。誰かが側に居てくれるだけで嬉しい」
「……ん。カゲフミ、いてくれればクーも嬉しい」
クーが掴んでいた服を離し、少しだけ、顔を綻ばせる。俺も笑顔で返しながら、クーと話をつづけた。
「そんなみんなに、恩返ししたいんだ。俺、無能なんて言われてたからさ。勇者とか言われても実感ないけど。けど、でも。きっと何か、出来る事があると思うんだ。だから、魔族と戦争してるって所にいくよ。ディアナ王女を助けるために。ガフ師匠は……俺の助けとか、いらなそうだけど」
「……」
「でね。それが終わったら、クーにも恩返しする。クーが、今の俺が1人じゃないって思えるみたいに、クーが1人じゃないって思える時まで、ずっと側に居てやる。クーの仲間がどこに行ったか、探してやる」
「ほんと? 約束? 絶対?」
「ああ。約束する! 絶対だ!」
そこまで言って、クーはようやく、納得してくれたのか、俺から身体を離す。
「でも、戦争、死んじゃう……やだ……」
クーが不安そうに言った。きっと、無くなっていた集落の事を思い出しているのだろう。
確かに、俺も戦争の怖さなんか想像もつかない。ただ、人が死ぬところだって事は知っている。きっと盗賊と戦った時よりも、ずっと危険なんだろう。もっと強い敵もいるんだろう。
「そうだね。それでも、俺はここで行かなかったら、自分が許せなくなると思う」
そうなったら、今の自分が、死んだも同然だ。戦争にいかなくても、俺の心は死んでしまう。
「……きっと、戻ってきてくれる? ずっと、クーの側に居てくれる?」
「ああ、さっきも言ったけど、約束だよ」
「……信用、できない」
俺は苦笑する。まぁ、確たる根拠もないので、そう思われるのも仕方ない。
「どうしたら、信用してもらえるかな?」
クーは、少しの間懸命に何か考えていたようで、一つ頷いて、俺に言った。
「……尻尾、絡める。大事な約束するとき、クーたち、尻尾を絡める」
なるほど。指切りみたいなもんか。
「解った。じゃ、尻尾……俺はないけど」
「利き腕で良い、はず」
何か思い出しているような様子で、クーは一つ頷く。
「クーは、カゲフミの側に、ずっといる」
「うん。約束。俺もクーの側にいてやる」
ずっと、って辺りに力が籠ってる辺り、クーはやっぱり、まだまだ立ち直れてないんだな、と感じてしまう。ディアナ王女に恩返ししたら、ちゃんと彼女の仲間も探してやらないとな。
俺の差し出した右腕に、クーは、自分の尻尾を絡めた。そういえば、クーの尻尾は触った事がなかった。毛並みの良い尻尾が、俺の右腕を絡むように包んでいた。あまりにいい感触なので、つい思わず、空いた左手で、その尻尾を撫でてしまう。
「ふぁ……!」
「ご、ごめん!」
「別に、いい……」
急な感触に驚いたらしいクーが、声をあげ、俺はその反応に驚いて慌てて手を離す。急な事で驚いたせいか、頬が少し赤い。急に気まずくなって、尻尾を離した後も俺たちは無言でいたが、そうしてもいられなかったので話を切り出す。
「明日、朝出発するから、準備して今日はもう寝ようか」
「ん。早寝早起き」
そう言って2人で多くもない荷物をまとめ、早起きするためにすぐに眠った。
◆◇◆◇◆◇
「おかみさんが言ってたのは、この辺りでいいのか……?」
俺とクーは朝早く夕凪亭を引き払い、ログマホースと呼ばれる移動手段の発着場に向かっていた。おかみさんから聞いた、陸上最速。少し楽しみではある。街の外に出て、周りを見れば、人だかりがある。制服に似た服装をした人物がおり、受付か何かだろうとあたりをつけて話しかけた。
「あの、ログマホース乗り場、ってここで良いんですか?」
「ああ。そうだよ。……君たちはログマホース便は初めてかい?」
「はい」
「そうか。では、規則だから一応年齢を聞かせて貰ってもいいかい?」
「俺は17です」
「⒓」
「ふむ。君の方が成人しているなら問題ないな」
何気にクーの年齢を初めてしった……と割と関係ない事を考えながら、なんで年齢を聞かれるんだろう? と、俺は疑問符を浮べていた。
「そっちの女の子は、年齢的に君と一緒に乗ることになる。構わないね?」
「はい……?」
まぁ、問題はない。ただ、やたら念押しされるその内容にちょっと不安が生まれる。いったい俺たちは、何に乗ろうとしてるんだ?
「ログマホースは、この辺り一帯を常に走り続けている魔物なんだ。奴らは決まったコースを、ずっと走り続ける。飯を食ってる時も、排泄する時も、睡眠しててもずっとだ。一説だと止まると窒息するとか言われてるな」
人気の寿司ネタの魚か何かなのか。俺は心の中でそう突っ込む。
いや、待てよ。止まると窒息って、止まれない、ってことだよな? なら、どうやって乗るんだ?
「群れでくるとはいえ、基本的にはチャンスは一度だ。ログマホースからは頑丈なロープにカラビナが付いてる。これと同じものだ。俺がそれを君に渡すから、君はそれを掴んで、即座にこのリフトの手すりに繋ぐ。順番になるから、並んで待っていてくれ」
手すりしかない箱みたいな乗り物の前に連れられ、受付のお兄さんにそう説明される。すごい真剣な様子に、俺は気圧されながらも、渡されたカラビナを手すりに付けたり、外したりする。
なんだこれ……俺は、馬車みたいなものに乗るつもりできたんだけど……。幾つかの注意事項と、リフトの操作を教わる。操作はカラビナを付けるのが最も大事な事らしく、何度も念を押された。
何となく周りを見ると、ガタイの良いおっさんばかりこの近くにおり、皆ピリピリした様子でリフトの手すりを掴んだり、離したりしていた。
い、いったいどんなモノなんだ……? と俺も緊張感に呑まれそうになりながら、クーと一緒にリフトに乗り込み、
「き、来たぞ!」
乗客(予定)の1人が、悲鳴染みた声をあげる。ドドドドド……という地響きが聞こえてくる。聞こえてきた地響きの方をみると、砂煙と共にすごい勢いで走ってくる魔物がいた。
まず解るのはその巨体。馬の二倍くらい大きい。ついで目に入るのは、頭部から生えた長く鋭い、槍のような角。特徴的なデカい鼻。そこから空気をすごい勢いで吸い込んでいる。馬の嘶きに似た鳴き声。狂気を孕んだ目でただ正面を睨みつけ、舌をだらんと垂れさせ、涎をまき散らしながらひた走る魔物。……端的に言おう。怖い。
最終コーナーを曲がってきた競争馬だって、そこまで勢い込んでこないだろ、というような速度と鋭いコーナリングでトップスピードを維持しながらくる、巨大な馬型魔物。あれがログマホースか!? その後ろには、ここにあるようなリフトが繋がれていた。
「リフト解除──!!!」
受付のお兄さんが良く通る声でそう叫ぶと、繋がれていたリフトが次つぎに外されていき、リフトが減速を始めた。
なるほど、なんて悠長に観察している余裕はなかった。何せ、重しを外したログマホースたちが次々加速を始めたのだ。
「いくぞ!」
というお兄さんの掛け声で、お兄さんはさすまたみたいに、先が解れた棒を持って走りだした。過ぎ去ったログマホースの後ろに残ったロープをそれで上手く取り、乗客に向かって投げ始める。
手際よく投げられたそれは、まさに職人技だ。次々と宙に舞うロープとカラビナを乗客たちは慌てて掴み、ガチャガチャとリフトに繋いでいく。
「そろそろだ……クー。覚悟はいいか?」
「ん」
クーが俺の腰のあたりにぎゅっと抱き着いた。ちょっと顔を青くしているのが解るが、きっと俺も同じような顔をしているに違いない。生唾を飲み込んで、その時をただ待つ。
「君たち、いくぞ!」
来た! 受付のお兄さんが、俺に向かってカラビナを投げる。軌道はばっちりだ! 俺は飛んできたカラビナを何とか掴む。
「よし、掴ん──」
だ、なんて喜んでいる暇は、なかった。その瞬間、ぐん、と身体を引かれ始める。
「おわぁ!?」
「ダ、ダメ!」
リフトから引っこ抜かれそうになるのを、手すりを掴んで防ぐ、クーも慌てて踏ん張り、俺を支えた。俺を起点に斜めに引かれ始めたリフトが、異音を発し始める。
「早く、カラビナを!」
すでに遠くなりつつある受付のお兄さんの声が聞こえた。俺はその声にしたがって、ものすごい力で引かれているカラビナと、手すりを近づける。
「ぐ、ぐぐぐ……こっの!」
全身の力を使って、何とかカラビナを固定し、他の器具も同時に固定して、リフトを安定させる。後ろを見れば、リフトから引っこ抜かれて引き回されてる人が見えた。その人はすぐに手を放して事なきを得ていたが、一歩間違ったらああなっていたのか。今さらながら肝が冷える。ログマホースの前面に転がってしまった無人リフトは、突進してきたログマホースがその長い角で引き裂き、巨体で蹴散らして道の外に弾きだす。マジで何なんだこの魔物……。
俺とクーは、安定走行を始めたリフト内にへなへなと座り込み、揃って安堵の息を吐いた。
そう言えば、ディアナ王女はもっと速い足があるといっていた。これか。これの事か。確かにこれは驚く。度肝を抜かれた。しかし、これで早く、ディアナ王女の元へ向かえそうだ。