第17話「王女の戦い」
カゲフミとクーネリアがアルドアに到着した頃。2人と別れた、ディアナ、ガフの一行は、魔族との戦闘があったという国境へ向かっていた。
途中、足を用意した街で情報収集した際、戦線の状況は悪化している、という情報があった。国境に魔族の大隊が現れ、砦を陥落、先についた援軍も被害を抑えながら撤退するのが精一杯という事。
馬車に乗り換えた2人は、もう間もなく部隊と合流することになる。そこに向かう馬車の中でディアナは、そわそわとしていた。
「勇者殿とクーネリア殿は、今どうしているのだろうか……」
「何度目だ。それは。いい加減切り替えろ」
もう何度目かのディアナの言葉に、ガフはうんざりした様子で返した。これまで無視していたのだが、ついに限界を迎えたガフに叱られ、しょんぼりとした様子のディアナ。しかし、馬車の外を眺めているうちに、またため息をつき始める。ガフにとっては、正直鬱陶しい事この上なかった。
2人は戦闘については考えを巡らせてはいなかった。情報がないため、いくら想像してもしきれない。最悪の覚悟だけは固めており、その場の状況を見て判断するしか無い以上、早く着くことが急務。それだけを考えて行動している。
それとは別に、ディアナは別れたカゲフミとクーネリアが気になって仕方がないらしく、やたらと気にしていた。2人に関しては、何の情報もない。そうしたのはディアナ自身で、放り出してしまったのは彼女だったのだが、頭で理解していても、感情まで割り切る事はできなかった。
「……そこまで気になるなら、手元に置いておけばよかったろうに」
「それだけは、できません」
ディアナはきっぱりと否定した。矛盾しているようだったが、それだけディアナが2人に気を使っている、という証左でもある。
勇者カゲフミは、これ以上秘匿できるギリギリのラインにいた。実力がついた、と貴族連中が気づけばすぐにでも実戦投入の話が持ち上がるだろう。そうなれば、あとは引き込まれるように、彼が死ぬか、敵を滅ぼし尽くすかしなければ戦いは終わらなくなる。それはどちらも避けたい事態だった。
アクス王国としては、魔族との勝利は絶対ではあったが、それは魔族の壊滅が目的ではない。今行われているような小競り合いを何度か勝利し、敵にここは攻め入るには難しいと思わせ、そこから交渉の席に着かせたい。勇者、という存在は過去、何度か敵対勢力を滅ぼして来た歴史を持つ存在だ。そんなものがあれば、敵味方に余計な刺激を与えてしまう。特に問題なのは、味方の勢力で魔族を嫌うものが、勇者を使って魔族を滅ぼそう、とする事だった。そんな事になれば、戦火は一気に拡大し、どちらが滅ぶまで続く総力戦になりかねない。
そうさせないためにも、カゲフミには「無能」である内に舞台から降りて貰う必要があった。
今を逃しては、彼を安全に逃がす事はできなかった。今は勇者は召喚した、と喧伝されていても、実際の姿まではそこまで浸透していない。これ以上知られる前に、早急に逃がしてやることが、ディアナが彼にしてやれる精一杯の優しさだった。そのためにわざわざ、嫌われ者になるようなことまでしたのだ。それに、彼には出来る限りの手は打ってある。
ディアナはそう、自分に言い聞かせ、自分の胸を押さえて深呼吸を一つした。
「いえ、すみませんでした。もう大丈夫です」
「ふむ。まったく揃いもそろって、心の弱い弟子で困る」
ガフが何気なく漏らした一言。揃いも揃って。一人はディアナ自身であるだろう。では他は? ディアナが知っている限りでは、ガフが弟子と認める人間は王宮内にディアナ以外いない。修業に最後まで付いてこれた者がおらず、皆途中で音をあげてしまったためだ。王を守る騎士の中でさえ、ガフの手ほどきの全てを受けきったものはいない。そうなると、当然、残るのはカゲフミだけという事になる。途中で放り出した形になったが、カゲフミが逃げ出した訳ではない。
そこに気付くと、何だかんだいって、ガフもカゲフミの事を気にかけているのだ、と解った。
「ふふ……」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
おかしな奴だ、とガフはそれ以上興味を示さず、目を閉じてしまった。さっき思った事を指摘すれば、不機嫌になるに決まってる。付き合いの長い弟子であるディアナは、わざわざ虎の尾を踏もうとせず、自分の心にしまった。
◆◇◆◇◆◇
たどり着いた戦場は、最悪、とまで言わないが酷い有り様だった。
陣地には天幕が幾つも作られ、簡易の柵で覆われていた。
元いた隊は瓦解して、多くの怪我人が医療用の天幕で呻いている。そして、援軍として到着した部隊も少なくない損害を出している。あと一回か二回、本格的な戦闘があれば、軍としての機能を維持できなくなる。士気も最低と言えた。
「何があった?」
「で、ディアナ王女様! こ、この度はご足労いただき……」
「よい。時間が惜しい。戦況を報告しろ」
「はっ! 国境の砦は魔族の一個大隊によって陥落! 周辺領地からの援軍と合流、部隊再編を行い撤退しております! この先の街で籠城を行い、魔族の大隊を抑える予定です!」
「ふむ。しかし、一個大隊か……それにしては、損害が大きい」
砦には援軍を含め、大体、三個中隊程の数が存在したはずだった。約600名程度。1000名規模の大隊相手に、砦による籠城戦を行ったにしては被害が大きい。人間より魔族の方が身体能力が優れてはいるのだが、それは数の前には誤差でしかない。一対一でも人間が勝てない訳ではないし、確実を期すなら二対一で当たれば充分だ。
「はっ……我々援軍が砦に合流を始めた時点ですでに撤退を始めておりましたため未確認情報ですが、砦攻撃時、敵には4魔将が存在していた、と……撤退時にも遭遇した部隊がことごとく全滅したため、確定と至っておりません」
「そうか。だが、貴君ら精鋭をことごとく全滅せしめたのだ。相手が4魔将であったと言われた方が納得がいく」
暗に責める気はない、と報告した隊長に告げながら、4魔将について思いを馳せる。
4魔将、というのは魔族の最強戦力だ。たった4人だが、生半可な部隊では壊滅必至。人間側で言えば、剣聖ガフ、賢者エイラがそれに当たる。ディアナもそれに劣るとはいえ、最高戦力ではあるが、実際一対一で敵を倒せるとなると、剣聖ガフ、賢者エイラの2人だけだろう。エイラはこの場にはおらず、仮に4魔将全員がこの場に集まってくれば、ガフ一人での勝利は困難になる。剣聖、という切り札を実際に切るとなれば、必ず一対一の状況に持ち込みたい。
「わかった。指揮をこちらに渡してもらいたいが、問題はないか?」
「はっ! 我らはディアナ王女様指揮下に入ります! 歓迎いたします、総指揮官殿!」
「よろしい。では、これから軍議を行う。人を集めてくれ」
そうしてディアナは撤退中の部隊をまとめあげた。
魔族側の再襲撃がある前に、籠城可能な街に撤退を行った部隊は、そのまま街の兵力と合流して部隊の再編成を行う。一個大隊。襲撃してきた魔族も同数程度という話であったため、これで数の上では互角になったはずだった。
「4魔将……」
「ふむ。退屈はしなさそうだな」
「この名前を聞いて、そんな事をいえるのは、師匠だけです」
4魔将まで出張ってきているとなれば、相手は士気が高く、そのままこちらに進軍してくる確率が高い。そのための準備を進める必要がありそうだった。ディアナは気を引き締めて敵が来ると踏んでいる方角を睨みつけた。
◆◇◆◇◆◇
「おい、まだ追わねーのかよ。いつまでこの退屈な鬼ごっこを続けんだ? えぇ?」
「ゲルト。まったく君は短気ですね。それでは事を仕損じますよ」
魔族が率いる部隊が展開中の陣地内、指揮官が休む天幕内で、2人の魔族が机を挟んでそんな話をしていた。
肌の黒い、短髪で、頭に小さい角をもった若い男──ゲルトが、蒼い肌の長髪の男に口悪く噛みついている。
「ファブリスよぉ、お前はいちいちまどろっこしいんだよ。人間なんざ、とっとと攻め入って殲滅しちまえばいいじゃねぇか」
「それでは効率が悪いと言うのですよ。なんのためにミルルを敵の本拠地に向かわせていると思っているのです」
「前線に『剣聖』 を釘付けにすんだろ? で、手薄になった人間の都を、ミルルが落とす」
今回、魔将ファブリスが立てた作戦は、ファブリス、ゲルトの魔将2人により前線を押し込み、劣勢にたたされた人間側が剣聖を前線に立たせる事が目的だった。そして、手薄になった王都を魔将ミルルが率いる魔導部隊による攻撃、攻略。
魔将2人、いかな剣聖と言えど撃破可能も難しくはない、とファブリスは考える。ゲルトはその剣聖との戦い目当てにこちらの作戦に参加していたはずだが、すでに忘れ、短気を起こしていたのだとファブリスは思っていたのだが、予想が外れた。
「わかっているじゃないですか」
「だから、それがまどろっこしいっつーんだよ。……あーこれなら、ミルルに付いて行って人間潰してる方がよかったぜ」
魔将ミルルは、王都攻略のために、部隊を隠しながら移動しているはずだった。王都到着にはもうしばらく時間はかかる。今しばらくこちらで剣聖を留めておきたい。しかし、今回それほどの性急な作戦を展開したのには理由があった。
「人間が『勇者』を召喚したという情報もあります。念には念が必要なのです」
「勇者ね。こっちに来てりゃ良いが、その話が本当で、王都に残ってたらどうするんだ?」
「最悪、ミルルの率いる大隊は全滅するでしょうね」
「はっ! そりゃ傑作だぜ! ついでにあのクソ女もおっ死んでくれりゃ、いう事はねぇ」
「そうはならないと思いますがね。だからこそ彼女を向かわせたのですから」
勇者、それは魔族にとっても伝説的存在だった。何度となく戦争に介入を行い、敵対勢力を下し、勝利に導いてきた存在。時代によっては魔族が勇者の召喚を行った事もあったようだが、召喚されるのは必ず人間らしく、それを旗に立てる事をよしとしなかった魔族が内部分裂を起こして自滅を起こしてしまったり、そもそも勇者が魔族と共存できずに召喚した側を攻撃したりと、敵にしろ味方にしろ、勇者というのは魔族にとっては良い響きのない存在だった。
そんな眉唾ものな情報もある『勇者』であったが、どの記録に置いても大概が絶大的な戦力を有していた、とあり、召喚という情報が偽であったとしても警戒に値するものだった。勇者の情報が偽であった場合は最悪、幾度となく魔族に煮え湯を飲ませてきた『剣聖』を始末できればよい、とファブリスは考える。
「失礼します。ご報告申し上げます! 人間の部隊に剣聖が合流、その後街に籠って籠城の備えをしているようです」
「やっと来たかよ。待ちくたびれたぜぇ!」
「やれやれ。これでゲルトの相手をしてないで済みそうですね」
その情報を受け、魔族の陣営はにわかに騒がしくなるのだった。
人間と魔族の命運を決める大戦、その開戦の日は、迫っていた。