第10話「覚悟を問われて」
剣聖ガフは、野営場所で助け出した獣人の少女を撫でているカゲフミを、離れた場所から見守りながら呟きを漏らした。
「ふむ。それがよもや殺さずを選ぶとはな」
ガフは、この戦いでカゲフミがどんな答えを見つけるのか、それを見極めるつもりでいた。
芯が強いのか、はたまた殺す事すらできなかったか。盗賊と戦いながらも、ガフは常にカゲフミに気を払い、カゲフミが戦いで何をつかみ取るか隠れて見ていた。
予想では、戦いの恐怖に心を折られるか、敵を殺すかと考えていた。普段の修業から、前者はまずないと考えていたが、後者に関しては何か自身で折り合いをつけるのではと考えていたのだ。だが、カゲフミはガフが考えていた、それらを選択しなかった。
「しかし、それは険しい道だぞ、カゲフミ」
自分が死なず、敵を殺さずに制するなど、想像を絶する強さがいる。カゲフミに、そこまでの覚悟はあるのだろうか。ガフはそう思った。
「だが、そこが面白い」
己でつかみ取ったその答え、どれ程のものか見させてもらおう。ガフはそう呟くと、カゲフミから視線を外して己の剣の手入れを始めた。
ガフは王女同様、勇者を呼ぶのは反対だった。何故よそ者に自分の運命を託さねばならぬのか。そう思っていたし、それを行動で示すために、傭兵をやめ軍に下り、剣を振るってきた。
それは今も変わらない。しかし、カゲフミには、この世界に呼ばれた理由が何かあるのではという思いがガフにはあった。
理由はユニークスキルの存在だ。この世界には、ユニークスキル、精霊または神の加護などとも呼ばれるそれが存在している。
ガフもそれを持っていた。ユニークスキル「武の理」若い頃は、これを持ったからには、武を極める事こそが、己の使命、己の人生の全てだと思った。色々な武器や戦い方を試した結果、もっとも戦場に普及し、手にも馴染んだ剣を選び、それを極める事に集中した。戦場を渡り歩いて技を磨き、己の剣を鍛え、ついには剣聖などと呼ばれるようになった。しかし、上り詰めた結果、周りを見て、ふと思う事もあった。
これが、己に課せられた使命なのだろうかと。
まだ己の剣に伸びしろはある。しかし、極めた所でどうなる? その矛先を何に向ける。
戦場を歩いていれば、味方だと思っていた相手が敵になる事も、その逆になる事もあった。そうなると、○○が敵だ、などと言うのは、その時々の判断でしかない。政治的だったり、個人的だったりと理由は違ったが、ガフにとっては、それ以上でも、それ以下でもない。
そうした思いがあったからこそ、魔族を倒すために勇者を召喚する、というのは論じるにも値しない馬鹿げた思考だった。己の敵と認めた相手に、別の者の協力を仰ぐのはまだいい、しかし、己の運命をその第三者に預ける、というのは武人としては認めがたい。そのような考えから、それを否定していた。
だが実際に勇者は来た。そうなると、少し気になる事があった。勇者は必ず、ユニークスキルを持ってくる。ユニークスキルを持つものが後世に名を遺す者が多く、一般的には使えない、などと判断されても、一目は置かれる存在だ。ガフは、ユニークスキルを持つものは、何かしら、持つ理由を持っているのではないかと思っていた。
だからこそ、今回のカゲフミがつかみ取った答えには、きっと何かあるのだろうとガフは予感していた。それが何か解るまで、彼には死んでは困る。そうならないために、ガフは明日以降カゲフミに課す訓練の内容を、剣の手入れをしながら考えていた。
◆◇◆◇◆◇
「……クーネリア。クー、と呼べ、です」
とってつけたような、タメ口以上敬語未満なセリフでようやく名乗ってくれたのは、盗賊のアジトから救い出した奴隷として売られそうだった獣人の少女だ。
王都へ向かう道中、ようやく聞き出せた内容がそれだけで、大きな進展はなかった。だと言うのに……
「やっ!」
王都に入る関所の中で、兵を休ませながら、自力で帰れる者などを振り分けて居た所、抵抗を示したクーが俺の腰に抱きついたまま、涙を浮かべていた。
余り話せてはいないが、べったり俺にくっついているクーは、俺とは離れたくないようだった。無口な彼女が、それだけは口にするほど、耐え難い事らしい。そうまでされると、俺としても無理やり引き剥がすのは躊躇われる。
王都へと無事に帰還を果たし、奴隷の中で帰れるものは家や家族の元へ帰った中で、幼い彼女はそのどちらでもなく、故郷の捜索が行われる事になった。彼女のように故郷への帰路が解らないものは解り次第、露銀などを渡して順次送り届ける手筈となった。その間は、孤児院や適当な宿に預けられる事となったのだが……この様子だ。
「ひとり……や……」
耳をぺたりと伏せ、尻尾を限界まで下げて震えている彼女の黒髪を、そっと撫でる。黒髪。それを見ていると俺も故郷、日本を思い出してしまう。遠い場所に来てしまったなと思う。彼女も、俺と同じように、望まずに遠い場所へと来てしまった。帰る方法も解らない。俺には師匠たちが居たから、そんな感傷に浸る暇もなかったが、1人だったなら、どれだけ寂しい思いをしただろうと考えてしまう。
「彼女を、俺の側に置いておく、っていうのは可能ですか?」
思わず、口を付いて出てしまったのはそんな言葉だった。できれば、彼女を故郷に送り届けるその時まで。そんな風に考えてしまう。自分の事すら、満足に出来ていないのに、というのはこの際、考えない事にした。
ディアナ王女は困ったような表情から、俺の言葉ですぐに真剣な表情に切り替えた。顎に手を当て、少し考えてからそれを口にする。
「……できなくはない。侍従の1人、という事にでもすれば」
「本当ですか! 彼女の故郷が解るまで、それでお願いします」
「ありがたい事だが……良いのか?」
俺はディアナ王女からの提案に喜び、即座にそれを了承した。ディアナ王女の方は、少し納得というか、本当に良いのか? と言いたげな表情だ。
「はい。こうまで嫌がられたら、無理に、っていうのも中々寝覚めが悪いんで」
「そうか。では、王宮内の事は、こちらで手配しておく。……その方が、彼女にとっても安全かもしれないな」
その気持ちはディアナ王女も一緒だったようで、それ以上は俺に無理に聞いてくることもなく、クーを俺に預けてくれる事になった。ただ、安全、という言葉は少し気になる。
「安全、ですか?」
「そうだ。彼女のような獣人を、嫌う人間も、居るからな……勇者殿に預かってもらえるなら、それが一番かもしれない」
差別、だろうか。ディアナ王女が獣人について語る姿は寂しそうだった。為政者としては、その差別をなくしたいのかもしれない。いまいち差別と聞いてぴんと来ない俺は、黙って聞くだけにしておいた。
「では、彼女の事は、こちらからもよろしく頼む」
最後にそう言い残して、ディアナ王女は部屋を出た。それを見送ってから、今だ離れようとしない彼女の顔をあげさせ、俺と視線を合わせる。
「クー。良かったね。俺と一緒だ」
「……はなれなくて、良い、です?」
抱き着いて来たままの彼女の言葉に俺は頷き、頭を撫でてやる。そうすると、彼女は嬉しそうに俺の手の感触に目を閉じた。
そうして、クーは表向き、俺の侍従見習いとして側に置くことに決まった。
◆◇◆◇◆◇
盗賊の一件もひと段落が付き、俺にとって、この世界で「日常」と呼べる朝がきた。
兵士に貸し出される、俺に割り当てられた狭い部屋。窓から差し込む朝日で目が覚めた俺は、質素なベッドから抜け出そうとすると、腹の辺りが重い。掛け布を捲って中を見れば、自分の尻尾を抱くようにして眠るクーが、俺の腹に頭を乗せてすやすやと眠っていた。時折、辺りを伺うように、耳がぴくりと動くのが可愛いらしい。
俺は眠っているクーを起こさないように身体を起こし、ベッドから起き上がる。
訓練用の服に着替えながら、寝ぼけていた思考を少しづつ覚醒させる。頭が起きてくると、このまま朝の訓練に出ると、クーが寂しがることに気付いた。
「≪影分身≫」
一体影分身を作り、それをクーの側に居て貰う事にし、俺は自分の部屋を後にした。
朝、いつものように訓練場に向かうとガフ師匠が、仁王のように腕を立っている。
「今日の訓練を始める前に、聞いておくことがある」
そう言ったガフ師匠の空気は、いつもと違った。何事かと思ったが、容易には口を開くこともできない緊張感を作り出している。盗賊相手にした時なんで比較にもならないプレッシャーを前に、朝から額に、汗が伝う。
「何でしょうか。師匠」
もとよりふざけるつもりは無かったが、こちらにちゃんと答える気持ちがあると伝えるため、いつもより気持ち丁寧にそう返答をする。ガフ師匠は、それでも眉一つ動かさず、俺を射竦めるに睨みつけながら、重い口を開いた。
「盗賊での一件、話を聞いておる。お主、敵を殺さずにいたそうだな。何故、殺さなかった」
「殺す必要がありませんでした」
内心びくびくとしながら、俺はそう答えた。たまたま殺さずに済みました、そう嘘をつくこともできたが、それが許されるような空気ではなかったし、そもそも、嘘をつきたい質問ではなかった。
「怪我を負い、何か一つ違えば、命を落とすような可能性があったのに、か? お前が余計な事を考えずに敵を殺す事に集中できたなら、そんな危険を負う必要はなかった」
「それは、可能性の一つだと思います。同じように怪我をしたかもしれませんし、相手を殺す事に意識を取られ過ぎて、自分がやられていた、という可能性もあったはずです」
確かに師匠の言う通りだった。しかし、俺はそうだとは言い切れなかった。それを甘さと言われてしまうなら、そうと言えるだろう。相手を殺す覚悟を持てない俺は、確かに甘いのだから。
「かもしれん。だが、お前の甘さが、仲間を殺すやもしれんぞ。敵は生きていれば、何度でもお前の命を狙ってくる」
「ならば、何度でも打ち倒します。それに、話せばわかるかもしれません」
「味方に害が及ぶかもしれん」
「守ってみせます。仲間に害が及ぶのが、俺のせいだとすれば、尚更」
自分の気持ちの全てを、師匠にぶつける。頭で考えていた訳ではなかった。口にすることで、自分が何をしたかったのか、形が見えてくる。
「では何があっても、敵を殺しはしないと言うのだな? 味方も殺させはしない、と」
「はい! そうです!」
今は机上の空論だ。しかし、それでも、それを諦めたくはない。それに、殺したら自分の中の何かが、決定的に変わってしまうような気がする。そんな事で、帰れるのだろうか。元の世界に。
「俺は、この世界で活人拳を貫きます」
「活人拳……ふっ。面白い。なら、見せて貰おう。お前のいう道は、儂の持つ強さなどでは足りんぞ」
し、師匠より強く……俺は生唾を呑みこむ。大言壮語を吐き過ぎただろうか。それでも、すでに出した言葉は戻す事はできない。
「か、覚悟してます。強くなります!」
「よろしい。では、今日から新しい修業を始める」
「!!……あ、明日からとか……」
「何か、言ったか」
鋭い師匠の視線に射貫かれ、俺は身体を竦めた。
「な、なんでもありません!」
さっきまでしていた覚悟が、少し揺らいだのは、ここだけの秘密だ。




