. **前編** .
(……雪の音……かぁ……)
わたしはきれいに敷かれた雪のじゅうたんに転がって、空を見上げた。
(雪ってしんしんと降るって言うけれど、そんな音聞こえないよねぇ……)
積もったばかりの雪を踏むとキュコキュコと鳴るけど、でもそれはやっぱり“雪の音”とは違う気がする、とそんなことを考える。
(雪の音は、もっとずっと静かで……耳を澄ませても聞こえないようなもの――)
背中がひんやりと冷たい。直接雪が触れた耳は痛いくらいに冷たいけれど、それでもわたしはこうして寝転がって雪を見るのが好きだった。
雪ってふわふわしていて落ちているのか空に上っていっているのかよくわからなくて、“舞っている”というのが一番よく合うと思う。
そして、こうしていると一緒に空を舞っているような気分になれる。
なんとなく空に腕を伸ばして、ふたつのブレスレットを重ねてつけた自分の手首をぼんやりと見つめる。
そのまま目を閉じて、耳を澄ます。
(ねぇ雪音ちゃん……どこかにいるんでしょう?)
心の中で問いかける。
そのほうが雪の声に近くて、あの子に聞こえるんじゃないかと思うから。
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あれは5年前、わたしが小1の時のお正月のこと。
おばあちゃんの家で新年会が開かれていたんだけど、来ているのは大人と男の子ばっかり。女の子はわたしだけだった。おせち料理はあんまり好きじゃないし、お年玉をもらったらあとはやることがなくなってしまって、ぼんやりと縁側から窓の外でちらりちらりと雪が舞うのを眺めて過ごしていた。
ゆうべから降っているという雪は5センチくらい積もっている。その上に新しい雪がひとつぶふわりと落ちては、どこに落ちたのかわからなくなる。それはとてもきれいで、障子を一枚隔てた向こう側の宴会騒ぎが別世界のように思えるほど音もなく静かに続いていく。
どのくらいそれを眺めたのかはよくわからない。
ずっと見ていても飽きないと思っていたのに、男の子達が雪合戦をやろうと言い出して、わたしも一緒に外に出されてしまった。いとこのお兄ちゃん達が作った雪玉には泥が混じっていて、去年はお気に入りの白いコートがドロドロに汚された上にママに叱られたっていうのにさ。
もうあんなのはイヤだったから、わたしは一人で表面の真っ白な雪だけを集めて雪玉を作ることにした。
おにぎりみたいに握るときゅっきゅっきゅと音がする。その音に耳を傾けてきゅっきゅと握るんだけど、なかなかちゃんと固まらなくてすぐに割れてしまう。
「でーきたっ!」
何度も何度も握り直して、かちっと固まった頃には真っ白だった雪は半分透明になっていたけれど、よごれが一つも混ざらずに小さな氷の粒が集まっている雪玉の出来にわたしは満足した。
完成したキレイな雪玉をママに見せに帰ろうかとあたりを見回して、首をひねる。
(……あれれ?)
ちらちら舞う雪に覆われた世界はなんだかぼんやりとしていて、おばあちゃんの家がどこにあるのか、よくわからない。
足跡はついているけれど、3メートルくらい先から向こうは雪に埋まってしまったのかよくわからない。
急に不安になって、誰でもいいから誰かいないかともう一度目を凝らしてあたりを見回すと、ぼんやりとした白い世界に小さな人影が見えた。
わたしと同じくらいの女の子で、白い着物をきていて、まっすぐな黒髪を腰までのばして、前髪はパッツンで、おばあちゃんちにある日本人形みたいだと思った。
「えっと。ねぇ、ハルグチっておばあちゃんの家、知ってる?」
駆け寄って尋ねると、女の子は小さくこくんと頷いてわたしの左後ろの方を指さした。
「ありがと!」
お礼を言うと女の子は恥ずかしそうに笑った。
かわいくって、仲良くなりたくて、なにかお礼をしなきゃと思った。
「これ、あげる」
できたての宝物を差し出すと、女の子は嬉しそうに白い小さな手で受けとる。手袋もつけていない色白の手だった。
「……………き……れい……」
女の子の声は風の音みたいにかすかだったけれど、目を細めて雪玉を見る目がとっても気に入った。
「えへへ、そうでしょ?」
美幸が照れ隠しに真っ赤になった鼻をかくと、女の子は眉を寄せた。
「……………つめたく、ない?」
「ううん! わたし、ゆきってだいすき。こおりも! だってすごくきれいなんだもん」
「………ありがとう」
女の子は胸を押さえて、なぜだか照れくさそうに笑った。
「わたし、みゆきっていうの。あなたなまえは?」
「………………ゆき…ね……」
「ゆきね? どんな字? わたしはね“うつくしいしあわせ”ってかいてみゆきだよ」
「…………ゆき…の…おと………」
「きれいななまえ!」
「……ふふ、みゆき…ちゃん、も………」
雪音ちゃんは笑っていても息苦しそうに白い息を吐いて胸を強く押さえていた。けれど、幼いわたしはそれに気づかなかった。
「ねぇ、ゆきねちゃんあしたいっしょにあそべる?」
本当はすぐに遊びたかったけれど、でももう手袋はびちょびちょになって手がジンジンするし、そろそろママやパパが心配しているかもしれないから。
雪音ちゃんはこくんと頷いて、ほんのりと笑った。
バイバイと手を振ると、足跡のついていない一面の銀世界に大事にゆっくりと足跡をつける。
キュコっという音が楽しくて、赤くなった鼻を膨らませて、ぴょんっと両足をそろえて着地する。キュキュっとふたつの音が重なって振り返ると、雪音ちゃんが隣でおんなじように雪を踏みしめていた。
「送ってくれるの?」
雪音ちゃんは答える代わりに笑った。
ふたりで並んで歩くと頬に当たる風が気持ちいい。
寄り道して蛇行するふたりの足跡。時々霜柱を踏んでパリパリっと音がしてわたしが声をたてて笑うと、雪音ちゃんは声をたてずに笑っていた。
ちらちらと舞う雪の向こうにおばあちゃんのうちが見えると、雪音ちゃんは足を止めた。ゆっくりと後ろに下がっていく雪音ちゃんに、わたしは大きく手を振った。
「また、あしたねぇ――っ!!」
踊る雪の向こうの方からはなにも聞こえなかったけれど、風の音に紛れて雪音ちゃんが「うん」と返事をしたのが聞こえた。