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エルトリアの戦姫  作者: マグロアッパー
■二章 戦争
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08.第二次エルトリア防衛戦


 オスラリア領陥落の報が姫様の塔に届けられたのは、不吉な赤い月が、空に掛けられている夜のことだ。


「見せたいものがあるから、謁見の間で待っていてくれる?」


 その日の夕食後、姫様は私にそう仰った。そのため私は謁見の間で一人、満月へと向かう、焔のような月の面を窓から眺めていた。


 やがて鎧の擦れ合うような音が階上から響いてくる。私は反射的に謁見の間の入り口に目を向けた。するとそこから……。


「どうですか、ユリ? 私の戦装束は?」


 姫衣装の上に鎧をまとった姫様が、満面に喜色を湛えて現れた。手に身の丈程の長さの大剣を携え、子供のように笑んでいらっしゃたのだ。


 その無邪気さが、アレックスの笑顔と重なる。


『よぉ、ユリシア』


 脈絡なく現れた幻影に当惑しそうになりながらも、視線は自然と、姫様が手にしている武骨な大剣に注がれた。

 

「エルダ様、その大剣は、一体……?」


 驚きの形に開かれた口を、私はゆっくりと動かす。


 姫様が斜めに傾いだ状態で手にしておいでだが、剣の横幅は私たちの顔ほどもあり、長さは柄を含めると、突き立てた場合は肩まで届くのではと思われた。


「ふふっ、とても勇ましいでしょう? 始祖であるライコフ様が、ブリュンヒルデとの戦いで使用したと言われてる剣なの」


 姫様は嬉しくて仕方がないといった調子で答え、やがて剣を中腰で構えてみせた。私は文字を読むように、その姿をまじまじと眺める。


 どう考えても、それは姫様の手には余るもののように見えた。例えば大柄なアルベルト様なら使いこなせるかもしれないが、女性が振り回すには巨大すぎる。


「それにしても、随分と大きな剣ですね」

「えぇ、どうやらライコフ様は大柄だったようね」


 構えを解いた姫様は、ふぅ、と大きな息をその場で吐いた。大剣を床に突き立てるように固定し、両手で握りを掴んで支える。その一連の動作を見るだけでも、その剣の重量が推し量られる。


 だが姫様は疲れを感じさせない鋼のような顔で、


「飾るにしても無骨ですしね。宝物庫に長く保管されていたのですが、それを私が持ち出して、手入れさせていたという訳です」


 微笑すら浮かべながら、そのように仰った。

 私はなんと感想を言えばよいか逡巡した挙句、思わず尋ねる。


「しかし、そのような由緒ある剣を持ち出されて、如何なされるおつもりですか? まさか……」


 疑問を口にしながらも、殆どその答えを知っているような心境でもあった。


『王家の人間たるもの、戦においては陣頭に立つ。姫様はそのようにお考えになっているようです』

 

 マリス様の言葉が、淋しい悲しい感触を引き連れて、脳裏を過り……。

 やがて姫様は、感情を抑制した面持ちになってお答えになった。




「始祖様と同じように、この大剣を携えて戦うのです。ブリュンヒルデ帝国と」




 その答えを知っていた筈なのに、思わず目を見開いてしまう。


 姫様は以前、自ら戦場に立たれると仰った。第一王子である若い弟君ではなく、第一王女であり姫である、エスメラルダ・リ・エルトリアが戦の大将として。


 それまで漠然と認識していた恐れによく似た感慨が、途端に現実的な脅威に変わったように、私の背をスッと撫でた。


「ブリュンヒルデ帝国……」


 そして敵国となった、国の名前を呟いた。

 エルトリア国に戦禍をもたらそうとしている国の名前を。


 ブリュンヒルデ帝国――北方の大山脈を挟んでエルトリア国と対峙する、寒冷地帯に広大な領土を持つ、皇帝を頂点とした国。


 人口もエルトリアと比較にならない程に多く、領土拡張の野心が強い上に、特徴な政治形態をしているらしい。


『帝国は単純な世襲制ではないの。だから第一皇子に生まれたからといって、そのまま皇帝になれる訳じゃない。第二皇子、第三皇子と競わせるように他国を侵略させ、一番功があり、皇帝に相応しいと判断されたものが、その資格を得る』


 以前、姫様の口からなされた説明を思い出す。 

 そして今、その帝国の第一皇子が、エルトリアへと戦争を仕掛けようとしている。


『シグルス皇子は、余りいい噂がない男です。粗野で向こう見ずで、攻撃的で……随分と家臣が苦労していると聞きます』


 第一皇子の侵略は、第二皇子が直属の第二軍を率いて、ブリュンヒルデの西にある国を滅ぼしたことが遠因になっているのではないか。そう考えられていた。


 安直に過ぎるが、それに焦った第一皇子が宣戦布告をしてきたのだろうと。


 しかし軍備が十全でない状態での宣戦布告など、不可解な点も多く、それが却って不気味だと言われていた。エルトリア側で見えていないものが、第一皇子には見えているのではないか……とも。


 そこまで考えて、私は思考を現実に戻した。


「で、ですがエルダ様。その剣は余りにも大き過ぎませんか?」


 気後れを引きずるように、現実的な問いを姫様に投げかける。


 すると姫様は柔らかく相好を崩した後、久しく埃を被っていた、王家の矜持でもある大剣を再び構えた。


「実際にこれで戦う訳じゃないわ。大きな剣だし、兵士達の前で掲げれば、私がそこにいると分かるでしょ? だから士気高揚に使おうと思って。もっとも……」


 その瞬間、姫様の真っすぐに物事を射抜く目に、重い翳りが射したことに、私は気付いた。言い淀んだものを引き取るように、私は言葉を繋げる。


「もっとも……?」

 

 突然、流れ行く時間の中で、その場に取り残されたような感覚に襲われた。

 姫様の口元に、辛辣な真実を覗いた者のみが持つ、荒涼とした笑みが刻まれる。


「私はこの剣に……命を宿さねばなりません。戦に立ち続けるという意志を、気概を、私自身に強く刻印する為に」


「命を……宿す……」


 姫様はゆっくりと剣を元の位置に戻すと、落ち着き払った声で言葉を続けた。

  

「戦場に立つ人間は、敵味方を問わず、一様に一つの命、一つの人生、一人の息子、それにきっと……誰かの愛しい人。私は浮ついた気持ちで戦場に立つのでもなければ、理念的に参加する訳でもない。私は現実的に、そのような命がひしめき合う戦場に立つのです。美辞麗句が通用しない、殺戮の場、狂気の場。そこで私も一人の修羅となる。そして王家の大剣を用いて、私の生き様を、エルトリア王家の在り方を、兵士に、ひいては国民に伝えなければならない」


 その言葉は、様々な含みを持って私の意識にポタリと滴った。


 同時に、私は姫様の近くにいながらも、姫様のことを何一つ理解できずにいたという、寂しさを感じずにいられなかった。


 憤りで胸が焦げ付きそうになる。唾を飲み込んだ後、恐れるような心地で口を開いた。もの悲しい慰めのない感情を、その身に抱きながら。


「それは……つまり……?」


 姫様の瞳の表面は強い優しさで溢れていた。しかしその奥には、同じくらいに強い、静けさが――そう呼んで差支えの無いものが、湛えられていた。


 数秒の沈黙の後、姫様はお答えになる。




  


「エルトリアの大剣で……人を殺すということよ」と。






 私は目を見開き、息を呑んだ。

 姫様はそんな私を緋色の瞳で見つめたまま、口だけで微笑してみせる。


 すると突如として階下から、慌ただしい、どこか緊迫した足音が響いてきた。


 私と姫様は嵐を前にした小鳥のように動きを止めた後、思わず顔を見合わせる。次いで謁見の間の入り口へと視線を注いだ。


 鎧の擦れ合う音が徐々に大きくなり、やがて……。


「姫様っ!」


 いつも以上に重々しく、見る物に緊張を強いる面持ちをした、アルベルト様が現れた。呼吸を落ち着けながら、一度ちらりと私を見た後、姫様に向けて仰られる。


「オスラリア領が陥落しました!」


 瞬間、姫様は先程の柔和な彼女を忘れたかのように、厳しい顔つきになられた。


「裏切りか!? しかし、オスラリアは……」


 言葉は稲妻のように激しいものを持ちながら、姫様の口から放たれる。


「いえ、オスラリア自身ではありません、腹心の部下どもがブリュンヒルデに通じていたようです……疾風の如く現れたブリュンヒルデ軍に呼応し」


 ――オスラリア領が……陥落? 部下がブリュンヒルデに?


 疑惑が頭をかすめ、胸を何か鋭いもので貫かれたような衝撃を感じた。

 

 エルトリア国には宮廷貴族の他、独自で領地運営を行っている諸侯貴族が存在している。規定された税収以下か、同額程度の税収を納めている彼らは、宮廷貴族に対する劣等感を武勇に昇華させていた。


 これは特に寒帯地方である北の地域の諸侯に多く、また武勇を一つの栄誉とするため、国は年に一度、王都で剣闘会を催していた。


 つまり国策として宮廷貴族とは別の方向に栄誉を設定し、国にとって都合の良い騎士道を発展させる。大会における成績優秀者には、王国騎士団の要職を得ることも出来た。


『国策……ですか?』

『えぇ、マリスから教わりませんでしたか? 騎士道とはもともと、諸侯貴族を支配下に置き、内乱を防ぐ為の洗脳思想です』


 姫様と、諸侯貴族でもあり王国騎士団の団長でもあるアルベルト様について話していたとき、私はそのことを知った。


『自尊心の在り処を騎士道に設定している諸侯貴族は、王家への忠誠心も高い。しかし、彼らの全てがそうではないの。国王に近づき官職を得る宮廷貴族や、国の在り方に不満を覚える人間が存在しているのも、また事実。だからこそ……』


 いつか思案顔で姫様が述べられていたことが、意味を伴って私に圧し掛かる。

 総身に汗の流れるような、不気味な恐ろしさを感じずにはいられない。


 ついに戦争が、その獰猛な口を開いてエルトリア国に噛みついてきた。

 多くの血が流れたのだろう……恐らく、そこでは……人が……。


「どういうことですか? ブリュンヒルデの本隊は、未だ大山脈の中腹にすら辿りついていないと、報告を受けていましたが」


 眩暈を覚えそうになっている私を、姫様の緊迫した声が現実に引き留める。

 光に縋りつくような心地で、姫様の厳しい横顔を見つめる。


「はっ! 斥候も、ブリュンヒルデ軍が山脈越えの途上であることを確認しておりました」


「ならば少数の先遣隊? しかし、いくら裏切られたとはいえ、あまりにも――」


 姫様はその先の言葉を紡ぐのが忍びないとでもいうように、言葉を切った。

 糸が張りつめられたような切迫した空気が、その場の主となる。


「どんないい訳も通じませんが、どうやら山脈に住まうブリュンヒルデの棄民しか知らぬ、抜け道があったようです。そこを通ってオスラリアに進撃され……現在、山脈越えをしている部隊は、こちらの虚を衝くための陽動かと」


「抜け道? 進軍できる程のものが? その可能性は検討して、既に調べた筈では? いえ、今さら言っても詮無いことですが」


 鋭い口調で姫様が切り返す。


 私はアルベルト様が唸るようにして仰った言葉の意味を、瞬時に理解できたわけではない。だがエルトリア国が圧倒的に不利な状況に立たされていることを察し、ドクンと、心臓が一際強く鼓動するのを感じた。


「仰る通りです。余りにも突発的な宣戦布告でしたので、その可能性を考慮して探らせたのですが……面目次第もありません」


 忸怩たる面持ちに顔を歪め、それに答えるアルベルト様。

 すると姫様が眉を不審げに曲げる。


「しかし、まさか棄民がブリュンヒルデに味方したというのですか? 政治的な問題から我々は保護こそ出来ませんでしたが……彼らは随分とブリュンヒルデを恨んでいたのでは? それが――」


「その件に関しては、どうやら第一皇子が棄民の殺戮命令を下したそうです。秘密を話さなければ殺す……と。乱暴な方法です。根拠があって脅すのではなく、無根拠のままに脅す。そこで何かを得られれば好し、得られなければ得られないで、殺戮が憂さ晴らしとなる。それが今回は、秘密の抜け道という思わぬ情報に繋がったものと思われます」


 姫様は深い嫌悪の情を顔に浮かべ、大きく嘆息を吐いた。


「何と乱暴な……では、さぞ第一皇子は浮かれているのでしょうね」

「噂からなる第一皇子の気質を鑑みると、それが不可思議な段階での宣戦布告の理由かと」



 こうしてブリュンヒルデ帝国が領域内に侵入して戦争が始まると、姫様は言葉通り、戦に出陣なされた。


 煌びやかなドレスの下に鎖帷子を着込み、上には甲冑を纏い、その手に王家の大剣を携えて――。





 戦場の最前線へと。



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