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エルトリアの戦姫  作者: マグロアッパー
■一章 運命に浚われた少女
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07.宮廷


「この祝宴は、エルトリア国第一王女である(わたくし)、エスメラルダ・リ・エルトリアが――」


 私はその日の夜、赤と白を混ぜ合わせたような、特徴的な色合いを持つ姫様の衣装を身に纏い、エスメラルダ・リ・エルトリアとして宮廷の大広間に立っていた。


 そして祝宴開始の言葉を、朗々と読み上げている。


 戦争の為に築かれた城も太平の世で一部宮殿化し、『宮廷』と呼ばれる場所は、城敷地内の王族居住地近くに存在していた。


 幾代か前の国王様がお作りになられ、代替りする毎に補修改善が行われているという、豪奢な二階建ての建物がそれに当たる。


 まるで私の姉の一人が、恋人に贈られた宝箱をそのまま大きくしたような、煌きに飾られた建物。床は見たこともない材質の石で出来ており、白い光が敷き詰められたように輝いていた。また内部の所々には精巧な細工が施されてもいる。


 私の背後には上階へと続く荘厳な大階段。二階には、王族と限られた宮廷貴族しか入室することの許されない、特別な部屋があると聞かされている。国王様は城内の謁見の間よりも、そこで多くの時間を過ごされているとも伺った。


 現に今も、国王様はその部屋で寛いでいらしゃった。祝宴が始まる間際には欄干に近寄り、階下の私たちへと御尊顔を覗かせていた。私はその時初めて、国王様を直にこの目で拝見した。


 視線が交錯した瞬間、不意に、時間が止まったような奇妙な感覚に打たれる。


 国王様は当然ながら、私が姫様の身代わりをしていることをご存知だ。畏れ多いことだが、なんともまろやかな顔をした国王様が、その時、私を推し量っているように私には感じられた。


 怯える感慨を微笑で塗りつぶし、私は肉親に向ける情そのままに笑顔を向けた。

 すると国王様は眉を上げて驚きを示した後、柔和に微笑み、頷かれた。


 恐らく、私がこの夜で一番の動悸を覚えたのはその瞬間だった。


 そんな私の眼前には、意匠を凝らした服装を身に纏った宮廷貴族の方々と、様々な学識に優れた宮廷人と呼ばれる面々。それに宮廷を彩る美しい貴婦人たち。


 祝宴の趣旨を説明した後は、立食会となる。暖かな拍手に飾られて、開式の挨拶と共に趣旨説明を終えた私は、一仕事終えた後の昂ぶる気持ちを逃がすように、熱い息をその場で吐いた。


 華やかな会場の所々で、賑やかに会話が始まる。だが規則により、主役との会話は、その祝宴の主たる行事が終わるまでは許されていない。


 祝宴が無事に始まった様子を、その場の首座である大階段の元で、満足そうな面持ちで眺める。これも重要な規則の一つだ。


 次いで品性を感じさせながらも、どこか泰然自若とした姫様の態度で傍らのマリス様に「上々のようね」と、用意された言葉で嘯いてみせる。


 マリス様は、師が弟子を見る目つきにならないよう気を付けながら、「そのようですね」とそれに応じる。その後、二言三言これからのことについて話すと、私はマリス様をその場に残し、ゆったりとした足取りで大階段を登った。


 しかし国王様がいらっしゃる部屋に入室する訳ではない。一階からは位置的に見ることが叶わない、部屋と部屋の間、蝋燭の明かりも薄ぼんやりとした、廊下の片隅に置かれた椅子に腰かける。


 そこで私は一時ユリシアに戻り、時が来るのを待った。


 手の届く位置には、調度品などを置く小さな机。その上に容易された簡素な夕食を、もそもそと口を動かして食べる。それが終わると、手持ち無沙汰に視線を階段の方角に向けた。夜にも関わらず、あまりにも明るい宮廷を思う。


 やがて祝宴参加者がそれぞれに挨拶を終え、料理も十分に減った頃。マリス様が時を見計らい、二度手を打ち鳴らした。階下の喧騒が途端に静まるのを察する。


 胸元にアレックスから貰ったお守りがないことを淋しく思いながら、その合図を耳にした私は椅子から立ち上がり、再びエスメラルダ・リ・エルトリアとなった。


 階段の元へ楚々と歩み出て自らの姿を晒すと、一段一段確かめるように降りる。


 静寂が耳に(うるさ)く、宮廷貴族や宮廷人らが、その手に飲み物が入った貴重なガラス細工の器を持ちながら、私にじっと視線を注いでいるのを感じた。


 一階の床に足を着けると、数十名に及ぶ彼らに見守られる中、私は肩の力と心の緊張を緩ませ、マリス様から手渡された原稿を読み上げる準備をした。


 その際に、宮廷貴族と呼ばれる方々について教わったことを反芻する。



 エルトリア国は現在、この地域一体を治める一つの領域国家となっている。しかしもとは、数ある都市国家の一つに過ぎなかった。


 幾多の連合締結や離反の末に戦乱の世となり、そこでライコフ・エルトリア(後、ライコフ・ガルム・エルトリア)が戦乱を平定し、統一国家を樹立。


 その際に全国の土地調査を行い、税制面等から中央集権体制を確立すると共に、王の武力となる常設の王国騎士団を設立。また戦乱に際して功のあった家臣を各地域の諸侯に任命し、領地運営を任せた。諸侯貴族と呼ばれる方たちだ。


 それと共に彼らに徴税請負人の任を負わせ、各地域の実情に合わせて設定された税収を国に納めさせる。だがこれは、規定された以上の税収は諸侯が得ることが出来る仕組みになっていた。


 やがて自らの私腹を肥やすため、規定の額より多くの税を徴収し、領民の自由な活動を厳しく取り締まった諸侯が、栄華を誇ることになる。


 また規定以上の税収を納めた諸侯は、王都に居を構え、代理の者に領地運営を任すことも出来た。むしろそれを求められた。


 結果、繁栄した諸侯貴族は様々な娯楽が集まる王都に住み、国王様に接近し、特権的な官職を得ることになる。宮廷に頻繁に出入りする諸侯貴族を『宮廷貴族』、またそれ以外の知識人や、特殊技能を持つ人などを『宮廷人』と呼ぶ習わしがここから生まれた。


 そんな宮廷貴族の方々は、諸侯貴族様を一段低く見なす風習があった。自ら領地運営することを蔑み、貴族の為に領民があるのであって、領民の為に貴族があるのではない。そのように頑なに信じて疑わないと、マリス様から教わった。



「そもエルトリア国の発展は――」



 演説の最中。私はラスフル村の、田舎娘のユリシアという立場で彼らの存在を認識しないよう努めた。ただ人の群れを人の群れのままに捉え、そこにどんな個人的な感想も差し挟まないよう努める。


”私は別段、あなた達に敬意を払っている訳ではありません。ただ必要だから、手を貸して下さい。そう言っているのです”


 姫様が宮廷貴族に持つ印象、思考をなぞり、一体化し、口調と態度に滲ませる。自身で自身をそっくり騙し、自分こそが姫様であると意識に刷り込ませる。


『いいですか、上っ面で演じるのではありません。意識の面から、認識の面から演じるのです』


 マリス様から事前に放たれた警句の意味が、今ならよく分かる。


 表面上で姫様になりきるだけでは足りない。姫様ならその物事をどう認識し、どう自分の中で位置づけ、どう対処するか。認識の面から姫様に成りきる。


 最初の一歩。祝宴開始の際もそうだが、最初の一歩は畏怖を覚えもした。

 だが一歩が踏みこまれると、意外にも腹が据わり始めた。


『人間とは、そのように出来ているものです』


 胸中で苦笑するゆとりも生まれる。そのことに驚きながら、まったく、奇怪な人間と言うものの存在を、自己を通して改めて眺めた。


 演説が終わると、あたかもそれが見世物であったかのように、遠雷を思わせる拍手が宮廷に鳴り響いた。やがて宮廷貴族の代表者を自認しているであろう壮年の男が歩み出て、エスメラルダ姫に言葉を贈ろうと口を開く。


 人は言葉を食べることはできない。言葉は風のように空虚だ。


 傍らのマリス様が、殆ど宮廷に顔を出さず、宮廷貴族に明るくない自国の王女に向け、男の名前を囁く振りをする。私は了解した振りをして、小さく頷いてみせた。


 しかし宮廷貴族の男が紡いだ言葉を、私は殆ど耳に入れなかった。理解しないこと以上に素晴らしい優雅な振舞いはない。そんな言葉を体現するかのように、微笑を浮かべながら受け止める。


 ただ一国の姫君が戦場に立つことを何かに喩え、相手の自尊心を満たそうとしながらも、自分の機知をその場の人たちに示したい。そんな欲求は察した。


 その証拠に男が話し終えると、主に貴婦人から「まぁ、なんて素晴らしい」など、それに類した感嘆の声が上がる。


 対して私は、相手にもそれが作為的であると分かる愛想笑いをした。


 男は一瞬だけ面食らったような表情となったが、無理やり口角を上げ、目を輝かせるようにしては、小刻みに頷いてみせた。

 

 演説という一幕が終わると、再び自由な雰囲気を伴った祝宴が、今度は私を首座に据えて始った。代わる代わる挨拶にやってくる、宮廷貴族と宮廷人たち。


 彼らは同じような声音(こわね)で、同じようなことを言い、同じことに笑い、また同じように追従を打った。そして同じように、自らの本心というものを見せなかった。


 薄衣のように常に建前を纏い、本音という素肌を晒さない。


 話の中で相手に如何に重要感を与えるかに苦心すると共に、その行為でもって自らの自尊心を満たす。それを宮廷では、洗練と呼ぶのかもしれない。


 だが私には、今までに接したことのない独自の価値体系を持つ彼等が、表情豊かであるにも関わらず、その実、表情がないように見えた。


 眉や鬚はもとより、目と鼻と口さえもなく、卵のように凹凸のない滑らかなものが、仮面のように顔に張り付いている。そんな風に錯覚しそうになった。瞬間、スーッと、神経が一つところに凝縮したような気味悪さを覚える。


 私はその考えを意識の隅に必死に追いやると、用意された言葉だけを口にした。


「これで、エルトリア国も安泰です」

「よい方向に考えておきます」

「嬉しく思います」


 姫様の目論見どおり、領地に代官を派遣して左団扇で暮らしている上、官職もあり、暇を持て余している宮廷貴族の方々は、次々と基金に参加して下さった。マリス様がその記録を纏めていく。


 ただその条件に家紋だ、家録だ、伝記だのと言ってはいたが、私は言いつけられていた通り、微笑のみをもって答えとした。


 また驚くことに、彼らは戦争を何か遠くの国の出来事のように扱っていた。南部や中部に領地を持ち、例え自らの領地が戦禍にさらされる恐れがないにしても、それは呆れかえるほどの無関心だった。



 だが祝宴自体はつつがなく進行し、やがて成功の内に幕を閉じると、私はマリス様と侍従らと共に塔へと帰った。



「ユリ! お帰りなさい!」

「エルダ様……わざわざお出迎え頂き、ありがとうございます」


 それが初めての体験であったせいもあるのか、自分が疲労の極致にあることを、塔を登る際に思い知らされた。体が重く、やけに眠たい。


 謁見の間で私を待ち、入室に際しては自ら立って迎えてくれた姫様は、「随分と疲れているみたいですね。私が寝具まで抱っこしてあげましょうか?」と、悪戯めいた笑みを浮かべながら提案してくる。


「もう、エルダ様ったら」

「うふふ」


 姫様の笑顔を見ると、鉛のような疲労感が僅かにほぐれたように感じた。

 基金についても十分な額が集まったと、マリス様が私たちに報せた。


「ユリ、素晴らしいわ! さすがね」


 姫様が年齢に相応しい少女のように浮かれ、私の手を取る。

 その場には、同じ衣装を身に纏った双子のような二人の姿。


 あの日――姫様に塔の外へと連れ出され、また戻ってくると、私の身を蝋燭の炎のようにじりじりと焼いていた焦燥は消えていた。代わりに落ち着いた、肩の力が抜けた自分が存在していることに気づかされる。


 翌朝、今度は姫様抜きで総おさらいをし、それが終わると……。


「肩の力は抜けるようになりましたね……ふむ。まぁいいでしょう。合格です」


 満足の微笑を口の端に湛えながら、マリス様はそう仰って下さった。

 問題は、意識の持ち方にあったのだと気づく。 


 祝宴の日は差し迫りつつあり、その日の午後からは衣装での立ち振る舞いを確認すべく、私は姫の装いに着つけられた。


 痛んでいた髪も丹念に香油で撫でつけられ、光を浴びると艶々と輝き、一条の細い線が浮かぶようになった。また赤切れしていた手や頬も、西国由来の植物の液で三日三晩労わられることで、赤子のようなきめ細さを取り戻してもいた。


 髪を専用の侍従に整えてもらい、初めて化粧というものを施される。そして姫様の自室にある貴重な大鏡が謁見の間に持ち込まれ、私は私を確認した。


 鏡の中には紛れもなく、エスメラルダ・リ・エルトリア姫がいた。


「わぁ! ……凄い、何て素敵なの!」

 

 女の子なら誰もが一度は憧れる、豪奢な姫の装い。今までの人生の中で見た美しい物が一粒の水滴に凝縮され、私の感動にぽたりと落ちたように感じた。 


 いけないと知りつつも、心はお祭りを前日に控えた子供のように浮かれる。クルクルと衣装の裾を翻して回る。私は一時、私の運命や使命を忘れたようになった。


 ――あぁ、この姿をアレックスにも見てもらいたい。


 直後、アレックスもまた徴兵を受けているであろう事実が脳裏を過った。

 その閃きと重なるようにしてなされたマリス様の咳払いで、私は私を取り戻す。


「あ、す、すいません……浮かれてしまって」


 羞恥に頬を染める私を、まぁ分からなくもないですが、と、そんなことを語りかけるような目で見るマリス様。その場から一歩踏み出し、私の傍らに立った彼女は、衣装を確認しながら口を開く。


「体格はやはり、姫様より細いようですね。しかし……ふむ、意匠が凝らされていますし、問題はありませんね」


 部屋にはマリス様と私、そして数人の侍従のみ。

 例の如く姫様は、何処かへお出かけになられていた。


「エ、エルダ様は、その、随分と華奢のように見えますが」


 私は少しだけ萎縮したようになりながらも、疑問に思ったことを口にした。


 姫様を愛称で呼び始めたことについては、マリス様は昨日からご存知だった。その件でお咎めは受けていないものの、二人の時には臆してしてしまうのも事実だ。

 

 そんな私にマリス様は、苦笑ともとれる顔つきで答える。


「いえ、筋肉が肥大せぬような鍛錬をしているだけです。外を御覧なさい」

「え?」


 言われるがまま、好奇心と恐れるような気持を二本脚とし、衣装をどこかに引っ掛けないよう気を配りながら、塔の外周に出た。


 先程まで気づかなかった、木と木が打ち合うような乾いた音が聞こえてくる。鋭く激しい女性の掛け声のようなものと、それに応じる野太く力強い男性の声も耳に入り始め……。


「あれは……まさか、エルダ様!?」


 姫様の塔から少しばかり離れた城壁の近くで、木剣を手にした姫様が、同じく木剣を手にしたアルベルト様と二人、剣戟を交わし合っていた。


 余人の介入を許さない気迫が、二人の周囲に霧のように立ち込めているのが、遠くからでも伺えるような気がした。


 驚きのあまり、私は言葉を無くす。


 それが決してお遊びではない証拠に、姫様の目には火のような一心と、氷のような静寂が混然となって溶け合っている。攻めるときは果敢に攻め、引くときは機を逸せずに引く、武人の目。


「なぜ、姫様が剣を……?」


 私の口は、意識に浮かんだ感想を独り言のようにその場に落した。

 戦場に赴かれるとは伺っていたが、まさか……。


「王家の人間たるもの、戦においては陣頭に立つ。姫様はそのようにお考えになっているようです」


 背後から近付いてきたマリス様が私と並び、やがて同じ光景を視界に収めながら答えた。私はその言葉の意味も十分に理解せぬまま、反射的にマリス様を見た。


 彼女は呆れたように口を曲げながらも、胸の底から込み上げてくる慈愛と敬念の情は、目の中で隠しきれずにいるように思えた。


「ただ戦場に赴くばかりでなく、剣を持つというのですか?」

「…………それが、エスメラルダ様なのです」


 途端に、私の心に静寂が泉の水のように湧き上がってきた。軽薄な浮足立った気持ちは彼方に去り、名伏し難い、敬虔に良く似た感慨が、私の胸を締め付ける。

 

 そのまま私たちは、現在という物を忘れたようになり、ただじっと姫様を見つめ続けた。木剣を打ち鳴らす音が、意識に寂しく、悲しく響いた。





 それからも、私は何度か姫様に替わって祝宴を催し、基金を募った。

 そして、私が城に来て三週間余りが過ぎる頃……。








 ――オスラリア領陥落の報が塔に届けられた。






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